翌朝
翌朝、エレジが共有スペースへ下りてきた時には、カイルがすでに湯を沸かしていた。
休養日なので起床時間は決められていない。窓の外は明るく、普段ならとっくに動き始めている時間だったが、一度目を覚ましてからそのまま二度寝していた。身体に酒が残っている感じはなく、眠気だけが少しある。
渡された水を飲みながら昨夜を思い返すと、みんなとまだ話していたいと言ったあたりまでは覚えていた。その後はところどころ途切れていて、自分がどう部屋へ戻ったのかも曖昧だった。
「昨日、私どうやって部屋に戻りました?」
「俺が連れていった」
「歩いてないんですか」
「歩けるとは言ってたが、歩かせなかった」
抱えられた記憶もほとんどない。重くなかったかまで確認したところで、カイルがまったく気にしていないのが分かったので、それ以上聞くのはやめた。
「変なこと言ってませんでした?」
「普段よりよく喋ってた。それくらいだ」
本人にとって問題がなくても、自分にとっては違う可能性がある。ただ、以前ならもっと気にしていたはずだった。
酒を飲み、自分でも全部は覚えていない時間があることを、少し前までなら嫌だったと思う。今は、昨夜一緒にいた四人の中でなら、少しくらい気を抜いても困ることはないと思える。
それは酒に慣れたからではなく、この場所で誰と一緒にいるのかが変わったからだった。
やがてリヒターが入ってきた。エレジの顔を見ると、頭痛がないかだけ確認する。眠いだけだと答えると、それなら飲みすぎではなかったらしいと判断された。
そこへヨナスも来て、最後にマティアスが下りてきた。
「休みの日くらいいいでしょう。まだ午前ですよ」
遅いと言われても、マティアスは気にした様子もなく席についた。
ヨナスはいつも通りコーヒーを用意し、リヒターも普段と変わらない。マティアスには、その二人が昨夜のことを忘れているとは思えなかったが、どちらも口にしないなら自分から持ち出すことでもないように思えた。
五人が揃う頃には、共有スペースは普段の休養日の朝になっていた。
「そういえば、私たちが出たあとも飲んでたんですか」
「少しだけですよ」
「何話してたんです?」
「昨日の続きよ」
リヒターが答えたことで、エレジにも恋愛の話だと分かった。
「エレジにはまだ早い話」
「私、二十六です」
「年齢の話じゃないわ」
ヨナスもマティアスも何も足さなかったので、エレジはそれ以上聞くのを諦めた。
朝食を終えると、それぞれが好きなことを始めた。
エレジは洗濯室へ行き、自分の服を洗濯機へ入れるついでに棚を確認した。洗剤が思っていたより減っている。洗面所の消耗品も少なくなっていたので、あとで買うものへ加えることにした。
五人で暮らし始めた頃は、自分に必要なものだけ見ていればよかった。今は誰かが補充したものを使い、自分が気づいたものは次に足す。それがもう特別ではなくなっている。
洗濯が終わるまでの間、エレジは昨日まで使っていた地図を共有スペースへ持ってきた。任務の続きをするつもりではなく、昨日確認した道がその先でどこへつながっているのか気になっただけだった。
机の反対側ではヨナスが端末を開いている。
「何してるんです?」
「昨日までの通信記録を整理してます」
説明を聞いているうちに、エレジは自分の地図を持って隣へ移った。通信が弱くなった地点と地形を照らし合わせていると、ソファにいたマティアスが二人を見る。
「休みの日くらい仕事から離れられないんですか」
「私は仕事してませんよ」
「地図持ってるじゃないですか」
「気になっただけです」
その横で、カイルまで午後に車両を確認すると言った。
エレジは反論しかけて、自分も大して変わらないと気づいた。仕事をしているつもりはないのに、気になるものを見ていると結局いつもの役割へ戻っている。
リヒターは雑誌を読みながらそのやり取りを聞いていた。昨夜あれだけ踏み込んだ話をしても、朝になれば五人の時間はほとんど変わらない。ヨナスは記録を整理し、マティアスはそれをからかい、エレジは興味を持ったものへ近づいていく。
テーブルの端に置いた冊子が必要になり、近くにいたマティアスへ手を伸ばした。
「マティアス、それ取って」
呼ばれた本人は特に気にせず渡したが、エレジが先に反応した。
「名前で呼ぶようになったんですか」
「昨日からね」
「ヨナス大尉も?」
「そうね」
エレジはそのままヨナスを見た。
「じゃあ、私もヨナスって呼んでいいですか」
「そこまで一気に広げます?」
「駄目ですか?」
「駄目ではないですけど」
「じゃあヨナスさん」
実際にすぐ呼ばれるとは思っていなかったらしく、ヨナスは少し笑った。
「本当に呼ぶんですね」
以前から名前で呼ばれているマティアスだけが、自分の扱いが最初から軽いと不満を言った。
「最初は少尉だったからだと思います」
「今は?」
「マティアスだからです」
エレジにはそれで十分な説明だった。
昨夜三人の間で何があったのかは知らない。ただ、呼び方だけは朝まで残ったらしい。理由を聞くほど不自然なことでもなく、エレジはまた地図へ戻った。
*
昼前になると、エレジは足りなくなっている日用品を書き出した。
洗剤と紙類、保存の利く食品。コーヒーが少ないことをヨナスに確認し、マティアスには頼まれた菓子を加え、リヒターからは調味料を二つ頼まれた。
自分のもの以外まで確認するのが、もう特別ではなくなっていた。
買い出しにはカイルが一緒に行く条件で行けることになった。
二人が施設を出たあと、ヨナスも機材を通信室へ戻しに行き、共有スペースにはリヒターとマティアスだけが残った。
マティアスは二人きりになったことで昨夜を思い出したが、リヒターは何も言わなかった。冷蔵庫を開け、昼に使えそうなものを確認している。
なら、自分から聞くことでもない。
ヨナスが戻って三人になっても、誰も昨夜の話を持ち出さなかった。
残っている食材で昼に何を作るかを決め、使ったままになっていたグラスを片づける。会話もそれくらいで、妙に距離を取る者はいなかった。
リヒターには、そのことが思っていたより楽だった。
昨夜の話が消えたわけではない。それでも、何かを言ったからといって、翌朝から関係の形まで変えなければならないわけではないらしい。
カイルとエレジが戻った時には、昼食に使うものがすでに机へ出されていた。
エレジは買ってきた袋から頼まれたものを取り出し、ヨナスにはコーヒー、リヒターには調味料を渡した。マティアスへ菓子を渡すと、本当に買ってきてくれたことが少し嬉しかったらしく、その顔を見てエレジも笑った。
そのまま五人で簡単な昼食を取り、食べ終わってからも、それぞれ別のことをしながら共有スペースに残った。
次の任務について話す必要もなく、何かを決める必要もない。
エレジは途中まで読んでいた本を開いた。
以前、何も決めなくていい時間が好きだと思ったことがある。今は、そういう時間が自分の日常の中にある。
何かをし続けなくても、誰かの役に立つことを証明しなくても、ここにいることを誰も不思議に思わない。
午後になると、ヨナスも端末を閉じ、カイルも車両の確認を終えた。
そんなとき、マティアスが棚からカードを見つけた。そこから、五人で簡単なゲームをすることになった。
最初の数回で、カイルはほとんど表情が変わらないことが分かった。マティアスは弱い札でも平気な顔をするし、リヒターは自分の札より相手を見ている。
ヨナスが長く考え込んだ時、リヒターが先に笑った。
「それ、あまり良くないでしょう」
「何で分かるんです?」
「いい時より考えてるから」
ヨナスは自分では同じようにしていたつもりだったらしく、次から考える時間まで意識し始めた。
エレジは自分だけは顔に出ていないと思っていたが、いい札が来た時カイルがこちらを見た。
「今いいな」
「何でですか」
「顔に出てる」
「出てないです」
リヒターまで同意したことで、エレジは納得できずにカイルを見る。
「少佐は私のこと見すぎなんですよ」
「ああ、見てる」
迷いなく認められると、それ以上反論できなかった。
次から表情を変えないように意識した結果、何もない時まで不自然になり、今度はマティアスに読まれた。
「中尉、それもう札より顔の方が分かりやすいですよ」
「次は大丈夫です」
その宣言まで含めて笑われた。
何度か続けても、結局誰が一番強いのかは決まらなかった。
カイルは向かいで笑っているエレジを見て、昨夜より顔色もよく、酒が残っている様子もないことを確認した。朝は少し気にしていた記憶の抜けも、もう本人の中では大きな問題ではないらしい。
ヨナスがリヒターへカードを渡した時、指先が一度触れた。以前なら気にも留めなかった程度のことなのに、昨夜の話を知っている今は一瞬だけ意識する。
マティアスも、二人の間に何かが起きたのを見たわけではない。それでも、その距離を以前とまったく同じには感じなくなっている自分には気づいた。
リヒターも、昨日までと同じではないことは分かっていた。酒が入っていたから言いやすくなった部分はあっても、昨夜の言葉を取り消す気はない。だからといって、自分から続きを求めるつもりもなかった。
名前を呼ぶことも、近くに座ることも、何気なく触れることも、今は少しだけ意味が変わっていた。




