↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:任務

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/153

カイルのためらい


 エレジは朝食を終えると、マティアスと拠点を出た。今日は建物の側面を見る位置へ入るため、前日にカイルが確かめた見通しと、そこまでの経路を出発前に確認してある。持ち出す機材も、道路側を担当するマティアスと分けて積んでいた。


 集落を抜ける道には、店先へ荷物を運んでいる人がいた。エレジは窓越しにその様子を見ていたが、車が橋へ差しかかると川の方へ目を向けた。道より低いところを流れる水は暗い色をしており、岸にはまだ雪が残っている。前日にも通った場所だったが、朝の日が当たると向こう岸の木立まで見通しやすかった。


「帰りに寄るなら、あっちからも見てみたいです」


「川?」


「はい。橋の上からだと、昨日車から見たのとは違う景色が見えそうなので」


「予定どおり終われば、時間あるといいですね」


 エレジは頷いた。明日で観測を終える予定だが、その後の指示まで決まったわけではない。今は寄れるものとして考えるより、見たい場所を覚えておこうと思った。


     *


 観測位置へ着くと、エレジは前日にカイルが示した場所へ入り、施設の側面を確かめた。大きな扉とその前の空間は見えるが、分岐へ続く道路は木に隠れていた。


「建物の側面は見えます。道は、施設の前までしか見えません」


「じゃあ、俺は昨日の方に入ります。中尉から見えなくなったら、こっちで追う」


 マティアスが道路側へ入ると、エレジは扉に枝が重ならない姿勢を取り、装備を手元へ置いた。互いが記録する間は見る範囲を引き取ることにし、カイルへ到着を報告してヨナスとも通信を確認した。


 しばらくは主な道路を通る車両があるだけで、施設の周囲に動きはなかった。エレジは扉が閉じていることを残し、マティアスから通過した車両の状況を聞いていた。


「脇道から来た」


 声を聞いて道路を見ると、林の切れ目に車体の一部が見えた。エレジの位置からはすぐに隠れたが、マティアスは分岐まで追っている。


「施設へ入ります。昨日の午前に来たのとは違うと思う」


「こちらでも見えました」


 車両は建物の正面を通り過ぎ、側面の大きな扉の前へ止まった。後部がこちらへ斜めに向いており、荷台から扉まで人が通るところを見られた。


 降りた二人のうち、一人が建物の扉を開け、もう一人が荷台から箱のようなものを取り出した。途中で車体に隠れたが、再び見えた時にはそれを持って扉へ向かっていた。


「車から下ろして、建物へ運んでいます」


 エレジは荷物を持った人が中へ入るところまで確認し、時刻を残した。昨日は運搬の方向が分からなかったが、今日は車両から建物へ運ばれたことを記録できる。ただ、箱の表示や中身は分からなかった。


 運んだ人は何も持たずに戻り、再び荷台へ向かった。その後も同じ動きが続いたが、人影が重なって見えなかった分は数えず、確認できた回数だけを記録した。


「こちらからは、荷台の方が車体に隠れます」


 マティアスが伝えたので、エレジは建物へ運ぶところはこちらで見えていると返した。彼は車両の特徴と周辺を確かめ、二人で記録する内容を分けた。


 荷台が閉じられて車両が動き出すと、エレジは施設を離れるところまで追った。道路へ出た後はマティアスへ引き継ぎ、建物側を見続けた。


「来た方へ戻る。脇道に入った」


 報告を受けて出発の時刻を残した。大きな扉は少し後に閉じられ、中へ運ばれた荷物の扱いは最後まで見えなかった。


 カイルへ搬入を確認したことと、その後は未確認であることを伝えると、車両の出入りと扉の開閉を合わせて残すよう指示があった。


「出ていった車両も、到着時の特徴と照合しておけ」


「はい。マティアスの記録と確認します」


 通信を終えて扉へ目を戻したが、外から見える動きはなかった。二人はその後も範囲を分けて観測を続けた。


     *


 交代に来たカイルとリヒターへ、エレジは車両の停まった向きと、荷台から扉まで見えた区間を示した。


「一度、車体に隠れました。その後は、荷物を持ったまま扉へ入っています」


「運び込んだ後は」


「見えていません。扉が閉じるところまでは確認しました」


 車両の停め方が変われば死角も変わることを伝えると、カイルはその位置から扉の前を確かめた。マティアスも車両の特徴と進路を渡し、リヒターが道路側を見始めた。


 通信の引き継ぎまで終えると、エレジは必要な記録を渡してマティアスと車両へ戻った。帰還の連絡を済ませて道へ出ると、彼は午前中の荷物の話をした。自分の位置から見えなかった部分を聞き、同じ時刻を残しておいてよかったと答えた。


 施設から離れて集落へ続く道へ入ったところで、マティアスは少し違う調子で声をかけた。


「そういえば中尉、少佐とはどうなの?」


「どう、というのは?」


「うまくいってる? 今、一緒にいるのは分かるけど。その後の話、ちゃんと聞いてなかったから」


 エレジはベルンハルトの公園でマティアスと別れた時のことを思い出した。あの日、カイルと何を話したかを詳しく伝えたことはない。課程を終えてから関係が変わったことも、同じ班で過ごしていれば分かるだろうと思い、そのままになっていた。


「そういえば、ちゃんと報告してませんでしたね」


「報告ってほどじゃなくていいけど。課程中、心配してたからさ」


「はい。少佐とは、うまくいってます」


「そっか。それならよかった」


 からかわれるかもしれないと思っていたが、マティアスは道へ注意を向けたまま、それ以上を尋ねようとはしなかった。それでも、今の返答だけでは当時彼が心配していたことまで伝わっていない気がした。


「今は、何かを治すために一緒にいるんじゃないです」


「……うん」


「少佐といたいから、会いに行ってます。嫌な時は言えますし、言っても、一緒にいられるので」


 マティアスは前を見たまま少し表情を緩めた。エレジも、今のことなら無理に説明を作らずに話せるのだと気づいた。早く元へ戻らなければ課程に間に合わないと思っていた頃とは、カイルに会いに行く理由が違っている。


「なら、俺が心配してたのとは違うな」


「心配をかけました」


「それはいいよ。俺も、勝手に少佐へ話したし」


「それは、今でも勝手だったと思ってます」


「うん。そこは反省してる」


 すぐに認められると、エレジも責めるための言葉を重ねる気にはならなかった。ただ、今の関係がうまくいっているからといって、あの時のことまでよかったと言うつもりはなかった。


「少佐が来てくれたのは、嬉しかったです。でも、私があなたに話したことを、何も言わずに少佐へ伝えたのは別です」


「分かってる。結果がよかったから、それでいいとは思ってない」


 その返答を聞き、エレジは膝の上に置いていた手を緩めた。あの日は何をどこまで知られたのかも分からないまま、カイルと向き合うことになった。今なら、その混乱と、彼が自分で来ることを選んだと知った時の嬉しさを分けて話せた。


「でも、私がしたいことと、治したいことは違うって言ってくれたのは、覚えてます」


「中尉、あの時は納得してなかったけどね」


「そうですね。今なら分かります」


「じゃあ、言ってよかった」


 エレジは頷いて窓の外へ目を向けた。朝に見た川は木立の向こうに隠れていたが、拠点へ続く道はもう分かる。マティアスが心配していたことへ自分の言葉で答えられ、話し始めた時より気持ちが楽になっていた。


「今、少佐と一緒にいられて、嬉しいです」


「それ、少佐にも言ってあげて」


「言ってますよ」


「ならいいです」


 その返し方がいつものマティアスらしく、エレジは少し笑った。彼も笑うと、拠点へ戻ったら先に食事を取ろうと言った。


「今日は何が残ってるんでしたっけ」


「朝、リヒター大尉が鍋に入れてくれてました。温めれば食べられるそうです」


「それなら、記録を渡してからですね」


 エレジも同じ順番でよいと答え、作業室へ持っていく記録を鞄の中で確かめた。話した後に急に距離を取られることもなく、二人は戻ってからすることを相談しながら拠点へ向かった。


     *


 カイルはエレジが使った位置から施設の側面を見ていた。午前中に荷物が運ばれた区間と大きな扉は見えるが、道路の分岐は追えない。リヒターが道路側を担当し、記録する間は互いの範囲を引き取ることにした。


 しばらくすると、ヨナスから脇道について照会の返答が届いた。道は谷の奥の倉庫や作業場の周辺へ通じているが、途中に分岐がある。資料にある建物の現在の用途も、まだ確認できていないという。


「今日の車両が、どこまで行ったかは分からないんだな」


「はい。現地側も、今使われている区間を確認しています」


「分かった。地図へ加える情報は、観測した範囲と分けておいてくれ」


 カイルが返答を伝えると、リヒターも地図で分岐を確かめた。


「脇道を使っただけでは、倉庫へ行ったとも言えないわね」


「ああ。行き先を決めるには足りない」


 主な道路から施設へ曲がる車両が現れると、リヒターは到着の時刻と特徴を伝えた。カイルも敷地へ入るところから追い、午前中の記録と違う車両であることを確かめた。


 車両は側面の扉に近いところへ停まった。荷台の一部は壁に重なったが、扉から車両まで人が歩くところは見える。扉が開くと、中から人が箱のようなものを持って現れ、荷台へ載せた。


「建物から出してる。荷台へ載せた」


「見えてるわ。こちらからも、扉を出たところは確認できる」


 その人は建物へ戻り、もう一度荷物を持って出てきた。カイルは時刻と見えた回数、箱の大きさや色を残した。午前中のものと似ていても同じ荷物かは分からず、中に置かれていた期間も確認できなかった。


 荷台が閉じられると車両は施設を出た。リヒターが進路を追う間、カイルは人が建物へ戻り、扉が閉じるところを確かめた。


「分岐は曲がらなかったわ。主な道路を集落の反対側へ進んでる」


「ああ。見えなくなった位置も残してくれ」


 午前は車両から建物へ、午後は建物から別の車両へ荷物が運ばれた。カイルは二つの時刻を並べ、施設で受け入れと送り出しが行われていることを記した。ただし、一時保管や積み替えなのか、施設で使うものと外へ出すものが別なのかは、まだ判断できない。


 ヨナスへ搬出の時刻を伝え、戻ってから通信の記録とも合わせることにした。その後も扉を見続け、動きがない時間も記録に残した。


     *


 撤収の連絡を入れて車両へ戻ると、カイルは二人分の装備が収まったことを確かめ、拠点へ向かう道へ出た。リヒターは帰還の連絡を済ませて無線機を戻すと、施設へ帰ってからの個人訓練について話し始めた。


「施設へ戻ったら、中尉と次の内容を相談するつもりよ。今まで確かめた条件を、もう少し組み合わせたい。案をまとめたら、少佐にも説明するわ」


「新しい範囲は」


「必要なら、進める前に確認する。今回できたところを、そのまま次の了承にするつもりはないわ」


 カイルは任務中には課題を増やさないという前日の方針も確認した。リヒターが帰還後の疲れを見てから相談すると答えたので、その進め方に異論はなかった。


 リヒターは、カイルがもう本訓練を見ないと伝えた時のことを覚えていた。中尉が迷った時の対応まで見た上で、自分の判断に任せると言ってくれた。命令系統を明かせない事情が残っていても、担当する仕事は認めてもらえたのだと感じ、ほっとした。


 任された以上、訓練の進め方は自分で考える。それでも班員の状態や今後の予定に関わることは、班長であるカイルへ伝えておきたかった。何を行うかをその都度疑われる関係から、自分の判断を報告し、必要なところを相談できる関係になっていた。


 訓練の話を終えても、リヒターにはまだ伝えたいことがあった。カイルがほかにもあるのかと尋ねたので、ここからは担当する課題の報告ではないと断ってから話した。


「少佐、ここからは私的な話だけど、いい?」


「何だ」


「もう少し、自分から中尉に求めてもいいと思うわ」


「……何の話だ」


「少佐がどうしたいか、中尉に分かるようにするのもいいと思うの」


 カイルは昨日リヒターとエレジが二人で戻ったことを思い出した。普段の仕事ぶりだけを見て出す助言には思えなかった。


「ヴァイスが何か言ったのか」


「さあ」


「リヒター」


 名前を呼ばれると、リヒターはからかう調子を引いた。エレジから聞いたことをそのまま渡すつもりはなかったが、曖昧に返したまま自分の助言だけを聞いてもらうのも違うと思った。


「中尉が何を話したかは、私からは言えないわ。ただ、これは私が少佐に伝えておきたいと思ったことよ」


「なぜだ」


「中尉に気を遣ってることは、私にも分かるから。でも、少佐がどうしたいかまで、それで伝わってるとは限らないでしょう」


「欲を出して接しろと?」


「そうね」


 カイルはすぐには頷けなかった。自分の希望を知ったエレジが、どう受け取るかが気になった。


「ヴァイスは、相手が望んでいると知ると、応じなければと思うことがある」


「……ええ」


「俺が言えば、なおさらだ。自分がどうしたいかより、俺を待たせてることを気にする時もある。だから、先に求めることには慎重になる」


 リヒターは最後まで聞いてから返す言葉を考えた。その慎重さを、遠慮しているだけだと扱うつもりはなかった。


「そこを気にしてるのね。中尉が応じてくれたから、それでいいとは思えない」


「ああ」


「でも、中尉も望んでいると分かった後は?」


 そこから先の何を言っているのか、カイルは確かめたくなった。


「……何だ」


「その先まで、あの子が言うのを待たなくてもいいんじゃないかしら。少佐が触れたくて触れることも、あっていいと思うの」


 エレジに触れてほしいと言われた時、自分もそうしたかった。それでも、彼女に応じる形であれば、自分から欲を向けるよりためらわずに済んでいた。


「お前が言いたいのは、言葉だけの話じゃないんだな」


「ええ。中尉の返事を聞いた後も、まだ遠慮してるところがあるんじゃないかと思って」


 道路の先に作業車が停まっていたため、カイルは速度を落とした。対向車を通してから進む間にも、リヒターの言葉は残っていた。


 エレジが望んでいると分かってからも、その先は彼女が言うのを待っていた。自分から近づきたいと思ったことまで伝えずにいれば、彼女を気遣っているつもりでいられる。だが、それは自分がためらわずに済む形を選んでいたところもあるのかもしれない。


 リヒターは彼が考えている間に言葉を重ねなかった。伝えたいことは聞いてもらった。どう受け止め、エレジへどう接するかまで、自分が答えを求める話ではなかった。


 拠点へ続く道へ入ると、リヒターは戻ってから食事の準備に使える時間を尋ねた。カイルも記録の照合を先に済ませると答え、二人は拠点へ戻ってからの順番を確認した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。