猫化レッスン
腕を組んでレジ台に座る私の前で、墨俣が泣きべそみたいな顔で両手の拳を握りしめて立ちすくんでいる。
(いじめてるようにしか、見えない気がする。)
私は今別に墨俣を脅しつけているわけではない。
目を凝らして彼の気脈を見ている。
(おぉ!ちょっとだけど、猫の気がふわふわしてる!)
「いいよ!その調子」
「はぁっ…!」
徐々に人間の気の方に揺れながら近づく!
「そのまま!持ってって!重ねる!」
「ぅっ…ぶはぁ!む、無理かも!」
ぽふぁっ!と音がして、墨俣の髪の毛が舞い上がると、そこに猫の耳がつき出ていた。
人間のまま。
「あっ…」
「え?…う、ズボンの中!尻尾が!き、気持ち悪い!」
墨俣は物陰に駆け込むと、ゴソゴソと音を立ててからズボンを腰パンにして戻ってきた。
ズボンの後ろのウエストから黒い尻尾がはみ出ている。シャツの裾が被っていて境目がどうなっているのかいまいち分からない。
「それパンツどうなってるの?」
「聞かないで。」
覗き込もうとすると、墨俣が猫のように後ろに跳ねて距離をとってくる。
「すごいね!自力で猫化の方はもう少しだよ!まさか半端に頑張るとこんなんなるとは知らなかったけど。」
墨俣の猫耳は頭にペタンと伏せられている。
「これ、治るよね?」
カランカラン
最近取り付けたドアベルが来客を知らせる。
「隠れて!」
私は着ていた上着を急いで脱ぐと、墨俣に被せて衝立の裏に押し込む。
「いらっしゃいませ〜」
レジ台に戻ると、先日も来てくれたマダムと、マダムの連れの知らないマダム2号がいた。
2人は早速、板に等間隔にフックで吊るすように飾られたスワッグを見ておしゃべりしている。
結局2人はそれぞれスワッグ1束ずつと、刺繍ハンカチも一枚ずつ買っていった。
「この刺繍とっても神秘的ねぇー。この間お友達に見せたら、どこの?って聞かれて。娘もお店のSNS見せたら今度行くって言ってたわ。」
「ありがとうございました〜」
この間まで店内で埃を被っていた魔法陣の刺繍ハンカチが、少し配色と布を変えて
"宵闇の魔女の護り"やら
"春の魔女の恋の息吹"やら
作り手からすると、ちょっとどうかと思う商品名書いただけで、
値段も高くしたのに、今やSNSに問い合わせのDMがくるほどに売れている。
墨俣曰く、ハンカチはそのうちに、デザインを少し変えて値段ももう少し上げて、ネットで少量受注生産にしようとのこと。
実は店内も外観も墨俣の提案で大幅に変わった。
もともとあった軒先の魔法屋の小さな看板はそのままだが、その近くにスワッグの残りで作ったリースが幾つか吊るされた板が立てかけられ、いい感じに隠れている。
店先に出していた植木鉢は、店外に出すときは木製の棚に置くようになり、墨俣に言われて花が咲くものも育てるようになった。
店内は陳列用の長い木製棚が置かれ、スワッグは種類ごとに、大きなガラス瓶に入れられたり、店内の壁に吊されたりしている。
値段は四角い小さなプレートに金字で書かれ、商品の側には透明プレートに下に貼り付けられた、まるで絵本の世界のような文体で効果をうたった説明が書いてある。
他にも細かいことを色々と、墨俣が変えた。
(最初は抵抗してたんだけど、なんかうまいこと変えられてしまった。)
墨俣は猫化以外にも意外な才能を発揮して、あっという間に1ヶ月で私の店を黒字経営にしてしまった。
「あ、あの、もう大丈夫?」
「ごめんごめん、いいよ。あとそれ治すよ。」
私は衝立の裏に回り込んで、墨俣の肩に触れる。
(中途半端なところで止まってる猫の気を引っ張って…)
スッと何の抵抗も感じずに気は動き、墨俣は縮んで猫墨俣になっていた。
服を咥えて渡してくるので、いつも通り畳んで墨俣のリュックの脇に置いておく。
パンツを咥えて運ぶ猫墨俣をチラ見しつつ、またドアベルの音に呼ばれて店内に戻った。
一通り接客を終えて、最近決めた閉店時刻である17時半になり、シャッターを下ろす。
猫墨俣は案の定自力では戻れず、私が気を操作して元に戻した。
外は暗くなっているが、電気をつけているので店内は明るい。
レジ台で墨俣が嬉しそうな顔でレジの集計をしながら、タブレットに数字を打ち込んでいる。
「お、まだ半月なのにもう前月比超えそうだなぁ。観月さん、土田花園さんにラベンダーの追加発注してもいい?ラベンダーは余ってるって言ってたから。」
「ラベンダーはたぶん来週には育ててるやつの花が3鉢全部咲く。」
「え?もう少しじゃない?」
「あのラベンダーは調子が良さそうだから少し今から手を加える予定だから」
早速2人でラベンダーの鉢をビニールシートを敷いた店内に運び入れる。
私が奥から持ってきた土を鉢の外に撒いていくのを見て、墨俣は驚きながらも黙って見守る。
私はラベンダーの鉢に手をかざす。
(根は、やっぱり強い。水の気に乗せて、生体エネルギーを循環させる。)
変化が可視できるほどに、蕾がふっくらとして、葉の緑が濃くなる。
(土に細かい風の気を通して、土のラベンダーと相性の良い気を残して、悪い気を外に逃す。仕上げに…)
ビニールシートの土がふんわりと浮き立ち、植木鉢に均一にくっついてゆく。
最後にごく薄く火の気を通す。
浮いた土が鉢の外周に張り付き、乾いた音を立てながら硬化していく。
一回り大きい鉢への植え替えも完了だ。
「よし、これで明日か明後日には咲くから、今週中には補充できる。」
「…すごい、生き物系のドキュメンタリー映像見てるみたいだった。」
ぐぅぅぅーーーギュルギュルギュル
魔法が終わると同時に私の腹の虫が鳴った。
「お弁当!ピンクキャット行く前に食べないと!」
「夜ってだけで時間決まってないし大丈夫だよ。」
「遅くなると、占いに変な客もくるし、睡眠時間減るから急ご!」
冷蔵庫に急ぐ墨俣に、のんびり声をかけるけれど至極真っ当な返しをされる。
(あぁ、墨俣のせいで生活が正されすぎて真人間になっちゃう…)
食欲には抗えず、2人で床に座って墨俣お手製のお弁当を食べている。
冷凍だけど冷めても美味しいメーカーの唐揚げが入ってるし、大好きなきゅうりちくわと、こないだ美味すぎると感動した卯の花が入っている。
(くそ、完全に餌付けされている。私がご主人なのに。)
「墨俣は、引きこもりだったくせになんでこんな料理まで出来るんの?」
ちなみに私の得意料理はおにぎりだ。
母はゆで卵だった。
「引きこもりって家に居て暇だから。食材は通販で買えるし。」
「そうだ、VIPな引きこもりだったね。それにしたって本当に私にこんなに甲斐甲斐しく世話して、何の得があるの?」
「え?…あー、それね、実は俺もちょっと考えたんだけど…」
歯切れの悪いところで止めてチラッと私窺い見る。
「なに?」
「怒らない?」
「たぶんね。」
墨俣はほんとかなーと呟きつつ話し始める。
「観月さんの使い魔っていうのも、もちろんだけど、なんか観月さんのお世話をするの、育成ゲーム的な楽しさというか、観月さんの生活が充実すると、俺の精神も充実するというか。」
「げぇ、気持ち悪。」
「怒らないって言ったのに!」
「怒ってないって。女子大生をゲーム感覚で育成して喜んでる墨俣を気持ち悪がってるだけで。」
「もっとひどい。でも俺もひどいのかな?」
2人でどっちが酷いか首を捻ったけど、結論は出なかった。
たぶん少し異常な物同士で考えても正論に辿り着くわけがないし、私たちにそれは必要ないだろう。
お弁当を流しに片付けて、ピンクキャットに向かった。
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