1-71 気付き
「やあ、お邪魔しているよ。」
「遅いぞエンレイ!」
まるでここの家主かのように寛ぐ二人のお客様、クロユリさんんとラナンキュラス大先生の姿を目にした私はヒュッと息を呑んだ。
今の今まで読んでいた本の内容も色濃く頭の中を占領していたからこそ、気が付いた。いや、気が付いてしまった。
これは、あの本の主人公と同じで……きっと、恋、とかいうやつなんだろう、と。
「……エンレイ?」
「ひゃいっ!?」
そう理解してしまえばあとは早い。クロユリさんが私の名を呼ぶその声にすら、私は過剰に反応してしまう。まるで心臓が口から飛び出たかと思った。それくらいの衝撃だった。
「ほら、早く食べよう? せっかく美味しい料理、冷めちゃう。」
「ヒョ、ヒィエッ!」
その場に立ち止まることもできないので、まるで油の切れたからくり人形のようにカクカクとした不自然な動きでもなんでもいいから、と何とか命からがら自分の席に着いた。
私の目の前に座っていたのがラナンキュラス大先生だったことに密かに安堵し、更に大仕事を成しえたような心持で一つ息を吐き、運ばれてくる料理に意識を向けることにした。
…………
毎食心を込めて作ってくれているヘデラとキンレンカには申し訳ないが、緊張やらなにやらで味を楽しむことができなかった。いや、それだけならまだ良かったかもしれない。そう、今、私はまた窮地に陥っていた。
「エンレイ、調子はどう? 大丈夫?」
食堂から一目散に部屋へ逃げ込む予定が、あっさりクロユリさんに捕まって客間へと連れていかれたのだ。
ちなみに私と同じように逃げようとしたラナンキュラス大先生は私が捕まえて道連れにした。もちろん、その時のラナンキュラス大先生の憎らし気な雰囲気は言うまでもなく凄まじいものだったのは余談である。
いやごめんって。でも今の私に一人でクロユリさんに対抗するには経験値が足りないから。そう脳内でラナンキュラス大先生に謝り倒しながら、ラナンキュラス大先生の背に隠れる。それでも中和できないドキドキは一体どうしたらいいのだろうか。
「エンレイはラナンキュラスの方が良いのか?」
「っ……!」
そんなクロユリさんの問いに返事すらまともにできない私に対して最初にしびれを切らしたのは、まさかのまさか、ラナンキュラス大先生だった。
「あーもー! 俺を挟んでないで、二人で話し合えよ!!!」
ラナンキュラス大先生は背にくっついていた私をベリッと剥がし、クロユリさんに向けてブン投げた。宙を舞う一瞬の感覚から抜け出した時には、私はクロユリさんの腕の中にいた。
「俺はツユクサさんに用がある! お前らに付き合っている暇はないんだ! ヘデラ! ツユクサさんのところまで案内しろ!」
「かしこまりました!」
そう言い残して、ラナンキュラス大先生はヘデラを伴って客間を出て行ってしまった。あぁ……頼みの綱がぁ……
「エンレイ、俺は嫌?」
ラナンキュラス大先生の背に手を伸ばそうとして、そして残念そうな顔でも浮かべていたのだろうか。クロユリさんにそう問われてしまった。
嫌なわけない。むしろその逆。ただ、今の今自覚してしまったこの気持ちに整理がつかなくて、ちょっと時間が欲しいだけなのだ。
そんな思いを込めて取れるんじゃないかってくらい首を横に振り続けた。
「そう、それなら良かった。」
そう安心したようにフッと柔らかなクロユリさんの笑顔を間近で直視してしまい、私の目は潰えた。いや、物理的ではなく、心理的に。
「そうだ、エンレイ。明日はどうしようか?」
「……と、言いますと?」
「いやなに、ここ数日でいろいろありすぎて、頭も体もヘトヘトになっているだろうからさ。明日の休み、エンレイはどうするのかなって思って。」
「明日……」
クロユリさんに言われて初めて自分が明日休みであったことに気が付いた。でもどうせ休みならいつも通りガイスト討伐に出ようか、だなんて考えていたのだが。
「じゃあ明日は劇を見に行かないか?」
何に対して『じゃあ』と言ったのかが理解できず、目が点になる。
「せっかくの休日をガイスト討伐に充てるくらいなら、俺と出かけようって言っているんだ。」
何故私の頭の中でしか考えていなかったことがバレているのだろう。そんなに分かりやすかったのか? いやいや、そんなはずは……
「……やっぱり、ただの仕事相手と休日には逢いたくない、か……」
グルグルと要らんことばかり考えている間にシュンと萎びてしまったクロユリさんのその言動に、何故かさっきまで読んでいた本のワンシーンがフッと頭をよぎった。
こ、ここここれって……もしかして、で、でででで……ぇと……
そこまで頭が回ったところで、いやしかしと脳内で首を横に振った。さすがにそれは思い違い甚だしいだろう、クロユリさんは善意で言ってくれているだけなのだろうから、と。
思い上がるだなんて私なんかがしていいことではない。それよりもクロユリさんを悲しませるだなんてしたくないから、早く何か答えないと。
「いえ! そんなことはありません! 是非とも行きたいです!」
その焦りから思ったよりも大きな声が出て、自分ですらその声に驚いてしまう。
「アハハ! なんで了承したエンレイが驚いているんだよ。」
「い、え……思っていたより大きな声だったので……」
「フッ、やっぱりエンレイは面白いよな。」
「……?」
今のやり取りのどこが面白いんだろう。やっぱりクロユリさんのことはよく分からなかった。
「フフッ、まあ了承してくれたんだから、それでいいか。じゃあ明日……」
――デート、楽しみにしてるから。
耳元で囁かれたその一言に、全身が緊張でビシッと固まった。考えないようにしていたことを目の前に突き付けられたような複雑な気持ちにもなった。
それからどうやって自室に帰ったのか、どうやって一夜を越したのか、よく思い出せなかった。
…………
「エンレイ様! お目覚めになってくださいませ!」
「ハッ!」
ヘデラの呼びかけにハッと目を覚ました。どうやら自室で眠っていたらしいことはすぐ分かった。
「ようやっと目覚められましたか! 寝起きが悪いのも、しっかり睡眠を取られたのも、エンレイ様にしては珍しいことですけど……人らしい一面が増えてきてこのヘデラ、嬉しい気持ちでいっぱいでございます!」
「……、ヘデラ、私、昨日……どうやって部屋に戻ってきたのか、分かる?」
「へ? 何を仰っているのです? 普通にご自分の足で部屋に戻られて、普通に床につかれていましたよ?」
「そ、そう……」
その記憶が全くない。それだけ無心で部屋に戻り、眠りについたのだろう。これが無意識の帰巣本能ってやつなのでは、だなんて現実逃避をしながら朝の準備を進めることにした。
準備を整えてからヘデラを伴って食堂まで向かっていると、その途中でラナンキュラス大先生の後ろ姿を見つけた。
「ラナンキュラス大先生! おはようございます!」
「ゲ」
ラナンキュラス大先生の隣まで小走りし、立ち止まって挨拶をする。
「今日も良い日になりそうですね!」
「はいはいそうだなー。」
「……ラナンキュラス大先生、どこか具合でも悪いのですか? 大丈夫ですか?」
いつもより罵倒の語彙が少ない。何なら静かすぎる。だからこそ体調が悪いのかと心配になって言葉をかけたのだけれども。
その気遣いすら鬱陶しいと言わんばかりに、ラナンキュラス大先生はフイッと顔を背けた。
「……なんでもねー」
「ラナンキュラス大先生、明らかに大丈夫じゃない返事ですよ? ……まあ、私に言いたくないこともありますよね。では誰か、別の人にでも……」
「……誰にも相談できるわけねーだろ。」
「そう、ですか……」
そんな重大なことを抱えているのか。でも無理に聞くことなんてできないから……
「じゃあ、別のことでもいいです。私にできることがあれば、言ってください。」
ラナンキュラス大先生にそう伝えてから、気を遣わせないようにと立ち止まっていた足を今一度食堂へと向けるのだった。




