「十二湖は、今日も蒼い」14
「ということで、末永くよろしくお願いいたします」
三つ指を付き、深々と頭を下げる陽菜ちゃん。
「……まるでプロポーズみたいなんだけど」
「あら、そうですね」
仲良く笑う。
どうしてこうなったのか。
さかのぼること数日。
約束通り陽菜ちゃんの父親と陽菜ちゃん、私の3人で話をすることになった。
もちろん、彼女が熊を屠ったことは言えるものではない。
陽菜ちゃんを下ろした帰り、カールはこう言った。
『陽菜を捨てて逃げた彼氏とやらが、陽菜の前に顔を出さなければいいのだが』
「それって、トラウマになっててあの戦闘モードになっちゃう、ってことかしら?」
『私の仲間がどこまで彼女を制御下に置いたかにもよるが、本人の自己防衛本能と連動していれば可能性は高い』
「逆に言えば、それさえなければ問題ないってこと?」
『そうであってほしいがね。あの強さが常時発動しているなんて恐ろしいことだ』
「彼女にとっても不幸よね」
『なんとか抑え込みたいものだ』
数日後、連絡して陽菜ちゃんの父親と老舗喫茶店で会うことになった。
陽菜ちゃんは同席しないのは、私と陽菜ちゃんの話の整合性を考えてだろうか。
そんな穿った考えをしてしまうのは、先日の監禁もどきのせいだ、多分。
「お時間を改めて取って頂き、ありがとうございます」
そう言って安潟社長はテーブルに手を付いて頭を下げる。
「いえ、どのみちあの時はお話をするには時間も時間でしたし、社長からすれば陽菜ちゃんが居ない方がいいのではありませんか?」
メガネの奥の瞳が怪しく光ったように見えた。
「陽菜からどこまで聞かれましたか?」
少し考えて、こう答えた。
「殆ど聞いてません。断片的には彼氏と一緒に日本キャニオンに写真を撮りに行って、熊に遭遇した、と」
「その後は?」
「……ご本人から聞かれたのでは?」
「聞きましたが、言いたがらないのです」
「かといって本人の許可を取るのも、どうかと思いますし。
急ぐ必要がなければ、陽菜ちゃん本人が口を開くまで待った方がいい気がします」
下手に追及して嫌な記憶がフラッシュバックでもされると、大変なことになりかねない。
「何があったか断片的にでもご存じなあなたがそう言うなら、無理強いをしないほうがいいのですかね」
ふと思った。
陽菜ちゃんの父親は、陽菜ちゃんが”別の意味で”襲われたと思っているのではないか?
その旨、やんわり遠回しに確認してみる。
「聞きづらいですが、同性のあなたに話をして私に言いたがらない、となるとそう考えてしまうものです」
そう言って指を組んだ手はかなりの力が込められている。
「私が訊いた範囲では、今回その類のことは心配ないと思いますよ」
「本当ですか?」
「ええ」
―何も言うまい
「ではなぜ陽菜は何も言いたがらないのでしょうか」
「誰と深浦に向かったかはご存じでしたか?」
「知っています。というか陽菜は私の知人の息子と出かけたのです」
「それは、彼氏なんですか?」
「一応、許嫁という間柄ですがそれは私ども親の約束でして、幼馴染でもありますからまずは普通に付き合ってみるようにと両家で話をしたのです。
それがつい先日でした」
許嫁ね。それに幼馴染だったとなれば人身御供にされた絶望は計り知れない。
それに熊に襲われた二重の悲しみと怒りの大きさは私でも理解できる。
私の知っている内容はそこまでだし、あとはドライブした話しかない。
そう告げると、安潟社長が陽菜ちゃんを同席させたい、と言い出した。
一つだけ条件を付ける。
「陽菜ちゃんが同席するのはいいですが、その許嫁の話は絶対にしないと約束してください」
「何故ですか?」
少し考えて答える。
「熊に襲われたこともありますし、トラウマになってる可能性が高いと思います。
下手に持ち出すと陽菜ちゃんに精神的ダメージを与えるかもしれません」
頷いて、安潟社長が同意し陽菜ちゃんを呼び出す。
10分も経たずにかなりごつめのミニバン、いやフルサイズのバンが店の前に止まった。
スライドドアが開き、今日はピンクのワンピースを着た陽菜ちゃんが降りてくる。
ドアを開けて入ってきた陽菜ちゃんは、先日見た血まみれでずたぼろなワンピースとは打って変わってひたすらに可愛い。
「遥さん!こんにちは」
お辞儀をして隣に座った。
「先日は本当にありがとうございました」
こちらに向き直り、揃えた膝に手を置いて頭を下げた。
「いいのよ、あなたもお父さまも頭を下げ過ぎよ。
大したことをしたわけじゃないわ」
そう言って手を振る。
「そんなご謙遜を。遥さんは私のヒーローですよ」
そう言うと、手を取られた。
「見返りもなく人を助ける。私にはそう簡単にできません」
美少女に見つめられながら褒められると、悪い気はしないわね。
安潟社長も進言通り許嫁の話も出さず、コーヒーも無くなったところでお開きを切り出した。
「改めてお礼を申し上げます。
もしなにかお困りごとがありましたら、私どもの会社を上げて八峰さんの力にならせていただきます」
―怖いこといいだしたわ
「お申し出はありがたいですが、身に余りますわ。
袖すり合うも何かの縁、と言いますから、安潟社長が今度は誰かの力になってあげてください」
「……あなたは本当に見返りを求めないんですね」
「欲をかくと、いいことないですからね」
そう言うと、強面の社長が薄く笑った。
社長、陽菜ちゃん、私と階段を降りて歩道に出て、挨拶をして背中を向けた時だった。
「お前が陽菜を連れ帰らなければ!」
そんな声がして振り返ると、見知らぬ男がこちらに向けて走ってきた。
腰の横で包丁を握り、私に向かってまっすぐ突っ込んでくる。
「あぶない!」
陽菜ちゃんの悲鳴が聞こえる。
しかし、包丁男は視界から消え失せた。
わずかに遅れて強い衝撃音と、地面からの振動が伝わる。
『陽菜は”憤怒”しなくとも、十全に力を発揮できる状態になっているようだ』
先程陽菜ちゃんが乗ってきたミニバンの側面に、男がめり込んでいた。




