欲求
エレジはしばらく顔を上げられなかった。さっきまでなら、カイルの呼吸が変わるたびに面白いと思っていた。
仰向けになったカイルを見て、本当に自分がそうさせていたのだと分かると、同じことをしていたはずなのに意味がまるで違って思えた。
「私、ずっと……」
「ずっと?」
「何でもないです」
「途中でやめるな」
「言えません」
カイルの声には少し笑いが混じっていた。それが分かると、エレジはようやく顔を上げた。
「少佐は恥ずかしくないんですか」
「何がだ」
「……今のことです」
それ以上は具体的に言えなかった。カイルは何を指しているか分かっているらしく、誤魔化すこともしなかった。
「お前ほどではない。俺は途中から分かってたからな」
エレジは思わず彼を見た。
「いつからですか」
「さてな」
「……教えてくれませんか」
「嫌だ」
「少佐」
もう一度聞こうとして、自分がさっき何をしていたのかをまた思い出した。
何も知らずに「ここは?」「気持ちいいですか?」と聞いていた時からだったのかもしれない。そう考えると、エレジは片手で顔を覆った。
「……もう嫌です」
「何がだ。マッサージしてただけだろう」
「途中から違いました」
「自覚はあるんだな」
「少佐が反応するから、気になって……だんだん面白くなってきて」
そこまで言って、これ以上説明する方が恥ずかしいことに気づいた。
「もう言いません」
カイルが笑った。エレジはしばらく顔を隠したままでいたが、からかわれているわけではないと分かると、少しずつ落ち着いてきた。
それでも、一つだけ確かめておきたいことがあった。
「……嫌じゃなかったですか」
今度は、笑われても仕方がないとは思わなかった。カイルが本当は嫌だったのに、自分が楽しんでいるから止めなかったのだとしたら、それは困る。
「嫌なら止めてる」
「本当に?」
「ああ」
迷いのない返事だった。エレジはようやく少し安心した。恥ずかしいことには変わりない。けれど、自分が触れることをカイルも受け入れていたのだと分かれば、全部を後悔する必要はなかった。
エレジは膝の上に置いていた手を見た。さっきまでカイルの身体を揉んでいた手だった。今はもう、何も知らなかった時のようには戻れない。それでも離したいとは思わなかった。
「……続けてもいいですか」
「ああ」
「今度はちゃんとマッサージします」
「できるのか?」
「……たぶん、大丈夫です」
そう答えて、エレジはカイルの太腿へ手を置いた。さっきと同じように揉んでみると、カイルが深く息を吐いた。
それだけで手が止まりそうになった。少し前なら、ちょうどいい強さだったのだと思えた。今は、それだけなのか分からない。
エレジは恐る恐るカイルを見た。目が合った。
「……見ないでください」
「お前が見たんだろう」
「そうですけど……今は恥ずかしいです」
そう言いながらも、手は離さなかった。太腿を揉み、少し位置を変えると、もう一度カイルの呼吸が変わる。そのたびに、どちらの意味なのか気になった。
気になるのに、聞くのも恥ずかしい。しばらく黙って続けていたが、結局エレジの方が耐えられなくなった。
「……私が触ると、そうなるんですか」
「ああ」
あまりにも普通に肯定されて、エレジはまた視線を逸らした。分かっていたはずなのに、本人から言われると胸の奥が落ち着かなくなる。
自分が触れているから、カイルがそう反応している。そのことを嬉しいと思っている自分まで、もう誤魔化せなかった。
エレジはもう一度手元へ視線を戻した。このまま揉み続けることはできる。けれど、自分が本当に知りたいのは力加減ではなくなっていた。
「……どうしてほしいですか」
言ってから、思っていたより直接的だったことに気づいた。カイルの表情から、さっきまであった笑いが少し消えた。
その変化を見て、エレジは自分が何となく聞いたのでは済まないことを言ったのだと理解した。
「……そんなに考えることですか」
「聞いたのはお前だろう」
「はい。だから……少佐がどうしたいのか、聞きたいです」
逃げたくなったのに、エレジは手を離さなかった。カイルはすぐには答えなかった。
何を言えばいいか困っているというより、自分がどこまで分かったうえで聞いているのか確かめているように見えた。
「どうしたい」
逆に聞かれ、エレジは少し困った。
「私は……少佐に答えてほしいです」
「ああ。だから考えてる」
「そんなに難しいですか」
「お前がどこまで分かって聞いてるのかも含めてな」
その言葉に、また頬が熱くなった。どこまで分かっているのか。少なくとも、さっきまでとは違う。自分が触れることでカイルの呼吸や身体の力が変わることも、それを確かめたくて触れ続けていた自分の気持ちも、もう分かっている。
「……分かって聞いてます」
言い切るには勇気が要った。カイルはそれを聞いても、急かすようなことはしなかった。エレジは耐えきれず、もう一度尋ねた。
「だから……どうしてほしいですか」
今度はさっきより小さな声になった。カイルはしばらくエレジを見てから、太腿へ置いていた彼女の手へ自分の手を重ねた。
「まず、こっちに来てほしい」
想像していた答えとは違って、エレジは瞬きをした。
「それだけですか」
「今はな」
「……もっと何か言われると思いました」
「何を期待してた」
「それは言いません」
答えられなくなって笑うと、それまで張りつめていた恥ずかしさが少し緩んだ。エレジは太腿から手を離し、カイルの隣へ身体を寄せた。
それでも、自分から「どうしてほしいですか」と尋ねたことは消えない。近づいた途端、さっきまで以上に彼のことを意識した。カイルは重ねていた手をエレジの腕へ移した。
「こっちですか?」
「ああ。もう少し」
促されるまま身体を寄せると、今度は腰へ腕が回った。引き寄せる力は強くない。エレジが動かなければ、そこで止まれるくらいだった。何を求められているのか分からずにカイルを見ると、彼は自分の上へ来るように促した。
「……上ですか」
「ああ」
意味を理解した途端、エレジはさっきとは別の恥ずかしさを覚えた。仰向けになったカイルの上へ身体を重ねれば、どれほど近くなるのかは分かる。しかも今は、カイルが自分にどう反応しているのかまで知っている。
「今ですか?」
「嫌ならしなくていい」
「嫌じゃないです」
そこだけはすぐに答えられた。
促されるまま身体を重ねると、想像していたよりずっと近かった。胸元から腹部までが触れ、少し力を抜くだけで、自分の重さまで相手へ預けることになる。最初はその距離に戸惑い、腕と膝へ力を残していたが、背中へ回った腕が急かすことなく支えているのを感じるうちに、少しずつ身体を沈めていった。
近づけば近づくほど、相手の呼吸がよく分かった。胸の下でゆっくり身体が上下し、息を吐くたびにわずかに触れ方が変わる。自分の呼吸も同じように伝わっているのだと思うと恥ずかしかったが、それ以上に、この近さから離れたくないという気持ちの方が強かった。
しばらくそのままでいるうちに、最初の緊張は少しずつ薄れていった。抱かれていることにも、自分の身体を預けていることにも慣れ始め、ただ近くにいるだけなら、このまま眠れてしまいそうだと思うほどだった。
姿勢を直そうとして、ほんの少し身体を動かしたときだった。
その時、これまでとは違う感覚が身体の内側をかすめた。何が起きたのか分からず、一度は動きを止めたものの、すぐに自分が身じろぎしたことで生まれたものだと気づいた。
偶然だったのかもしれないと思い、しばらくしてからもう一度だけ、同じように位置を変えてみると、今度ははっきり分かった。
呼吸が浅くなり、無意識に相手の服を掴む。恥ずかしさに身体を固くしたのに、さっき感じたものは消えずに残っていた。むしろ一度知ってしまったことで、もう一度確かめたいという気持ちの方が強くなっていく。
最初のうちは、本当に小さな動きだった。姿勢を直しているだけだと言い訳できる程度に身体を寄せて、また止まる。それでも同じ感覚が返ってくるたびに、偶然ではないことが分かっていった。
止めようと思った。けれど、姿勢を直すためではなく、その心地よさがもう一度欲しくなった。
それに気づくと急に恥ずかしくなったが、もう離れたいとは思わなかった。身体を重ねたまま相手へ顔を寄せ、知られていることを意識しながら、それでもまたわずかに動く。
近すぎるせいで、自分だけではないことも分かった。動くたびに自分を抱くカイルの腕の力が変わり、呼吸が深くなる。相手も同じ近さを意識している。それが伝わると、自分ばかりが求めているように感じていた恥ずかしさが少し薄れた。
そこから先は、一度ごとに立ち止まって考えることが難しくなっていった。
最初は確かめるためだった動きが、次第に自分の欲しい感覚へ身体を合わせるものへ変わっていく。どのくらい動けばいいのかを考えているわけではない。ただ、心地よい方へ近づこうとすると自然に身体が動き、そのたびに息が乱れた。
抱きしめる腕へ力が入り、顔を隠すように肩へ寄せる。それでも身体だけは止まらなかった。恥ずかしいという気持ちは残っているのに、それを理由に離れることはもうできなかった。
自分がこんなふうになるとは思っていなかった。少し前までは、触れるだけでも相手の反応を一つずつ確かめていたのに、今は自分の方が、その近さから得られるものに夢中になっている。
呼吸が速くなり、考える余裕が少しずつ失われていった。どこまで続けるのかも、いつ止まるのかも決めていない。ただ、あと少しだけと思うたびに次が欲しくなり、身体は同じ動きを繰り返した。
相手の腕にも次第に力が入り、自分の動きに応じて呼吸が変わる。その反応まで感じ取るたびに、胸の奥にあったものがさらに強くなった。
やがて、それまで少しずつ積み重なっていた感覚が急に大きくなった。
息を吸うことも忘れ、相手へ強くしがみつく。身体が自分のものではないように震え、何かを考えることもできなくなった。
その瞬間だけは、恥ずかしさも、自分が何をしているのかという意識も消えていた。
しばらくして身体から力が抜けると、ようやく乱れた呼吸だけが残った。すぐに離れることはできず、そのまま相手へ重さを預ける。何が起きたのかを理解するのは少し遅れてからだった。
理解した途端に恥ずかしさが戻ってきたが、それでも身体を離したいとは思わなかった。
むしろ、何も言わずに抱いていてくれる腕の中へ、もう少し深く身体を預けた。
しばらくそのままでいるうちに、呼吸はすっかり落ち着いた。カイルの胸元へ顔を寄せていることにも慣れ、エレジはようやく、さっきまでのことを思い出してもすぐ顔を隠したくなるほどではなくなった。
カイルも何も言わずに待っていた。背中へ回した腕はそのままだが、先ほどのように強く抱いているわけではない。そのことが、今はかえってありがたかった。
エレジは少し身体を起こし、ようやくカイルの顔を見た。
「すみません、私……」
「謝るな」
カイルは少し考えた後、エレジの身体を抱いていた手を頭へ移し、その髪を撫でた。
「後悔してないか」
「……してません」
そこは迷わず答えられた。自分があれほど夢中になったことを思い出すと、まだ恥ずかしい。それでも、やめればよかったとは少しも思わなかった。
「恥ずかしいだけです」
「そうか」
「……それだけですか」
「後悔してないなら、それでいい」
カイルは本当にそれ以上を求めていないらしかった。
エレジはその答えに安心しながら、もう一度彼の胸元へ身体を預けた。自分がどこまで近づきたいのか分からなくなっていた時も、カイルは決めなかった。
だからこそ、途中から自分が心地よさを求めて動いていたことも、最後まで離れなかったことも、自分で選んだのだと分かる。
もし途中でカイルから続けるよう求められていたら、自分が本当にしたくて続けているのか分からなくなっていたかもしれない。今は少なくとも、あの時の自分が何を選んだのかは分かっている。
そう考えているうちに、エレジはもう一つ気づいた。自分の呼吸は落ち着いてきているのに、カイルの身体にはまだ少し力が残っている。
背中へ回った腕は穏やかになっていたが、先ほどまでと同じ近さで触れているからこそ、完全に落ち着いているわけではないことが分かった。
エレジは少し身体を起こし、カイルの顔を見た。
「……我慢してますか」
聞いた途端、自分でもかなり直接的だったと思った。けれど、今さら何も知らないふりをすることもできなかった。
カイルは少しだけ黙った後、誤魔化さずに答えた。
「ああ」
エレジはさっきまでのことを思い返した。自分は途中から何度も好きなように動き、カイルの反応まで感じ取っていた。それなのに、彼の方は最後までエレジを急かさなかった。
「……私だけでしたもんね。自分のしたいようにしてたの」
「俺もしたいようにはしてた」
「でも、止まってくれてました」
「お前がどこまでしたいのか、まだ分からなかったからな」
最初はただ抱かれているだけで十分だった。少し動いたことで自分にも心地よさがあると知り、そこから先は一つずつ確かめるように近づいていた。途中で何をしたいか聞かれても、きっと自分でも答えられなかった。
「……少佐は、どうしたいですか」
前にも似たことを聞いた。それでも今は、あの時より意味が分かっている。カイルが自分に何を求めているのか、それを聞いた上で、自分がどうしたいか考えたかった。
「俺は、まだお前に触れていたい」
その言葉だけで、胸の奥がまた速くなった。
「それに、今は止めたくない」
エレジは思わず彼の顔を見た。そこまで聞けば、カイルもずっと我慢していただけではなく、自分と同じように続きを望んでいたことが分かる。
「……そうなんですね」
「ああ。ただ、お前が嫌なら止める」
エレジはまだ身体を離さないまま、カイルの胸元へ手を置いた。恥ずかしいからここで終わりたいのか、それとも、もう少し近くにいたいのか。
考えてみても、離れたいとは思わなかった。
「……私も、まだ離れたくないです」
「ああ」
「それに、少佐がしたいことも……してほしいです」
言葉にすると、また頬が熱くなった。それでも今度は目を逸らさなかった。
カイルの表情が少し変わった。
「いいんだな」
「はい」
エレジは少しだけ息を吸った。
「してほしいです」
そこまで聞いて、カイルはようやくエレジの頬へ手を添えた。触れ方は慎重だったが、今までのように待っているだけではなかった。
エレジはその違いが嬉しかった。
カイルの方から距離を詰め、彼女を抱き寄せる。エレジも肩へ腕を回した。さっきまで自分ばかりが求めているように感じていたのに、今は抱く腕の強さからも、近づいてくる身体からも、彼がそうしたくて触れていることが分かる。
「今は、我慢してないですか」
「してない」
すぐに返ってきた言葉に、エレジは少し笑った。
「よかったです」
「お前が聞いたんだろう」
「そうですけど……本当に言ってくれると思ってなかったので」
エレジはそう答えて、自分からもう一度近づいた。
それからは、どちらか一方だけが次を決めることはなかった。カイルが近づけばエレジも応じ、エレジが少し止まればカイルも待った。
*
時計を見ると、思っていたより時間が過ぎていた。ベッドの上にはまだ二人ともいて、外へ出る予定も午後にしなければならないこともない。休養日なのだから、急いで起きる理由もなかった。
エレジはしばらくカイルの腕の中にいたが、頭がはっきりしてくるにつれて、先ほどまでのことも少しずつ思い出した。自分から何度も身体を動かしたこと。途中から心地よさを求めていたこと。そして、それをカイルに全部知られていたこと。
そこまで思い出すと、また顔が熱くなった。
「……少佐」
「何だ」
「私、さっき……」
言いながら、また少し恥ずかしくなった。
「自分では止められなくて」
「ああ」
カイルが迷いなく答えたので、エレジはやはり聞かなければよかったと思った。
「覚えてるんですね」
「忘れる理由がない」
「私はちょっと忘れてほしいです」
「さっきもそう言ってただろう」
「今は、そこだけ特にです」
あの時は、自分がどう動いているのかを考える余裕すらなかった。普段なら、こんなふうに自分から何かを求めること自体、ここまで素直にはできない。それなのに、途中からは止めるより続けたい気持ちの方が強くなっていた。
「自分があんなふうになると思ってなかったです」
「ああ」
「……嫌じゃなかったですか」
「嫌なわけない」
すぐに否定され、エレジは少し安心した。それでも恥ずかしさは残っていて、どう受け止めればいいのか少し考えた。
「少佐は……嬉しかったですか」
「ああ」
あまりに簡単に答えられ、エレジは少し笑った。
「……よかったです」
それだけ聞ければ十分だった。
エレジはそのまましばらく横になっていたが、ふと本来の目的を思い出した。
「……そういえば」
「何だ」
「マッサージ、途中だったんですけど」
「まだやる気なのか」
返しが早かったので、エレジは自分でも続きを想像してみた。肩から始めて、背中、腰、太腿まで揉んだ。その後のことまで思い出し、続けるのはさすがに無理だと思った。
「……今日はもう無理です」
「だろうな」
「でも、肩は楽になりました?」
「ああ。かなり」
その返答だけで、最初にしようとしていたことが無駄にはなっていなかったと分かり、エレジは少し満足した。
「じゃあ、一応成功ですね」
「途中から目的が変わってただろ」
「……そこは忘れてください」
言い返すより先に、自分でも無理だと思った。エレジはカイルの肩へ顔を寄せ、そのまま少し笑った。
最初はただ、疲れているなら揉んであげたいと思っただけだった。それが途中から、カイルに触れることそのものが楽しくなった。自分の手に反応してくれることが嬉しくなり、もっと知りたいと思った。そして、自分からもっと近づきたいと思っていることにも気づいた。
以前、触れられた時に怖くならないか、身体が固まらないかを確かめていたのを思い出した。
今日は途中で何度も恥ずかしくなりながら、それでも自分からカイルへ近づき、最後まで離れたいとは思わなかった。
それを知られたことはまだ恥ずかしかったが、知られた相手がカイルだったことは嫌ではなかった。むしろ、全部分かった後でもこうして抱いていてくれることに安心している。
「もう少し、このままでいていいですか」
「ああ」
カイルの腕が背中へ回った。エレジも今度は何も迷わず、彼の胸元へ身体を預けた。
外へ出る予定も、午後にしなければならないこともない。今日は休養日だった。マッサージは途中で終わってしまったが、それをやり直す必要もなかった。
エレジは目を閉じ、しばらくそのままカイルの腕の中で休むことにした。




