猫がいた
私は洒落た高級マンションのエントランスで、マンション名と住所の文字を照会して、舌打ちをする。
いい歳した登校拒否児のくせして、随分と甘やかされたボンボンのようだ。
(登校した暁には、うちの店舗兼住居の固い床に、愛用のペラペラの寝袋で簀巻きにして寝かして根性叩き直してやろうか。)
物騒な物思いに耽りつつ、インターホンで部屋番号を押す。
本当は郵便受けにレジュメを突っ込んで、帰ろうかとも思ったのだけど、それだと"大学に連れてくる"という指示が達成できない。
その場合、進藤のおやじは、さも私の能力不足のせいで成し遂げられなかったかのように評価してくるに違いない。
それは私のプライドが許さない。
なので、とりあえず一度だけ何としても、引き摺ってでも"墨俣尚"を進藤教授の眼前に持ってくるつもりでいる。
なのに。
もう10回近くしつこくインターホンを鳴らしているのに全く応答が無い。
(登校拒否のくせに留守なの?ちゃんと登校拒否児らしく引き篭もっててくれよ!)
私の理不尽な心の中の要求も虚しく、シーンと静まり返るエントランス。
そのうちに宅配のお兄さんがエントランスを操作して、オートロックが開いたので、私はいかにも鍵を出すのが面倒な住人ですよ?という顔でマンション内に侵入した。
(えーっと603、603…)
6階のフロアで部屋を探していると、なんとそれらしき部屋の前で先ほどの宅配のお兄さんが荷物を片手にインターホンを鳴らしている。
少し離れたところで順番待ちしていると、私の存在に気づいたお兄さんが気さくに声を掛けてくる。
「もしかして、603号室の部屋の人の知り合いだったりします?」
「え、まぁ。(これから知り合う予定だけど。)」
「すみません、ここの人何日も不在なのに荷物ばっかり注文されて、宅配ボックスもパンパンで、…申し訳ないんすけど、この荷物頼めちゃったりします?」
「え。あ、はい。」
私に段ボールを渡すと、お兄さんは爽やかに「あざーす!」と言いながら去っていった。
(何日も不在?もしや大学行きたくなさすぎて、すでにどこか逃げたとか?)
それなのに、この部屋に荷物が注文されるのは訳がわからない。
とりあえず私もインターホンを押してみる。
ピンポーン
……
ピンポーンピンポーン
………
ピンポンピンポンピンポンピンポン
連打してみてから、玄関ドアに耳を押し付けてみる。
……
トタタタタ
とても軽い足音が聞こえた気がする。
たぶん私の地獄耳じゃないと聞き取れなかっただろう。
そのあと、ドア越しに何か非常に軽いものがぶつかる音。
そして
ミャア。
…ミャア?
猫?猫がいる?
私は扉から身体を離して、今まで判明したことを頭の中で繋げてみる。
墨俣尚は登校拒否。
荷物は注文されるが何日も不在。
宅配ボックスも回収されていない。
誰もいないであろう部屋から、猫の鳴き声。
私はすぐに部屋の前から離れると、上へ続く階段を探した。
この部屋は最上階で、外から見た時屋上があった。
私の頭の中では
"墨俣尚は飼い猫を部屋に置いて、逃げ出すクソ野郎"
という結論が導きだされた。
私は密室に閉じ込められた猫を救出すべく、階段を駆け上る。
ラッキーなことに鍵はレトロなタイプなもので、私は髪につけていたヘアピンを外して鍵穴に突っ込むと、いとも簡単に開錠した。
乙女なら誰しもこういう怪盗的な手口に憧れて鍛錬を積む時期があるだろう。
屋上のおそらく部屋があった方角の手摺りから下を覗き込むと、ベランダが見える。
私は人目が無いのを確認すると、カバンから取り出した折りたたみ傘を開く。
そして傘を持つと、迷いなく手すりを乗り越えてベランダ目指して飛び降りた。
今日はそれなりに風が強く、運が悪ければ風に煽られ、ベランダを外してそのまま地上まで真っ逆さま、という状況ではあったが
私は、自分の力で、ちょうどよく下方から包むように吹き上げる風を傘で受け止めながら、まるで蝶が花にとまるように、重力を感じさせない足取りで、ふわりと屋上から階下のベランダに着地した。
ベランダに降り立ったはいいものの、窓ガラスが外から覗けない仕様のものなのか、部屋の中の様子が分からない。
開けようと力一杯引いてみたがもちろん鍵が掛かっている。
私はガラスを叩いて
「猫ー!猫!助けにきたよ!」
と意味はないかもしれないが、猫に救助に来たことを知らせる。
すると猫に伝わったのか、「ミャア」と返事が聞こえると、
タタン、ガタ、タタン、ガタタ、と跳ねてガラスに体をぶつけるような音がする。
もしかしたら自分で鍵を開けようとしているのかもしれない。
「頑張れ猫!もう少しだ!頑張れ!」
しばらく音が繰り返された後、ガチャンと、鍵が外れたような音がしたので、私は急いでもう一度ガラス戸を引いてみると、今度は開いた。
ベランダで靴を脱ぎながら、窓を開けて、視界を塞ぐ邪魔なカーテンをどける。
シャッと音を立ててカーテンを両手で開け放った。
目の前に、小さく身を縮こまらせている黒猫がいた。
黒猫は私の方を見つめたまま固まっている
私もまた、唖然としてその黒猫を見て固まる
(なんなの?)
だって、私には分かってしまった。
その黒猫は"猫"じゃなかった
「あんた、もしかして墨俣尚?」
黒猫は何の返事もなく、身を伏せて怯えたように見つめ返してくる。
「なんで猫になってんの?」
質問に対する返事は、なかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
少しでも続きが気になったら、評価やブックマークをいただけるととても励みになります!




