03. 観測再現体とお嬢様
部屋の中央モニターにノイズが走った。
画面に映し出されたのは、大柄な男だった。冷たい視線に、微動だにしない表情。コード・リーパー最高位──コードネーム、condor。
その姿が現れた途端、部屋の空気がわずかに沈んだ。
ソファになだれ込んでいたグレイも、さすがに身を起こす。露骨に顔をしかめ、タカセへ小声で耳打ちした。
「うわ……最悪のタイミングだろこれ。今から仮眠だったんだけど」
「──聞こえてるわよ」
イノウエが淡々と返す。
condorは、そんなやり取りなど意に介さず、抑揚のない声で告げた。
「お前らに追加任務だ。少女の護送任務。優先度は最高だ」
モニターの端に転送通知が表示される。イノウエはファイルを開き、素早く内容に目を走らせた。
「失敗すれば──俺がお前らを殺す。その気でやれ」
続けざまに告げられた言葉に、室内の空気がわずかに張り詰める。
誰一人として、冗談だとは受け取らなかった。
condorは、本当にやる。
それを全員が知っていた。
次の瞬間、通信が途切れる。
モニターが暗転したのを確認すると、グレイは小さく舌打ちを漏らし、そのままソファへ身を投げ出した。
「──相変わらずムカつくな、あのハゲ」
「同意だ」
タカセが即答すると、グレイは吹き出すように笑った。
「おっ、やっぱ俺ら気が合うな」
「……今は冗談を言ってる場面じゃないでしょ」
イノウエはため息混じりに言いながら、転送されたファイルを展開する。
【“観測再現体(Observer Replica)”護送任務】
【対象:ミシェル・アンバーソン】
タカセは表示された資料へ視線を落とした。
「アンバーソンって……富豪層で有名な、あのアンバーソンか?」
「護送対象は十三歳の少女よ」
イノウエが淡々と補足する。
その瞬間、グレイが露骨に顔をしかめた。
「げっ。俺たち、お嬢様系の扱い分からなくね?」
タカセは少し考え、そして素直に頷いた。
「……確かに」
「だろ?」
グレイは勢いづくように身を乗り出した。
「続けざまの任務にお嬢様のシッター。なんだ? またcondorさんの嫌がらせかよ」
「礼儀作法が学べるいい機会じゃない」
イノウエがあしらうように返すと、グレイはタカセに同意を求めるように視線を向けた。
「俺たちが品性の欠片もないみたいに言うなよ。なぁ? タカセ」
「俺“たち”じゃない」
即答だった。
「タカセ! アナタ裏切るのね!」
グレイを軽くあしらい、タカセは違法改良武器が仕舞われたケースを見つめる。
condorの直命。武器の回収任務。変死体の謎。いくらコード・リーパーが特殊な職業だからといって、周囲が騒がしすぎる。
グレイの騒ぎ声が、やけに遠く感じられた。
・
聖都市の最先端部。
気持ちいいほどの昼間の晴天。陽光を受けた海が輝いている。
海沿いには尖塔を連ねた白い聖堂建築が並び、静かな威厳を与えていた。
カモメの鳴き声が遠くに響く。
遊歩道を、タカセとグレイは並んで歩いていた。
「さっすが高級区画。空気がやけにのんびりしてるな」
グレイは周囲を見渡し、ふと欠伸をする猫の姿に視線を引っかけた。
「おっ、猫ちゃん発見。ちょっと撫でに行っていいか?」
タカセは一瞬だけ猫に目をやり、すぐに手元の地図へ視線を戻す。
「──今日は任務前の顔合わせだ。猫ちゃんは後だ」
「めちゃくちゃ気になってんじゃねぇか」
グレイの軽口を受け流すように、タカセは小さく息を吐いた。
「──護送対象に、怖がられないといいが」
タカセが前方へ視線を向ける。
緑に囲まれた広大な敷地。
その奥に、ひときわ大きな屋敷が姿を現した。
門の先、玄関に一人の少女が立っていた。
柔らかな髪は肩の少し下まで伸びていて、毛先だけがふわりと跳ねている。
人懐っこい小動物のような可愛らしさ。澄み切った青い瞳だけが、どこかこの世界から少しだけ浮いているようだった。
タカセは端末のプロフィールと少女を見比べる。
「あの子が、ミシェルか」
その時だった。
少女の視線が、まっすぐこちらを向く。
───
ミシェルの世界が、ふっと止まる。
(……あ)
息を吸うのを忘れたまま、心臓だけが跳ね上がる。
どくん。どくん。
一度じゃない。二度、三度と、胸の奥で暴れるみたいに鳴り続けた。
(もしかして……)
視界の端が、少しだけ明るく滲む。世界がほんのわずかに、きらきらして見えた。
目の前にいる青年は、何度もテレビや新聞で見たことがある人物だった。
聖都市の看板コード・リーパー。市民から“ダークヒーロー”と呼ばれる男。
(本物……)
そして──
「た、たたたタカセさん??!!」
気づいた時には、声が勝手に出ていた。
喉が裏返り、止まらない。
「かっ、カッコ良すぎます!!」
───
「……え?」
タカセは目を瞬かせた。予想だにしなかった反応に、言葉が出てこない。
その間にも、ミシェルは早口でまくし立てる。
「ずっとずっとファンでした、握手してください……! いや待ってください?! 先にサインをいただいてもいいですか? あぁ、でも紙がありません!」
「いや、落ち着いてくれ。俺はそんな大層なもんじゃない」
タカセはなだめるように片手を上げた。
けれど、ミシェルの頬はますます赤くなっていく。まるで、目の前にいるのが信じられないとでもいうように。
「ひゃ〜!! ほっ、本物……!!」
その様子に、グレイがとうとう堪えきれずに吹き出した。
「おいおい、えらい個性的なお嬢様だな」
ミシェルはぴたりと口を止め、すっとグレイへ視線を移した。数秒のあいだ、相手を見定めるようにじっと見つめる。
「……あなたは何ですか?」
「ん?」
グレイが片眉を上げる。
「タカセさんの親衛隊ですか?」
「なんでそうなるんだよ」
即答だった。グレイは心外そうに眉をひそめる。
「俺はコイツとハッピーセットだぞ」
「つまり親衛隊の隊長ですね」
「話聞いてたか?」
その時だった。
「お嬢様に向かってなんですか、その物言いは」
ぴしゃりとした声が割って入る。新たな声に、タカセとグレイが同時に振り向いた。
視線の先、そこに立っていたのは、ふくよかなメイド服の女性だった。
所作は整っている。だが、どう見ても年季の入りすぎた、いわゆる“おばちゃん”だった。
「タエさんっ」
ミシェルがぱっと表情を明るくして手を振る。呼ばれた女性──タエは、ふんっと鼻を鳴らす。
「そこの親衛隊のお坊ちゃん」
「だから親衛隊じゃねぇって」
「仕えるということがどういうことなのか」
タエはびしりとグレイを指差した。
「教えて差し上げます。ついてきなさい」
「だから! なんで俺が!」
抗議は最後まで届かない。タエはすでに踵を返していた。
「ちょ、待てって──!」
グレイは半ば引きずられるように、賑やかに屋敷の中へ消えていく。
騒がしい足音が遠ざかっていった。
タカセはその背中を見送り、それからミシェルへ視線を移す。
(あいつ、もう完全に“親衛隊”扱いだな)
ほんの少しだけ、苦笑が浮かんだ。
ふと、ミシェルの視線に気がつく。
(──怖がらせないように......)
タカセは目線を合わせるように軽く屈み、言葉を選んだ。
「その、俺たちは君の護送を任されているコード・リーパーだ。よろしく頼む」
そう言って、そっと手を差し出す。
ミシェルは一瞬きょとんとしたあと、みるみるうちに顔を真っ赤にした。
「ああ、すみません……!」
両手で顔を覆い、そのままうつむく。
「し、しばらくお話が続けられそうにないです……」
声が小さくなっていく。
タカセはその様子を見て、わずかに目を瞬かせた。
(──大丈夫なのか、この任務)
遠くでカモメの鳴き声が響く。波の音と混ざって、やけにのどかだった。




