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エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:任務

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内緒


 翌朝、リヒターは基地側から改めて聞き取りを受けた。


 前日に話した内容と大きく変わることはなく、自分からケルナーへ声をかけたこと、場所を移したこと、相手が自分に関心を持っていると思うように振る舞ったこと、最初から記録を残すつもりだったことも、そのまま説明した。


 ケルナーは通常勤務から外されたままで、課程中の処置や聞き取り記録も取り寄せて確認されることになった。今後どう扱われるかが決まるまでには時間がかかるが、少なくとも五人がこの基地にいる間、エレジたちの近くへ戻されることはない。


 そこまで確認できると、五人は予定していた調査へ戻った。


 この日は北側の経路をもう一度通り、前日までに確認した設備と、車両を入れた場合の迂回路を補足することになっていた。エレジは地図と実際の地形を見比べながら歩き、途中で古い排水路を見つけると、設置された時期によって周辺の地盤にも違いが出るのかとヨナスへ聞いた。


 ヨナスは地形だけでは判断できないと前置きした上で、構造と水の流れから見られることを説明した。エレジは歩きながら何度か聞き返し、地図の余白へ必要なことだけ書き込んでいる。


 昨日までと変わらない様子だった。


 リヒターは少し離れたところからそれを見ていたが、自分からケルナーの話をするつもりはなかった。エレジには昨日何が起きたか必要な範囲で伝わっており、ケルナーが自分の腕を掴み、離すよう言われても離さなかったことも、その記録が残っていることも知っている。それ以前に何をしたのかまで、わざわざ聞かせる必要はないと思っていた。


   *


 午後の調査を終えて基地へ戻ると、ヨナスは記録機器の確認のため作業スペースへ向かい、カイルは現地側との打ち合わせに呼ばれた。マティアスも翌日の経路を確認しに出たため、共有スペースにはエレジとリヒターだけが残った。


 エレジは今日の記録をまとめながら、昼間ヨナスから聞いたことを思い返していた。


 リヒターは偶然ケルナーと二人になったのではない。前日から記録機器を用意し、自分から話しかけていたらしい。ヨナスも機器を貸した時点では、そこまで聞いていなかったという。


 すでに終わったことで、リヒターも怪我をしていない。ケルナーも自分たちの近くへ戻ってくることはない。だから責めたいわけではなかった。ただ、聞いたままにしておきたくはなく、エレジは記録を閉じた。


「昨日のこと、少し聞いてもいいですか」


「いいわよ」


「最初から、自分でケルナーのところへ行ったんですか」


「そうよ」


「記録を取るつもりで?」


「ええ」


「ファルク大尉は知ってたんですか」


「機器を貸してくれたけど、何をするか全部は話してなかったわ。途中から映像を見て、少佐たちに連絡してくれたの」


「そうだったんですね」


 聞いていた話と食い違うところはなかったので、エレジはもう一つ気になっていたことを聞いた。


「ケルナーが何するか分からなかったですよね」


「そうね」


「怖くなかったんですか」


「別に。何かされても対処できると思ってたから。実際、大丈夫だったでしょう?」


「はい」


 そこはエレジも否定しなかった。リヒターなら対処できると思っているし、自分よりずっと強いことも知っている。昨日も実際にケルナーを倒している。


 それでも、結果として何もなかったから気にしなくていいとは思えなかった。


「でも、もし怪我してたら嫌でした。私のことで、リヒター大尉が怪我するのは嫌です」


「怪我してないわよ」


「知ってます。もう終わったことなので、今はそれでいいです。でも、また昨日みたいなことをするなら、先に言ってほしいです」


「少佐と同じこと言うのね」


「少佐も言ったんですか」


「かなり言われたわ。説教された」


「説教されたのは知ってます」


 すぐに返されたので、リヒターは少し笑った。


「知ってるの?」


「はい。ファルク大尉から少し聞きました」


「何て?」


「少佐に言ったら止められると思ったから黙ってたって。それで、本当に怒られたって」


「余計なところまで話してるのね」


 エレジも少し笑った。

 カイルが怒った理由は分かるし、自分もリヒターに同じことをしてほしいとは思わない。昨日のやり方が危なかったことも分かっている。


 でも、それだけではなかった。

 リヒターは自分のために怒っていた。自分がもう話したくないと思っていた相手のところへ行き、何を考えていたのか確かめようとしてくれた。やり方が肯定できなくても、自分のためにそこまでしてくれたことまで嫌だったわけではない。

 むしろ、嬉しかった。


 ケルナーがリヒターの腕を掴み、そのあとリヒターに蹴り倒されたと聞いた時も、心配より先に、もう自分へ近づいてこないという安心があった。


 それを人に話したいとは思わなかった。正しいとか間違っているとか、そういう話にされるのも嫌だったし、自分でも堂々と言うような感情ではないと思っている。

 ただ、リヒターにだけ伝わればよかった。


「だから、これは内緒にしてください」


 リヒターが聞き返すより先に、エレジは立ち上がっていた。言葉で説明するより、その方が早い気がして、彼女のところまで行き、そのまま腕を回した。


 抱きついた瞬間、リヒターの身体がわずかに固まったことで、本当に予想していなかったのだと分かった。拒まれたとは思わなかったので、エレジもすぐには離れなかった。


 リヒターはしばらくそのまま動かなかった。

 エレジがさっきまで言っていたことも、今こうして抱きついていることも、どちらも本当なのだろうと分かった。

 危ないことをしてほしくなかった。

 それでも、自分のためにそこまでしたことは嬉しかった。

 口に出して人へ聞かせるつもりはなくても、その感情までなかったことにはしたくないのだろう。


「……そういうこと」


 リヒターが言うと、エレジは顔を上げなかった。


「内緒です」


「分かったわ」


 その返事をした時には、リヒターもエレジの背中へ腕を回していた。


 誰かを支えたり、押さえたり、怪我人を抱えて運んだことなら何度もある。必要があれば相手との距離をなくすことにも慣れている。

 けれど、自分がそうしたいと思って誰かを抱きしめたことはなかった。


 エレジが自分を大事に思っていることが嬉しかった。危ないことをしてほしくなかったと言われたことも、そのくせ自分のしたことを少し嬉しいと思ってくれていることも、どちらも愛しく感じた。


 リヒターが腕に少し力を入れると、エレジも離れなかった。背中へ回った腕の感触で、自分の言いたかったことが伝わったのだとエレジにも分かった。



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