訓練じゃなく
夕食の片づけを終えると、リヒターはエレジとカイルに、今夜の課題を説明したいと伝えた。ほかの二人は先に共有スペースを出ており、エレジは拭いた机へ椅子を戻してから、カイルの隣に座った。
リヒターが渡した紙には、衣服を外す順番とは別に、立つ位置と身体の向き、座る場所が順に書かれていた。前回は使える姿勢の一覧だったが、今回は、どの指示が次に来るかまで読めるようになっている。
「少佐には、この順番で指示してもらいます。書いてない姿勢は足さないで」
「分かった」
「中尉は、最後までやるための予定だと思わないで。途中で変えてほしいところがあれば伝えて。そこで止めてもいいわ」
エレジは最後の欄まで目を通した。知らない姿勢はなかった。椅子とベッドを使うところも、前に一度は行っている。それでも、ここに書かれたものを全部受け入れられるかは、読むだけでは分からなかった。
「今日は、何を確かめるんですか」
リヒターはカイルへ渡した紙から顔を上げた。エレジは、前回より先まで進めることが目的なのか、それとも同じ範囲で別のことを見るのかを、始める前に聞いておきたかった。
「順番が分かっている状態で、どう感じるか。同じ姿勢でも、今日も受け入れたいかどうかは、その時に考えて」
「前と違う返事でもいいんですね」
「ええ。前にできたものを、毎回できると決めないで。逆に、前に断ったものを、ずっと断る必要もないわ」
エレジは紙の端へ指を置いた。前回の記録は、自分の部屋に残してある。どこで迷い、何を変えてもらったかも覚えているが、それを今夜の返事にする必要はないらしかった。
「衣服は、前と同じところまでにしたいです」
「シャツを残すところまで?」
「はい。今日は、姿勢の方を確かめたいので」
リヒターはその返答を聞き、カイルの紙にも同じ範囲を書き込んだ。どこまで進むかを先に決めたことで、エレジは最後まで脱げるかを考えずに、姿勢の欄を読み直せた。
「終わってから、前回と違ったところも記録しておいて。少佐の記録を見る前に、自分でね」
「分かりました」
カイルも紙を確かめ終えると、リヒターは二人へ渡したものを残して席を立った。今夜も実施中は同席しないと言われ、エレジは彼女を見送ってから、自分の紙を持ってカイルと二階へ上がった。
*
カイルの部屋へ入ると、エレジは課題の紙を机へ置き、椅子の位置を見た。
始める前に衣服を置く場所と終了の伝え方を確認すると、カイルは紙を机へ戻した。順番が決まっていても、それを読み上げて続けるつもりではないらしく、エレジが準備できたと言うまで待っていた。
「始めていいか」
「はい」
着衣のまま立ち、正面から右へ、続いて背中を向けるところまで確かめた。次に何を求められるかは知っているため、前回ほど声を待つことへ注意が寄らなかった。それでも、背中を向ければカイルの表情は見えず、振り返って確かめたい気持ちは残った。
「一度、少佐の方を見たいです」
「ああ」
顔を向けると、カイルはこちらを見ていた。次の姿勢を知っていることと、今いる相手の顔を見たいことは、別だったらしい。エレジはその表情を確かめてから、続きを受けると伝えた。
衣服については、先に決めた範囲で進めた。上着と靴、ベルトを外し、ズボンを脱ぐ前には少し時間を取った。順番は前回と同じで、今日はシャツを脱ぐよう求められないと分かっている。それでも、見られながら行うことへの恥ずかしさはなくならなかった。
終えてから服の位置を整えると、カイルは次の指示を出す前にこちらを見た。
「進むか」
「はい」
正面を向いて立ち、腕を横へ下ろしてから彼の目を見た。カイルの声には普段の訓練で使う鋭さがなく、エレジが顔を上げるのを待っている。それが分かっていても、今の姿をどう思われているのかは気になった。
続いて右を向き、手を身体の前で重ねた。彼が視界から外れると、顔を見なくてよい分だけ楽になるところはある。だが、そのまま背中を向ける指示を受けた時には、エレジはすぐに足を動かさなかった。
「背中を向けるのは、今はやめておきたいです」
「分かった。今の向きは?」
「このままなら大丈夫です」
カイルは了承し、エレジが右を向いたままでいる間、次の指示を出さなかった。彼が待っていることは分かったが、エレジには、前回はできたのにという思いが残っていた。
背中を向けたまま、顔を見たいと伝えることもできた。今夜も同じようにすればよいのかもしれない。それでも、今はその姿勢へ進みたいと思えなかった。
「何か気になるか」
カイルに尋ねられ、エレジは顔だけを彼へ向けた。前回なら、今の向きは続けられると答え、その先は自分の中で考えていたかもしれない。だが、彼へ伝えていないことがあるまま次に進むと、また終わってから同じところを気にしそうだった。
「前回は、背中を向けたんですよね」
「ああ」
「今日はやめたいと思ったんですけど、前にできたのにって、少し気になってます」
「今も、やめておきたいか」
「はい」
「なら、今日は変える」
短く返されると、エレジは紙の順番を思い出した。背中を向けるところを変えても、その後の椅子へ座る指示まで断ったことにはならない。それは説明されている。それでも、自分の返事で予定を変えてもらったことは気になった。
「この前、リヒター大尉と話して、もっと進めばいいということではないのは分かったんです。でも、実際に変えてもらうと、これでいいのかなって思います」
カイルはすぐに次へ進めず、エレジが話している方へ身体を向けた。今の姿勢のまま説明することも落ち着かなくなったため、彼女は正面へ戻りたいと伝えた。
「ああ。戻っていい」
向き直ると、カイルの顔を見ながら話せた。彼は紙へ目を落とさず、こちらの続きを聞こうとしている。
「後から、やっぱり背中を向けておけばよかったと思うかは、まだ分かりません」
「今、返事を変えたいわけじゃないんだな」
「はい。それは違います」
「その迷いも書いておけ。断ったことだけじゃなくて」
エレジは前回の記録へ、シャツを残せてほっとしたことを書き足したのを思い出した。今夜も、変更を求めた後に少し安心している。その後で、前と違う返事をしたことが気になった。
「ほっとしたんです。背中を向けなくていいって聞いた時は」
「それも残せ」
「はい」
カイルはその返答を聞いてから、今夜の課題を続けるかと尋ねた。エレジは机へ置いた衣服と椅子を見た。背中を向けることはやめたが、座って距離を確かめるところは、まだ行ってみたかった。
「椅子へ座るところは、続けたいです」
「分かった。座れ。両足は床へ置いて、手は膝だ」
先に場所を確かめてあったため、エレジは移動する前に椅子を見直さずに済んだ。座ってから足と手の位置を決めると、カイルはベッドの端へ腰を下ろした。
前回より近いところに彼の顔がある。立って見られていた時とは違い、同じくらいの高さで向き合えることには落ち着くところもあった。
「ここはどうだ」
「この距離の方が、顔は見やすいです」
「近すぎないか」
「今は大丈夫です」
答えてからも、エレジは自分が本当にそう思っているかを確かめた。紙に次の姿勢は書かれているが、今の位置を決めたばかりなのに、すぐ移りたくはなかった。
「次の前に、少しこのままでいたいです」
「ああ」
カイルが待つ間、エレジは膝へ置いた手の力を抜いた。彼の顔を見ていても、今すぐ何かを答える必要はない。椅子の座面と床へついた足の感覚を確かめているうちに、次へ進むかどうかを考えられた。
「今日は、ここで終わりにします」
「分かった」
カイルはベッドへ移るよう求めず、衣服を戻してよいと伝えた。エレジは立ち上がる前に、もう一度彼を見た。背中を向けるところを変え、その後は続けて、ベッドへ移る前に終えた。紙の最後まで行かなかったことは気になったが、今から続けるために返事を変えたいとは思わなかった。
*
衣服を戻して記録を書き終えると、エレジは用紙を読み返した。前回受け入れた姿勢を、今日は変えたこと。その後にカイルへ迷いを話し、椅子へ座るところは続けたことも書いてある。
カイルは自分の記録を片づけ、机で書いているエレジへ水を置いた。彼女が読み終えるまで何も尋ねなかったので、エレジは背中を向けるところの記述へ、断った後には安心した、と付け足した。
「書けたか」
「はい」
用紙を畳んでから顔を上げると、カイルはベッドの端に座っていた。エレジは水を飲み、机へ容器を戻してから、彼の方を向いた。
「隣、座ってもいいですか」
「ああ」
さっきの課題では、ベッドへ移る前に終えた。今は自分からそこへ来ている。そのことに気づいたが、エレジは立ち止まらず、カイルの隣へ腰を下ろした。
「さっきは、ここへ来る前に終わりにしたんですよね」
「そうだな」
「今は来たかったです」
カイルがこちらを見ると、エレジは少し照れた。課題を続けるよう頼んだのではないと、わざわざ説明する必要はなかったらしく、彼は紙を取り出そうとはしなかった。
「もう帰るのかと思った」
「帰った方がいいですか」
「まだいい」
そう返されると、エレジは彼の手へ目を落とした。訓練中は、自分の手をどこへ置くかを何度も考えていた。今はカイルの手に触れたくなり、膝の上から指を伸ばした。
彼が手を開いたので、エレジはその指を取った。座る場所も手の位置も、先ほどとは違う。カイルは握り返したが、次に何をするかを指示することはなかった。
「迷ってるところまで話すと、長くなりますね」
「長くなってもいい」
「途中で、話ばかりになりませんか」
「必要なら聞く」
エレジは彼の手を取ったまま、少し考えた。今夜も、これで本番に対応できると思えたわけではない。前と違う返事をしたことへの迷いも、書き終えた途端になくなったわけではなかった。それでも、その話をカイルへ伝えた後に、続きを行うかどうかは自分で決められた。
「終わってから言うより、よかったです」
「ああ」
カイルが頷くと、エレジは彼の肩へ軽く身体を寄せた。今夜の記録にはもう書き加えることがあるかもしれないが、机へ戻るのは後にしたかった。彼が空いた手を背中へ添えたので、エレジはそのまま隣に座っていた。
「……訓練は、もう終わりですよね」
エレジが肩から顔を上げると、カイルはこちらを見た。記録は書き終え、課題の紙も机へ戻してある。それでも、これから話したいことを今夜の課題の続きとして受け取られたくなくて、先に確かめておきたかった。
「ああ。終わってる」
「……試したいことがあります。でも、リヒターさんには内緒にしたいです。訓練じゃないから……」
カイルは、彼女が何を頼もうとしているのかを聞くまで、返事を決めずに待っていた。エレジは握っていた彼の手へ目を落としたが、そこを見ていても言葉が出やすくなるわけではなかった。
「訓練じゃなくて、私がやってみたいんです」
「何を」
エレジは机へ置かれた課題の紙を見た。今夜は途中で終えたが、それをやり直したいのではない。ここでカイルと二人でいる時に、彼から指示され、自分が応じることを考えると、恥ずかしさとは別に、やってみたい気持ちがあった。
「……さっきみたいなことです」
「脱衣をか」
「……姿勢の指定も」
エレジはカイルの顔を見上げた。口にしたことで、もう何を頼んでいるかは伝わったはずだった。彼はその目を見た後、額へ手を当てた。
カイルには、彼女が何を望んでいるかは分かった。だが、課題の最中には自分の欲で姿勢を選ばないよう気をつけていたのに、今度は、その相手から二人の時間として同じことを求められている。嬉しいと思ったことまで隠せず、すぐに返す言葉を選ぶために少し時間が必要だった。
「……分かった」
「いいんですか」
「俺に聞いてるんだろ」
「はい」
「なら、いい」
迷わず言われると、エレジは握っていた手へ少し力を込めた。了承されるまでは頼んだこと自体が恥ずかしかったが、今は本当に行うのだと思うと、彼の顔を見続ける方が難しくなった。
「ただ、さっきの続きにはしない」
「はい。そのつもりです」
「紙も使わない。それでいいか」
エレジはもう一度机を見た。そこに書かれた順番を終えるために頼んだわけではないので、使わなくてよかった。カイルが何を望むかを、自分へ伝えてほしかった。
「少佐が、してほしいことを言ってください」
カイルは額から手を下ろし、彼女を見た。今の言葉を聞けば、自分の感情を外して進める理由はなかった。それでも、何でも求めてよいという意味ではないことは、彼にも分かっていた。
「嫌なら言え」
「はい。少佐も、嫌だったら言ってください」
「今は嫌じゃない」
その答えに、エレジは少し笑った。カイルが応じてくれることは嬉しかったが、自分の希望を聞いたから仕方なく、というのでなければ、もっと嬉しかった。
「……少佐も、やってみたいですか」
「ああ」
短い返事でも、こちらへ向けられた表情から、それ以上を聞く必要はないと思えた。エレジは彼の手を離し、ベッドから立とうとしたが、カイルがまだ何も求めていないことに気づいて、そのまま座り直した。
「何だ」
「先に立とうとしました」
「立ちたいのか」
「いえ、ただ指示されると思って」
カイルはその返答を聞き、椅子の方へ目を向けた。課題で使った位置に置かれたままだったが、今の彼には、彼女をそこへ移す理由はなかった。
「ここにいろ」
「はい」
「こっちを向け」
エレジは座ったまま身体を彼へ向けた。さっきまでと違い、膝が触れるほど近くにいる。カイルがこちらを見ていることを意識すると、顔を伏せたくなったが、今は見ていてほしいとも思った。
「俺の顔を見ろ」
声は普段と同じだった。エレジが顔を上げると、彼の目もこちらへ向いていた。課題の時には、今の姿勢を続けられるかを考えていたが、今は、彼が自分にそうしてほしいと思っていることが気になった。
「……近いです」
「離れるか」
「いいです。このままがいいです」
エレジが答えると、カイルは彼女の頬へ手を添えた。顔を見るよう言われた後に触れられるとは思っていなかったが、その手へ自分から少し頬を寄せた。
「今は、触ってもいいんですよね」
「お前がそうしたいなら」
エレジは彼の腕へ手を置き、肩へ向かって指を滑らせた。姿勢を指定されていても、自分から近づきたくなったことまで、次の指示を待つ必要はなかった。
カイルが顔を寄せたので、エレジは目を閉じた。口づけを受けた後も離れずにいると、彼の手が背中へ回った。今夜の課題ではベッドへ移る前に終えたが、ここへ来たことも、こうして触れたいと思ったことも、その返事を変えるためではなかった。
「……その先も、やってみたいです」
エレジが小さく伝えると、カイルは彼女を抱いていた腕を緩め、顔を見た。カイルの目の色が深くなった。
「……本当にいいんだな?」
「はい」
「……立って、正面に」
エレジが言われた通り正面に立つと、カイルは彼女の顔を見た。
課題の時にも同じように向き合ったが、今は、彼が次に何をしてほしいと思うのかを聞くために立っている。その違いを意識すると、エレジは身体の前へ置きかけた手を下ろした。
「上着を脱げ」
「はい」
エレジは上着を外し、机の端へ置いた。戻った時もカイルはこちらを見ており、次に何を言われるかを考えながら、その前に立った。
「靴も。座っていい」
ベッドの空いているところへ腰を下ろして靴を外すと、エレジは足元へ揃えた。カイルの隣に座ったままでいたくもなったが、今は指示を受けた場所へ戻りたいと思い、立って彼の正面へ移った。
「ベルトを外せ」
返事をしてから留め具へ手をかけると、カイルの視線が手元へ移ったのが分かった。エレジは彼の顔を見たいと思ったが、見ながらでは外しにくく、自分の手へ目を戻した。
外したベルトを上着のそばへ置き、振り返ると、カイルはベッドに座ったまま待っていた。近づいて手伝おうとはせず、こちらが戻るところも見ている。
「ズボンを脱げ」
エレジはその言葉を聞き、彼の顔を見た。ここまでやってみたいと思って頼んだのに、実際に求められると、返事をするまでに少し間ができた。
カイルは言い直さずに待っていた。エレジは自分の気持ちを確かめ、今も彼に見ていてほしいと思ってから頷いた。
「……はい」
衣服を外し、ほかのものと一緒に置くと、エレジはシャツの裾を整えた。彼の前へ戻る間にも見られていることが気になったが、顔を上げると、カイルは目を逸らさずにこちらを見ていた。
「……ずっと、ここまでで終わってますよね」
「ああ」
エレジは机へ置いた衣服を一度見てから、彼へ視線を戻した。あの時は自分がどうするかを考えることに精いっぱいで、カイルが何を思っていたのかまでは聞けなかった。
「どう思ってましたか」
「お前が脱いだ時か」
「はい」
カイルは、どこまで言葉にすれば彼女が聞きたかったことへ答えられるかを考えた。訓練をどう進めるつもりだったかなら説明できる。だが、今尋ねられているのは、自分が彼女を見て何を感じたかだった。
「かわいいと思ってた」
まっすぐ返されると、エレジは顔が熱くなった。聞いたのは自分なのに、すぐには次の言葉を出せなかった。
「……それだけですか」
「もっと見ていたいとも思った」
カイルは答えてから、彼女の顔を見た。エレジが視線を下げかけても、言ったことを軽くするようには続けなかった。
「お前は恥ずかしそうだったから、俺が見たいと思ってることを出したら、余計にやりにくくなるかとも考えた」
「でも、何も感じてないようにはしないって」
「ああ。だから、隠すつもりはなかった。ただ、それで次に何をさせるか決めていいのかは、迷った」
エレジはこの前、カイルが指示の途中で言葉を止めたことを思い出した。選び直していると聞いたが、その時に何を考えていたかは知らなかった。
「それで、姿勢を先に決めてもらうことにしたんですか」
「そうだ」
彼が自分を見て迷ったのだと思うと、まだ顔を上げ続けるのは難しかった。エレジはシャツの裾から手を離し、今度は短く息をついてから彼を見た。
「今は、どう思ってますか」
「まだ、このまま見ていたい」
エレジはそれを受け入れて、そのまま立っていた。カイルの視線がエレジの顔からゆっくり下がっていき、裾の辺りで止まった。顔が熱くなって、裾を手で押さえた。
「あの、これって隠せてますか?」
カイルは、見えていると伝えれば彼女がさらに恥ずかしがるかもしれないと思ったが、隠せているかを尋ねられた以上、そのまま答えることにした。
「いや、少し見えてる」
エレジはシャツの裾を少し引き下げた。自分からやってみたいと頼んだのに、見えていると分かると、そのまま手を離すのは恥ずかしかった。
「……今は?」
「隠れてる」
そう答えながらもカイルがこちらを見ているので、エレジは裾を押さえたまま彼の顔を見た。隠したことを残念に思われたのかが気になったが、表情だけでは分からなかった。
「少佐は、見えてた方がいいですか」
カイルはすぐには答えず、彼女が裾へ置いている手を見た。自分がどうしたいかを聞かれていることは分かったが、その返事を聞けば、エレジが手を離そうとするかもしれないとも思った。
「見たいとは思う」
エレジが指の力を緩めると、カイルはその動きに気づいて顔を上げた。
「だが、今は押さえていたいんだろ」
「……はい。でも、自分からやってみたいって言ったので」
「それで、ずっと平気でいられるわけじゃないだろ」
エレジは裾へ目を落とした。見てほしいと思ったことは変わっていない。それでも、今どこが見えているか分からないまま立っているのは落ち着かなかった。
「どこまで見えてるのか、自分では分からなくて」
「それで聞いたのか」
「はい。分かったら、余計に恥ずかしくなりましたけど」
カイルが少し笑った。彼が見たいと思っていることを聞けたのは嬉しかったが、そのためにすぐ手を離したいとは思えなかった。
「少し、このままでいてもいいですか」
「ああ」
了承されると、エレジは裾を押さえたまま顔を上げた。カイルも視線を戻し、今度は彼女の顔を見ていた。目が合っていると、さっき自分が何を尋ねたかまで思い出されて恥ずかしかったが、彼を見ていられることには落ち着くところもあった。
「……近くへ行きたいです」
「来い」
エレジは彼の前まで歩き、手が届くところで足を止めた。カイルがこちらへ手を伸ばしたので、片手を裾から離して、その手を取った。
「座るか」
「まだ、このままがいいです」
立ったまま少し身をかがめると、カイルは彼女が何をしたいのかを察し、顔を上げた。エレジは自分から口づけ、離れた後も近くにいた。
「指示してもらうつもりだったのに、私から頼んでばかりですね」
「お前がしたいことを言ってもいいだろ」
カイルが握った手を引き寄せると、エレジはもう少し近づいた。裾を押さえていた方の手も彼の肩へ置き、その顔を見下ろした。カイルは手が離れたことを指摘せず、彼女の腰へ腕を添えて、もう一度自分の方へ顔を寄せた。




