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エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:任務

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説教


 基地側への一次確認が終わる頃には、ケルナーは医務での診察を受けたあと、そのまま別の区画へ移されていた。


 今回の記録だけでなく、課程にいた時の処置や聞き取り記録も改めて確認することになり、現地側の責任者は、当面ケルナーを通常の勤務から外すと説明した。最終的にどう扱われるかは、過去の記録と今回の映像を合わせて判断される。


 リヒターは、自分が聞いたことと、その後に起きたことを一通り話した。自分からケルナーへ声をかけたことも、途中で場所を変えたことも隠さなかった。


 記録には、ケルナーが課程中にエレジから「止めて」「離して」と言われたことを認めながら、それを大した時間ではなかったと説明するところまで残っている。その後の発言も、リヒターが内容を補う必要はなかった。


 現地側の担当者が記録を持って出ていくと、カイルはマティアスとエレジに先に戻るよう伝えた。ヨナスも機器を持って出ようとしたが、リヒターが借りた経緯を確認するため、一度だけ残ることになった。


「ファルク。機器を渡したのはいつだ」


「昨日です。リヒター大尉から、映像と音声を残せるものが欲しいって言われました」


「用途は聞いたか」


「ケルナー曹長との会話です。何かあった時に、言った言わないにならないようにしたいって」


「今日のことまで聞いてたか」


「いえ。話をするとは聞きましたけど、ああいう形になるとは聞いてません」


 カイルはそこでヨナスへの確認を終えた。


「分かった。機器は基地側へ渡す分を残して、原本は管理してくれ」


「はい」


 ヨナスが出ていくと、部屋にはカイルとリヒターだけが残った。カイルは机の上に置かれた報告書へ一度目を落としてから、まずリヒターの怪我を確認した。


「腕は」


「平気よ」


「見せろ」


 リヒターが袖を少し上げると、掴まれたところに赤みが残っていたが、腫れもなく動かしても痛みはほとんどなかった。


「問題ないわ」


「ケルナーは肋骨にひびが入ってる可能性があるそうだ」


「あら」


「加減したのか」


「したわよ」


 カイルはそこについては何も言わず、そのまま本題へ移った。


「お前、最初からこれをやるつもりだったな」


「ええ」


「昨日、ファルクから機器を借りた。今日、自分からケルナーへ声をかけた。途中で人の少ない場所へ移して、相手が自分に気があると思うように話した」


「そうね」


「俺に言わなかった理由は」


「止めるでしょう?」


「止める」


「だからです」


 その返答にも、カイルは声を荒らげなかった。


「ケルナーが何を言ったかは記録に残ってる。あいつが腕を掴んで、離せと言われても離さなかったこともだ。それは基地側が使う」


「なら、よかったじゃない」


「そこを聞いてるんじゃない」


 リヒターはカイルを見た。


「お前は、あいつがどう出るか分からない状態で、自分から二人きりに近い場所へ連れていった」


「完全に二人きりじゃないわ」


「声が届かない場所を選んだ」


「姿は見える場所よ」


「そういう話じゃない。記録を取るだけなら、最初の廊下でもできた」


「それじゃ、あそこまで話さなかったでしょうね」


「かもしれない」


「実際、場所を変えてから態度が変わったわ」


「見れば分かる。だからって、お前があいつの目の前に自分を置く必要はない」


 リヒターは少し眉を寄せた。


「私なら対処できるわ」


「それも見れば分かる。実際、あいつは床に転がった」


「なら何が問題なの?」


「お前が勝てるかどうかじゃない」


 カイルは机の上の記録機器を示した。


「機器を取ろうとしただけで済んだから、そう言える。刃物を持ってたらどうした。別の人間が入ってきたら。あいつが最初から殴りかかってきたら。全部、お前がその場で処理するつもりだったのか」


「そのつもりだったわ」


「だから問題だと言ってる」


 リヒターはすぐには返さなかった。


「私が行かなかったら、あの発言は取れてない」


「それは分かってる」


「課程の時も、本人は大したことじゃないと思ってた。昨日も何もしてないと言った。今日だって、最初は同じだったでしょう」


「ああ」


「本人の口から出させないと、ずっと同じよ」


「記録を取ったことを責めてるんじゃない。やり方の話をしてる」


 カイルの返答は変わらなかった。


「他のやり方なら、あそこまで出なかったわ」


「それでも、先に話せ」


「話したら止めたでしょう?」


「止める」


「じゃあ意味ないじゃない」


「一人でやらせない方法を考える」


「人数を増やしたら警戒するわよ」


「見えないところに置けばいい。基地側を通して別の形で話させることもできる。少なくとも、お前が全部自分でやる必要はない」


「時間がかかるわ」


「かかる」


「その間にまたヴァイス中尉へ近づくかもしれない」


「近づけないようにする話はもう通してある」


「昨日それで近づいたでしょう」


「だから今日、追加で動いてる」


 リヒターはそこで口を閉じた。カイルがケルナーを庇っているわけではないことは分かっている。昨日の時点でも、エレジを任務から外すのではなく、ケルナーの側を遠ざけるように動いていた。


 それでも、あの対応だけでは足りないと思ったから、自分は動いた。


「もう近づかせたくなかったの」


「俺も同じだ。ロートもファルクも同じだろう」


「だから?」


「だから、一人で決める理由にはならない」


 リヒターはそれには答えなかった。


「それと、ファルクを巻き込んだ」


「機器を借りただけよ」


「途中から映像を見て、基地側へ連絡した」


「それは本人が判断したことでしょう」


「お前が何をするか知らない状態で、記録だけ預けられてた」


 カイルに言われ、リヒターは昨日のヨナスとの会話を思い出した。何をするつもりかと聞かれて、話をするだけだと答えた。それ自体は嘘ではなかったが、その先に何を考えているかは伝えなかった。


「何か起きた時、ファルクはその場にいないのに判断することになる。止めるのか、基地へ連絡するのか、俺を呼ぶのか。お前はそれも説明せずに任せた」


「……そうね」


 初めて、リヒターの返事が少し遅れた。


「自分だけの話だと思ってたか」


「そこまでは考えてなかったわ」


「だろうな」


 責めるような言い方ではなかったが、その方がリヒターには引っかかった。


「明日、基地側から正式にもう一度聞き取りがある」


「分かってるわ」


「全部話せ。自分から誘ったことも、最初から記録を取るつもりだったことも」


「隠さないわよ」


「ならいい」


 それで終わるかと思ったが、カイルはもう一つだけ続けた。


「次に同じことを考えたら、先に言え」


「止めるくせに?」


「止めるかどうかは、内容を聞いてから決める」


「今日は聞く前から止めるって言ったじゃない」


「今日やったことなら止める」


 リヒターは少しだけ笑った。


「やっぱり同じじゃない」


「少なくとも、勝手にやられるよりはましだ」


 それ以上は続かなかった。


   *


 共有スペースへ戻ると、ヨナスは機器の確認を続けていた。エレジとマティアスは別の部屋にいるらしく、そこには二人しかいなかった。


 リヒターは少し迷ってから、ヨナスの向かいへ座った。


「さっきのことだけど」


「はい」


「巻き込んで悪かったわ」


 ヨナスは手を止めた。


「機器を貸したのは俺ですから」


「でも、全部は言わなかった」


「それはそうですね」


 否定されなかったので、リヒターは少し眉を上げた。


「そこは慰めないのね」


「大尉、自分でも分かってるでしょう」


「まあね」


「途中で見た時、何してるのか本当に分からなかったです」


「連絡してくれて助かったわ」


「次は先に言ってください」


「次がある前提なの?」


「ない方がいいですけど」


 ヨナスはそれ以上責めなかった。

 リヒターも、ケルナーへ近づいたこと自体を後悔しているわけではない。あの発言が残ったことも、基地側が過去の記録まで確認することになったことも、必要だったと思っている。


 ただ、自分が処理できると思っていた範囲には、ヨナスが途中で何を判断することになるかまでは入っていなかった。そこだけは、カイルに言われるまで考えていなかった。



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