帰路
朝、エレジはカイルの部屋から自室へ戻り、用意してあった衣類へ着替えた。昨夜のものを鞄へ収めると、机と椅子の周りにはもう自分の持ち物が残っていない。身につける装備を確かめてから鞄を閉じ、朝食へ向かった。
共有スペースではリヒターがパンを切っていた。エレジが器を出すと、マティアスも降りてきて机へ運んだ。ヨナスはすでに座っていたが、食事を始める前に連絡の記録を見直している。
カイルが入ってくると、エレジは彼の分の器を置いた。顔を見て挨拶すると、彼もいつものように返して隣へ座った。昨夜近くで聞いた声を思い出したが、今朝は目が合っても話すのを待ってしまうことはなかった。
「帰還の指示が来た。延長はしない。今日は予定どおり戻る」
カイルが伝えると、ヨナスは端末を机の端へ寄せた。
「こちらに残す記録は、現地側へ渡せるようにしてあります」
「出る前に確認する。観測位置と経路も合わせて引き継ぐ」
「地図は私が出します」
エレジは昨日の記録を思い返した。使った位置だけでなく、車両が停まった時に隠れたところも書き込んである。これから同じ場所へ入る人がいるなら、写真と一緒に見てもらいたかった。
「施設の調査は続くんですね」
「ああ。俺たちが確認したところを渡して、その先は担当側が進める」
エレジは頷いてパンを取った。荷物の中身も搬出先も分からないが、それを確かめるために自分たちが残ることにはならなかった。今日は持ち帰るものを揃え、ここで使った部屋と設備を返す必要がある。
「帰り、川のところは寄れますか」
「引き継ぎが済めば、休憩をそこで取る。帰還予定にも余裕がある」
「写真、撮るんでしたよね」
マティアスに聞かれ、エレジはカメラを取り出せるところへ入れてあると答えた。彼も自分の荷物の方を見て、出発前に出しておこうと言った。
「ファルク大尉も?」
「俺も見たいです。上流側を」
「石の方じゃなくて?」
「石もあるでしょうけど」
ヨナスが答えると、リヒターはパンの残りを回しながら、休憩の時間に戻ってきてねと言った。
*
朝食の後、五人は作業室で支援担当の軍曹へ記録を渡した。カイルが四日間の観測をまとめ、エレジは地図で側面の扉を見る位置と道路側の位置を示した。
「こちらからは扉の前が見えます。ただ、車両が壁へ近づいて停まると荷台の一部が隠れます。道路の分岐は別の位置から見ていました」
写真を並べると、軍曹は現地で使った経路も確かめた。マティアスが交代の時に通ったところを補い、リヒターも足元の状態を伝えた。
ヨナスは通信を確認した位置と使った機材について説明した。観測の時刻に合わせた記録も渡し、車両が動いていない時間にも変化があったことを示した。
引き継ぎが終わると、持ち込んだケースを車両へ運んだ。エレジはマティアスと一覧を見ながら数を合わせ、作業室へ戻って机の下まで確かめた。ヨナスも接続していた機材を外し、現地側の設備が使える状態に戻っていることを確認した。
台所ではリヒターが残った食材を分けていた。エレジは洗った器を元の棚へ戻し、借りた鍋も収めた。
「これは、ここへ来た時にもありましたよね」
「ええ。残していく方でいいわ」
リヒターに確かめて調味料を棚へ置いた。最初の夕食では何がどこにあるかを探しながら作ったが、今は戻す場所も分かる。調理台を拭き終えると、リヒターも冷蔵庫を閉めた。
軍曹へ部屋の確認を頼んでから玄関へ出ると、カイルたちは積み込みを終えていた。エレジも自分の鞄が収まっていることを確かめ、車両へ乗り込んだ。
「お世話になりました」
見送りに出てきた軍曹へ挨拶すると、彼はまた必要な時には使ってくださいと答えた。カイルが出発の連絡を済ませ、集落へ続く道へ車を出した。
*
拠点を離れると、エレジは窓の外を見ていた。朝には荷物を運んでいる人が多かった店先も、今は扉が開いている。パンを用意してもらった店がどこなのか尋ねると、リヒターが通りの向こうの建物を示した。
「あの、青い看板のところですか」
「そう。今朝もあそこで受け取ったの」
エレジは店の前を通り過ぎるまで見ていた。中までは分からないが、四日間食べていたものを作っている場所を最後に見られた。いつかまた来ることがあれば、今度は自分で入ってみたいと思った。
集落を抜けると川が近づき、橋を渡る間には水面が見えた。マティアスと観測へ向かった朝に見た木立も、今日は違う角度から追えた。
「橋からも見たかったんだよね」
マティアスに聞かれ、エレジは頷いた。
「でも、最初に休憩したところからも見たいです。川の音が聞こえたので」
「あそこに停める。橋の方へ行くなら、降りてから通れるところを見よう」
カイルが答えると、エレジは膝の上の鞄からカメラを出した。行きには景色を覚えていたかったが、今日は写真にも残したかった。
車両を停めた場所からは谷の向こうまで見えた。降りると風が上着へ当たり、道路を通る車の音が途切れた時に川の音が聞こえた。
エレジは前に立った辺りへ歩き、川から山の方まで眺めた。高いところにはまだ雪が残っている。水の流れを入れて撮ろうとカメラを構えたが、山の頂まで収めると手前の川が小さくなった。
「全部は入らないです」
「二枚撮れば?」
隣へ来たマティアスが自分のカメラを持ち上げた。
「俺はあっちを撮ろうと思って。家が見える方」
エレジは彼が向けた方を見た。川沿いの建物は車からも見えていたが、ここからは屋根の間を通る道も分かる。
「同じ写真にはならなそうですね」
「中尉は山?」
「川も撮りたいです」
「じゃあ、やっぱり二枚ですね」
エレジはまず川の流れと岸の木を撮った。それから少し向きを変え、山を広く入れた。画面で見直すと、目の前で見ているものとはまた違って見えた。写真には水の音が入らないため、しばらくカメラを下ろして聞いていたかった。
ヨナスは道路から離れないところで上流側を見ていた。リヒターが何を見つけたのか尋ねると、流れの向こうに露出している岩を示した。
「近くまでは行かないのね」
「ここからでは降りられませんから。写真に残しておきます」
「帰ってから調べるものが増えたな」
カイルが言うと、ヨナスはもう増えていますと答えた。エレジもそのやり取りを聞いて笑い、上流の方へカメラを向けた。
橋へ近づく道を少し確かめたが、休憩場所から歩くには遠く、途中は車両の通るところしかなかった。エレジは今日はここから見ることにした。川の曲がる先は木に隠れているが、橋を渡った時に見た流れと合わせると、どちらへ続いているかは分かった。
「こっちからも撮れました」
近くにいたカイルへ画面を見せると、彼は川を写した方を見た。
「帰ってから、もう少し大きく見られるな」
「はい。少佐にも見せていいですか」
「ああ」
エレジはカメラを収めてから、もう一度川へ目を向けた。寄りたいと言った場所へ戻ってこられたことが嬉しかった。前に来た時とは日の当たり方も違い、岸の雪が水の近くまで白く残っているのが見えた。
休憩を終える時刻になると、ヨナスも自分から車両へ戻ってきた。マティアスが時計を見たかと尋ねると、彼は見ましたと答えた。
「ちゃんと?」
「何度も」
「それなら大丈夫ですね」
リヒターが笑いながら乗り込み、エレジもカメラの入った鞄を足元へ置いた。運転を交代したマティアスが車を出すと、川は木立の向こうへ隠れていった。
*
施設へ戻ったのは午後だった。車両が林の間の道へ入ると、エレジは見慣れた建物の二階へ目を向けた。自分の部屋の窓は閉じており、出発した朝と同じように見えた。
管理側の担当者へ帰還を伝えると、カイルは留守中の警備と外周の確認について報告を受けた。引き継いでいた確認は続いているが、反応の原因を特定する情報はまだ得られていないという。カイルが記録を受け取る間、ほかの四人は荷物を下ろした。
エレジは観測機材を作戦室へ運び、現地で使った地図と記録を机へ置いた。共用のケースは出発前にあった場所へ戻す。ヨナスも通信機材を運び込み、今日は収納までにして詳しい確認は明日に回すと話した。
「全部広げなくていいんですか」
マティアスが聞くと、ヨナスは使った時に問題があったものだけ先に見ますと答えた。
「じゃあ、残りはここへ置きますよ」
「お願いします」
リヒターは医療装備を戻してから台所へ入った。エレジも自分の鞄を運ぶ前に顔を出すと、彼女は冷蔵庫の中を確かめていた。
「夕食、ここで作りますか」
「ええ。足りないものは頼むけど、まず何があるか見ておくわ。あなたは荷物を置いてきて」
「戻ったら手伝います」
そう答えて共有スペースへ出ると、マティアスがソファへ腰を下ろしたところだった。運び終えた自分の荷物を足元へ置き、背もたれへ身体を預けている。
「そこまで運んだなら、部屋へ持っていけばいいのに」
リヒターが台所から声をかけると、彼は少しだけ顔を向けた。
「一回座りたかったんです。大尉の分も空いてますよ」
「覚えてたのね」
「約束したでしょう」
リヒターは冷蔵庫を閉め、台所で見たものを書き留めてからソファの方へ来た。マティアスが隣を空けると、彼女もそこへ座った。
「何も持ってないですね」
「座るだけなんでしょう?」
「そうです」
二人がそのまま話しているのを聞きながら、エレジは鞄を持って階段へ向かった。カイルも自分の荷物を運んでおり、二階へ上がったところで、地図は作戦室へ置いたかと尋ねた。
「はい。写真はまだカメラに入っています」
「明日でいい。今日は荷物を戻して休め」
「川の写真も、後で見たいです」
「それなら、俺も見る」
エレジは少し笑って自室の扉を開けた。机の上には出発前に置いた本があり、棚の日用品もそのままだった。ハルデンで使った部屋は荷物を収めると空になったが、ここには置いていったものが残っている。
鞄から衣類を出してしまい、洗うものを分けた。カメラだけ机へ置くと、本のそばに収まった。写真を開いてみたかったが、先に夕食の準備へ戻ろうと思った。
部屋を出る前に本を手に取り、挟んであった栞を確かめた。帰ってから続きを読もうと思っていたところだった。今夜読む時間が取れるよう机へ戻し、エレジは鞄をいつもの場所へしまって一階へ降りた。




