シュタインタール
五人は作戦室に集まっていた。大型表示板には、シュタインタールとその周辺の山岳地帯が映されている。谷に沿って細長く市街地が伸び、その外側には林道や旧道が複数入り込み、北側には閉鎖された採石場も記されていた。
現在使われている道路だけを見れば複雑ではないが、古い地図を重ねると、山の中には今の資料から消えている経路がいくつも残っている。
エレジは手元の地図と表示板を見比べながら、尾根を越える道と谷沿いの経路を順に追った。
「今回の任務は、シュタインタール周辺の長距離偵察だ」
カイルが表示を切り替えると、予定している行動範囲が広がった。
「この地域は、今後ほかの部隊が入る可能性がある。だが、軍が持っている経路資料は古い。現在使える道、観測に使える場所、通信状態、それから人が使っている痕跡を取り直す」
市街地の北側から山へ入る経路が示され、その先でいくつかに分かれている。
エレジは一番西側の道に目を留めた。地図上では旧道になっているが、尾根を越えれば反対側の谷へ抜けられる。途中から別の林道にも接続しており、現況によっては退避経路にも使えそうだった。
「車両が通れるかどうかも確認しますか」
「ああ。ただし、通れることと現在使われていることは分けて取れ」
カイルは閉鎖された採石場の周辺も示した。
「資料に使われていないと書いてあっても、それを前提にするな。逆も同じだ。道が残っているからといって、今も使われているとは限らない」
リヒターが地図へ目を向けたまま聞いた。
「最近の活動を見つけても、追跡まではしない?」
「今回の範囲ではしない。人や車両の痕跡があれば記録する。所属や目的を確認する必要が出た場合は、その時点で判断する」
「了解」
今のところ、特定の相手がいるわけではなかった。
林業や狩猟で地元の人間が山へ入ることもある。設備の点検で古い道が使われている可能性もある。何かの痕跡を見つけた時に、その理由まで先に決めないことは、今回も同じだった。
ヨナスは通信関係の資料を開いた。
「通信は、移動経路に沿って取ればいいですか」
「それでいい。今後中継機材を置く場合も考えて、落ちる場所と安定する場所を記録してくれ」
「簡易センサーも持っていきます。重量は増えますけど、二箇所くらいなら試せます」
マティアスがその言葉に反応した。
「その重量、誰が持つ予定です?」
「まだ決めてません」
「どうせ俺でしょう」
「手が空いていればお願いします」
「最初からそう言えばいいのに」
ヨナスは否定せず、機材一覧へ一つ書き足した。
エレジは二人のやり取りを聞きながら、予定経路をさらに追った。今回は特定の観測地点へ行って留まるのではなく、何日かかけて山中を移動する。高所から見える範囲を取り、下りた先で道の状態を確認し、必要ならその場で経路を変える。
自分の担当も一箇所では終わらない。
「この尾根からなら、採石場の北側まで見えるかもしれません」
エレジが地図を示すと、カイルも位置を確認した。
「勾配は?」
「南側から上がる方が緩いです。ただ、途中の林道が今も使えるか分かりません」
「そこを最初に見る」
マティアスが別の道を指した。
「駄目だった場合は、こっちですか」
「候補には入れる。ただし、地図どおり抜けられるとは思うな」
「了解です」
今回の任務では、誰か一人だけが先に答えを持っているわけではない。
地図を読むエレジが経路を出し、ヨナスが通信状態を見て、リヒターが人の痕跡を拾う。マティアスは必要なところへ入り、カイルが全体を動かす。これまで何度も繰り返してきた役割が、今回は広い山の中でそのまま使われることになる。
資料をめくっていたエレジは、地形情報とは別に付けられた自然環境の記録へ目を止めた。
「この辺り、渡り鳥の通過域なんですね」
マティアスが隣から資料を覗き込んだ。
「そこも見てたんですか」
「書いてあったので」
ヨナスも端末から同じ資料を開いた。
「時期はもうかなり遅いですね。春の移動はほとんど終わってます」
「もう見られないですか」
「北へ行くのが遅い群れなら、まだ通る可能性はあります。数は少ないと思いますけど」
エレジは地図の上に細く示された通過方向を見た。シュタインタールの南側から入り、山を越えてさらに北へ抜けていく。
「見られたらいいですね」
カイルが手元の資料から顔を上げた。
「五日ある。運がよければな」
それだけで満足して、エレジは任務資料へ戻った。
その後に出されたのは、現在の軍用地図より古い地域資料だった。
今は廃止扱いになっている道の一部に、番号が振られている。道路番号とは違い、一定の規則で山中の分岐や小屋、古い石標をつないでいたらしい。
ヨナスが資料を拡大した。
「この辺、管理記録が途中で抜けてますね」
表示された表では、ある年代までは自治体が管理している。ところが途中から記録がなくなり、その後になってまとめて廃止扱いになっていた。
「管理主体が変わったんでしょうか」
エレジが聞くと、ヨナスは首を傾けた。
「可能性はあります。ただ、その記録がこっちには入ってません」
「今回そこまで調べる必要はない。現地に番号や標識が残っていれば記録する。今使える経路かどうかを優先しろ」
「分かりました」
エレジは古い番号が残っている場所だけ、自分の地図にも印を付けた。
何のための体系だったのかは分からない。それでも現地に同じものが残っていれば、古い資料と現在の場所を照合する目印には使える。
*
説明が終わると、そのまま装備の準備に入った。
今回の行動予定は五日。山中で数泊するため、前回のように現地拠点から毎日戻る任務より携行品は多い。
エレジは自分の机へ地図、双眼鏡、距離計、記録用品を並べた。予備電池を入れ、不要なものを一度外す。
隣ではヨナスが通信機材を床に広げていた。
「多くないですか」
「全部は持っていきません」
「今のところ、全部出てますけど」
「比較してるだけです」
エレジは小型の機材を一つ持ち上げた。
「これは何ですか」
「簡易受信機です。移動中にも使えます」
「私が持ちましょうか」
ヨナスは彼女の荷物を一度見てから、受信機と予備電池だけを分けた。
「じゃあ、これだけお願いします。使う時に渡してもらえれば」
「はい」
マティアスがそこへ来て、ヨナスの残した機材を見た。
「俺にはどれです?」
「まだ頼んでませんよ」
「頼む顔してるでしょう」
文句を言いながらも、マティアスはケースを持ち上げて重さを確かめ、自分の荷物へ入れた。
リヒターは救護用品を確認しながら、緊急時の後送地点をカイルと詰めていた。
「二日目以降は、この尾根を越えるのよね」
「ああ。そこからなら南側へ下ろせる」
「天候が崩れたら?」
「最短で戻る。無理なら西側へ抜ける」
「了解」
エレジはその会話を聞きながら、自分の地図にも後送経路を加えた。
以前なら、自分が歩く道と観測する場所を先に考えていた。今は、誰かが動けなくなった場合にどこへ下ろすのか、ヨナスが通信を取れない時にどこまで戻るのかまで、最初から同じ地図の中に入っている。
準備の進め方そのものが、いつの間にか変わっていた。
それを誰かに教えられたというより、五人で何度も仕事をするうちに自然にそうなったのだと思う。
カイルが最後に全員の荷物を確認し、重複しているものを二つ外した。
「持てるから持つんじゃない。使う見込みのないものは置いていけ」
ヨナスが外された予備機材を見た。
「一応、使う可能性はあります」
「何に」
「現地で通信が予想より悪かった場合に」
「その時は今あるもので組み直せ」
「分かりました」
マティアスが小さく笑った。
「少佐がいなかったら、ヨナスってどこまで持ってくんだろ」
「必要だと思うところまでです」
「それが怖いんですよ」
準備が終わった頃には昼を過ぎていた。
五人は簡単に食事を取り、そのまま車両へ荷物を積み込んだ。
*
シュタインタールへ向かう道は、途中から山の間へ入っていった。
エレジは窓側に座り、地図と外の景色を交互に見ていた。
道路は谷に沿って北へ伸びている。左右には斜面が迫り、ところどころに林道の入口が見える。地図では一本の細い線にしか見えなかった場所も、実際には傾斜や植生によってかなり印象が違った。
「もう仕事始めてるんですか」
後ろからマティアスに言われた。
「見えてるので」
「明日からでも見えますよ」
「今しか見えないところもあります」
「そう言うと思いました」
エレジは返事をせず、道路の右側へ続く斜面を確認した。
あの向こうに、明日入る予定の旧道がある。
地図を見ているだけでも面白かったが、実際の山を見るとさらに知りたいことが増える。どこまで木が密なのか、沢の水量はどの程度か、尾根から反対側がどこまで見えるのか。任務に必要なことと、単純に見てみたいことが、今はほとんど同じ方向にあった。
市街地へ近づくと、谷が少し広がった。
古い石造りの建物と新しい家が混じり、その向こうには山が続いている。町の中からでも斜面は近く、どの方向へ抜けてもすぐ山道に入れそうだった。
エレジは地図を閉じる前に、もう一度予定している経路を確認した。
今回の任務では、どこか一箇所を見続けるわけではない。明日は別の場所にいて、その次の日にはもっと北へ進んでいる。五人で山を移動しながら、その途中で必要なものを拾っていく。
それは自分がこの班に入る前に、やりたいと思っていた仕事にかなり近かった。
シュタインタールの地域部隊が使う小さな施設へ着くと、最新の天候情報と道路状況だけを受け取った。
市街地周辺に大きな変化はない。二日前の雨で北側の一部林道がぬかるんでいるが、完全に通れないという報告は出ていなかった。
カイルはその情報を確認し、日没までの時間を見た。
「今日は最初の地点まで行く。旧道の中へ入るのは明日だ」
再び車両へ乗り、町の北側へ向かった。
舗装路を外れてしばらく進むと、山側へ細い道が分かれている。現在の地図では、その先は途中から廃止扱いになっていた。
車両を止め、五人は必要な装備だけ持って外へ出た。
エレジは入口から先を見た。
道幅そのものは残っている。両側から草が伸びているが、中央まで完全に覆われてはいなかった。雨の跡が残る地面には、流れた泥と踏み固められた場所が混じっている。
すぐに車両が入ったと判断できるほど明確な痕跡ではない。
ただ、長い間まったく誰も使っていない道にも見えなかった。
「廃止扱いになってる割には、入口が残ってますね」
エレジが言うと、リヒターも地面を見た。
「人は入ってるかもしれないわね。頻度までは分からないけど」
「車両は?」
マティアスが聞いた。
「今のところ何とも言えない」
エレジも同じだった。幅はあるが、路面の状態はここからでは判断できない。
カイルは道の奥を見た後、引き返す方を選んだ。
「今日はここまで。明日、中を見る」
その判断に異論はなかった。
日が落ちる前に最初の野営地点まで移動し、五人で装備を下ろした。
エレジとマティアスが周囲を確認している間に、ヨナスは通信状態を取り、リヒターは食事と救護用品を出しやすい位置へまとめた。カイルは翌日の経路を地図上で確認している。
夕食を終える頃には、空がかなり暗くなっていた。
エレジは水を飲みながら、一度だけ頭上を見た。雲は少なく、山の上には広い空が見えているが、鳥の姿はなかった。
「探してるのか」
隣からカイルに聞かれた。
「少しだけです」
「まだ初日だ」
エレジは空から目を戻し、地図を開いた。
明日は今日見た旧道へ入り、その先の分岐から尾根側へ上がる予定になっている。古い資料にだけ残っていた経路番号も、その途中に一つあった。
「ここまで行けたら、標識が残ってるか見たいです」
エレジが示すと、ヨナスも地図を覗いた。
「残ってたら記録しましょう。位置も取ります」
「はい」
それが何のために使われていたものなのかは、今は分からない。
エレジにとって重要なのは、明日その道が本当に通れるのか、そこから何が見えるのかということだった。
地図上に明日の確認地点を書き足し、五人は翌朝から始まる長距離偵察に備えた。




