1-69 安寧は何処に/ラナンキュラスside
クロユリサマには『夜香かアカシアの家にでも行け』だなんて助言しておきながら、俺は白花家に泊まれないか、と……つまり、言い方を変えるのなら、その、ええと、俺を保護してくれないかと手紙を出すタイミングでツユクサさんにコッソリお願いしていたのだ。
そんなことをもし今のクロユリサマに気取られでもしたら、絶対に面倒くさいことになる。断言できる。
そう危惧した俺は、一刻も早くこの病室から出ていかなければならないと焦燥感に駆られて扉を開けた……つもりだった。
「んぎゃっ!」
しかし誰かがこの扉の前にいたせいで逃げおおせることが叶わず。扉の前でたたらを踏んだその一瞬の隙を狙ったようにクロユリサマがエンレイを片手で抱きかかえたまま俺の腕を力強く掴んだ。
「逃げるなんて卑怯じゃないか、ラナンキュラス。まだ話も終わってないのに。」
「くそっ!」
面倒くさくなる気配を感じ取り、思い通りにいかなかった怒りを扉の前にいた第三者にぶつけてしまいたくなった。そうでもしないと俺がストレスで死にそうだったから。
今度は扉の前に誰かがいると分かった上でユックリ開ける。そうして怒りをぶつけよう、と意気込んだ先にいた人物といえば。
「いたた……あ!」
「お前は……エンレイのメイドの……」
「はいっ! ヘデラと申しますっ!」
なんということだ。今夜お世話になる家(仮)の関係者だったではないか。さすがにその人に対して怒りをぶつけるわけにはいかず、己の中にグルグルと怒りを溜めるしかできなくなった。
「……で、ヘデラ。何か用があったのか? まさか人が出入りする扉の前を陣取ってただ待っていたとは思えない。」
「あ、はいっ! ツユクサ様からのお手紙をお届けに参りました!」
あー……今のタイミングは駄目だー……。一瞬だけ絶望に意識が遠のいた。
ツユクサ様からの手紙ってことは、さっき俺が書いたものの返事ってことだ。一連の事件についての情報共有のついでに俺を保護して欲しいとちゃっかり書いていたんだ。断られる可能性はあまり考えていなかったから──何せ俺は非戦闘員のオランジェ属性のランクSという貴重な存在なもんでね──どうしたもんかと頭を掻きむしった。
今のこの状況で読まなければならないくらいならツユクサさん、この話、断っていてくれ。そんな矛盾した気持ちでヘデラから手紙を受け取った。
しかし読みたいようで読みたくない手紙を開けることなく『あー』だの『うー』だの呻きながら手で弄んでいる俺に痺れを切らしたのか、クロユリサマが俺から手紙を横取りした。
「あっ!」
「ラナンキュラスが開けないなら、俺が開けるよ。」
クロユリサマが目の前にいるところで開けたくないって気付いてくれないんか? そんな俺の葛藤なんて何のその、クロユリサマはサラッと中身を読み始めた。
まあ、確かにさっきクロユリサマにも手紙を書く手伝いをしてもらっていたから、俺が勝手に保護について書き足しただなんて知らないのかもしれない。
「ねぇ、ラナンキュラス。これは……何?」
でもさ、やっぱりあんただけには読まれたくなかったんだよ。だって地を這うクロユリサマの声が俺に絡みついてきて、最悪の予想が現実になったことを嫌でも理解させられたから。
ジョバッと冷や汗が吹き出て、心音も五月蝿く鳴る。油が足りない人形のようにギギギと不自由に動く関節すらも、それが現実であると言わんばかり。まるで死の宣告を受けた気分である。
「ねぇ、俺の目が悪くなったのかな? どうも俺には『ラナンキュラスは今晩白花家に保護してもらう』って見えるんだけど?」
針の筵ってこんな状況のことを言うのかな、だなんて現実逃避くらいは許してほしい。ああ、何故手紙を出す時にクロユリサマの面倒くささに気が付かなかったんだろう。
それを分かっていたら絶対にあんなお願いはしなかったのに。……ああ、時間を戻したい。そしてそんな手紙を書こうとした己を全力でぶん殴りたい。
「俺、ラナンキュラスの助言通り夜香かアカシアの家にお邪魔しようと思っていたけど、君が白花家に泊まるなら俺一人増えても何ら問題はないよね?」
「いいわけあるかぁ!」
「え? だってツユクサも来て良いよって書いてあるよ?」
「ハァッ!?」
クロユリサマが変なことを言い始めた。そんなことあるわけない、とクロユリサマから手紙をぶん取り中身を確認すると、確かに一番最後に『追伸・クロユリも来たかったら来ていいよ』と言ったことが書かれていた。
まるで未来が見えているかのようなツユクサさんの先回りがまさか仇になることがあろうとは。頭と胃が痛くなってきた。
「じゃあ、今日のところは一緒に白花家にお邪魔しようか。ねぇ、ラナンキュラス。」
ズモモ……と暗黒オーラを振りまきながら、地を這う声で、地獄に引きずり落とさんばかりに俺の腕を締め上げた。副音声で『後で聞くことがたくさんある』と聞こえてきた気がする。
「……ぁぃ」
そんな雰囲気のクロユリサマに反論できる命知らずではない。蚊の鳴くような声で了承するしか出来なかった。
…………
「ようこそ、白花家へ。歓迎するわ。」
ところ変わって、白花家の玄関にて。俺の葛藤に気が付いて知らぬフリをしているのか、はたまた本当に気が付いていないのか分からない笑顔でツユクサさんは俺達を迎え入れてくれた。
「エンレイは受け取るわ。重かったでしょう、迷惑をかけて申し訳ないわ。」
「謝らないでください。俺が運びたかっただけなので。」
「そう、じゃあ『ありがとう』ね。」
「はい。」
あれからもずっとエンレイを抱きかかえ続けていたクロユリサマは、さすがにツユクサさんにそう言われてしまえば受け渡さざるを得なかったらしい。渋々と言ったテイで未だ気を失っているエンレイをツユクサさんに渡していた。
「キンレンカ、二人の案内をよろしくね。」
「かしこまりました。」
ツユクサさんはキンレンカにそうお願いして、先に屋敷へと戻っていった。きっとエンレイを寝かせるためだろう。
「それではお二方、こちらへ。客間へ案内いたします。」
「あ、ああ……」
キンレンカが先立って俺達を白花邸の居住区域へと招き入れる。今まで白花邸に訪れた時は居住区域とは別の、カナカ軍用に解放された会議室や宴会場にしか踏み入ったことはなかった。
だからこそ今回初めてツユクサさんとエンレイのプライベートな空間にお邪魔することに、今更ではあるが柄にもなく緊張してきてしまった。
クロユリサマはどうだろうか、と隣を窺い見ると、特に変わった様子は見られず、いつも通り平然とした態度で歩いていた。
「……クロユリサマは普段通りだな。」
「え? 何が?」
「あ、いや、なんでもない。」
俺だけがこんなにも緊張しているっていうのに、この人は普段と何ら変わりはない。そんな様子に複雑な気持ちが沸き立った。
「こちらの客間、基本的にどちらのお部屋も同じような作りになっております故、お好きな方をお使いください。何かございましたらお申し付けください。」
「ありがとう。」
キンレンカとクロユリサマのやり取りを見て、ようやくその緊張感のなさに合点がいった。この人、腐っても王族だったわ、と。
「夕食のご用意が出来ましたら伺います。それまでの間どうぞごゆっくりなさってくださいませ。それでは失礼致します。」
そう言い残してキンレンカは去っていった。この屋敷は極端に人が少ない。きっとキンレンカにはそれをカバーする程大量の仕事が用意されているのだろう。そんな彼女をイタズラに留めるわけにはいかない。
クロユリサマと二人になってしまう気まずさよりも、引き留める罪悪感の方が上回ったからな。仕方ない。
「ふー……」
と、まあ、取り敢えず一旦息をつく暇を与えられ、さて次の行動へと移るべく二つある扉の一方に手を掛けた。このクロユリサマから一刻も早く逃げ出したくて。
「ちょっと待って。」
しかしそう思考を回していた一瞬のうちに、またまたクロユリサマに引き止められた。
「……なんだよ。」
「いや、一応俺達一人になる時間は少なくしておいた方が良いんじゃないかって思ってな。俺はアリバイを得るために、そしてラナンキュラスは闇討ちを防ぐため。」
「……」
この人と二人きりなんて死んでもごめんだ。お互いがお互いに良い感情を抱いていないのは明白なのだから。
だがそんな感情論よりも優先させるべきことがお互いにあるのも事実。ここはその話に乗るのが一番、か。例え相当警備が厳しい白花家だったとしても、その確率がゼロでないなら。
「………………分かった。」
嫌々ながら、本当に嫌々ながら、用意された部屋の一つに二人足を踏み入れたのだった。




