強さの理由・ヨナスの気持ち
朝食へ向かう前に、エレジはリヒターから受け取ったナイフを身につけた。革の鞘へ収まっていることを確かめ、上着を着てから腰の辺りでほかの装備に触れないかを見る。
部屋の中で立っている時には気にならなくても、椅子へ座ると鞘の位置が変わったため、少し直してから廊下へ出た。
もらった夜には、手にした重さとこれを実際に持つことになったのだという気持ちが強く残った。今朝は、食事や移動の間にも身につけているものとして、邪魔にならない位置を考えていた。訓練用のナイフと同じように扱ってよいものではないことも、鞘を確かめるたびに意識していた。
共有スペースへ入ると、リヒターは机に広げた予定表を読んでいた。エレジが自分の席へ向かう途中で上着を脱ぐと、彼女の視線が腰の辺りへ移った。
「座った時はどう?」
「少し気になったので、位置を直しました。今は大丈夫です」
「あとで動く時にも見ておきましょう。今日は近接をやるから」
エレジが了承すると、カイルも朝食を取りながら今日の組み分けを伝えた。男性三人は格闘で相手を交代し、エレジはリヒターとナイフを使う練習を行う。その後は時間を区切り、それぞれが確かめたことを整理するという予定だった。
マティアスは組み分けを聞いてから、向かいにいるヨナスを見た。
「この前の抜け方、今日は組んだところから試してもいいですか」
「いいですよ。ただ、同じように押さえられるとは限りませんけど」
「そこは、まあ、分かってますけど」
「何が分かってるんだ」
カイルに聞かれ、マティアスは動きだけを教わった時と対戦中では違うということだと答えた。エレジにも、三人が教わった動きを試し、その途中で止めて確かめているところは何度か見えていた。
「分かってるなら、使うことだけ考えるなよ」
「はい。前と同じところで取られないようにも考えてます」
マティアスが食事へ戻ると、ヨナスも自分が何をするかは始まってから考えると答えた。その返事を聞き、エレジは三人の練習も見てみたいと思ったが、今日はリヒターから教わる時間がある。朝のうちに聞いておきたいことを彼女へ向けた。
「練習では、別のナイフを使うんですよね」
「ええ。渡したものは鞘へ戻して置いておいて。持ってる場所は始める前に見せて」
エレジは腰の鞘へ目を向けた。自分で直した位置が動く時にも合っているか、まだ確かめてはいなかった。食事を終えたら先に見てもらおうと考え、予定表に書かれた開始時刻を確認した。
*
訓練室では、男性三人が使う場所と、エレジたちが動く場所を分けた。相手を見ながら移動している時に、別の組へ近づかないだけの距離がある。エレジは実用のナイフをリヒターに見せてから鞘ごと外し、ほかの装備と一緒に所定の場所へ置いた。
訓練用のものを取ると、手に収まる感覚にも覚えがあった。これまでもナイフを使う近接は行っているし、リヒターと対した時には、自分の知っている動きを試した上で止められている。今日も初めから教わるのではなく、前に確かめたところから続けることになった。
「まず、前のところを見せて。途中で変えてもいいから、決めた動きを最後までやることだけ考えないで」
エレジは、前回うまくいかなかった場面を思い出してから彼女へ向き合った。動き始める前に考えていたことと、相手が実際にいる位置が違えば、そのまま続けられない。そこは分かっていても、リヒターを前にすると、変えるより先に次の動きへ入ってしまうことがあった。
最初の区間では、リヒターが動いた後もエレジは続けるつもりでいた。だが途中で距離が変わり、考えていた位置へは進めなくなる。彼女が終了を告げると、エレジはナイフを下げてから自分がどこで予定を変えるべきだったかを考えた。
「今のは、どこまで続けるつもりだった?」
「最初に考えたところまでです。途中で少し変えたんですけど、少佐たちの方へ近づきそうになったので同じ側へ残りました」
「そこは見えてたのね。なら、その後も同じように続けられるかもう一度考えてみて」
リヒターはすぐに正しい動きを示さず、エレジが考える時間を取った。彼女が自分の位置と向かい側の空いている場所を見直してから、次の区間を始める。
隣では、カイルとマティアスが対していた。二人の声が入ってきても、エレジはそちらを見なかった。リヒターが動き始めてから顔を向ければ、その間に変わったことを取れなくなる。自分の区間が終わるまでは、目の前にいる相手へ注意を戻した。
*
最初の対戦を終えると、マティアスはカイルへ、前と違うことをしたつもりだったと伝えた。
「違ってたな」
「でも、終わり方はあまり変わってないんですけど」
「途中から同じになってた」
カイルの返答を聞き、マティアスは自分が何を変えた後に、結局どこへ戻ったかを思い返していた。ヨナスも見ていたため、彼からどう見えたかを聞く。二人が話している間に、カイルは次の対戦の時間を確かめた。
少し離れたところでは、リヒターがエレジの動きを見ていた。マティアスはそちらへ一度目を向け、前に共有スペースで話したことを思い出したらしかった。
「そういえば、ファルク大尉。中尉と星を見てた夜の話、聞きました?」
「何の話ですか」
「恋敵が現れたんじゃないかって、リヒター大尉が少佐に」
カイルは時計から顔を上げた。マティアスは彼が聞いていることを承知で話している。それでも、すでに終えた話をファルクへ伝える必要があるとは思えなかった。
「ロート」
「いや、大尉には話してなかったなと思って」
ヨナスは二人を見比べてから、エレジたちの方を確かめた。彼女はリヒターの説明を聞いており、こちらの会話へ注意を向けている様子はない。
「俺とヴァイス中尉が、ですか」
「はい。話も合うし、年も近いしって」
「それで、どうなったんです?」
「中尉は、そういう意味で好きなわけじゃないそうです」
カイルが答える前にマティアスが言ったため、彼はそちらを見た。
「お前、どこで聞いた」
「後で中尉に聞きました。俺たちが何を話してたか分かったみたいだったので」
エレジがその話をしたことは知らなかった。だが、マティアスたちの会話がきっかけで自分が気にしていたのだから、彼女が事情を確かめても不思議ではない。カイルはそれ以上は彼女の返答について説明させないつもりで、次の対戦へ移ろうとした。
だがその前に、ヨナスが少し首を傾げた。
「それは、ヴァイス中尉の気持ちですよね」
「そうですけど」
「俺の気持ちは聞かれてませんよね」
カイルはファルクを見た。彼はエレジが自分をどう思っているかと、自分が彼女をどう思っているかを別の話として返している。その区別自体は正しかったが、今わざわざ言う理由までは分からなかった。
マティアスはその返答を聞いて関心を強めたらしかった。
「じゃあ、大尉はどう思ってるんですか」
ヨナスは少し口の端を上げた。
「どうでしょう。でも、かわいい人だと思ってますよ」
冗談だとも、本気だとも言わない。その表情を見ても、カイルにはどこまでの意味で言ったのか判断できなかった。
「ファルク、次だ」
「はい」
彼が了承して準備へ戻ったので、カイルも話を追わなかった。エレジがファルクをどう思っているかは聞いている。そこで彼の返答まで確かめたところで、彼女の気持ちが変わるわけではなかった。
それでも向き合った時には、先ほどマティアスと対した時よりも相手の動きへ強く注意が向いていた。
これまで何度も組んでいるため、ファルクが最初に使った動きには、その後に確かめたことを踏まえて応じられた。
だが、相手も同じところへは戻らず、カイルが位置を取ろうとしたところで別の側へ身体を移した。
普段なら、一度区切って今の動きを確かめるところだった。カイルはそこで止めず、ファルクが次にどう返すかを取りにいった。
相手もそのまま応じたため、教わった動きを試す時のように、互いが確かめやすい位置へ戻ることはなかった。
最初の区間を終えると、ヨナスは自分が腕を取られたところについて尋ねた。カイルが答えると、彼は前に教わった動きでは間に合わなかったと言い、次は入り方を変えるつもりらしかった。
カイルもその返答を聞いてから向き合い直した。互いに何を覚えたか知っていても、次に同じことをするとは限らなかった。
次の区間では、カイルも一度姿勢を崩された。立て直した後には、ファルクが先ほど使わなかった動きで抜けようとしている。カイルはそれを見て位置を変え、相手が応じるとさらに続けた。
訓練の範囲は変えていないが、相手へ先を渡したくない気持ちが、普段よりはっきりしていた。
終了してから、マティアスが二人へ水を持ってきた。ヨナスが受け取る横で、彼はカイルの顔を見ている。
「少佐、急に熱入りましたね」
「お前も次だ」
「まだ何も言ってないでしょう」
「言っただろ」
マティアスが笑いながら容器を渡すと、カイルは水を飲んでから次の時間を確認した。ファルクの言葉が気になっていないと言えば、嘘になる。それを対戦へ持ち込んだことも分かっていたが、マティアスへ説明して楽しませるつもりはなかった。
*
エレジが休憩に入った時には、男性三人も対戦を終えていた。自分たちが練習している間、隣の組の動きが先ほどより続いていることは分かったが、何がきっかけでそうなったのかまでは知らなかった。
「少佐たち、さっきより激しくなってませんでした?」
リヒターへ尋ねると、彼女も三人の方を見た。マティアスが何かを言い、カイルが短く返している。ヨナスは二人の話を聞きながら、水を飲んでいた。
「相手が変われば、動きも変わるでしょう。ファルク大尉とは、少佐も長く続けられるんじゃない?」
「そうですね」
エレジは最初の対戦でマティアスが困っていたところを思い出した。カイルの体格と力に対して、考えていた動きを続けられなくなる。ヨナスとの対戦では、また別のところで変える必要があるようだった。
自分とリヒターの間にも、同じように相手との違いがある。だが、今まで彼女に止められた時の感覚は、カイルと組んだ時とは違っていた。
「どうして、そんなに強いんですか」
リヒターはエレジへ目を戻し、少し考えるように顔を見た。
「私?」
「はい」
「どの辺りを見て、そう思ったの?」
聞き返されると、エレジは一度視線を落とし、先ほどの練習を思い返した。速いことも、動きが途切れないことも理由ではある。ただ、それだけを言っても、自分が難しいと感じているところとは少し違った。
「途中で変えても、対応されるので。最初に考えたことは、そのまま続ければ分かると思います。でも、こっちが変えた後も、もう分かっていたみたいに動くでしょう」
「あなたが考えてることが、全部分かるわけじゃないわよ」
「でも、変えたところも止められます」
「動き始めたら、見えるものはあるでしょう。あなたも、私が最初にいたところだけを見て動いてるわけじゃない」
エレジは、二回目の区間では自分も彼女の変化を見ていたと考えた。ただ、見えたことへ応じるまでに、リヒターの方がもう次へ進んでいる。自分が判断を変えた時には、選べるところが少なくなっていた。
「少佐に止められる時とは、感じが違うんです。強い力で動けなくなったというより、その前に、続けられるところがなくなってる気がして」
「そうなる前に、私もいくつか選んでるの。全部が最初から決まってるわけじゃないし、外れることもある」
「外れた時は、どうしてるんですか」
「次に見えたものから考え直す。間に合わなければ、うまくいかないこともあるわ」
当たり前のように言われると、エレジは、これまでの練習で彼女がどこまで確かめていたかを知りたくなった。止められたという結果ばかり覚えていて、その前にリヒターが変えたところを、自分は十分に見ていなかったのかもしれない。
「どのくらい練習したら、そうなるんですか」
「年数だけでは答えられないわね。何をしてきたかも違うから」
「ずっと、こういうことを?」
「練習で覚えたこともあるし、実際に必要になって身についたこともある。後から、あの時どうしてそうしたのか考え直したものもあるわ」
エレジはその返答を聞き、リヒターが経験してきたことを自分がほとんど知らないと思った。食事の時に話したことも、その一部分なのだろう。だが、強さの理由を尋ねたからといって、今ここで過去まで聞いてよいとは思わなかった。
「戦いだけじゃなくて、精神的にも強いですよね」
エレジが続けると、リヒターは訓練用のナイフを取ろうとしていた手を止め、彼女へ目を戻した。
技術については教わることが分かってきたが、難しい状況でも判断を続けられる彼女の強さは、それだけでは説明できないように思えた。
「どうすれば、そうなれるんですか」
「精神面のことなら、私の真似はできないし、しない方がいいわ」
先ほどまでの説明とは違い、リヒターは考える時間を取らずに答えた。エレジは、練習を重ねれば身につくことではないのだろうかと思い、彼女の顔を見た。
「どうしてですか」
「私には、そうする理由があるの。あなたが同じものを持てるわけじゃないし、持つべきだとも思わない」
「でも、迷っているようには見えないので」
リヒターは少し考えてから、机に置いた道具へ目を向けた。エレジにはその理由までは分からなかったが、彼女が答えようとしているのは、練習の回数や経験の長さではなさそうだった。
「迷わずに動けるところがあっても、ほかのことまで平気なわけじゃないわ。あなたに見せてないところもある」
エレジは、普段からリヒターと一緒に過ごしていても、彼女が一人でいる時のことはほとんど知らないと思った。自分が訓練中に見ている姿だけで、いつも同じようにいられる人なのだと考えていた。
「私には、今見えているところしか分からないですよね」
「ええ。だから、技術は見て覚えて。でも、気持ちの持ち方まで私と同じにしようとは思わないで。あなたに勧められるものではないから」
エレジは頷いた。そう言う理由は気になったが、リヒターは自分のあり方を教える代わりに、真似をしないよう伝えている。その先を聞くより、今教えてもらえることを確かめたかった。
「今は、何を見てるのかを教えてもらえますか」
「ええ。次は一度終えてから話しましょう。その途中で説明すると、あなたの動きも変わるから」
リヒターが訓練用のナイフを取り直したので、エレジも休憩を終えた。先ほどまで彼女を見ていた場所へ戻り、今度は自分が変えた後のことを意識して向き合った。
*
次の区間では、エレジが最初に考えていた動きを途中でやめた。リヒターが動いたために距離が変わり、そのまま続けるより、一度立て直した方がよいと思ったからだった。
何度か繰り返す間に、同じように見えた始まりからも、途中の動きは変わった。エレジが応じられたところもあれば、また予定した動きへ戻ってしまい、終わってから気づくところもある。リヒターはそれぞれについて、自分が見たことと、そこから考えたことを分けて話した。
男性三人が先に片づけを始めた頃、エレジたちも最後の区間を終えた。訓練用のナイフを戻すと、手に力を入れていたことが分かった。エレジは水を飲みながら、忘れないうちに記録したいところを考えた。
「中尉、どうでした?」
マティアスが器材を運ぶ途中で尋ねたので、エレジは、前より何を見られていたかは分かったと答えた。
「でも、分かったから次はできる、とはまだ言えないです」
「俺もです。少佐に、また同じになってるって言われたので」
「自分では変えたつもりだったんですか?」
「はい。ファルク大尉にも聞いたら、途中から分かったって」
ヨナスは自分にも分かったところと、そうではなかったところがあると付け足した。マティアスはそれを聞き、次には違うところまで続けたいと言う。カイルは違うことをするのを目的にするなと返した。
エレジはその会話を聞きながら、自分も今まで止められた動きと違うものを選べばよいと思いかけていたことを考えた。変える必要があるかどうかは、相手と向き合ってから確かめるものだった。
片づけを終えて装備を戻す時、エレジは実用のナイフを鞘ごと手に取った。訓練で使ったものとは違い、持ったまま考え事をしてよいものではない。収まりを確かめてから身につけ、上着を着た後にも朝と同じ位置にあるかを見た。
「つけ直してみて、位置はどう?」
リヒターが尋ねたので、エレジは朝と同じ位置に戻せていることを確かめ、今は気にならないと答えた。
「ただ、動いている時にも邪魔にならないかは、まだ分かりません」
「そうね。今日は訓練用のものを使ったから、携行してる時の動きもまた別に見ましょう」
エレジは了承し、施設へ戻るためにほかの四人と合流した。もらったナイフを身につけていることには、もう最初の夜ほどの戸惑いはなかった。
それでも、持っていることと使えることを同じには考えられない。今日リヒターへ尋ねたことにも、まだ教わりたいところが残っていた。




