あ、パンツ
「て、店名が、…分かりやすい…ね?」
予定通り私の店に移動したのだが、墨俣は店の脇の突き出して吊るされた小さな看板を見上げて驚いたようだ。
看板はそのままだ。
私の手書きの文字で板に書かれた店名は
"魔法屋"
(まぁ怪しいよね。私もそう思う。)
打ちっぱなしのコンクリートのような外壁には、ところどころに水が滲み出したみたいなシミがある。
私が両手を広げて2人半くらいの横幅のビルの1階がうちの店。
ビルと言っても3階しかないけど、奥行きはそこそこある。
1階は元は花屋だったらしく、正面は両開きのガラスの引き戸になっているが、今はシャッターが下ろしてある。
まだ夕方には早いような時間だからか、人通りは少ないというか、私達以外通りに誰もいない。
10分くらい歩けば少し栄えたら歓楽街があるけど、この辺りは小規模なビルや小売店が点在するだけで、はっきり言って商売するには立地は悪い。
私はトートバッグから鍵を取り出して、シャッターの鍵を開けて、ガラガラと大きな音をたてながら持ち上げる。
ガラス戸を開けて中に入ると、天井から吊るされたスワッグや、乾燥中のハーブのせいで、蒸された草花の匂いがこもっている。
少しでも空気を入れ替えようと、入り口ガラス戸を全て開け放ち、店の奥の簡易シンクの上の小さな換気扇のスイッチを入れた。
店内に入れておいた植木鉢を少しでも日光に当てるためにせっせと店先に運び出す。
二つ目を運んでいると、墨俣も慌てたように残りの植木鉢を持って一緒に運ぶ。
ひとしきり作業を終えると、店内の真ん中に立って店を見渡す。
そろそろ陽も落ちかけてきてて、窓の無い店の中は少し薄暗くなってきている。
(まだギリギリ電気つけなくてもいけるかな?)
私が電気代と明るさの間で揺れている間に、墨俣が店に並べられている商品を眺めている。
サシェ、ポプリ、スワッグ、刺繍ハンカチ、お守り袋、今あるのはそんなところ。
刺繍ハンカチを手に取ってしげしげと眺めている。
「これ、既製品を仕入れて売ってるの?」
「違う。商品は私が全部作ってる。草花は育てる土地が無いから、素材を仕入れたやつを加工してるだけだけど。」
「え?!」
もう一度、複雑な魔法陣の模様が刺繍されたハンカチやお守り袋をいくつか手にとって、驚愕の表情で私と交互に見てくる。
魔法陣はごく弱いものだが、悪意を遠ざけるものや、健康を助ける効果のあるものがほとんどだ。
「意外すぎる…」
「失礼なやつだな。」
私を知る人はみんな一度はこの刺繍を見て驚くが、こう見えて手先は結構器用だ。
日常生活では極力楽したいからその実力を秘しているだけで。
「おっし!じゃあ早速看板猫になってもらおうか!」
「…戻してくれるなら、いいけど、俺なろうと思ってなったことないよ?」
「まぁ、最終的には私が気の操作でなんとかしてみるけど、自分でも頑張ってみなよ。自分の身体でしょ?」
「うっ…まぁ、確かに。熱出せばいいのかな?」
「風邪並みの発熱を自力でするのは無理なんじゃない?発熱は気が混じるきっかけであって、猫化の根本の原因は猫の気脈と人間の気脈が混じることだから。」
「気脈?最初に人に戻してくれた時も言ってたけど、気脈って何?」
「何って言われても。気脈は気脈だよ。」
「えー……」
そんなに途方に暮れた顔をされても、私もよく分からない。
お母さんは気脈の存在を知ってはいたけど、たぶん見えてはなかったみたいだし。
お母さんの"魔法書"にも気脈のことは、"血液や体液とは異なる生体エネルギー。魔法の力はこれを糧とする"としか書いてなかった。
「なんか、血じゃないけど、身体を流れる血みたいなもんだよ。ほら!イメージしてみて!猫と人のを自分で分けてみて!」
「え?…うーん……」
一応目を閉じて、イメージしようとしているようだけど、墨俣は眉を顰め首を傾げているだけで、その身は人間のまま何も起こらない。
「コツとかあるの?…あとこれ、そもそも魔法使いじゃない俺がやろうとして、できるものなの?」
「そんなのは知らん。コツ?コツね。墨俣のやつは、こう、あれだ!ドレッシングが混じってるやつを放っておけばまた二層に分離するのを、自力で分離させる感じだよ!」
「やったことないよ!」
「やろうとしないから出来ない!成せばなる!やれ!」
首を傾げながらうんうん唸る墨俣を放って、私は干しておいた草花の乾燥度合いをチェックして、乾いたものは作業箱に移したり、ハタキで商品の埃を払ったりする。
作業箱を持って奥の衝立の裏側に移動する。
衝立の裏側は、商品の加工をしたり、ごはんを食べる用の小さなテーブルと椅子がある。
あとは生活に必要な小型の冷蔵庫、電磁調理器、大鍋小鍋が一つずつ、米櫃、1人分の食器類とナイフとハサミのしまってある蓋つきのプラケース、あとは私物の詰まったトランクケースがある。
夜ごはん用のおにぎりを解凍しておくために、冷凍庫を開けてみると、コロコロ転がっているおにぎりがもう残り2つしかない。
1週間分のおにぎりを作るべく、米を炊こうと米櫃を覗くと、こちらも底が見えてきて残り少ない。
思わず出そうなため息をグッと飲み込んで、今日は占いの帰りに繁華街にある米の安い量販店に寄って行こうと、心の中でスケジュールを組む。
「み、観月さーん…」
情けない涙声が聞こえて、衝立から顔を出すと、人の姿の墨俣が、若干目を潤ませて肩を落としている。
「無理だったか。まぁ最初だし仕方ないから私がやる。」
私が半歩分くらいあけた距離の目の前に立った途端、墨俣は緊張のためか、今度は下げていた肩を極限まで上げて、面白いくらいにガチガチに固まる。
(大学ではあんなにウザいくらいぴったりくっついてきてたくせに、今さらこの反応?)
「何でそんなガチガチになってんの?」
目も合わせられないのか、墨俣は私と視線が交わらない斜め上を見上げている。
「だ、だって今から魔法を掛けられるわけだし。」
「…あー、あっそ。」
(変なやつ…)
昨日部屋でやった時のように、墨俣の両肩に手を置いて身体に触れる。
目を閉じて、気脈を探る。
昨日は猫から人間に戻したわけだから、今度は逆のことをしなければならない。
けれど、経験上、一度気脈を操作した身体は、初めての時に比べればかなり容易く気を動かせる。
案の定、すぐに昨日末端に追いやった猫の気を見つけることが出来た。
これを昨日とは逆に少しずつ人の気脈の上に重ねていく。
戻しやすいように、あえて複雑には混ぜない。
あくまで薄い布を重ねるように。
肩の角張りが徐々に曲線になり、小さくなってゆくのが触れた手から布越しに伝わってくる。
どんどん自分の両手の広げた幅が狭まり、目線あたりまで上げていた両腕も、今はしゃがんでほとんど地面に近いところにある。
最後に気を綺麗になだらかに整えて。
(…おしまい。)
目を開けると、墨俣の着ていたグレーのシャツがリュックを袖に通した形のまま、床で塊になって、何かその下でミャアミャアと蠢いている。
シャツを持ち上げると、中から昨日の青い瞳の黒猫が居た。
「身体は大丈夫?変な感じない?」
「ウミャアミャア(むしろ今までの猫化の中で1番調子がいいかも!)」
「まぁ今までは発熱してたからでしょ。」
猫墨俣は、元気に「ミャア(ありがとう!)」と何に対してか分からないお礼を言うと、自分の服を咥えて、おそらくリュックに仕舞おうとしている。
猫な姿では難しかろうと、親切に手を貸してあげたのに
「ミッ!ミッ!(自分でやるから!)」
と生意気にも服を拾う私に、テシテシと肉球を当ててくる。
痛くも痒くもないので、無視して軽く畳んだシャツをリュックに入れたあと、ズボンを持ち上げると、ズボンの抜け殻の中には
「あ、パンツ」
「ミギャァ!(だから言ったのに!)」
猫墨俣は猫の姿で器用に悲鳴をあげた。




