「十二湖は、今日も蒼い」16
「大丈夫ですよ、もし遥さんに何かしようとしたら、例え善知鳥さんでも突き飛ばしますから」
そう言って天使の微笑を浮かべる陽菜ちゃん。
それを見て明らかに引いている善知鳥さんと若い組員、もとい社員。
父親に呼ばれた際、私も同席してほしいと陽菜ちゃんに伝えられたが、私の頭に過ぎったのは先日の一件だった。
―家の中で取り囲まれたら流石に逃げられないわよね
そう考えたのを察したのか陽菜ちゃんが言ったセリフがさっきのものだった。
とんでもない状態で帰ってきたミニバンが本社1階のピロティに止まっていた。
”そうなった事情”を聞いたら、そりゃあ強面連中も陽菜ちゃんの言葉に恐れをなすわ。
前回同様囲まれそうになったが、陽菜ちゃんが先陣を切っているおかげでモーゼが海を割るがごとく、人垣が割れていった。
ピロティを抜け、裏手の自宅に入る。
「ここは善知鳥さん以外の社員は、立ち入りを禁じられていますから大丈夫ですよ」
ますますマフィアのボス感が増しただけなんですけど?
和風の住宅だが、流石と言うべきか建設業大手だけあってか、建築の素人でも金がかかっていると分かる手間暇かけた造りをしている。
応接間に案内されると、安潟社長が立ち上がって頭を下げた。
「たびたび、すみません。
陽菜をお預けした上にお呼びたてまでしまして」
「いいえ、陽菜ちゃんと話をしながら楽しく食事していましたし、万が一があっても陽菜ちゃんが守ってくれるそうですし」
そう言ってにっこりと、はっきりわかる威圧を笑顔でしておいた。
陽菜ちゃんの”あれ”を目の前で見ていれば、いくら父親とは言え今の言葉の意味を理解はできるだろう。
「まずは、八峰さんを襲った相手方とは話を進めております。
少々お時間を頂くことになりますが、きちんと詫びを入れさせますので、少々お待ちいただければと」
「いえ、私は実被害は被っていませんし、そこまでは。
むしろ安潟社長の方が車両被害とかありますし、そちらが先では?」
「あなたは本当に自分より他人への心配をされるのですね」
「性分ですから、仕方ありません」
そう言って肩を竦める。
「陽菜、八峰さんのような他人を思いやる人になるよう、努めなさい」
「はい。私も遥さんみたいでありたいです」
「……本人を前にしてそれって、少し恥ずかしいんですけど?」
「はっはっはっ。失礼しました。
宜しければ数日中に事の顛末をお伝えできるかと思いますが、改めてご連絡をさせていただいてよろしいでしょうか?」
「それは構いません」
「わかりました。本当にご迷惑をかけ続けてしまい申し訳ありません」
そう言って、何度目かわからない頭を下げた。
「頭を下げないでください。安潟社長はなにも悪いことされていませんし」
「……ありがとうございます」
雑談だけして、安潟社長宅を後にした。
「また、遊びに来てくださいね」
陽菜ちゃんが小さく手を振っていた。
『安潟社長は君になにか詫びを、それも目に見える形で渡そうとしているのではないか』
車に戻って新町通りに出た途端、カールがそう話しかけてきた。
「要らないわよ、そんなの」
『ああいう手合いは”けじめ”という文化があるのだろう?
どういうものかはわからないが、受け取るまではしつこいかもしれないぞ』
「それはそれで困るわね」
『ところで』
カールはそう言って言葉を止めた。
「なに?」
『少し早いが、エンジンオイルとデフオイルを交換してほしい。
振動状態から、初期摩耗粉が増えているようだから排出してしまいたいのだが』
「まだ500kmも走ってないわよ?今の車は新車から最初のオイル交換時期まで無交換でも問題ないって言うじゃない」
『それは正確には”短期的には問題がない”だけで、長い目で見れば現代の製造技術・材料工学では確実に問題が起きる。
短期間で乗り換えるならともかく、長く使うなら初期摩耗粉だけでも早めに排出してしまうほうがいい』
「そうか、自分の身体は自分でわかる、って言うしね。
流石にこのサイズじゃアパートの駐車場で交換するのはきついから、ディーラーに予約いれましょ」
『そう思って30分後に入庫するとディーラーには予約済みだ』
「あんた、何時の間に」
『君が安潟社長と話をしていた時だ』
「呆れたわね」
購入したディーラーに持ち込むと、担当営業マンが出て来てキーを預かり、てきぱきと交換作業に入った。
「リフトかピットが家にあれば自分でやるんだけどね」
『あの駐車場ではエンジンオイルはともかく、デフオイル交換は厳しいだろう』
「ミッションオイルはよかったわけ?」
『一応問い合わせしたが、このディーラーでは実車作業未経験らしいので辞めておいた。
おまけに新しい変速機だからか、フルード類も含めて情報が乏しい。
場合によっては交換で不具合を生じる可能性があるから見送るほうが良いと判断した』
「なるほどねぇ。新しいハイブリッドだけに実績がないのね」
『作業者の信頼性、というのも現時点では皆無だな』
「そうね、作業者の実験台になるのはご勘弁だわ」
1時間程を、サービスのコーヒー片手に待っていると担当営業が伝票片手にやってきた。
支払いを済ませ、サービスの洗車もされて綺麗になったクロストレックに乗り込む。
『さて、休日1日目はもう夕方になってしまったが、どうする?』
「そうね、今日は早めに切り上げて家でゆっくりしてようかしら」
『君の体力さえ問題なければ高速に乗ってドライブというのも悪くないと思うが』
「ガソリン代に高速代、また現金払いなわけ?
そう言えばこの間、カード使うなって言ってた理由の説明、聞いてないわよ」
『すっかり忘れていた。では説明を』
「あ、面倒だから私から聞くわ。家に帰ってからにするわね」
そう言ってアパートに向かった。




