墨俣と進藤教授とスンドゥブ
先にマンションの外に出て、歩き始めると、やや遅れて墨俣もエントランスから出てきて走って追いついたので、隣に並んで歩く。
「一限基礎ゼミ、朝からテンション萎えるなー。」
「俺も…」
基礎ゼミで、墨俣が1ヶ月不在だった理由は"風邪を拗らせて入院していた"ということになっている。
進藤教授が墨俣の復帰初日に、全体にそう説明されているのを聞いて、墨俣本人もみんなと同じように驚いていたので、何も聞かされてなかったのだろう。
それもあってからかは知らないが、墨俣は進藤教授を苦手視して、なるべく近寄らないようにしている。
進藤教授はなぜか私の周囲では人気が高いので、同じように嫌悪してくれる人間が増えるのは嬉しい。
「ゼミの後に絡まれないように、終わったら瞬間に出るからね?」
「うん!」
なのに。
今2人揃って、死んだ目で首を傾いだ状態で、準備室に立っている。
「このファイルのレジュメ、印刷して複写しておいてね。100部。」
「…今どき紙って。共有ファイルで公開すれば一瞬なのに…。」
「墨俣くん、何か言ったかな?」
ブルブルと首を振る墨俣ににっこりと微笑む進藤教授。
「そうだ。来週の基礎ゼミのテーマ討論、墨俣くんが司会進行してね。」
「?!」
(あーぁ…余計なこと言うから。)
墨俣が一瞬助けを求めるように私を見るが、私はフルフルと首を振って返事をする。
(この流れでこのドS進藤が、私の助けを許すわけないじゃん)
私の同情を含んだ表情から、墨俣も状況を理解したのかがっかりと肩を落としたまま、PCのモニタを見ながらマウスを操作してレジュメの印刷をする。
「最近もしかして君の店繁盛してるの?」
「もしかしてって、なんですか?前も言ったけど常に大繁盛です。」
私は墨俣が印刷したレジュメを、授業回ごとに分類して机に並べていた手を止めて、不愉快を貼り付けた顔で進藤教授を睨みつける。
「こないだ、ピンクキャットの女の子と同伴デートしてる時君の店の前を通ったら、ずいぶん以前に比べて小綺麗になってたからさ。占いは前と同じくらいしか来てないって、マイたんも言ってたし。」
(なーにが"マイたん"だ!うちの店の前をデートコースにするな!六本木とか行っとけ!)
ピンクキャットは私も占いで出入りしているあの店だ。
マイたんはおそらく、あの進藤教授ラブの奇特なお姉さんだろう。
「進藤くんも今度一緒に行く?」
墨俣のPCから謎のエラー音がする。
「い、行かないです。」
「ふーん。あ、そうだ。」
釣れない墨俣の反応がつまらなかったのか、進藤教授は足を組み直して、ぐるりとチェアごと回転して再び私の方に向き直る。
「観月くん、猫飼い始めたの?」
今度は墨俣の方からバサバサと紙が散らばる音がする。
「なんでそんなこと聞くんですか?」
「ピンクキャットの子達がね、占いの子が連れてくる猫がかわいいかわいいって。あ、オス猫だって。」
墨俣はもはや落ちた紙を拾うことなく彫像のようにフリーズした。
「観月くんに、猫飼う経済的余裕なんてあるの?」
「進藤先生、動物を飼うのに必要なのはお金ではありません、愛情ですよ。」
私は愛を知らない進藤教授に慈愛の眼差しを向ける。
「自分も知らないものを人に説法しないでくれる?」
「残りのレジュメは講義の空き時間にやります。準備室の合鍵ください。墨俣行こう、お昼食べる時間なくなる。」
「うん!」
フリーズしていた墨俣は、やっと覚醒して急いでPCの電源を落とす操作をする。
私は印刷した分のレジュメを手早くまとめると、その辺にあった紙袋にいれて、自分のトートバッグを持って立ち上がる。
「仲良くなっちゃってつまんないなぁ〜。あんまりご飯たかりに来ないし。」
「合鍵ください。あと鰻が食べたいです。」
「はいはい。」
渋々渡された鍵を受け取って、準備室を出る。
墨俣も慌てて荷物をまとめて追いかけてくる。
「墨俣くん」
扉が閉まりきる寸前の所で進藤教授に声をかけられた墨俣が振り返る。
「それじゃまだダメだよ?」
バタンと、扉が閉まった。
墨俣は閉じた扉を無表情でじっと見ている
「何?なんか言ってた?」
「ううん、何でもない。」
(??)
墨俣は首を振ると、すぐにいつも私に向ける妙にはにかんだような顔に戻る。
「学食、韓国フェアらしいよ。」
「ほんと?!スンドゥブあるかな?!」
「え?マニアックだな…。あ、嘘、ある。」
スマホを見ていた墨俣が驚いたように呟く。
「やったー!スンドゥーブ!スンドゥーブ!」
私の頭からは先ほどの進藤教授と墨俣の違和感など綺麗さっぱり消え去っていた。




