楽しい2人・ぎこちない2人
リヒターは朝食を終えると、マティアスと先に拠点を出た。前日に荷物の搬入が見えた時刻より早く観測を始めるため、持ち出すものは昨夜のうちに揃えてある。エレジとカイルが交代に来るまで、側面の扉と道路を二人で見ることになっていた。
集落を抜ける道には、店先へ荷物を運ぶ車両が停まっていた。リヒターは通れる幅を確かめて速度を落とし、向こうから来る車を先に通した。助手席のマティアスは地図で進む道を確認すると、窓の外へ目を向けた。
「今日で終わりですね」
「観測はね。帰る準備は残ってるわ」
マティアスは仕事を頼めば応じるし、何をする必要があるかも見ている。それでも話す時にはいつも少し余裕があり、リヒターはその話し方を心地よく感じていた。
「帰ったら、しばらく観測の姿勢は取りたくないな」
「身体が痛むの?」
「痛いってほどじゃないです。椅子に普通に座りたいだけ」
「それなら、戻ってから座れるでしょう」
「仕事の机じゃなくて、ソファの方です」
「そこまで指定があるのね」
「大事ですよ。大尉も座りません?」
リヒターは共有スペースのソファを思い浮かべた。施設へ戻ればまた訓練や記録の整理があるだろうが、何も持たずに座ってよい時間は取れる。
「帰ってから考えるわ」
「じゃあ、俺が先に座っておきます」
「私の分も空けておいてね」
マティアスはいつもの軽い口調で分かりましたと答え、それ以上は話を広げなかった。前方に観測位置へ向かう分岐が見えると地図を持ち直し、二人は車両を置く場所を確認した。
*
側面を見る位置へ入ると、リヒターは大きな扉とその前の空間を確かめた。車両の停まり方によっては荷台が隠れるため、前日の記録も手元へ置いた。
「私は扉を見るわ。車両が入ってきたら、こちらへ渡して」
「分かりました。道は見えてます」
マティアスが道路側へ入ると、リヒターはヨナスと通信を確認し、カイルへ到着と配置を報告した。扉は閉じており、しばらくは主な道路を通る車両があるだけだった。
「脇道から来ます」
マティアスの声で施設へ続く道を見ると、前日の午前に記録されたものとは色の違う車両が現れ、側面の扉から少し離れて停まった。
「荷台と扉の間は見えるわ」
「番号は一部読めました。そっちからも確認できますか」
読めた部分を伝え合ってから、リヒターは降りた二人を追った。一人が建物の扉を開け、もう一人が荷台から箱のようなものを下ろして中へ運んでいく。
「車両から建物へ運び込んだわ」
「こっちからも、持って扉へ向かうところは見えました」
その後も同じ方向への運搬が続いた。人が重なって見えない時もあったため、リヒターは確認できた回数と時刻を残した。前日と近い時間帯だったが、毎日同じ時刻に行う作業かは分からない。
荷台が閉じられて二人が車内へ戻ると、マティアスが出発した車両を追った。来た時と同じ脇道へ入ったという報告を聞きながら、リヒターは建物側を見続けた。
車両が去った後に人が一度外へ出たが、荷物は持っていなかった。その人が戻ると扉も閉じられ、中へ運ばれたものの扱いは見えないままだった。カイルへ搬入を報告し、交代まではその後の動きも確かめることにした。
しばらくしてマティアスが水を飲むと伝えたので、リヒターは道路も引き取った。
「戻りました。大尉も休んでいいですよ」
「じゃあ、少しお願い」
彼が見る範囲を広げたことを確かめ、リヒターも双眼鏡を下ろした。肩の位置を変えて水を飲み、観測へ戻る前に午前中の記録を読み返した。
*
交代に来たエレジへ、リヒターは車両の停まった位置と、荷台から扉まで見えた区間を示した。道路側ではカイルがマティアスから進路と車両の特徴を聞いている。
「今日は昨日より扉の前が見えたんですね」
「ええ。車両が少し離れて止まったから。搬入の後は、荷物を外へ出す動きは見ていないわ」
「分かりました。午後も続けて見ます」
人が重なったところも聞き、エレジは自分の姿勢から見える範囲を確かめた。記録から顔を上げると、道路側の確認を終えたカイルと目が合った。
普段ならそのまま建物の見え方を伝えられたが、リヒターに話したことが浮かび、彼が何か言ってくれるのではないかと待ってしまった。
カイルも彼女が口を開かないことには気づいた。何か話したいのなら聞こうと思ったが、自分が近づきたいと考えているせいで、その視線まで同じ意味に受け取りたくはなかった。
「通信を確かめる」
「はい」
仕事の言葉ならエレジもすぐに返せた。引き継ぎを終えると、リヒターは二人が観測を始められることを確認し、マティアスと車両へ戻った。
帰還の連絡を済ませて道へ出ると、マティアスは午前中の記録を鞄へ収め、拠点で渡すものを分けてから話しかけた。
「今日の少佐と中尉、何かおかしくなかったですか」
「何が?」
「仕事の話は普通なのに、目が合うと二人とも黙るんですよ。今さら?」
リヒターは引き継ぎの時にエレジが言葉を止めたことを思い出した。自分が二人と別々に話したことも浮かんだが、どちらの会話もマティアスへ伝えるつもりはなかった。
「あなた、よく見てるわね」
「見えたんです。俺、間にいたので」
「それで気になったの?」
「気になりますよ。何か言うのかと思って待ってたら通信の確認でした」
理由を知りたがっている彼へ、リヒターは自分が話せるところだけ返した。
「二人でいる時と人がいる時は違うでしょう」
「そうですけど。少佐、普段はもっと普通に話してません?」
「あなたはそういう時も困らなそうね」
「俺だって黙る時くらいありますよ」
「いつ?」
「今、思い出してるんで待ってください」
すぐに返した割には具体的な場面が出てこないらしく、マティアスは本当に考えているように窓の外へ目を向けた。
「思い出さないと出てこないの?」
「大尉、今日は厳しいですね」
「聞いただけよ」
「じゃあ、俺が困って黙ってたらどうするんですか」
「待つわ」
「ずっと?」
「何か言いたいことがありそうなら」
マティアスは少しだけリヒターの方を見た。からかいに戻すかと思ったが、それなら困らないなと答えた。
「待ってもらえるなら、考えられますから」
「そうね」
「でも、何も考えてない時もありますよ」
「その時は、待たなくていいのね」
「はい。話しかけてください」
リヒターは結局どちらでも話しかけてよいのではないかと思い、そのまま口にした。マティアスは黙って考えたい時にはそう言うと答えた。
軽い調子で話す人は苦手だったが、彼は真面目に答えたことを笑って流さず、必要なところにはきちんと返してくれる。言いたくないところへ踏み込まれることも少なく、リヒターも少しからかうように答えてよいと思えた。
「大尉、結構言いますね」
「あなたが返すからでしょう」
マティアスが笑ったので、リヒターも今度は声を出して笑った。彼にそう言われるまで、自分が次の返事を楽しみにしていたことには気づいていなかった。
「少佐にも、こんなふうに言うんですか」
「言う時はあるわ」
「ああ。恋敵の時みたいに?」
「それ、いつまで覚えてるの」
「少佐が『恋人は俺だ』って言ったところは、しばらく忘れないと思います」
エレジから気にしていたと聞き、少し言いすぎたとは思っている。それでも、マティアスが真似た短い返答を聞くと、あの夜のカイルの顔と、その横で彼が噴き出していたところまで思い出されて笑ってしまった。
「あなただって、ずっと笑ってたでしょう」
「笑いましたね」
「私だけが悪かったみたいに言わないで」
「言ってませんよ。俺は対象外でしたし」
リヒターは彼が自分も候補になるのかと尋ねたことを思い出した。あの時は、元から一緒にいて選ばれていないのだから対象外だと返した。本人は今もそこまで覚えているらしい。
「まだ気にしてたの?」
「傷ついたんです」
「そうは見えなかったわ」
「大尉に慰めてもらおうと思ってたのに」
慰めを求める言い方までされると、リヒターはまた笑った。本当に傷ついているとは思わなかったが、何を返せばよいか考えること自体が楽しく、拠点までの道を長く感じることもなかった。
建物が見えてくると、マティアスは午前中の記録を渡してから食べようと言った。リヒターも同じ順番でよいと答え、車両を停める場所へ向かった。
「戻ったら片づけも手伝いますよ」
「じゃあ、お願いするわ」
マティアスは笑いながら鞄を持ち直した。軽口を交わしていても、戻ってからすることは互いに分かっている。リヒターは車両を停め、そのまま二人で装備を下ろすと、記録を渡すために拠点へ入った。
*
エレジはリヒターが残した午前中の記録を手元へ置き、施設の側面を見ていた。扉は閉じたままで、車両も停まっていない。道路側ではカイルが通過するものを確かめ、施設へ向かう動きがあれば伝えることになっていた。
リヒターに言われた二つの方法のうち、今できるのは自分から何もしない方だった。少なくとも今日は、一緒にいたいとも触れてほしいとも言わず、カイルから求めてくれるのを待ってみようと思っていた。
引き継ぎでは、それで仕事の説明まで止めてしまった。彼に何か言ってほしくても、今必要なことまで言わずにいるつもりはない。
カイルも前日の帰路でリヒターと話したことを思い出していた。エレジが何を話したかまでは聞いていないが、彼女と話した翌日に自分から求めてもよいと助言された理由は気になっていた。
だが、今は道路の見える区間へ注意を戻し、通過する車両の進路を追った。
「道を引き取れるか」
「はい。見ています」
エレジが道路も見ている間に、カイルは時刻と車両の特徴を記録した。
「戻った」
「こちらも、扉を見ます」
仕事の言葉なら何を伝えるかを迷わずに済む。エレジは建物側へ双眼鏡を戻し、カイルと二人でいることを意識しながらも、今見るべきところを確かめた。
施設へ曲がる車両が現れると、カイルは到着を伝えた。
「午前中の記録とは違う車両だ」
「こちらでも見えました。側面へ向かっています」
車両は大きな扉に近いところへ停まったが、荷台の後ろと建物の間には人の動きを追える幅があった。車両から降りた人が荷台を開けると、建物の中から別の人が箱のようなものを持って現れた。
「建物から車両へ運んでいます」
「ああ。こちらからも扉を出たところは見えた」
同じ方向への運搬が続き、エレジは確認できた回数と時刻、箱の形や色を残した。午前中のものと似ていても細かな印は読めず、同じ荷物かは分からない。
「同じ荷物かは分かりません」
「それでいい。出した方向と、見えた特徴を残せ」
荷台が閉じられると車両は施設を離れた。カイルが主な道路へ進むところを追う間、エレジは残った人が建物へ戻り、扉が閉じるまでを確認した。ヨナスへ搬出の時刻を伝えると、二人は再び道路と側面に範囲を分けた。
その後は施設へ向かう動きがなく、扉も閉じたままだった。エレジは時刻を残し、道路側の状況をカイルへ尋ねた。
「こちらも通過するだけだ」
「分かりました」
いつもどおりに答える声を聞くと、エレジは双眼鏡を構え直した。
「少し休むか」
カイルに声をかけられ、エレジは扉が閉じていることを伝えた。彼が建物側も見られるよう姿勢を変えてから、双眼鏡を下ろした。
水を取ろうとすると、手元の容器へカイルが先に手を伸ばし、身体をひねらずに済むよう差し出してくれた。
「ありがとうございます」
受け取る時に目が合い、エレジは少し遅れて指をかけた。カイルは彼女が持ったことを確かめて手を離すと、対象へ目を戻した。
ただ水を渡してくれただけなのに、そのまま触れてくれるのではないかと思ってしまった。エレジは容器を持ち直して水を飲み、目を休めるために遠くの斜面を眺めた。
「少佐は休まなくていいですか」
「お前が戻ったら少し代わってくれ」
「はい」
エレジは記録の抜けを確かめた。扉の開閉と、荷物を載せた車両の出発も残っている。容器を戻して観測へ戻ったと伝えると、今度はカイルが双眼鏡を下ろした。
水を飲んで肩の位置を変えたところで、少し前にいる彼女の後ろ姿が目に入った。片脚を引き、扉を見やすいよう上体を傾けている。姿勢に沿って引かれた着衣の輪郭を目で追っているのに気づき眉を寄せた。
彼女が今何を望んでいるかは聞かなければ分からないが、自分が一緒に過ごしたいことは分かっている。
「戻った」
「はい。道路、お願いします」
カイルは容器をしまい、再び道路へ双眼鏡を向けた。終了時刻までは施設に目立った動きがなく、観測を終える連絡を入れる間、エレジは扉が閉じ、側面に車両がないことを最後の記録へ残した。
*
車両へ戻る道では、エレジが少し先を歩いた。湿ったところを避けて足を置く位置を選び、振り返ってカイルへ通りやすい方を伝えている。
「こっちの方が乾いてます」
「ああ。そこを使う」
カイルは示された経路を確かめて彼女の後ろを歩いた。装備を背負って斜面を上がるその動きをいつの間にか目で追っている。観測を終えたことで、対象へ向けていた注意が目の前の彼女へ移っていた。
車両へ着くとエレジは持ち出した機材を収め、積み終えたことを伝えた。カイルが確認するため隣へ来ると荷室から身体を起こし、彼を見上げた。
作業を終えたのだから、いつもならそのまま何か話しかけられる。それでも今日は彼が先に口を開くのを待った。
カイルもそのままそばにいたいと思ったが、ここで立ち止まれば帰還の連絡と移動を後へ延ばすことになる。
「乗れ。戻る」
「はい」
エレジは頷いて助手席へ入った。自分から何もしなければ、彼から求められるとは限らない。それは分かっていたが、近くにいた時に何も言われなかったことを少し残念に思った。
帰還の連絡を済ませて道へ出ると、車内には走行する音が続いた。外で分かれて観測していた時とは違い、二人は同じ方向を向いてすぐ隣に座っている。
「四日あっても、分からないことは残りますね」
「今回は、期間を決めて活動を確認する任務だからな」
「荷物の中身も、どこへ行ったかも、分かりませんでした」
「だが、施設で何が行われているかは、来た時より説明できる」
エレジは初日に残した記録を思い返した。脇道へ入る車両を見ても、その道が続けて使われているかは分からなかった。今は二日続けて搬入と搬出を確認したことを報告できる。
「分からないところも、次に何を調べる必要があるかと一緒に渡す。俺たちの観測は終わるが、調査をどう続けるかは報告を受けて判断される」
エレジは頷いて記録を鞄へ戻した。仕事について聞けば、彼はいつものように答えてくれる。その声を隣で聞いているうちに、任務とは関係のないことも話したくなった。
カイルは彼女が鞄を足元へ置く動きを視界の端で捉えた。車内では少し動くことも、こちらへ顔を向けることも近く感じられる。
エレジも隣にいる彼の腕を見ていた。運転している手に触れるつもりはなく、膝の上で指を重ねたまま窓の方を向いた。自分から何もしないようにしているために、かえって近づきたくなるたび、その気持ちを意識してしまう。
谷の向こうの山肌には日が当たり、朝とは違う色に見えていた。対向車を通すためにカイルが車両を停めると、エレジは明日の帰りに川へ寄れるか尋ねようとしたが、彼もこちらを見たため言葉がすぐには出なかった。
「何かあったか」
「……いえ。明日のことを聞こうと思って」
「川か」
「はい」
「帰還の時刻を確認してからだな。延長がなければ、予定は組める」
「分かりました」
対向車が通り過ぎると、カイルは車を進めた。聞きたかったことには答えてもらったが、拠点へ戻るまでの時間が少なくなると、今日もこのまま終わるのかと気になった。エレジは彼の横顔を見てから、膝の上の手へ目を落とした。
カイルも彼女がこちらを見たことには気づいていた。何か言ってくれるのを待てば、いつものように応じられる。だが、自分も一緒にいたいと思っているのに、その言葉まで彼女に先に言わせる必要はなかった。拠点へ戻ってそれぞれの部屋へ別れることを考えると、このまま何も言わずに終えたくはなかった。
「今夜、時間は取れるか」
声をかけられ、エレジは顔を上げた。
「帰る準備が済めば。何かありますか」
記録を合わせて報告を送り、翌日の指示を確認する。帰る準備も済ませれば、休む前に二人で過ごす時間は取れるはずだった。
「俺の部屋に来れるか」
エレジは彼の横顔を見た。明日の確認か何か手伝うことがあるのかもしれないと、すぐには返事が出なかった。
カイルは用事のために呼んでいると受け取られたかもしれないと思い、彼女から聞かれるのを待たずに続けた。
「今夜は、お前といたい」
エレジは彼がそうしたくて時間を尋ねてくれたのだと分かり、膝の上で重ねていた手を緩めた。
「……はい。行きます」
答えた声が少し小さくなった。部屋へ行った後も彼の方から近づいてくれたらと考えると、顔を上げたままではいられなかった。
「俺も、仕事を終わらせておく」
「はい」
エレジは頷いて窓の外へ目を向けた。戻ってからすることを確かめながらも、今は彼に呼ばれて部屋へ行くことを考えていた。自分から求める言葉を抑えていた時間とは違い、彼の声が耳に残っていた。




