魔法使いだからね。
数分後、青年がリビングルームに戻ってきた。
私は寝転がったまま、トートバッグから取り出したわかめごはんおにぎりを食べていた。
気脈を見たり、操作すると猛烈にお腹が空くのだ。
そんな私を見て、青年は一瞬戸惑った態度をしたものの、寝転ぶ私の頭の近くに正座した。
「あの、ありがとうございました。」
「はいはい、どうも。あ、これレジュメ。」
私はゴロリとうつ伏せになると、トートバッグから引っ張り出したレジュメの束を渡す。
「なにこれ?」
「あんた、墨俣尚なんだよね?私はこれを渡しにきたの。」
「ありがとう…。うん、俺が墨俣です。」
墨俣尚は、自分ちのリビングで寝転がって片手でおにぎりを貪る不審な女から、素直にレジュメを受け取ってしげしげと眺めて「あ、大学の…」と呟いている。
こいつはだいぶ素直なやつかもしれん。
私は底辺にまで落ちていた"墨俣尚"への評価を少しだけ改めた。
「で、なんで猫になってたの?」
「あれは、その、体質っていうか、…というか、その。」
「?」
墨俣尚は正座したまま、2個目のおにぎりを取り出す私に、物言いたげな視線を向ける。
「なに?」
「君は、誰?」
そういえば、私この部屋に不法侵入した上に名乗ってすらいなかったことに今気付いた。
「私は観月紗葉。大学のクラスメイトだよ。」
素直に名乗ってあげたのに、墨俣尚はまだ言いたいことがあるのか、モジモジしている。
私は2個目のおにぎりを食べ終えてラップを丸めてトートバッグに戻すと、起き上がって正座する彼の前に同じように正座して向き合う。
「で、私の質問の答えは?」
「え、あぁ、猫のこと?」
「そう。」
彼は、少し言いづらいのか、迷うように目を逸らしてから私の方に視線を戻す。
「助けてもらったし、もうバレちゃってるから言うけど、一応このことは秘密にして欲しくて。親とか俺がこんななの隠したいみたいだから。」
私は目を見て頷いて了承の意を示す。
「俺の家、数世代に1人くらい、こうやって猫になる人が生まれるらしくて、頻度とか、なり方はそれぞれで。俺はたぶん、体温が一定以上上がるとなっちゃうみたいで…。」
「え、それ生まれつき?」
「いや、赤ちゃんの時とかはそんなことなかったみたい。小学校高学年くらいから、たまに耳とか尻尾だけ出ちゃうことがあって。中学生の終わり頃は、風邪ひいた時なんかはもう完全に猫化してた。」
私はなるほど、と頷く。
(高学年ってことはホルモン的なもので気が変質したせいか?確かに子供と大人は気の雰囲気がかなり違うし。)
「…一度猫化すると、戻り方が自分じゃ分からなくて、何かの拍子に急に戻れたりもするんだけど。」
私はチラッと部屋の隅の食い散らかしたゴミを見やる。
おそらく今回はその何かの拍子が全然来なかったわけだ。
「もともと学校苦手だったのに、猫になったらって、怖くて学校行けなくなって。高校は通信で卒業したんだけど。大学くらい卒業しろって、親にこのマンションに引っ越しさせられて、ただ入学式前日に緊張したせいか熱出ちゃって、猫になっちゃって…」
そこまで話して墨俣青年は俯いて黙ってしまう。
後半は涙声だった。
おそらく辛かった1ヶ月の猫生活を思い出しているのであろう。さっき見た素っ裸も肋骨が浮いてたし。
「なるほど、分かった。」
私は彼の独白を聞き終えて、深く頷いた。
そしておもむろに立ち上がってトートバッグを肩に掛ける。
「じゃ、帰るね。」
「え?!」
スタスタ玄関に向かう私。
慌てて追いかけて、私のトートバッグに縋りついてくる墨俣青年。
「なに?」
「な、なんでこの流れで帰るの?!」
「いや、教授に頼まれてたレジュメ渡したし。」
本来はこの後、墨俣を大学に引きずって行って、進藤教授の前に差し出す予定だったけれど、思った以上に面倒臭そうな事情を抱えていることが分かった今、深入りする気はさらさらない!
(めんどくさいし!)
「き、君はなんであんなことができるの?!」
「あんなこと?」
「猫の言葉が分かったり、猫の俺を人間に戻せたり!」
「私は魔法使いだからね。」
「…え?」
「…信じないなら別にいいよ。」
私はまたトートバッグのチャームと化した墨俣を引きずりながら玄関の扉に手を掛ける。
「信じる!…信じるよ、俺。」
私はドアノブに掛けた手を外して、振り返って墨俣尚の目を見る。
「観月さんは、魔法使いだ。少なくとも俺にとっては本物の魔法使いだよ。」
そう言った瞳の中に、嘘や誤魔化しはないように見えた。
「…私を魔法使いって本当に信じたのは、あんたが初めてだよ。」
私はこの時、はじめて自分が本当に魔法使いになれた気がした。




