甘い休養日
リヒターが共有スペースへ入ると、マティアスはソファに座っていた。朝食の時にはまだ眠そうだったが、今は窓の外を見ながら、背もたれへ身体を預けている。
「また寝るの?」
「今のところ、そのつもりはないです」
リヒターが隣へ腰を下ろすと、彼は二人の間にあったクッションを端へ寄せた。自分も部屋で何かを始めるつもりはなく、ここでしばらく座っていたかった。
腕の状態を尋ねると、マティアスは服が擦れなければ気にならなくなってきたと答えた。あとで貼り替えることにして、リヒターも窓へ目を向ける。
施設の外では日当たりのよい地面に草が伸び始めていた。林の陰にはまだ雪が残っているが、窓から入る日差しは、前回の出発前より暖かく感じられた。
マティアスは会話が止まっても何か言おうとはせず、リヒターも本を取りに立たなかった。廊下を誰かが通る音がした時にはそちらを見たが、共有スペースへ入ってくる人はいない。二人とも身体を預けたまま過ごし、しばらくして彼が壁の時計へ目を向けた。
「もう昼か」
「そうね。何か作りましょうか」
リヒターが立つと、マティアスもソファから身体を起こした。
「俺、やってもいいですか?」
思わずリヒターは振り返った。マティアスは頭を掻いている。
「前に切るの任せてくれたでしょ。切るところ以外も、少しはできますよ」
リヒターは少しの間その場でマティアスを見ていたが、そのまま台所の方を見て足を進めた。
「じゃあ、何が残ってるか見てから決めましょう」
食材を確かめると、じゃがいもと玉ねぎ、卵が残っていた。五人分の量を確かめ、薄く切ったじゃがいもを焼いて卵と合わせることにすると、マティアスは自分も作ったことがあると答えた。
リヒターが焼くところまで頼むと、彼はフライパンを出す前にこちらを見た。
「俺が焼いていいんですか」
「ええ。私もここにいるでしょう」
マティアスは頷き、じゃがいもを洗い始めた。リヒターは玉ねぎを切り、卵へ入れる分を彼のそばへ置いた。残りはスープに使うことにして鍋を出すと、隣ではもう切ったじゃがいもがまな板に並び始めていた。
*
エレジは本を閉じ、机の時計を見た。朝食の後に部屋へ戻ってから思っていたより時間が過ぎている。続きを読めたことは嬉しかったが、そろそろ昼食を用意する頃だった。
栞を挟んで共有スペースへ降りると、台所から何かを焼く音が聞こえた。マティアスがフライパンの前に立ち、リヒターは隣で鍋を見ている。
「もう作ってたんですね」
エレジが笑って声をかけると、マティアスは手元を確かめてから振り返った。
「今日は俺も作ってます。じゃがいもと卵です」
「手伝いますか」
「今日は大丈夫、二人で足りてるわ。できたら呼ぶから待ってて」
リヒターの返事を聞き、エレジは少し離れたところから二人を見た。マティアスがじゃがいもを裏返すと、彼女が焼け具合を確かめる。火を少し弱めるよう言われ、彼はフライパンを戻してから卵の器を取った。
自分が降りてくる前に二人で作り始めていた。そのまま隣で続きを進めている様子も嬉しく、エレジはもう一度見てから台所を離れた。
窓際の机にはヨナスがいた。エレジがそばへ寄ると、開いている本に時計の内部が描かれていた。
「時計の本ですか」
「はい。古いものですが、動く仕組みを見ていました」
ヨナスが隣の椅子を空けたのでエレジも座って図を見た。部品がいくつも重なっており、初めはどこから見ればよいか分からなかった。尋ねると彼は図を指しながら、繋がって動くところを順に説明してくれる。
「こんなに小さいところで全部動いてるんですね」
「そこがいいんです。よく収めたなと思います」
その言い方にエレジは笑った。ヨナスも口元を緩め、実際の部品が見える写真のページを開いた。
*
カイルが共有スペースへ降りると、エレジはヨナスと並んで本を見ていた。彼の説明を聞き顔を上げて笑っている。
以前ファルクが彼女をかわいい人だと思っていると答えたことを思い出し、カイルは眉を顰めた。そばへ行くとエレジがこちらに気づいた。
「何か見てるのか」
「時計の中です。こんなに部品があるんですね」
「ヴァイス中尉に聞かれると、まだ見せたくなりますね」
カイルが彼を見るとヨナスは少し口元を緩めていた。エレジは次の写真を見ており、カイルが隣へ座ると嬉しそうに本をこちらにも見える位置へ直した。
少しして台所からマティアスが声をかけ、ヨナスも本を閉じた。三人は席を立ち食卓へ移った。
*
皿にはじゃがいもと玉ねぎを合わせて焼いた卵が取り分けられていた。表面には焼き色がつき、切ったところからは中のじゃがいもが見える。隣にはリヒターが作ったスープがあり、パンも温めてあった。
エレジが一口食べると、じゃがいもには火が通っており玉ねぎの甘さもあった。外側は少し香ばしく中は柔らかい。
マティアスはヨナスに味を聞いた。彼が火は通っていると言ったので、おいしいと思ったのかを確かめると、今度はおいしいと返ってきた。最初からそう言ってほしかったとマティアスが言い、エレジもそのやり取りに笑った。
リヒターも自分の分を食べながら二人を見た。塩を足さずに仕上げてよかったとマティアスへ伝えると、彼は安心したように自分の皿へ戻った。
*
片付けの後、エレジは自室の本を取りに行こうと廊下へ出ると、二階から降りてきたカイルと会い、足を止めて彼を見た。
「この後、何かするか」
「本の続きを読もうと思ってました」
エレジはカイルがまだ何か言おうとしているのに気づき、そのまま彼を見て待っていた。
「俺の部屋に来るか」
エレジは彼の顔を見た。昨日も誘ってもらったが、今日は昼で、まだ一緒に過ごせる時間が長い。彼から声をかけてくれたことが嬉しく口元が緩んだ。
「はい。本を取ってから行きます」
「ああ、待ってる」
自室へ入ると、エレジは机から読みかけの本を取った。栞は今朝読んだところへ移っている。続きを開くつもりではあったが、彼に誘われた後は、二人でどう過ごすかの方が気になっていた。
昨日は自分から近くへ行きたいと伝えた。今日は彼がどうするのかを少し待ってみたかった。
*
カイルが扉を開けるとエレジは本を持ったまま中へ入った。彼が後から扉を閉める間に机のそばへ進み、本を置いた。
鍵を閉めて振り返ると、彼女はそれを見て微笑んだ。椅子を引くつもりはないらしく、そのまま待っているのでカイルもそばへ行った。
「読まないのか」
エレジは本へ一度目を向けたが、すぐに彼へ向き直った。近づいても離れず、こちらを見る顔には笑みが残っている。
「どうした?」
問いかけてもエレジは何も言わずじっと目を見てくる。カイルはそこで、彼女が自分のすることを待っていると気づいた。
以前、こちらから求めてほしいと言っていたことを思い出す。それでも何も言わずに待たれると、自分がしたいことをそのまましてよいのか少し迷った。
しかし、今日は自分が一緒にいたくて呼んでいる。カイルはエレジの腰へ手を添え、背中へ腕を回した。彼女もその力に合わせて一歩近づいた。顔を上げて微笑むのを見て、肩へ響かない位置でしっかりと抱き寄せた。
「これを待ってたのか」
エレジは口元を緩めた。カイルが頬へ手を添えると、その手に少し顔を預ける。彼はその近さを受け取り唇を重ねた。
エレジも目を閉じて応じた。唇を離すと顔を上げたが、いつもなら上着を少し引いてくるところで、今日は手を添えたまま彼を見ている。
カイルはもう一度キスをした。彼女も応じ、離れた後には頬を少し赤くしていた。それでも目が合うと笑うので彼も抱いている腕を緩めたくなくなった。
「そんな顔で見られると、離せなくなる」
エレジは何も言わず、彼の腕の中に残っていた。カイルが少し身体を離しても、自分から追ってはこない。今日は近づくのを待つつもりなのだと分かると、腰へ回した腕で再び引き寄せた。
耳のそばへ顔を寄せるとエレジの指が上着に掛かった。唇が触れた時にはわずかに身体が動いたが、その後も手を離さずにいる。
カイルが顔を上げると、彼女は少し恥ずかしそうに目を伏せた。それでも離れようとはせず、もう一度こちらを見て笑う。彼は背中を支えたまま耳の下へキスをし、彼女が首を少し傾けるとその動きに合わせて首筋へ唇を移した。
エレジは無理に姿勢を保たず、抱かれている方へ身体を預けていた。自分から続きを頼まなくても彼が近づいてくれる。そのことが嬉しく、顔を離したカイルを見る時にも笑みが残った。
彼もその顔を見て彼女からキスを返してほしくなった。抱かれたまま嬉しそうにしてくれるだけでもよかったが、自分へ近づいてくるところも見たかった。
「お前からキスしてくれ」
エレジは一度唇を結び、彼の顔を見てから近づいた。短く唇を重ねて離れるとカイルは腰へ回した腕を緩めずに彼女を見た。
「まだだ」
彼女は少し笑い、もう一度顔を寄せた。今度はカイルが応じてもすぐには離れず、少し長く唇を重ねた。
カイルはそのキスを受け、腰へ置いた手を持ち直した。彼女から近づいてくれたことが嬉しく、離れた後もそばに残しておきたかった。
エレジはまた彼を見ていた。頼まれたキスを返した後は、次に彼が何をしてくれるか待っている。カイルもそれが分かり、腰をもう一度強く抱き寄せながら少し笑った。
「今日はずっとそうしてるつもりか」
エレジは答えず、顔を上げたまま微笑んでいた。腰を抱いている腕へ身体を預けているので、カイルもそれ以上は返事を求めなかった。
部屋へ呼んだ時にはこうして過ごすところまで決めていたわけではない。それでも、触れるたびに嬉しそうにしてくれるので、今はそのまま抱いていたかった。
「俺は、もう少しこうしていたい」
エレジが頷くと、カイルは胸元へ抱き寄せた。彼女の頬が胸へ落ち着くよう支え、楽に寄りかかれる位置へ腕を直す。エレジはその力に身体を預け、髪へキスをされると目を閉じて微笑んだ。
しばらくはそのまま抱きしめていた。窓から入る光が机の本を照らしている。
少ししてカイルが腕を緩めると、エレジは顔を上げた。彼は立ったまま抱いているより座ってゆっくりそばにいたくなり、彼女の手を取った。
カイルがベッドへ向かうと、エレジも引かれる手に合わせてついてきた。端へ並んで座り、彼は再び腰へ腕を回して抱き寄せた。彼女がその力に身体を預け、近くで見上げてくるとカイルはもう一度唇を重ねた。
*
エレジが共有スペースへ降りると、リヒターは机に置いた鞄を閉じていた。窓から入る光は昼より傾き、ソファには誰も座っていない。
後から来たカイルも室内を見て、ほかの二人はどこかと尋ねた。
「訓練室よ。帰ったら教えてもらうって、ロート少尉が言ってたでしょう」
「ああ。今日やることにしたのか」
「少し前に行ったわ」
エレジは廊下の方へ目を向けた。出発する前にも、マティアスはヨナスへ聞きたいところを何度か確かめていた。帰還した昨日は機材を下ろして休んだため、今日になって二人で動く時間が取れたらしかった。
リヒターが鞄を持つとエレジも彼女へ向き直った。
「今から行ける? 連絡してあるけど」
前に医務で相談したことについて、もう一度話を聞き、薬も受け取りたいと伝えてあった。エレジが上着を取りに戻ると言うと、リヒターは玄関で待つと答えた。
「医務か」
「はい。前に相談したことの続きです」
彼はそれ以上ここでは尋ねず、リヒターに帰着の予定を確かめた。夕食の前には戻るという返事を聞くと自分も訓練室へ行くと伝えた。
エレジは部屋へ戻り、上着を着てから鞄を取った。机へ目を向けると本はカイルの部屋へ残したままだったことを思い出した。帰ってから取りに行くことにして玄関へ向かった。
*
カイルが訓練室へ入ると、マティアスとヨナスはマットの上にいた。マティアスが腕を取ったところから動き、ヨナスはその力に合わせて身体の向きを変えている。
前に機材を持って確かめた時とは違い、今日はほかのものに触れる心配はない。それでもマティアスが手を離すより先に、ヨナスはつかまれた位置から抜けていた。
「今、俺が引きました?」
「はい。そっちへ動いてほしいのが分かりました」
「分かってても、動いてくれていいでしょう」
「練習の最初は動いたでしょう」
マティアスはカイルに気づくとまだ納得できていないらしく、そのままこちらを見た。
「少佐にも言われたところです」
「力が入る方か」
「はい。変えたつもりだったんですけど」
ヨナスも最初よりは変わっていたと付け加えた。ただ相手が思った方へ動かなかった時には、前と同じように引こうとしていたという。
カイルがマットへ入るとマティアスは自分がどこで力を入れたか確かめたいと伝えた。彼が腕を取るのを待ち、ヨナスが先ほどと違う側から見られる位置へ移る。
何度か相手を替えながら動くと、マティアスにも自分が相手を引き始めるところが分かってきた。ただ、そこで力を抜けば続けられるわけではない。次にどう動くか考える間に止められ、離れてからもう一度尋ねることになった。
ヨナスも自分が試したい動きがあり、カイルと向き合った。相手を替えると同じ位置から始めても続きは変わり、マティアスは二人が終えるところまで見ていた。
「やっぱり少佐たちだと長いですね」
「途中で終わるところもありましたよ」
「俺だとそこで終わってます」
ヨナスが笑いながら水を取ると、マティアスもマットの端へ腰を下ろした。カイルは上着を脱いで置き、二人のそばへ座った。
*
マティアスは水を飲み、昼食の時にヨナスが窓際へ置いていた本を思い出した。
「大尉、昼も結構話してましたね」
「時計の話ですか」
「はい。中尉に説明するとき楽しそうでした」
「楽しかったですよ。聞いてくれるので」
ヨナスはそう答えて容器の蓋を閉めた。カイルも聞いていることは分かっているが、言い直すつもりはないらしかった。
「俺が聞いた時より長くなるんじゃないですか」
「ロートは途中で分かったことにするでしょう」
「全部じゃないですよ」
「全部とは言ってません」
マティアスは反論するところを考えてから少し笑った。
「まあ、中尉は分からなかったら聞きますね」
「そうですね。こっちもどこから話せばいいか分かるので」
カイルは昼間、エレジがヨナスと本を見ていたところを思い出した。分かった時の顔もその後に自分へ本を見せたところも覚えている。彼女が興味を持って話を聞ける相手がいることはよいと思っていた。
ヨナスがこちらへ目を向けた。
「少佐は、気になります?」
カイルは水を置いた。マティアスもそばで聞いているため短く済ませようかと思ったが、気にしていないと言うつもりもなかった。
「気にはなる」
「時計の話でも?」
「話の内容じゃない」
マティアスは二人を見比べた。ヨナスはカイルの返事を聞いても困った様子はない。
「前に、かわいい人だと言ってたな」
「はい」
「今もそう思ってるのか」
「思ってますよ」
ヨナスは迷わず答えた。カイルがその先まで聞くか考えているとマティアスが先に口を開いた。
「大尉、少佐の前でも普通に言いますね」
「聞かれましたから」
「聞かれたら、何でも答えるんですか」
「答えるかは選びます」
「じゃあ、リヒター大尉のことはどう思ってるんですか」
ヨナスは少し考えてから、二人を見た。
「俺が言ったら、二人も言ってください。俺は少し恐いです。いい人なのはもちろん分かってますけど」
「恐いんですか」
「美人なのと言うことがはっきりしてるので、迫力があるんです。曖昧に返したら、そのままにはしてくれなさそうでしょう」
「俺は話しやすいですけどね。何を頼みたいかも、ちゃんと言ってくれますし」
マティアスが答えるとヨナスはカイルにも顔を向けた。
「少佐は?」
「頼りになる。聞けば自分の考えを返してくるからな」
「二人とも恐くはないんですね」
「中尉も結構はっきり言うでしょう?」
「ヴァイス中尉は、もう少し隙があるというか」
「おい、隙って何だ」
カイルが見るとヨナスは少し笑った。
「分かった時とか嬉しい時に、すぐ顔に出るところです。リヒター大尉より分かりやすいでしょう」
カイルも昼間のエレジの顔を思い出した。それが何を指しているかは分かったが、ファルクがそこを好ましく見ていることはやはり少し気になった。
「ヴァイスは、お前と話すのは楽しいそうだ」
「それは嬉しいですね」
「だから話すなと言うつもりはない」
「分かりました」
ヨナスは頷きそれ以上こちらの返事を求めなかった。マティアスも少し水を飲んでからカイルへ顔を向けた。
「少佐も昼の後は一緒にいたでしょう」
「ああ」
「どっちから誘ったんですか」
「俺からだ」
そこまで答えると、マティアスは納得したように笑った。何をしていたかまで聞こうとはせず、空いた容器を手元へ戻した。
*
ヨナスはマティアスへ顔を向けた。
「ロートも、昼はリヒター大尉と一緒でしたね」
「料理してました」
「それは見ました。どうでした?」
「どうって、ちゃんとできたでしょう。大尉も食べてくれましたし」
マティアスは答えてからフライパンを出す前にリヒターへ確認したことを思い出した。切るところだけではなく、焼くところまで任されるとは思っていなかった。
「前は切った後は大尉たちに渡してたんです。今日は焼いていいって言われたので少し驚きました」
「嬉しかったんですか」
「嬉しかったですよ」
そう返すとヨナスは少し口元を緩めた。マティアスには何を面白がられているか分からないわけではなかった。
「それくらい嬉しくなるでしょう」
「なりますね」
「大尉が一緒に食べるものですから。任せてもらったらちゃんと作りたいです」
カイルも昼食を思い出した。マティアスはリヒターから味について返事をもらうと、安心したように自分の皿へ戻っていた。
「また作るのか」
「作りたいです。一緒にやってもらえるなら」
「料理を覚えたいんですか。それとも大尉と作りたいんですか」
ヨナスに聞かれマティアスはすぐには返さなかった。覚えておけば自分にも役に立つが、次もリヒターがそばにいるつもりで考えていたことは確かだった。
「両方じゃ駄目ですか」
「駄目とは言ってません」
「大尉も、さっきから聞き方が細かいんですよ」
「ロートに聞かれたので俺も聞いてます」
マティアスは笑ってからカイルへ目を向けた。
「少佐は誘う時にそういうの言います?」
「どういうのだ」
「一緒にいたいからって。何かする用があるわけじゃなくても」
カイルは、自分の部屋へ誘った時のエレジの顔を思い出した。彼女が嬉しそうに返事をしてくれたことは分かっている。それでも一緒にいたいという気持ちを、いつも初めから伝えられているわけではなかった。
「言う時もある」
「いつもではないんですね」
「ああ。来てから言うこともある」
ヨナスが横から尋ねた。
「それでも、ヴァイス中尉には伝わってるんですか」
「伝わってない時には聞かれる」
「何て?」
「一緒にいてもいいか、とか」
マティアスはその返事を聞き少し笑った。カイルも自分が誘ったのに彼女がそう尋ねたことを思い出すと、先に言えばよかったと思うところはあった。
「誘ったなら居てほしいでしょう」
「ああ」
「中尉はそこも聞くんですね」
「俺が、本を読むかとしか言ってなかったからな」
ヨナスも本を持っているエレジを思い浮かべたらしく頷いた。マティアスは次にリヒターと料理をする時、何を作るかだけでなく、また一緒にやりたいことも伝えようと思った。
ヨナスが水を脇へ置きマットへ戻った。
「もう一回やりますか」
「お願いします。今度は大尉がさっき止めたところから」
マティアスが立つとカイルも続いた。二人が始める位置を確かめ、今度は少し離れたところから見ることにした。
*
エレジとリヒターが戻った時には共有スペースはまだ空いていた。訓練室の方から声が聞こえマティアスが何かを尋ねている。
医務では、エレジは前に説明を受けたことについて残っていた疑問を確かめた。その上で自分が使うことを決め、処方された薬を受け取ってきた。
鞄を置いてから訓練室へ行くと、三人はマットの端で話していた。カイルの額にも汗がありヨナスは呼吸を整えながら水を飲んでいる。
「三人でやってたんですね」
エレジが声をかけるとマティアスがこちらを見た。
「帰ったらって約束してましたから」
「教えてもらえました?」
「はい。できるかはまた別ですけど」
ヨナスは前よりよくなったところもあると付け足した。マティアスはそれを終わってから言ってほしかったと返し、リヒターもそばで笑った。
彼女が腕の処置は剥がれていないか尋ねると、マティアスは自分で見てから腕を出した。貼り替えたところは収まっているが、今日はここまでにすることになった。
カイルはエレジのそばへ来た。
「どうだった」
「気になっていたことは聞けました。薬も受け取りました」
「後で話せるか」
「はい」
今はほかの三人も片づけている。カイルもここで細かく聞かず彼女と廊下へ出た。
「本、部屋に置いたままなんです。後で取りに行ってもいいですか」
「ああ。話もその時に聞く」
エレジは頷いた。昼に置いた本を取りに行くだけではなく、今日自分で決めたことも彼へ伝えたかった。
共有スペースへ戻るとマティアスが台所へ向かった。夕食に使えるものを確かめ始めたところへリヒターも来て、エレジは器を出した。
夕食の支度が始まると、マティアスはリヒターが出した鍋を見て、昼と同じものを作るのかと尋ねた。残っている食材はほとんど変わらないが、彼女はじゃがいもをスープへ入れ、卵は別に焼くつもりだと答えた。
「じゃあ、卵の方は俺がやりますか」
「お願いしていい? 昼とは少し違うけど」
「教えてもらえれば」
リヒターが器を渡すと、マティアスは五人分の卵を割り始めた。昼に使ったフライパンも出してあり、焼くところまで自分がするつもりで立っている。彼女が隣で野菜を切り始めると、訓練室で話したことを思い出し、器の中へ殻が落ちていないか確かめてから顔を向けた。
「大尉、また一緒に作ってもらえますか」
「今も作ってるでしょう」
「今日だけじゃなくてです。ほかのものも覚えたいので」
リヒターは包丁を止めずに聞いていたが、彼が卵を混ぜながらこちらの返事を待っていることには気づいていた。自分で作れるものを増やしたいだけなら、いつでも教えられる。それでも、今の頼み方には次も隣にいてほしいという気持ちがあるようだった。
「いいわよ。何か作りたいものはある?」
「大尉がよく作るやつですかね。煮込みとか」
「それなら、買い物の時に材料を選びましょう」
「はい。お願いします」
マティアスが嬉しそうに器へ目を戻したので、リヒターも次に何を用意するか考えながら野菜を切った。彼がどこまでできるかはまだ分からないが、今日と同じように一緒に作れば任せられるところも見えてくる。
エレジは食卓へ器を並べながら二人の話を聞いていた。自分が料理を手伝い始めた時にも、リヒターはできるところから渡してくれた。マティアスも次に作るものを楽しみにしているらしく、火をつける前に何を入れるか尋ねる声が続いていた。
五人が席に着くと、マティアスは自分が焼いた卵を食べてから昼のものより柔らかいと言った。
「火を止めるの早いかと思いました」
「皿へ移すまでにも火が入るからね」
「俺だともう少し待ってました」
「次も作れば分かってくるわ」
その返事にマティアスが頷くと、ヨナスも自分の皿を見ながら、今度はこちらの方が好きだと答えた。
「今日はちゃんと味の話なんですね」
「昼も答えたでしょう」
「聞き直してからでしたよ」
エレジも笑いながら食事を続けた。次の交代に出るために急いで食べる必要はなく、食卓にはまだ温かいスープが残っている。窓の外が暗くなってからも話は続き、食べ終えた者から器を台所へ運んだ。
*
片づけが終わると、カイルは先に自室へ戻った。エレジも台所に残っていた布巾を掛け、自分の部屋へ鞄を取りに行った。医務でもらったものは中へ収めたままで、袋を出すと説明の書かれた紙も一緒に入っている。
相談した時には聞きたいことを確かめられたが、カイルへ何から話せばよいかまでは考えていなかった。彼にも知っておいてほしいことはある。それでも、紙を見せるだけでは自分がどうして使うことにしたかは伝わらないと思い、袋を持って隣の部屋へ向かった。
ノックをするとカイルが扉を開けた。彼は手元の袋に気づいてからエレジを中へ入れ、机のそばの椅子を引いた。
「本はそこにある」
「はい。今日はほかにも持ってきました」
「ああ。座って話そう」
エレジが椅子へ座ると、カイルも隣へ腰を下ろした。昼に置いた本は机の端へ寄せてあり、その前に袋を置ける場所が空いている。彼が話を聞くつもりで待っていてくれたことが分かり、エレジは紙を取り出して二人の間へ広げた。
「前に相談した時は、まだ使うか決めてなかったんです」
「ああ」
「今日は残っていたことを聞いて、使うことにしました。飲み方も説明してもらいました」
カイルは紙へ目を向けたが、すぐに読み始めるより、彼女が話していることを先に聞いた。エレジは自分が気になっていたことと、医務で説明された内容を順に伝えた。リヒターがそばにいてくれたため聞き直せたところもあり、その話をすると彼も頷いた。
「説明を聞いて、どう思った」
「聞く前よりは決めやすかったです。分からないまま持って帰るのは嫌だったので」
「まだ気になることはあるか」
「今はありません。使い始めてから分からないことがあれば、また聞こうと思ってます」
「そうだな」
エレジはそこまで話すと、紙を押さえていた指を離した。受け取ってきたことは伝えられたが、カイルは袋へ手を伸ばさずにこちらを見ている。自分が使うと決めたことをどう受け取ったか知りたくなり、彼女も顔を上げた。
「少佐は、どう思いますか」
「お前が説明を聞いて決めたなら、そのことは分かった。ただ、お前が使うものだから、身体に合うかは気になる」
「はい」
「使ってみて続けたくなくなったら、それも言ってくれ」
エレジは彼の返事を聞いてから袋へ目を向けた。使うと決めた以上、続けるところまで自分で引き受けるつもりになっていた。けれど、カイルは今日決めたことをこの先も変えない約束として聞いているわけではなかった。
「やめたら、少佐は困りませんか」
「別の方法を考える。お前が困ってるのに、俺のために続けることはない」
カイルは、彼女が自分で選んだことまで否定したくはなかった。使わなくてもよいと伝えるだけでは、今日医務へ行って決めてきた気持ちを受け取らないことになる。エレジがこちらを見たままでいるので、彼も紙から手を離して向き直った。
「お前は、どうしたくて決めた」
「少佐と一緒にいたいからです。前からそうですけど、心配なことは少なくしておきたいと思いました」
「俺もそうしたい」
「はい。だから、一緒に知っていてほしかったんです」
エレジは答えると、紙を彼にも読める向きへ直した。自分の身体に使うものなので、最後には自分で決める。それでも、二人で過ごすために考えたことを自分だけが覚えているのは、少し違う気がしていた。
カイルが説明を読み始めると、彼女も隣から同じところを見た。医務で聞いた時とは違い、彼がどこを気にするかも分かる。分からないところまで二人で答えを作らず、もう一度聞く必要があればそうすることにして、紙を机へ戻した。
「持ってきてよかったです。受け取ったって言うだけでも、伝わるかとは思ったんですけど」
「それだけだと、お前がどう考えたかは分からないからな」
エレジは頷き、袋の口を閉じた。医務で決めたことは変わっていないが、話し終えた今はカイルも同じことを知っている。彼に知らせるための報告ではなく、一緒に考える時間にできたことが嬉しかった。
*
袋を手元へ戻すと、エレジは机の端に置いてあった本を取った。昼に持ってきた時と栞の位置は変わっていない。開かずに置いていると、カイルがその表紙へ目を向けた。
「今日は読むか」
「少し。でも、少佐のそばで読みたいです」
「さっきも隣だっただろ」
「もう少し近くがいいです」
カイルはその返事に笑い、彼女の椅子を自分の方へ寄せられるか見た。机の脚があるため、そのままでは近づけない。エレジも同じところへ目を向けてから、ベッドの方を見た。
「あっちでもいいですか」
「ああ」
二人で端へ並んで座ると、エレジは本を膝へ置いた。カイルが腕を回すのを待たずに身体を寄せた。彼も彼女が落ち着いてから背中へ手を添え、開いた本へ目を向けた。
「昼は、俺が近づくのを待ってたな」
「分かってました?」
「途中からな」
「嬉しかったです。少佐から抱きしめてくれて」
カイルは昼に部屋へ来た彼女の顔を思い出した。何も言わずにこちらを見ているので、初めはどうしたいか分からなかった。それでも、抱き寄せた後も嬉しそうにしてくれたことは覚えている。
「今は待たないのか」
「今は私から来たかったので」
「そうか」
エレジはその返事を聞いて、彼の上着へ手を添えた。昼と同じようにしてほしいのではなく、今は話し終えた彼のそばへ自分から寄りたかった。カイルが顔を向けると、彼女も本から目を上げた。
「キスしてもいいですか」
「ああ」
エレジは少し身体を起こし、彼へ唇を重ねた。カイルも応じたが、本が膝から滑りかけたため、離れた後に空いている手で支えた。彼女はそれを見て笑い、本を持ち直してからもう一度そばへ寄った。
「読むつもりで開いたんですけど」
「閉じてもいい」
「少しは読みたいです。朝、気になるところまで進んだので」
「じゃあ読め。俺もここにいる」
エレジは頷き、栞を抜いてページへ目を戻した。カイルの手は背中に残っており、身体を離さなくても文字を追える。初めの数行を読み直すと朝の続きが戻ってきて、今度はそのまま先へ進めた。
カイルも彼女が読み始めたのを見て、机に置いた自分の本を取りに立った。戻ってくるまでエレジは同じ場所に座っており、彼が隣へ腰を下ろすと少し場所を空けた。
しばらくはそれぞれの本を読んでいた。エレジがページをめくる時に身体を起こすと、カイルも腕を緩め、読み終えたところを尋ねた。彼女が今の場面を説明し始めたので、自分の本へ戻るのは後にして聞いた。
話し終える頃にはエレジの声にも眠気が出ていた。もう少し先まで読むつもりだったらしいが、同じ行へ目を戻していることに気づくと、自分で栞を挟んだ。
「今日はここまでにします」
「眠くなったか」
「はい。でも、もう少しここにいたいです」
「泊まっていくか」
エレジは閉じた本を持ったまま彼を見た。帰ってから使うものを片づけるつもりだったが、それは自室へ一度戻れば済む。今夜も一緒に休んでよいと分かると、返事をする前に口元が緩んだ。
「はい。着替えてきます」
「待ってる」
カイルが手を離すと、エレジは立ち上がり、机から袋を取った。本も持っていこうとしたが、明日の朝に続きを開けばよいと思い、二人の本を並べて置いた。
自室へ戻って袋をしまい、着替えを済ませると、隣の部屋ではカイルがまだ灯りをつけて待っていた。彼が空けてくれた場所へ入ると、エレジも掛け物を引き上げて身体を横へ向けた。
「本、ここに置いたままですね。明日はそこから読みます」
カイルは彼女が机を見た後にこちらへ目を戻すのを待ち、手を伸ばした。エレジもその手を取り、指を重ねてから目を閉じた。今夜話したことは彼にも伝わっており、明日になってからもう一度聞きたくなれば、そばで尋ねられる。
彼女の身体が落ち着くと、カイルは灯りを落として隣へ横になった。エレジが握っている手へ少し力を返し、二人で休める位置へ掛け物を直した。




