1-68 優しさ/クロユリside
「えぇー……」
まさかこれくらいのことで気絶してしまうとは思わず、気の抜けた声が溜め息と共に漏れ出てしまった。
色々な言葉で大事だよー、大切だよー、と伝えただけなのに。それくらいエンレイは好意の言葉に耐性がないのだろうか。
確かに俺もシュヴァルツ属性持ちだから、他者から好意的な言葉を貰うことは少ないし、割合で言えば悪い言葉をぶつけられる方が多いのも事実。だが全くのゼロというわけでもない。
そんな俺よりももっと、ずっと、良い言葉を掛けられることなく生きてきた、のか……?
「そんな……そんな、の……」
自分の声が震える。エンレイを抱きしめる手も震える。己の表情が醜く歪むのも自覚した。その上がる口角を隠すように口元を右手で覆う。
「俺が放った好意的な言葉で、エンレイを満たすこともできる……って、こと?」
否定され続け肯定されることがなかった。そういう意味ではまっさらなエンレイの中に、数少ない『肯定してくれる俺』という存在を植え付けることが出来るだなんて。そんな甘美なことって、ない。
まるで透き通った水に一滴、一滴と黒の絵の具を落としていくような。そんな優越感に似た感情に己が支配されていく感覚に陥る。
「はは、は……」
ああ、俺がこんな歪んだ感情を持っていただなんて、自分自身が信じられなかった。それにこれではまるでエンレイが虐げられてきたことを喜んでいるとすら取られかねない。
それでも、やっぱり利己的な優越感には叶わなかった。俺はやっぱり酷い人間だ。
そんな優越感と罪悪感に支配されたままエンレイの頬に触れ……る直前でラナンキュラスが病室のドアを開けた。
「おーい、エンレイ。そっちにクロユ……」
ノックをしろノックを。目でそう訴えても全く伝わらず、ラナンキュラスはただただドアの前でピシッと固まっていた。勝手に入って来ておいて何故そんなとこで突っ立ってるんだ……?
「……」
「……」
そんで固まっているとはいえこの可愛いエンレイをラナンキュラスの視界に入れたくなくて、より一層エンレイを腕の中にしまう。
「ちょっと待った。エンレイ、気絶しているのか? 顔も赤いみたいだし、診察し直さないと……」
だがそれを阻むようにラナンキュラスはハッと意識を現実に戻し、エンレイを診察し直すだなんて言ってきた。
「要らない。ただ自己肯定感が低すぎるエンレイに『大事だよー』って言葉を重ねても理解してくれないから行動にも移したってだけ。そうしたら気絶した。」
「イチャつくなら他所でやれ。」
診察しなくてもいい理由を、気絶した経緯を伝えると間を置かずにツッコミが入った。
邪魔してきたのはそっちのクセにそんなことを言うなんて酷いじゃないか。そんな不満がどうやら顔にも出ていたらしい。ラナンキュラスの纏う空気がピリついた。
「いいか、俺は、今、色々起きすぎて、疲れてるんだ。他人のイチャつきを眺める心の余裕なんてない。」
「えぇー……あ、そうだ、それよりラナンキュラス、何か俺に用事でもあったのか? 入ってくる時、俺の名前を呼びかけたよね?」
ラナンキュラスがその言葉に反応して『心底面倒くさい』と言わんばかりなオーラを放った。
あからさまな話題変えだったが、気になっていたことでもあったから気にせず追求していく。これ以上この話を続けたら何か墓穴を掘ってしまいそうだったし。
「……ただ、職員から『クロユリサマがフラッとどこかに消えた』とか聞いちゃったから探さざるを得なくなっただけだ。余計な手間をかけさせやがって。
っていうかさっきクロユリサマ自身で言っていただろ? 一連の事件にはシュヴァルツ属性持ちが関与している可能性がぁー、って。
だから万が一にでも犯人に仕立てられないように、クロユリサマはしばらくの間誰か第三者と共に行動するべきだ。っていう天才的な俺がさっき思いついたことを伝えるにもちょうど良かったからな。」
「ラナンキュラス……」
それをわざわざ伝えに来てくれるってことは、俺を心配してくれていると取って良いのだろうか。
さっきのエンレイではないが、俺こそラナンキュラスからあまり好かれていないと思っていた。
しかしそうではないらしいことがその言葉の節々から感じられ、心にジーンとその優しさが染み入るような気持ちになった。
「オイッ! 何か言いたいことがあるならハッキリ言え!」
そんな空気を察したのか、なんなのか。ラナンキュラスはそう叫んだ。これは別に嘘をつく意味もないので、正直な気持ちを伝えておいた。
「ラナンキュラスって、俺のこと好きなんだなって。」
「うがぁーー!! やってらんねぇ! 何寒いこと言ってんだよこのクロユリサマは!!?」
どこか痒いのか、ラナンキュラスは両手で自分の頭を掻きむしりながら叫んだ。あのラナンキュラスをここまで感情豊かに出来るなんて、ちょっと楽しくなってきてしまうのも何らおかしくはないだろう。
まあ、つまり、なんだ。余計な一言を付け加えたくなっただけなんだけど。
「さっきエンレイもそう言ってたな。」
「あーーもーー! なんなんだこのバカップルは!! 俺を虐めて何が楽しいんだ!!!」
「虐めてはいないけど?」
ラナンキュラスは嫌味のつもりで言ったのだろうが、バカップルと呼ばれたことに気分が良くなったのでそろそろ突くのもやめてあげようと思った。
「さて、それは良いとして。ラナンキュラスの言う通り、このままだと俺がこの一連の事件の犯人に仕立て上げられるだろう。
今のところシュヴァルツ属性持ちは俺だけだっていうのが今の常識だからな。というわけでランクSの誰かの家に避難するんだけど……どこの家が良いと思う?」
「っ……、……ふ、つうに考えればランかギンヨウん所が良いんじゃないか? クロユリサマくらいのお人を泊めるならお家的に『寒陽』『夜香』『アカシア』のどこか。その中でも同性のランクSがいた方がお互い気楽で良いんじゃないか?」
「なるほど。じゃあそうしようかな。」
イライラを俺にぶつけることなく飲み込んでから、しかしそれでも案をシッカリ出してくれるラナンキュラスはやっぱり良いやつだ。
「……おい、クロユリサマ。余計なことを考えてるんじゃないか?」
「え? ただラナンキュラスって良いやつだなって考えてただけだけど?」
「それが余計だって言ってるんだ! 何故この二人は俺のことを良いやつ扱いしてくんだよ! バーカバーカ! クロユリサマはさっさとどっちかの家に行けばいいんだー!」
まるで小さな子供のような罵倒の言葉たちに思わず吹き出しそうになったが、腹筋に力を入れてソレを我慢する。ここで笑ってしまったら今以上に五月蝿く騒いで面倒くさくなることこの上ないだろうから。心の中で己の腹筋を褒め称えておいた。
「だから早くエンレイをこっちに寄越せ!」
「……何故?」
この話の続きとしてエンレイが出てくる理由が分からず聞き返すと、ラナンキュラスは咄嗟に『しまった!』という雰囲気を放った。
「な、ななな何でもいいだろ!?」
明らかに何かある慌て方に、追及したくなるのも必然というもので。ラナンキュラスの腕を掴んで退路を断つ……
「なっ!」
つもりが、それを読んだようにラナンキュラスはヒラリと体を躱してこの病室から出ていこうと扉を開けた。
ドカッ!
「んぎゃっ!?」
するとどうだろう。ラナンキュラスが押して開けた扉は何かにぶつかるように途中で止まり、それと同時に誰かの悲鳴が聞こえてきた。




