09. 保護という名の依頼
翌朝。聖都市郊外。
人の立ち入りを禁じられた旧大聖堂。
石造りの巨大な外壁は風雨に削られ、尖塔には鳥の影すら見えない。周囲には柵も警備もないが、それでも誰も近づこうとはしなかった。
理由を知る者は少ない。ただ、この場所には新技術推進団体・アンバーソンが出入りしている。その噂だけで十分だった。
重い扉を押し開けると、冷たい空気が流れ出る。
壁には奇妙な紋章が掛けられ、古びた標語が刻まれていた。
『天使の加護をこの身に』
マキナはその文言を見て、少しだけ眉をひそめた。
「相変わらずね。この人たち」
ビクターがぼやく。
「まぁ、何を信じるかは自由だからな」
その時、奥の部屋から長い黒髪を揺らした女が姿を現した。
レベッカ。新技術推進団体・アンバーソンの実務責任者だ。
「アタッシュケースは回収できた?」
彼女は二人を責めるでもなく、ただ確認するような声音で切り出した。その穏やかさが、かえって気まずさを感じさせる。
ビクターは頭を掻いた。
「悪かったよ……邪魔が入って、回収できなかった」
マキナも小さく肩をすくめる。
「報酬減額なら受け入れるわ。契約は契約だもの」
しかし、レベッカはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。結構よ。中身は使わなかったのね」
「ええ。まさか武器が入ってるだなんて知らなかったもの」
「そう……まあ、いいわ。アタッシュケースの件は忘れてちょうだい」
あまりにも簡単な返答だった。
ビクターが眉を上げる。
「……いいのか?」
わざわざマーセナリーズに依頼した案件だ。失敗を責められると思っていた。
けれど、レベッカの表情には怒りも落胆もなかった。まるで、最初から別の何かを見ているようだった。
「ええ。それよりも、もっと重要な依頼があります」
*
「……つまり」
マキナは資料から顔を上げた。
「私たちに、その子どもの護衛をしろ、って?」
淡々とした声を保とうとする。けれど、その視線は資料に映る少女から離れない。
──ミシェル・アンバーソン。
まだ幼い顔。依頼の詳細は伏せられている。
それでも、わざわざマーセナリーズに依頼するほどの存在だということだけは分かった。
レベッカは静かに訂正する。
「護衛……とは少し違うわ。保護よ」
その言葉に、ビクターは椅子にもたれたまま、もう一度資料へ視線を落とした。
「ギフテッド……ねぇ」
ビクターの声に、レベッカは頷く。
「観測再現体。非常に珍しい能力です」
「珍しい、ね」
ビクターは、まるでその表現の裏側を探るように言葉を繰り返した。
マキナが資料をめくる。
「でも、この子は北支部へ移送される予定じゃないの?」
「ええ。だからこそよ」
レベッカは資料を閉じ、言葉を重ねた。
「北支部はコード・リーパー本部が管轄する研究機関でもある……この意味、理解できるわよね?」
「……」
「彼女が、人間として扱われる保証はないの」
マキナの表情がわずかに変わる。
ビクターは黙ったまま、レベッカを見つめていた。
──言葉自体は間違っていない。
実際、この世界では珍しい話ではなかった。力を持つ者は、時に人ではなく資源として扱われる。
だからこそ、その言葉を使う人間が何を考えているのかが重要だった。
「……随分と心配してるんだな」
ビクターが言う。責めるようでもなく、探るような声だった。
レベッカは迷わず答える。
「ええ。彼女は未来を変える可能性を持っているもの。昔のよしみで保護を希望しているだけ」
一瞬の沈黙が落ちる。
先に口を開いたのはビクターだった。
「で? 俺たちに何をさせたい」
レベッカは静かに言った。
「──私たちの準備が整うまで、彼女をここで外部の目から守ってほしい。たった、それだけです」
まるで一人の少女を預けるのではなく、荷物の管理を頼むような、あまりにも軽い声色だった。
「報酬は?」
マキナが聞く。感情を挟まない、いつもの仕事の声。
レベッカは端末を差し出した。
「十分な額を用意します」
ビクターが画面を見る。表示された金額に、わずかに眉が動いた。
マーセナリーズとしては破格。危険度を考えても、それ以上だった。
「……随分、本気だな」
思わず漏れた言葉。
レベッカは迷わず答える。
「ええ。彼女のためだもの。これぐらいは安いわよ」
その返答に、ビクターはもう一度資料へ視線を落とした。
そこにいるのは、ただの少女だった。
写真の中で、こちらを見る青い瞳。まだ何も知らない顔。
けれど、この世界ではこういう存在ほど平穏に生きられない。
*
数時間後。移動中の車内。
エンジン音だけが、静かに響いていた。
マキナは窓の外を流れる景色を眺めながら、ぽつりと言う。
「ねぇ、ビクター」
「なんだ」
「あの女の人……」
マキナは少しだけ言葉を選んだ。
「……ミシェルちゃんのこと、本当に心配してるように見えた?」
ビクターはすぐには答えなかった。窓の外へ視線を向ける。
「……分からん。昔のよしみって言ってたから、本気で心配なのか。それとも別の理由で、あの子を欲しがってるのか」
マキナは黙った。
(──依頼の条件とはいえ、アタッシュケースの中身もろくに説明がなかった)
そして、昨晩のタカセの言葉を思い出す。
──この武器の使用者がどうなるか、知っていて所持していたのか?
マーセナリーズには、ラボや本部の情報はなかなか回ってこない。それでも、違法改造武器の噂だけは耳にしていた。
自分たちの知らないところで、何かが動き出そうとしている。
マキナはぽつりと声を落とした。
「──ヤな感じ」
レベッカの言葉。未来を変える可能性。その表現だけが、妙に引っかかっていた。
マキナはもう一度、資料に目を落とす。
──ミシェル・アンバーソン。
まだ二人は知らない。この少女が、全ての中心になることを。




