誕生日
昼の休止を終える前に、エレジはもう一度マティアスへ聞いた。
「本当に何もいらないんですか。帰ってからなら、何か欲しいものあります?」
「中尉がそこまで考えなくていいですって。俺、別に誕生日だから何か欲しいわけじゃないですよ」
本人が気にしていないことは分かっていた。それでも、誕生日だと知った以上、何もしないまま終わるのは少し惜しい気がした。
ヨナスも夜なら甘いものを少し分けられると言い、リヒターも自分の携行食に何か残っていたはずだと話したので、マティアスは自分以外の四人がすでに何かしようとしていることに気づいたらしい。
「だから、本当にいいんですって」
「祝うのは夜にしろ。今は進む」
カイルが出発時刻を確認すると、マティアスは少し呆れたように言った。
「少佐まで乗るんですか」
「誕生日だから任務を止めるとは言ってない」
「そこじゃないですよ」
五人はそのまま午後の経路へ入った。
午前に見つけた未記載の道は、しばらく北東へ進むと古い林道へ合流していた。管理されている様子はなく、路面にも草が出ていたが、人が歩くには十分で、以前は車両が通っていたと思われる幅も残っている。
エレジは地図と地形を照らし合わせながら、現在使える経路として位置を記録していった。このまま北へ進めば、翌日に確認する予定の観測候補地点の下まで出られる。ただ、そこまで行くと野営に使える場所が限られるため、今日は少し手前で止める方がいいとカイルへ伝えた。
ヨナスは移動しながら通信状態を取り、谷底よりは使いやすいものの、午前に見つけた尾根ほど安定していないと記録した。リヒターは道沿いに新しい利用痕跡がないかを見ながら進み、マティアスは前方確認や機材の補助へその都度入っている。
誕生日だと分かってからも、本人の動きは朝から何も変わっていなかった。
エレジはそのことを少し面白く感じていた。祝い事の日でも山の中では普通に歩き、地図を見て、荷物を持つしかない。それでも、四人とも夜になれば何かするつもりでいるのだから、今日がいつもとまったく同じ一日で終わるわけではなかった。
*
夕方、翌日の観測地点から少し離れた場所に野営地点を決めた。
周囲の確認と装備整理を終えた後も、それぞれが今日の記録をまとめていた。ヨナスは午後の通信状態を整理し、エレジは歩いた経路を地図へ書き込む。マティアスはカイルと翌朝の順路を確認し、リヒターはその間に食事を準備した。
夕食を終える頃には、ようやく仕事から少し離れられる時間になった。
エレジが昼のうちに見つけておいた甘い携行食を出すと、ヨナスも小さな焼き菓子を二つ持っていると言った。リヒターにも甘い飲み物が残っており、結局それらを五人で分けることになった。
「本当にやるんですか」
「せっかくなんだからいいでしょう」
「みんな、思ったよりちゃんと祝う気ありますね」
「嫌なの?」
「嫌とは言ってないです」
山の中で食べる携行食の延長でしかなく、誕生日らしいものが特別に用意されているわけでもない。それでも、エレジは五人で同じものを分けることが嬉しかった。
エレジとヨナスに続いてリヒターがおめでとうと言い、カイルも最後に短く祝った。マティアスは四人を見回してから、少し照れたように笑った。
「ありがとうございます。こんなにちゃんと祝われると思ってなかったです」
「ちゃんと、ですか? 何も用意できなかったですけど」
「これで十分ですって」
「知ってたら、もう少し何か持ってきたのに」
「じゃあ来年でいいですよ」
何気なく返された言葉だった。
マティアス自身は深く考えていないのだろう。それでもエレジは、その言葉を聞いて少し嬉しくなった。来年の話をすることに誰も違和感を持たず、同じ五人でいる可能性をわざわざ確かめる必要もないように思える。
今はそれ以上の意味を考えず、エレジも焼き菓子を食べた。
*
食事と片づけが終わると、カイルは翌朝の出発時刻を確認し、早めに休むよう全員へ伝えた。ヨナスはまだ通信記録を見ており、エレジも地図にいくつか書き足していた。
リヒターが水を取りに野営地点から離れるのを見て、マティアスは立ち上がった。
リヒターのところまで行くと、彼女は手伝いは必要ないと言ったが、マティアスが戻る気配を見せなかったので、そのまま二人で水を汲むことになった。
最初は翌日の経路について話した。観測地点へどこから上がるか、ヨナスの通信位置をどこに置くか。必要な確認が終わったところで、リヒターが別の話を出した。
「そういえば、結局ちゃんとしたもの何も用意できなかったわね。欲しいものがあるなら言って。できる範囲で一つくらいなら聞くわ」
マティアスは考えた。
「物じゃなくても?」
「いいわよ」
軽く聞いたつもりだったが、その返事を聞くと、マティアスは別のものを頼む気にはならなかった。
「あの夜のこと、聞いてもいいですか」
「……三人の?」
「はい。あれ、本気だったんですか」
リヒターはマティアスを見た。
「本気だったわよ」
「酒の勢いじゃなくて?」
「言いやすくはなってた。でも、言ったことは嘘じゃない」
「今も?」
「今も」
迷いのない答えだった。
翌朝に何も言わなかったから、酒が抜ければ流すつもりなのかもしれないと思ったこともある。けれど、そうではなかった。リヒターは取り消していない。ただ、自分から続きを求めなかっただけだった。
「俺とヨナスだから?」
「ええ」
「誰でもいいわけじゃなくて?」
「だったら、あなたたちに聞いてないわ」
そこまで聞くと、マティアスが本当に気にしていたのは行為そのものではなかったのだと、自分でも分かった。
三人でしたいと思ったことより、その相手としてなぜ自分とヨナスを選んだのか。その方が気になっていた。
「なんで俺たちなんですか」
リヒターは少し考えてから答えた。
「信用できるから。二人とも、私が嫌だって言ったことを続けるような人じゃないし、勝手に決めないでしょう。マティアスはこっちの反応をちゃんと見てくれるし、ヨナスは分からなければ聞いてくれる。そういう相手なら、自分で選んだまま身体を任せてもいいと思ったの」
思っていたよりずっと真面目な理由だった。
リヒターが身体の関係そのものを特別視していないことは知っている。経験の多さについて聞いた時も、彼女は大したことではないように話していた。それでも、誰に対しても同じではない。
「ヨナスも同じ理由ですか」
「そうね。あとは、二人とも見てて面白いし」
「そこは急に軽いですね」
「全部重くしたら疲れるでしょう」
マティアスは笑ったが、最初の答えの方が強く残った。
信用している。任せてもいいと思っている。
そういう意味で選ばれたことが、思った以上に嬉しかった。
「今日はそれでいいです」
「これだけ?」
「はい。今日は、本気だったのか知りたかっただけなので」
二人で水を持って野営地点へ戻ると、ヨナスはまだ通信記録を整理していた。
マティアスはその姿を見ながら、以前より具体的に三人のことを考えている自分に気づいた。
自分が嫌なら断ればいい。ヨナスが受けるとしても、自分までそこへ行く必要はない。それは今も変わらない。
ただ、リヒターから「二人だから」と聞いたことは嬉しかったし、ヨナスだけが彼女のところへ行く場面を考えると、以前より素直に見送れる気もしなかった。
まだ答えは決めていない。
それでも、断る理由を探すより、自分もそこにいた場合のことを考えている時間の方が、いつの間にか長くなっていた。




