記録
翌朝、五人は予定どおり北側の経路確認へ向かった。
前日に見た橋や林道よりさらに川に近い区域で、古い道がいくつか残っている。現在使われている道路より低い位置を通るものが多く、地図上ではつながっていても、一部は草に覆われていた。
「これが昨日言ってた道ですか」
エレジが尋ねると、ヨナスは現在の道路と古い道を見比べた。
「そうです。昔はこっちが主要路だったみたいですね。川が動いたのと、崩れやすい場所を避けて今の位置に移されたんだと思います」
「歩けます?」
「途中までは」
エレジはそれを聞くと、先の方まで見てみたそうに地図へ目を戻した。
昨日から気にしていた場所だったこともあり、実際に道へ入ってからは、前夜のことを考える時間はほとんどなかった。古い道は途中から現在の道路より川へ近づき、場所によっては路面が残っているものの、車両を通せる状態ではない。
「徒歩なら使えそうですね」
「増水してなければな」
カイルは川の位置を確認しながら、雨が続いた後は避けた方がよく、逃げ道として残すなら条件付きになると判断した。
「地図にはそこまで書けないですね」
「だから現地を見る」
エレジは前日にも似たことを聞いた気がして少し笑った。地図に線が残っているだけでは、その道を今も使えるとは限らない。実際に見れば、歩けるかどうかだけでなく、いつなら使えるのかまで分かる。
午前中はそのまま北側の経路を確認し、昼前には予定していた範囲をほぼ終えた。古い道は車両経路としては使えなかったが、徒歩で抜けるための補助経路にはなる。ただし、川に近い部分は天候の影響を受けやすく、常に使えるものとして扱うのは難しい。
エレジはその結果を記録へまとめながら、ヨナスへ川の流れが変わる理由を聞いていた。話は途中から地質のことへ移り、さらに昔の道路の作り方へ広がった。
「また増えてない?」
マティアスが聞くと、エレジは地図から顔を上げた。
「何がですか」
「質問」
「だって聞けば分かるので」
「ファルク大尉も全部答えるから」
「分かることなら答えますよ」
ヨナスが普通に返したので、マティアスはそれ以上何も言わなかった。
リヒターは三人の会話を聞きながら、エレジが昨日の夜と同じように振る舞っていることを確認していた。外へ出て仕事をしている間はケルナーの存在に行動を制限されず、自分から見たい場所を選び、分からないことを聞き、調査そのものを楽しんでいる。問題なのは、エレジが任務を続けられるかどうかではなかった。
昨日、女性用シャワーの前でケルナーが言った「何もしていない」という言葉を、リヒターは何度か思い返していた。
本人にとっては、相手が警戒していることや話したくないと言っていることより、自分が問題になる行為をしたかどうかが重要なのだろう。
課程から外された後も同じ考え方のままだとすれば、近づくことを禁じても別の形で同じことを繰り返す可能性はある。
ただ、今の段階ではそれも推測だった。本人がどう考えているのかは、本人に話させなければ分からない。
*
駐屯地へ戻った後、五人は確認した内容を整理した。
北側の古い道は徒歩経路としては残せるが、増水時には使わない。現在の主要道路との接続点も限られているため、撤収経路として使う場合には事前に条件を決めておく必要がある。
カイルがその日の記録をまとめている間、エレジとマティアスは翌日の確認箇所を見ていた。リヒターはヨナスが機材を片づけるのを待ってから声をかけた。
「ファルク大尉、少し頼みたいものがあるんだけど」
「何です?」
「小さい記録機器。映像と音声が残せるもの」
ヨナスは何に使うのかを考えたようで、すぐには承諾せずに大きさを確認した。
「持ってても目立たないくらい」
「ありますけど」
「借りられる?」
「用途によります」
それは当然の返答だったので、リヒターも用途まで隠すつもりはなかった。
「昨日のことよ。何かあった時に、言った言わないにならないようにしておきたいの」
「ケルナー曹長ですか」
「ええ」
事情を理解したヨナスは、記録だけならできると答えた。
「本体に残すだけじゃなくて、別のところにも残るようにした方がいいですか」
「できるなら」
「できますよ。何かあって壊れても、記録が残るようにはできます」
「それでお願い」
ヨナスは機材箱の中から使えそうなものを確認しながら、今度は別のことを尋ねた。
「少佐には言ってます?」
「まだ」
「言わないんですか」
「必要になったら見せるわ」
その答えには少し引っかかったらしく、ヨナスは何をするつもりなのかまで聞いた。
「話をするだけよ」
「誰と」
「聞かなくても分かるでしょう?」
「まあ、分かりますけど」
リヒターは嘘を言っているつもりはなかった。ケルナーと話し、その内容を残すだけなら、今のところ間違ってはいない。ただ、どう話すかまではヨナスに説明しなかった。
「危ないことはしないでくださいよ」
「何を危ないと思ってるの?」
「それが分からないから言ってるんです」
「大丈夫よ」
「その言い方、あんまり信用できないですね」
「失礼ね」
リヒターが少し笑って返すと、ヨナスはそれ以上追及しなかったが、完全に納得したわけでもないようだった。
少し離れたところでは、エレジが翌日の地図を見ながらマティアスと話している。
「こっちも行きます?」
「時間次第じゃない?」
「今日より北ですよね」
「そうなると思う」
エレジはケルナーのことを話題にしていなかった。施設内では一人で動かないという決まりを守っているが、それ以上に相手を探したり、どこにいるのかを気にしたりする様子もない。
リヒターには、その方がよかった。エレジがケルナーのために行動を変え続ける必要はなく、変えるべきなのは彼の方だった。
*
夕方、食堂へ向かう途中で、リヒターはケルナーを見かけた。
彼は別の兵士と話しており、女性用区画の近くにいるわけでもないため、現地側から出された指示は守っているらしかった。少し先ではエレジとマティアスが歩いており、エレジが何か話している間、ケルナーの注意が一度だけそちらへ向いた。
長く見続けたわけでも、呼び止めたわけでもない。それでもリヒターには、誰を見たのかは分かった。
ケルナーがこちらへ気づいた時、リヒターは視線を逸らさなかった。昨日エレジと一緒にいたことは覚えているらしく、彼の方から先に軽く頭を下げたので、リヒターも同じように返した。
それだけで終わり、表面上は何も問題がなく、命令にも従っている。だからこそ、本人が本当にどう考えているのかを確かめる必要があると、リヒターには思えた。
夕食では、カイルが翌日の確認予定を説明していた。
エレジは北側の地図を見ながら、今日見た古い道がさらに先まで続いているのかヨナスへ尋ねている。ヨナスは答えながらも、時々リヒターへ注意を向けていた。彼だけは、リヒターが記録機器を必要としていることを知っている。
食事を終えた後、ヨナスは自分の部屋から小さな機器を持ってきた。
「これでいいですか」
「十分」
「使い方は簡単です。こっちを入れれば記録が始まります」
リヒターは必要な説明だけを聞いて礼を言ったが、ヨナスは渡して終わりにはしなかった。
「一応言っときますけど、何かあったら、ちゃんと連絡してくださいよ」
彼がどこまで考えているのか少し気になったものの、リヒターは何もないのが一番だと返した。
「そうですけど」
ヨナスはまだ何か言いたそうだったが、結局それ以上は続けなかった。
リヒターも、何かを起こすために行くつもりはなかった。自分から話しかけても、ケルナーが普通に会話を終えればそれでいいし、距離を取るならその選択を邪魔するつもりもない。
ただ、自分ならエレジとは違う反応を引き出せる可能性があることも分かっていた。ケルナーが相手によって態度を変えるのか、過去のことをどう考えているのか、拒否された時に本当に引けるのかを確かめたかった。
*
翌日、調査から戻った後、リヒターは管理棟へ向かう廊下でケルナーを見つけた。
周囲には何人か兵士がいるが、少し離れれば会話までは聞こえない。完全に人目のない場所ではなく、彼女にはその程度で十分だった。
ケルナーもリヒターに気づき、昨日までと同じように表面上は何も問題のない様子でこちらを見た。
「ケルナー曹長」
「はい」
「少し、話せる?」
ケルナーは、リヒターから声をかけられるとは思っていなかったらしく、一度周囲を見た。
「俺とですか」
「他に誰がいるの?」
「いえ。大丈夫です」
管理棟へ続く廊下には何人か兵士が行き来していた。リヒターはそこから少し外れた場所へ移ったが、完全に人目のないところまで行くつもりはなかった。
近くを誰かが通れば姿は見えるものの、普通に話している程度なら内容までは聞こえない。
「何の話ですか」
「ヴァイス中尉のこと」
名前を出すと、ケルナーの表情がわずかに変わった。
「昨日の件なら、もう説明しましたけど」
「通りかかっただけ?」
「そうです」
「その前の話よ。課程にいた時のこと」
ケルナーはすぐには答えなかった。リヒターが何を知っているのか考えているようだったが、彼女の方から昨日カイルに聞いたことを並べるつもりはなかった。
「あなた、あの件で課程から外されたんでしょう?」
「まあ、そうですけど」
「納得してる?」
「今さらどうでもいいですよ」
「じゃあ、何があったと思ってるの?」
「大げさになっただけです。近接訓練だったんですよ。触れることくらいあるでしょう」
「ヴァイス中尉に、止めて、離してと言われたことは?」
「言われましたよ。でも動いてる途中だったし、すぐ離した方が危ない時もありますから」
「腕を掴んだのは?」
「出て行こうとしたから、少し待ってくれって意味です。そんな強くも掴んでない」
リヒターは、彼が何を否定し、何を否定しないのかを聞いていた。止めろと言われたことも、離せと言われたことも、腕を掴んだことも認めている。ただ、その一つずつを小さく言い換えることで、自分が問題のあることをしたとは認めていない。
「つまり、嫌だと言われても、自分が必要だと思えば続けるの?」
「そういう意味じゃないですよ。嫌ならもっと早く言えばいいって話です」
「途中から嫌になったら?」
「急に態度を変えられたら、こっちだって分からないでしょう」
「止めてって言われても?」
「だから、それは止めますよ」
「でも、その時は止めなかった」
ケルナーは少し苛立ったように息を吐いた。
「数秒ですよ。大した時間じゃないです。それを少佐が大げさにしたんです」
「ヴァイス中尉じゃなくて、少佐が?」
「あの人、最初から俺を疑ってましたからね」
自分が何をしたかより、カイルがどう受け取ったかの方を問題にしている。リヒターには、その考え方自体が昨日の言葉とつながって見えた。
「昨日も、ヴァイス中尉に話したくないって言われたでしょう」
「話しただけですよ。触ってもないし、道を塞いでもない」
「でも嫌だと言われた」
「だから離れました」
「私が言ったからでしょう?」
少し強く聞くと、ケルナーは眉を寄せた。
「中尉だけでも離れてましたよ」
「本当に?」
「俺を何だと思ってるんですか」
本人の中には明確な線があるらしい。殴らない、無理に連れていかない、あるいは相手が自分にも分かる形で拒絶すれば引く。そこまでしなければ自分は何もしていないという考え方に見えるが、その線を決めているのはいつもケルナー自身だった。
「課程から外されたことで、もう終わったと思ってる?」
「もう十分でしょう。課程も外されたんですから」
その言葉を聞いて、昨日から引っかかっていたことがつながった。ケルナーにとって課程から外されたことは、自分の行動を見直す理由ではなく、すでに受けた罰だった。だから、それ以上考える必要はないと思っている。
「ヴァイス中尉は、あなたに会いたくないと思うわよ」
「今はそうなんでしょうね」
「今は?」
「課程の時は、別にそんな感じじゃなかったですよ。普通でした」
「途中で変わったなら?」
「だから、急に変わられたら分からないって言ってるんです」
結局、戻る場所は同じだった。最初に許されたと思えば、その後の拒否は自分にとって納得できる形でなければ受け入れにくい。相手が何を選んだかより、自分がどこまで理解できたかの方を優先している。
記録としては、もう十分だった。それでも、ケルナーが自分とエレジをどう分けているのかまでは、まだ分からない。
「じゃあ、ヴァイス中尉じゃなくて、私なら?」
「何がです?」
「あなたが近づいても、私ならあんなふうに警戒しないかもしれないわよ」
ケルナーは、言葉の意味を確かめるようにリヒターを見た。
「それ、どういう意味ですか」
「そのままよ。さっきから聞いてたのも、あなたがどういう相手なのか気になったから」
「俺が?」
「ええ。人から聞いた話だけじゃ分からないでしょう」
責めるためだけに話しているのではないと伝われば十分だった。リヒターは少し声の大きさを落とした。
「それに、私には関係ない話とも言い切れないし」
「……どういうことです?」
「ここじゃ人が通るわ。少し場所を変えない?」
ケルナーにはまだ疑うような表情が残っていたが、断るほどではなかった。
リヒターが選んだのは、宿泊棟へ続く途中にある小さな休憩スペースだった。普段使う者は少ないが廊下とはつながっており、完全に閉じた場所ではない。壁際には椅子が並び、小さな机が一つ置かれている。
ケルナーが向かい側へ座ろうとしたので、リヒターはその隣を選んだ。脚を組むと、それをケルナーが見ているのを感じた。
「相手にするなら、私じゃ駄目?」
「どういう意味です」
「分かってるでしょう」
脚を組み直した時に膝が触れたが、リヒターは避けなかった。ケルナーはそこへ一度目を落としてから、彼女の顔を見る。
「俺を試してるんですか」
「どうして?」
「昨日まで、あんなに警戒してたでしょう」
「警戒してたのはヴァイス中尉のことでよ。私があなたを嫌いだとは言ってないわ」
ケルナーが目を見開いた。警戒よりも期待の方が勝ち始めているのが分かった。リヒターは相手の方を見ず、ただ打ち明けるように呟いた。
「私も、相手が欲しかったの」
「……じゃあ、本当に俺と話したかったんですか」
「そうじゃなきゃ、こんなところまで来ないでしょう」
リヒターは流し目をしてそっと笑って見せた。相手が自分の言葉をどう受け取るかは分かっていたし、そのためにここへ来た。ケルナーは明らかに喜んでいた。
「俺に興味あるんです?」
「どうかしら」
「はっきりしない人ですね」
「はぐらかした方が追いたくなるでしょ?」
ケルナーはそこで初めて笑った。
「あんたは美人ですけど、気の強い女は俺の好みじゃない」
「ヴァイス中尉も気は強いわよ」
名前を出すと、ケルナーの笑い方が少し変わった。
「あの子は違う」
「どう違うの?」
「口で言ってるだけだからですよ。嫌だとか、離せとか」
リヒターは表情を変えず、その先を待った。
「俺には分かりますよ、ああいうのは」
「何が?」
リヒターはあくまで、話のその先に興味があるように声を柔らかくした。ケルナーは口の端を上げて、まるで問題の正解を言うように言った。
「ああいう子は、押さえつけられると逆に従うんです。それが望みだから。最初は嫌がるんですよ。でも、結局は相手に任せたいんです」
そこまで聞いても否定しない方が、ケルナーは自分から話す。リヒターはそのまま続きを促した。
「どうして分かるの?」
「見れば分かりますよ。強そうにしてても、本当は支配されるのを身体で感じたがってる」
そこまで聞けば十分だった。リヒターは触れていた膝を離し、それまでケルナーに合わせていた態度を戻した。
「そう」
声の調子が変わったことに気づいたらしく、ケルナーが彼女を見る。
「何です?」
「もういいわ」
「……何がです?」
「聞きたかったことは聞けたから」
立ち上がって鞄を持つ。ケルナーは意味が分からないように彼女を見た。
「ちょっと待ってくださいよ」
「何?」
「さっきまでと話が違うでしょう」
「そう?」
「相手が欲しいって言ってたじゃないですか」
リヒターは振り返ったが、もう先ほどまでの柔らかい態度には戻らなかった。
「だから?」
「だからって……俺に興味があったんじゃないんですか」
「もうないわ」
それだけ答えて、リヒターは出口へ向かった。
「待てよ!」
背後から足音が近づき、次の瞬間には腕を掴まれていた。身体が引き戻される。
「離しなさい」
「騙したのか」
「離しなさい」
二度目は最初よりはっきり言った。それでも手は離れず、ケルナーは逃がさないように腕を強く掴んだままだった。
「私は離しなさいと言ったわよ」
リヒターはそれ以上待たず、掴まれた腕を鋭く引き抜いた。ケルナーが掴み直すより先に、強烈な蹴りが脇腹へ入った。身体が横へ折れ、椅子の脇から床へ崩れる。腹を押さえて口を開いたが、すぐには声が出なかった。
リヒターはすぐには近づかず、彼がもう動こうとしていないことを確かめた。腕には掴まれた跡が残っていたが、怪我というほどではない。
その時、通信機からヨナスの声が入った。
『リヒター大尉、聞こえますか』
途中から記録を確認していたとは思っていなかったので、リヒターは少し意外に感じながら応答した。
「聞こえてるわ」
『そのままでいてください。少佐たちが向かっています。基地側にも連絡を入れました』
「見てたの?」
『記録が動いてるのに気づいて、途中からです』
「どこから?」
『休憩スペースへ移った後です』
映像と音声を別の場所にも残せるよう頼んだのは自分だが、ヨナスが途中から確認していたことまでは知らなかった。
「そう。じゃあ、説明する手間が省けたわね」
『……そういう問題ですか』
「今はそういう問題よ」
床ではケルナーがようやく呼吸を戻し始めていた。
「……何するんだ」
「離しなさいと言ったわ」
廊下で物音を聞いた兵士が二人入ってきた。
「何がありました?」
「彼が私の腕を掴みました。離すよう二度言いましたが、離さなかったので制圧しました」
「違う。こいつが先に――」
「ええ。私から話しかけたわ」
そこを隠すつもりはなかった。
「私が会話を始めて、場所も移しました。話を終えてその場を離れようとしたところ、腕を掴まれました。離すよう二度伝えても離されませんでした」
「そんな証拠――」
「残ってるわよ」
それ以上は、駆けつけた兵士たちに任せた。
しばらくしてカイルたちが来た時には、ケルナーは基地側の人間に引き取られていた。リヒターも事情を説明するため、その場に残った。
カイルは彼女の腕に残った跡と、机の上に置かれた機器を見た。
「何をした」
「話しただけよ」
その返答に、ヨナスが少し離れたところから口を挟んだ。
「リヒター大尉、その答え、昨日も聞きました」
「嘘じゃないでしょう?」
「途中から全然『話しただけ』じゃないです」
カイルは二人のやり取りには入らず、まず基地側へ記録を渡すことを優先した。リヒターも自分から話しかけたこと、場所を変えたこと、意図的に記録していたことを隠すつもりはなかったが、それをカイルがどう受け取るかは分かっていた。
*
その日のうちに記録の複製が作られ、基地側へ提出する分とは別に保存された。
ヨナスは機器を回収しながら、まだ近くにいたリヒターを見た。
「大尉、何者なんですか」
「同じ班の衛生担当でしょう」
「それは知ってます」
「近接も担当に入ってるわよ」
「それも知ってます。ただ、あれは……」
ヨナスはそこで言葉を止めた。訓練でリヒターが強いことは見ている。それでも、相手に合わせて話していた時と、腕を掴まれた後では、表情も動きも違っていた。
「何よ。恐くなった?」
「前から少し恐かったです」
冗談を言っている顔ではなかったので、リヒターは少し笑った。
「そうだったの?」
「はい。いい人なのは分かってますけど」
「それ、褒めてる?」
「今は褒めてます」
ヨナスは機器をケースへ戻したあとも、まだ何か聞きたそうにしていた。
「俺には口止めしなくていいんですか?」
「何の?」
「あの映像。少佐たちに見せるかもしれませんよ」
記録を残すために頼んだ以上、ヨナスが見られることも、ほかの者へ渡せることも分かっていた。今さら、自分に都合のよいところだけ隠してもらうつもりはない。
「その時はその時だわ」
リヒターが鞄を持って入口へ向かうと、ヨナスはまだこちらを見ていた。
「あなたには色仕掛けも通じなさそうだしね」
リヒターは笑ってそのまま廊下へ出た。
ヨナスは閉まった扉を見てからケースへ手を戻した。追いかけて訂正する気にもなれず、持ち帰る機器を揃えた。




