三人の夜と酒
カイルがエレジを抱き上げたまま共有スペースを出ていくと、閉まった扉の向こうから足音が遠ざかっていった。さっきまで五人で話していたせいか、三人になっただけで部屋が急に広くなったように感じられる。
リヒターは残っていた酒を飲み、向かいにいる二人を見た。
「まだ帰らないでしょう?」
「少佐に帰れって言われるまでいるつもりでしたけど」
「明日は休みですからね」
「なら、もう少し飲みましょう」
リヒターが瓶を持つと、マティアスとヨナスもグラスを前へ出した。三人ともエレジほど酔ってはいなかったが、普段なら口にしないことまで話してもいいと思える程度には酒が回っている。
今リヒターは、部屋着のショートパンツに大きめのシャツを着ていた。立っている時には気にならなかったが、ソファへ深く座ると膝から上の露出が多くなる。本人は男が二人残ったことを気にしている様子もなく、片脚を曲げて座ったままグラスを傾けていた。
マティアスは気づいてから意識して見ないようにしたが、それで気にならなくなるわけではなかった。ヨナスも同じらしく、一度だけそちらへ目を向けたあと、何事もなかったようにグラスへ口をつけている。
五人でいた時にはただ同じ班の仲間として見ていたはずなのに、三人だけになると、リヒターが女で、自分たちが男だという当たり前のことまで妙に意識された。
「中尉、かなり眠そうでしたね」
「自分で止めてたけど、眠くなる方はどうしようもないみたいね」
「少佐、慣れてましたね」
「前にもあったんでしょう」
「ありましたよ。前も最後は少佐が送ってました」
マティアスが以前三人で飲んだ夜を話すと、リヒターは納得したように笑った。
「それであんなに慣れてたのね」
「少佐は普段から中尉のことよく見てますけど、ああいう時は余計ですよね」
「恋人なんだからいいんじゃない?」
そこでマティアスは、さっきからリヒターが自然に使っている呼び方に気づいた。
「そういえば大尉、ヴァイス中尉のことエレジって呼んでますよね」
「そうね」
「いつからです?」
「いつからかしら。ほんとについ最近よ」
「中尉も普通にしてますよね」
「嫌なら言うでしょう」
リヒターにとってはそれだけのことらしい。ヨナスも会話に入った。
「俺たちはまだヴァイス中尉とか中尉ですね」
「今さら変えるのも変じゃないですか」
「そう? 私から見たら、あなたたちもいつまで名字と階級で呼んでるのって感じだけど」
「仕事では普通でしょう」
「今は仕事じゃないわ」
リヒターはそう言うと、何のためらいもなくマティアスを見た。
「マティアス」
急に名前で呼ばれ、返事が一瞬遅れる。
「……自分から言っといてなんですけど、急ですね」
「嫌?」
「いや、嫌じゃないです」
「じゃあいいでしょう」
ヨナスが笑う。
「結構似合ってますよ」
「何がですか」
「名前で呼ばれてるのが」
「じゃあファルク大尉も呼ばれてくださいよ」
リヒターはすぐにヨナスへ目を向けた。
「ヨナスでいい?」
「俺は構いませんよ」
「じゃあヨナス」
あまりに自然に呼ばれるので、それまで階級で区切られていた距離が少しだけ崩れたように感じられる。
リヒター自身も、二人の名を口にしてみると、それまでより個人として近くなったような感覚があった。
任務では何度も命を預けているのに、こんな小さなことで別の距離が縮まるのは不思議だった。
「俺もそう呼んでいいですか」
「今さら聞くんですか。いいですよ」
実際に呼び合ってみると、思っていたほど違和感はなかった。任務中なら元に戻るとしても、私的な時間にまで距離を保つ必要はない程度には、もう一緒にいる時間が長くなっている。
「やっと仲間っぽくなったわね」
「今までも仲間でしょう」
「そういう意味じゃないの」
リヒターが笑いながら脚を組み替えた。大きめのシャツの裾が少し上がり、露出した太腿が目に入る。マティアスは一度見たあとすぐ戻したが、ヨナスには気づかれたらしい。
「マティアス、分かりやすいですね」
「何がですか」
「別に」
「今絶対何か思ったでしょう」
リヒターも二人のやり取りから察したらしく、自分の格好へ一度目を落とした。
「これ?」
「自分から聞かないでくださいよ」
「見られて困る服じゃないわよ」
「それはそうでしょうけど」
「じゃあいいじゃない」
本人が本当に気にしていないのが分かるからこそ、マティアスには余計に困った。ヨナスも同じことを考えたらしく、少し笑う。
「大尉、今の格好でそう言われると結構危ないですよ」
「何が?」
「男が勘違いするでしょう」
「させたい時なら、させるわよ」
答えがあまりに迷いなく返ってきたので、二人ともそちらを見る。その反応を受けた瞬間、リヒターは自分が少し楽しんでいることに気づいた。
相手を誘導する必要のある任務とは違う。目の前の二人が自分を意識していることが、単純に悪くなかった。
「じゃあ、させたくない時は?」
「普通にしてる」
「今はどっちです?」
マティアスが聞くと、リヒターはグラスを持ったまま少し笑った。
「どう思う?」
「またそうやって逃げる」
「答えを教えるより面白いでしょう」
酒のせいか、普段より目元が柔らかい。それでも酔って判断が鈍っているようには見えず、どこまで意図しているのか分からないままなのが二人には気になった。
リヒターの方も、二人が自分から目を逸らしてはまた戻してくることを意識するようになっていた。
「じゃあ、さっきの話の続きにしましょうか」
「まだ続くんですか」
「せっかく三人になったんだから、さっきより少し踏み込んでもいいでしょう」
「何聞くんです?」
「付き合う前に身体の関係になるのは、ありかなしか」
マティアスが思わず笑う。
「本当に一段上げましたね」
「嫌なら答えなくていいわよ」
「そこまで言われたら答えますよ。俺はありですけど、好きでもない相手とは多分しないです」
「多分?」
「最初から好きって自覚してるとも限らないでしょう。付き合う前でも、その人ともっと近くなりたいと思ってるならありだと思います」
リヒターは少し意外そうに彼を見る。
「思ったより真面目ね」
「今日何回目ですか、それ」
「だって見た目より真面目だから」
「見た目でどれだけ損してるんですか」
ヨナスが横で笑うと、リヒターはそちらへ移った。
「ヨナスは?」
「俺も、双方が分かってるなら別にいいと思います。付き合う前だから駄目とは思わないですね」
「実際にある?」
「あります」
「何回くらい?」
「そこまで聞くんですか」
「答えたくないならいいわよ」
「じゃあ答えません」
「そこは逃げるのね」
リヒターは笑い、自分については迷わなかった。
「私は気持ちがなくてもできるわ」
「それ、仕事の話も混じってます?」
「どうかしら。でも、仕事じゃなくても、嫌じゃない相手ならできると思う」
「好きじゃなくても?」
「ええ」
「相手が本気になったら困らないですか」
「先に決めればいいでしょう」
ヨナスは、その答え方にリヒターらしさを感じた。身体の近さと恋愛感情が最初から別のものとして整理されている。
「大尉、経験ってどのくらいあるんです?」
マティアスが聞いた。
「恋人?」
「いや、そっちじゃなくて」
何を聞かれているのか分かったリヒターは少し考えた。
「数え方によるけど、二十前後かしら」
二人とも返事が止まった。
「……二十?」
「そのくらい」
「全部私生活ですか」
ヨナスが聞くと、リヒターは少し笑った。
「まさか」
それ以上は説明しなかった。
マティアスとヨナスも、そこで詳しく聞けば踏み込みすぎることくらいは分かったらしい。二人とも一瞬だけ互いを見たが、問い直さなかった。
「それだけいて、本当に恋人はいないんですね」
「いないって言ったでしょう」
「好きになりそうだった人も?」
マティアスが聞くと、リヒターは少しだけ考えた。
「恋愛としては、いなかったと思う」
身体を許した相手が二十前後いても、恋人にしたいと思った相手はいない。その事実は経験人数そのものより二人の興味を引いた。
同時に、リヒターの側にも別の意識が生まれていた。これまで身体を許した相手を思い返しても、今ここにいる二人のように、自分が何を嫌がるかを理解した上で近くにいる者はほとんどいなかった。
マティアスの軽さの奥にある慎重さも、ヨナスの理屈っぽさの奥にある確認の細かさも、任務を重ねる中でよく知っている。
それを恋愛や身体の話へ置き換えて考えたことはなかったが、今夜はその境目が少しずつ曖昧になっていた。
「じゃあ、誘うのと誘われるのはどっちが好き?」
マティアスは少し考えた。
「相手から来てくれる方が嬉しいですね。自分から行くのも嫌じゃないですけど、本当に望んでるのが分かる方がいいです」
「反応がある方が好きってこと?」
「そうですね。何しても分からない相手より、ちゃんと返してくれる方がいいです」
「頼られるのも好きでしょう」
言われてみれば否定しにくかった。リヒターに料理を任せてもらえた時も嬉しかったし、エレジから助けを求められた時に応じることも嫌いではない。
「……まあ、それは」
「やっぱり」
「何で嬉しそうなんですか」
「分かりやすいから」
答えながら、リヒターはもし自分からマティアスへ求めたら、彼がどう応じるのかを初めて具体的に想像した。
さっきのように冗談で逃がそうとしながらも、本当に自分が望んでいると分かれば応じるのだろう。その考えが思ったより自然に浮かび、少しだけ酒の熱とは違うものが残る。
「ヨナスは?」
「俺は、相手の反応が分かる方がいいですね。声もそうですけど、どう感じてるのか分からないまま進めるのは好きじゃないです」
「聞く?」
「必要なら聞きます。聞いた方が早ければ」
「真面目ね」
「大尉に言われたくないです」
「私は真面目よ」
「方向が違うでしょう」
三人で笑ったが、リヒターは今度も答えをそのまま流せなかった。ヨナスなら自分が何を望んでいるのか言葉にするまで待つだろうし、曖昧なまま勝手に進めることもない。
その安心感を身体の距離へ置き換えて考えると、拒む理由が思いつかなかった。
「じゃあ、主導するのとされるのは?」
マティアスは先ほどより抵抗なく答える。
「自分がずっと決めるより、相手も返してくる方が好きですね。全部任されるのは多分疲れます」
「ヨナスは?」
「俺も近いです。どっちか一方っていうより、相手を見ながら変える方がいいですね」
答えながら、ヨナスは自然に聞き返した。
「大尉は?」
「できるのはどっちも。でも、どっちが好きなのかは案外分からないのよね」
「経験あるのに?」
「相手に合わせることの方が多かったから。どうすれば喜ぶかは考えるけど、自分が何をされたいかはあまり考えなかったの」
それまで質問に答えていた二人の興味が、はっきりリヒター自身へ移っていた。どういう相手が好きなのかではなく、彼女自身が何を望み、誰なら許せるのかを知りたくなっている。
「嫌なことは分かるでしょう」
「それは分かるわよ。でも、嫌じゃないことと好きなことは違うでしょう」
「じゃあ、自分のためだけに誰かといる時は?」
「そういう相手がいなかったから分からない」
「身体の関係はあっても?」
「ええ」
マティアスは酒を飲みながらリヒターを見る。身体のことには慣れているのに、自分が望むものだけはよく分からない。
その不釣り合いさを知るほど、単に魅力的な女としてではなく、自分がもっと知りたい相手として意識し始めているのが分かった。
「大尉って、主導する方が似合いそうですけど」
「できるけど、それが好きかは別ね」
「じゃあ、相手に任せるのは?」
「信用できる相手なら」
「全部?」
「身体なら」
ヨナスがそこを拾った。
「気持ちは?」
リヒターは初めてすぐには答えなかった。
「そっちは難しいわね。身体なら相手を選べば預けられる。でも、心まで任せるってどういうことかは正直よく分からない」
その答えだけは、それまでの軽い調子とは少し違った。
マティアスもヨナスも、ここで話を変えようとは思わなかった。むしろ続きが気になった。そしてリヒターも、二人にここまで聞かれることを嫌だとは感じていなかった。
自分でも整理していなかった部分を探られているのに、不快になるより、二人ならどこまで聞いてくるのか知りたくなっている。
ヨナスが聞いた。
「今ここにいる相手なら?」
「何が?」
「身体を預けられるかです」
マティアスは横からヨナスを見る。そこまで聞くとは思わなかったが、答えは自分も知りたかった。
リヒターは二人を見比べた。
「あなたたちなら、いいと思ってるわよ」
即答に近かった。言ってから自分でも、その答えにほとんど迷いがなかったことに気づく。
「……普通に言うんですね」
「聞かれたから答えただけよ」
「信用してるって意味ですか」
「それもあるわね。少なくとも、嫌だって言ったことを続ける人たちじゃないでしょう」
「それはしません」
「分かってる。だから言ってるの」
ケルナーの件を直接出さなくても、何を基準に言っているのかは分かった。
ただ、リヒター自身にはそれだけではないことも分かり始めていた。信用できる男なら他にもいる。それでも、今この場で「身体を預けてもいい相手」として思い浮かんだのは目の前の二人だった。
マティアスの手が自分に触れることも、ヨナスがいつもの落ち着いた声で自分へ問いかけることも、想像した時に嫌悪はなく、むしろその先を考えたくなる。
リヒターはその感覚を確かめるように、次の質問を出した。
「じゃあ、複数は?」
「複数?」
「二人以上。ありかなしか」
マティアスは一度笑った。
「そこまで聞くんですか」
「ここまで答えたんだからいいでしょう」
最初に考えたのはマティアスだった。
「経験はないです。絶対なしってほどでもないですけど、相手との関係次第じゃないですか」
「二人とも好きなら?」
「……それなら、ありかもしれないです」
リヒターはその答えを聞いた時、思った以上に意識した。単なる一般論として聞いたはずなのに、「二人とも好きなら」という自分の言葉へマティアスが肯定したことで、その二人の中へ自分とヨナスを置いた形が一瞬浮かぶ。
「ヨナスは?」
「俺も経験はないですね。でも、全員が納得してるなら否定はしません」
「嫉妬しない?」
「その関係を最初から三人で決めてるなら、多分。ただ、実際にそうなったら分かりません」
「大尉は?」
二人からほぼ同時に返され、リヒターは笑った。
「二人とも、ずいぶん私のこと聞くようになったわね」
「大尉がこういう話始めたんでしょう」
「そうだけど」
「で、どうなんです?」
マティアスに促されても、今度はすぐに答えなかった。
「そういう状況を考えたことはあるわ。実際にはないけど」
「興味は?」
「どうかしら」
「またそれですか」
「質問される方が面白くなってきたから」
そう返しながら、リヒター自身はもう答えを完全にはぐらかしているだけではなかった。経験したことはない。それでも、今目の前にいる二人とならどうなるのかを考え始めている。
酒はかなり減っていた。最初はリヒターが質問を出し、二人が答えていただけだったのに、いつの間にかマティアスとヨナスの方から彼女について聞くことが増えている。
二人の視線が自分へ向く時間も長くなり、それを感じるたびにリヒターも、どちらか一人ではなく二人がここにいることを意識するようになった。
「じゃあ、大尉が本当に誰かを誘う時ってどうするんです?」
ヨナスが聞いた。
「相手によるわよ」
「ケルナーの時みたいに?」
「そういうやり方もある」
「何したんです?」
さっきまでなら一般論として聞いていたはずなのに、今はもっと具体的に知りたくなっていた。
「目を見る時間を少し長くしたり、声を柔らかくしたり、相手が話したいことを聞いたり。自分だけは特別だと思わせれば、勝手に近づいてくる人もいるわ」
「触るんですか」
「人による。すぐ触る方が効く人もいるし、触らない方が気になる人もいる」
「効くって言い方が怖いんですよね」
「事実でしょう」
ヨナスは少し考えてから聞いた。
「それ、今もやってます?」
リヒターは彼へ目を向けた。
「どうかしら」
声をわずかに柔らかくする。
最初は、説明した技術を試してみせるだけのつもりだった。だが、自分の声にヨナスの注意が明らかに向くと、それ以上を確かめたくなる。
仕事で相手を操る時とは違い、彼が自分に惹かれることそのものが嬉しいと感じている。
「今のですか」
「さあ」
「分かってても結構きますね」
マティアスが笑う。
「ヨナスまで」
「マティアスもやってみる?」
「俺を教材にしないでください」
「別に何もしないわよ」
リヒターはマティアスへ目を向けた。普段より少し柔らかく、相手の反応を探るより頼るような目で見る。
「もう帰るの?」
ただそれだけなのに、マティアスはすぐには返事ができなかった。
演技だと分かっている。さっき方法まで聞いた。それでも、普段ほとんど見せない表情を向けられると、本当に一人にしたくないような感覚が生まれる。
「……それ、ずるくないですか」
「何が?」
「分かってやってるでしょう」
「もちろん」
そう答えながら、リヒターはマティアスが想像以上に自分へ惹かれていることを感じ取った。普段ならそこで十分だったはずなのに、今夜はもう一人の反応も欲しくなる。
「ヨナスは残ってくれる?」
「大尉、それ本当に効きますね」
「二人とも素直ね」
リヒターは満足したように笑ったが、酒へ戻っても意識は二人から離れなかった。
マティアスとヨナスの方も同じだった。シャツから覗く脚も、酒で少し潤んだ目も、ソファへ身体を預けた姿勢も、さっきまではただそこにあるだけだった。
今は、彼女が自分たちを見て声を変えたことまで知ってしまっている。そのせいで、一つ一つが自分へ向けられたもののように感じられる。
「大尉」
「何?」
「今の格好も、意識してます?」
マティアスがとうとう聞いた。
リヒターは自分の脚へ一度目を落とし、また二人を見る。
「してないって言ったら?」
「余計困ります」
「何で?」
「普通にしててそれなら、避けようがないでしょう」
ヨナスも笑いながら頷いた。
「それはちょっと分かります」
「二人ともさっきから私のこと見すぎじゃない?」
「大尉がそういう話するからでしょう」
「じゃあやめる?」
そう聞かれると、二人ともすぐには肯定できなかった。
その迷いを見た時、リヒターの中に生まれたのは、相手をからかえている満足だけではなかった。
二人がまだ自分を見ていたいと思っている。その事実に応えるように、この時間を終わらせたくないと思う自分もいる。
「やめてほしくはないみたいね」
「……そういう言い方するからですよ」
「何が?」
「余計気になるんです」
マティアスが答えると、ヨナスも否定しなかった。
「俺も、今はもう少し聞きたいですね」
「何を?」
「大尉のことです」
ヨナス自身、口にしてから思っていたより率直な答えになったと気づいた。リヒターも少し意外だったが、その言葉は素直に嬉しかった。
「ずいぶん素直になったわね」
「酒のせいかもしれません」
「それだけ?」
「多分違います」
マティアスが横からヨナスを見る。
「今日結構行きますね」
「マティアスも同じでしょう」
「まあ……否定はしませんけど」
二人とも、もうリヒターが次に何を言うのか待っているのを隠せなくなっていた。
リヒターもそれを分かった上で、すぐには次の言葉を出さなかった。
もし今、自分から二人へ近づけばどうなるのか。
マティアスは本当に逃げるのか。それとも、自分が望んでいると分かれば受け止めるのか。ヨナスはどこまで確認して、それでも最後には応じるのか。
さっき聞いた答えを一つずつ思い返すほど、単なる興味だったものが、自分で確かめてみたいという感覚へ変わっていく。
どちらか一人を選ぶところは想像しなかった。
二人ともここにいることが、今はよかった。
リヒターはグラスへ残っていた酒を少し飲み、二人を順に見る。
「じゃあ……さっき複数もなしじゃないって言ったわよね」
マティアスとヨナスの意識が同時に向いた。
その瞬間、自分へ向けられた二人の目を見て、リヒターはようやく質問の形を借りながら何を確かめようとしているのか理解した。
二人がどう答えるか知りたいだけではない。拒まれなければ、その先へ進んでもいいと思っている。
グラスの縁へ指を添える。酒が回って目元は少しとろんとしていたが、考えていることまで曖昧になってはいなかった。
「私が、三人でしたいって言ったら?」
さっきまで一般論として答えていたものを突然自分たち三人へ向けられ、二人ともすぐには意味を処理できなかった。
マティアスはいつものように軽く流そうとして口を開きかけた。
「大尉、さすがに――」
「それ、本気だと思って受け取っていいんですか」
先に言ったのはヨナスだった。
マティアスが横を見る。ヨナスはリヒターから目を逸らしていなかった。
その問いを聞いた瞬間、リヒターの胸に生まれた熱は酒のせいだけではなかった。ヨナスは冗談として逃がさず、本気なら自分も本気で受け取ると言っている。その意味を理解した上で、リヒターは答えなかった。
グラスの縁を指でゆっくりなぞる。
「大尉」
呼ばれて、目だけをヨナスへ向け、そのままマティアスへ移す。二人とも先ほどまでより明らかに自分を意識している。それを見ている自分も、もう完全に遊びのつもりではなかった。
けれど、ここで言葉にしてしまえば本当に選択になる。
その一歩だけは、まだ踏まなかった。
マティアスとヨナスは言葉を待った。沈黙が長くなるほど、冗談だったことにして逃がしにくくなる。先に耐えきれなくなったのはマティアスだった。
「ほら、きっと眠いんですよ。寝ましょ。解散、解散」
「誰が眠いって?」
「大尉です。もう十分飲んだでしょう」
「そう見える?」
「見えます」
ヨナスもそれ以上答えを求めずに立ち上がった。二人がこの話を終わらせようとしていることを分かった上で、リヒターは少し笑った。
「そういうことにしておくわ」
「そうしてください」
三人で残った酒とグラスを片づける間も、リヒターは先ほどの言葉について説明しなかった。ただ、二人が離れていくことを少し惜しいと思った自分の感覚だけは、もう否定できなかった。
自室へ向かう前に二人へ「おやすみ」と告げると、マティアスとヨナスから返事が返ってくる。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい、大尉」
扉を閉める直前まで二人の気配が後ろにある。それを意識したまま部屋へ入ったリヒターは、さっき自分が言った言葉を冗談だったと整理することができなかった。
廊下に残った二人も同じだった。
「……あれ、何だったんですかね」
「分からないです」
「ヨナスも分からないんですか。じゃあ何であんな聞き方したんです」
「本気なら、そういうつもりで聞かないと意味がないでしょう」
「結局答えてないじゃないですか」
「そうですね」
二人は隣り合った自室の前に来ると、マティアスはさっきのリヒターの目をこれ以上考えても答えは出ないと思い、自分の扉へ手を掛ける。
「じゃあ、俺も寝ます」
「マティアス」
初めて二人きりで名前を呼び止められ、マティアスは手を止めて振り返った。
「何ですか?」
「もし次、リヒター大尉があれを言ったら、俺は受けると思う」
冗談だと思う余地を残さない言い方だった。マティアスは何を返せばいいか分からず、しばらくヨナスの顔を見るしかなかった。
「……本気ですか」
「はい。今夜だけ酒が入ってるからそう思ってるのかも考えましたけど、多分違います」
「それ、俺に言う必要あります?」
「ありますよ。三人でって言われたんだから、マティアスも当事者でしょう」
ヨナスは少し表情を緩めたが、言っている内容まで冗談にするつもりはないようだった。
「だから、次に同じことを言われた時は、来るかどうか決めておいた方がいいですよ」
「……行かなかったら?」
「その時は、俺が行くだけですから」
ヨナスが自室へ入ったあとも、マティアスはすぐには扉を開けられなかった。




