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エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:訓練

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料理の理由


 朝食の後、リヒターは共同訓練の準備へ向かう前にカイルへ昨夜の面談について伝えた。エレジはすでに自室へ戻っており、二人はほかの班員が席を離れてから話した。


「昨夜、中尉と話したわ。一昨日の選択をやり直したいわけではなかった。シャツはあの時は残しておきたかったと言ってた」


「本番のことは?」


「止まらない相手への対応に今の課題がどうつながるのかを気にしてた。全部試せばもう少し大丈夫だと思えるかもしれないとも」


 カイルは一昨夜の選択を変えたいわけではないと聞いて、次の課題を進めるために同じ指示を出し直す必要はないと確かめられた。ただ、今の課題で何を確かめているかを説明するだけでは彼女の疑問へ十分に答えられなかったことも分かった。


「何と答えた」


「衣服をどこまで外すかと相手が要求を聞くかは別の条件だと話したわ。一昨日の課題だけでは本番で対応できると確認したことにはならない。でも、もっと脱げばその疑問がなくなるわけでもないと」


「ああ」


「次は何を確かめる課題なのかを先に説明する。姿勢と順番も私が決めて渡すわ」


「分かった。ヴァイスはそれでどうだった」


 リヒターは面談を終える前にエレジが記録へ書き足したことを思い返した。安心したこととその後も迷っていたことを、どちらも残していた。


「不安が全部なくなったわけではないと思う。ただ、一昨日断ったことを変えずにその先を考えてよいとは受け取っていたわ」


 カイルはそれを聞き、今朝エレジへ同じことを聞き直すのはやめた。次の課題を始める時には、その時の彼女がどう考えているかを確かめればいい。


「なら、次の説明の時に聞く」


「ええ。今日は予定どおり共同訓練から始めましょう」


 リヒターが準備へ戻ると、カイルも手元の予定表を片づけ、訓練に使う装備の確認へ向かった。


     *


 共同訓練を終えて施設へ戻ると、リヒターは夕食までに済ませたい用事があると言い、もう一度外へ出る準備を始めた。エレジは記録を片づけてから台所へ向かうつもりだったが、彼女が上着を手にしたため、今夜は料理をしないのかと尋ねた。


「するわ。夕食には戻るつもりだけど、先に準備を始めておいてくれる?」


「何を作りますか」


「冷蔵庫にあるものを見て決めていいわ。五人分ね」


 いつもならリヒターが食材を出し、その日に作るものを話してから二人で取りかかる。エレジは彼女が戻るまでに何を済ませればよいかを考えたが、まだ献立も決まっていないため、最初に台所を見なければ分からなかった。


「何時ごろ戻りますか?」


「六時半くらい。変わりそうなら連絡する」


「分かりました」


 リヒターを見送ってから台所へ入ると、エレジは冷蔵庫と棚に残っている食材を確かめた。

 肉と玉ねぎ、にんじんがあり、じゃがいもも五人で食べる分には足りそうだった。先日リヒターと作った煮込みなら、使った鍋もどのくらいの量を入れたかも覚えている。

 味つけの細かいところには自信がなかったが、途中で確かめながら作れる料理だった。


 ほかにも作れそうなものはあった。ただ、何品も同時に進めるより、まず鍋を一つ仕上げ、その間に付け合わせを用意する方がよいと思った。エレジは煮込みに使う食材を机へ並べ、残っているキャベツも取り出した。


 マティアスが台所へ顔を出したのはその時だった。手には訓練で使った装備の一部を持っており、片づけを終えて来たわけではなさそうだった。


「あれ、中尉だけ?」


「リヒター大尉は出かけました。戻るまでに準備をしておいてって」


「俺たち、もう少しかかりそうです。留め具が一つおかしくて、少佐がほかのも確認するって」


「夕食までには終わりそうですか?」


「そのつもりです。ファルク大尉は?」


「まだ通信室だと思います。戻ってから見てないです」


 マティアスは机に並んだ食材を見て、今夜は何を食べるのか尋ねた。エレジが煮込みを作るつもりだと答えると、彼は鍋の方まで確かめた。


「五人分入る?」


「前もこれで作ったので大丈夫です。まだかかるなら、先に始めておきます」


「お願いします。終わったら来ます」


 彼が装備を持って戻った後、ヨナスからも通信設備の点検を続けるので夕食の準備には遅れると伝えられた。エレジは台所の時計を見てからわかりましたと答えた。リヒターも戻るまでには時間がある。待ってから始めれば、全員が戻った時にも料理ができていないかもしれなかった。


 野菜を切りながら、エレジは前にリヒターがしていた順番を思い出した。ただ、一人で鍋と包丁の両方へ注意を向けるのは慣れていない。今日は先に切るところを済ませてから火を使うことにした。


 肉は明日のために残してあるものかもしれないため、リヒターへ電話して確かめた。それ以外は目の前の量を見て決め、にんじんは少し残し、じゃがいもは火の通り方が揃うように切った。隣に彼女がいれば聞いていたかもしれないところも、一度自分で考えてから進められた。


 煮込み始めてからは鍋の様子を見ながら付け合わせを用意した。火加減や煮汁を確かめているうちに時間が過ぎ、リヒターから連絡が入った頃にはじゃがいもにもほとんど火が通っていた。


「七時くらいになりそう。そっちはどう?」


「煮込みはもう少しでできそうです。ほかの三人もまだ作業してます」


「先に食べるなら、私の分だけ残しておいて」


「待ってても大丈夫な料理なので、皆さんの時間も聞いてみます」


 カイルとヨナスにも確認すると、七時には食事にできると返答があった。エレジはじゃがいもが崩れないうちに火を止め、食べる前に温め直すことにした。付け合わせもその頃に仕上げればよさそうだった。


 味を見て調味料を少し足すと、前と同じかは分からなかったが、自分でもおいしいと思えた。エレジは鍋に蓋を戻し、残った時間で使った道具を洗った。


     *


 リヒターが戻った時、エレジは温め直していた鍋の火を調整していた。廊下から声をかけられて振り返ると、彼女は上着を脱ぎながら机の上と片づいた流しを見ている。


「もうできてる?」


「ほとんどできています。あとは付け合わせと盛りつけです」


「何にしたの?」


「前に作った煮込みです。材料が揃ってたので。ほかにも作れそうでしたけど、一人ならこれがいちばん進めやすそうだと思って」


 リヒターは鍋の中を見てから火を止めるまでのことを聞いた。エレジは帰りが遅れる連絡を受けて仕上げをずらしたことと、ほかの三人も七時には食べられることを伝えた。


「そう。なら、もう器を出していいわね」


「味は見たんですけど、前と同じかは分かりません」


「同じにしなくてもいいでしょう。私にも少しちょうだい」


 エレジが小さな器へ取り分けると、リヒターは味を確かめ、残りをそのまま食べた。


「これでいいと思う。何か足すつもりだった?」


「まだ決めてませんでした。皆が来る前にもう一度見ようと思って」


「じゃあ、その時にあなたが決めて。私は付け合わせをやるわ」


 リヒターがいつもの場所から器を取り出したので、エレジは鍋の方へ戻った。自分が作ったものを直すために来たのではなく、残っているところを一緒に済ませるつもりらしい。隣で付け合わせが仕上がる間に、エレジも最後の味を確かめ、今のまま出すことにした。


 カイルとマティアスが来る頃には机へ五人分の器が並んでいた。ヨナスも点検を終えて合流し、通信室で作業を続けていたため、食事の匂いがするまで時間を意識していなかったと話した。


「結局、手伝いに来られませんでしたね」


 マティアスが鍋から取り分けながら言ったので、エレジはリヒターが帰ってから残りを手伝ってくれたと答えた。


「戻る前にはほとんど終わってたわよ。今日はヴァイス中尉が作ったの」


「献立もですか」


「はい。あるもので作れそうなものを選びました」


 マティアスは自分の器へ目を戻し、これなら作業が長引いても待っていられると言った。カイルが待たせる前提で考えるなと返したため、エレジも毎回この料理にするわけではないと付け足した。


 食べ始めると、装備の留め具は交換することになったという話になった。ヨナスも点検で分かったことを説明し、明日の訓練までに使える状態へ戻せるとカイルへ伝えた。エレジは話を聞きながら自分の器へ入れたじゃがいもを食べた。温め直しても崩れすぎてはおらず、先に火を止めてよかったと思えた。


 リヒターも同じものを食べ、途中で付け合わせをほかの者へ回していた。エレジは彼女が味を直そうとしないことを確かめると、鍋へ注意を戻すのをやめ、自分の食事を続けられた。


     *


 片づけを終えて五人が机の周りへ戻ると、エレジはリヒターが隣へ座るのを待って、以前から少し気になっていたことを尋ねた。


「ここへ来た日に料理を手伝ってほしいって私にだけ声をかけましたよね。あれ、どうして私だけだったんですか?」


「最初に頼んだ時のこと?」


「はい。あの時は誰か一人いた方がいいからかなと思ったんですけど、その後もずっと私だけなので」


 手伝うことが嫌だったわけではない。リヒターと料理をする時間にも慣れ、今日も先に準備を頼まれたこと自体は不思議に思わなかった。ただ、一人で夕食を用意してみると、最初に声をかけられた時から彼女は何を考えて自分を誘ったのだろうと気になった。


「俺も手伝えるって言ったんですけど、二人で十分って言われましたね」


 マティアスも初日のことを覚えていたらしく、リヒターへ顔を向けた。彼はそれからも食器を並べたり、片づけを引き受けたりしている。ただ、台所で一緒に料理をするのはほとんどいつもエレジだった。


「実際、二人で足りてたでしょう」


「それはそうですけど。中尉を選んだ理由はあったんですか」


「ええ。一つだけじゃないけど」


 リヒターがこちらへ目を戻したので、エレジは単に最初に返事をしたからではなかったのだと思った。頼まれた時には深く考えずに了承したが、彼女の方には理由があったらしい。


「あなたの個人的な能力も高めたかったの」


「能力って、何のですか」


「生きる能力かな。食べるものを自分で用意できるのも、その一つでしょう」


 訓練や任務で使うものを考えかけていたため、エレジは少し意外に思った。料理は軍に入る前にもしていたが、家にあるもので簡単なものを作る程度だった。ここへ来てからはリヒターに教わりながら、それまで作ったことのないものも覚えている。


「作れるものを増やす、ということですか」


「それもあるわ。今日は五人分、自分で用意できたでしょう」


「煮込みなら前に一緒に作ったので」


「ええ。それを覚えていて、今日作るものに選べた。私がいなくても食事にできたわね」


 エレジは台所へ目を向けた。リヒターが戻る頃には煮込みはできていた。付け合わせと盛りつけは手伝ってもらったが、何を作るかもどのくらい使うかも、自分で決めて進められた。


「あと、料理には選ぶ自由があるの。少しずつあなたにも任せたかった」


「献立とか味つけですか」


「そう。あるもので何を作るか、何を明日に残すか。今日みたいに帰る時間が変わったら、いつ仕上げるかも考えるでしょう」


「ずっと煮ていたらじゃがいもが崩れそうだったので、一度止めました」


「それでよかったわ。私が帰るまで火にかけておく必要はなかったもの」


 今日の手順を思い返すと、前に作った時と同じようには進めていなかった。一人で鍋と包丁を使うのが不安だったため、先に切るところを済ませた。食べる時刻が変わった後は火を止めて温め直した。隣にリヒターがいなくても、そのくらいは自分で決められた。


「味は前と同じにした方がいいのかと思ってました」


「同じにしたいならそれでもいいわ。でも、違っていたら失敗というわけじゃない。あなたが食べて、おいしいと思う方にしていいの」


「今日のよかったと思いますよ」


 ヨナスが食事の時と変わらない調子で言ったので、エレジは彼へ顔を向けた。作っている間は五人で食べられる味かどうかを気にしていたが、食事が始まってから誰も困った様子はなかった。


「私もおいしかったです」


「なら、また作れますね」


 そう返されると、エレジは少し笑った。前と同じだったかは分からないままだが、今日の味を覚えておけば次に作る時にも使えそうだった。


「俺も献立を決めていいですか」


 マティアスがリヒターへ尋ねたので、エレジは彼も料理をするつもりなのかと思った。だが、ヨナスが作るところまで引き受けるならいいのではないかと言うと、彼は少し考えるような顔になった。


「食べたいものを言うだけじゃ駄目ですか」


「それなら今までも言ってたでしょう」


 リヒターに返され、マティアスは確かにと言った。彼が作れるものを考え始めたところで、エレジは先ほど理由は一つではないと言われたことを思い出した。


「ほかにも理由があったんですか?」


「ええ、私の都合もあるの」


「都合?」


「必要でない限り、人の作ったものを食べたくないから」


 エレジはその答えに驚き、先ほどまでリヒターの器があったところを見た。今夜の煮込みはほとんど自分が作っている。彼女は戻ってから味を確かめたが、食材を切ったところも鍋へ入れたところも見ていなかった。


「それで、最初に全部作るって言ったんですか」


「料理が好きなのも本当よ。五人分なら一緒に作ってしまう方が楽でしょう」


「でも、今日は私が作ったものを食べてましたよね」


「ええ。あなたとはこれまで一緒に作ってきたもの」


 リヒターが当然のように答えたので、エレジは二人で台所にいた時のことを思い返した。自分は彼女の手順を見ていたが、リヒターもこちらが何をしているかを知っていた。


「どこに何があって、どう使うかもお互いに分かってるでしょう。今日も何を作ったか、どう進めたかを聞けた。誰がどう作ったか分からないものとは違うわ」


「最初から、私なら大丈夫だと思ってたんですか」


「最初は一緒に作ってたでしょう。少しずつ任せて、今日もできるところまで頼んだの」


 初日から今夜のように一人で作ることを任されていたわけではない。野菜を切り、サラダを作り、その後も隣で教わってきた。自分が料理を覚えていく間に、リヒターにとってもこちらへ任せられるものが増えていたらしかった。


「人の作ったものが嫌なのって、何かあったんですか」


 マティアスが尋ねると、リヒターは彼の方を見た。エレジも気になっていたが、料理を任せてもらった理由から彼女自身の事情へ話が移ったため、続けて聞いてよいか迷っていた。


「異物を混ぜられたことがあるの」


 その答えで、エレジは味や作り方の好みではなかったのだと分かった。何を食べるかだけでなく、誰が用意したものかを気にする理由がある。


「異物って?」


 マティアスが重ねて尋ねると、リヒターは彼をじっと見た。言葉で答える代わりに顎で下を示したため、エレジも一度彼女の視線を追った。


「あー……」


 マティアスの声が落ち、そのまま質問が止まった。エレジは彼の反応とリヒターの仕草を考えたが、すぐには結びつけられなかった。


「何ですか」


「聞かない方がいい」


 リヒターが詳しく言うつもりのない調子で答えると、マティアスもこちらへ顔を向けた。


「中尉は純粋なままでいてください」


「何ですか、それ」


 エレジは彼を見返したが、マティアスも説明しなかった。カイルは会話を聞いていながら問い返さず、ヨナスも続きを尋ねようとはしていない。その様子を見ているうちに、リヒターが何を示したのか、一つの可能性に気づいた。


 まさかと思った。それでも、具体的に聞けばリヒターにそれを言わせることになる。自分が考えたものと違っていてほしかったが、彼女が答えを避けているところへ確かめるためだけに質問を続けたくはなかった。


「ほら、寝るぞ」


 カイルが席を立つよう促したので、エレジは時計へ目を向けた。夕食の始まりが遅かった分、片づけを終えてからも思っていたより時間が経っている。リヒターも話を戻そうとはしなかったため、エレジは自分のカップを持って立った。


「今日はありがとうございました」


「作ったのはあなたでしょう」


「教えてもらったものなので。今日、一人でも作れてよかったです」


 リヒターがそれならまた頼めるわねと答えたのでエレジは頷いた。カップを洗って干し、ほかの三人にも挨拶をしてからカイルと共有スペースを出た。


 階段へ向かっても先ほどの会話は気になっていた。リヒターへ聞き直すつもりはなかったが、自分が察したことまで確かだとは思えなかった。


「少佐は何か分かったんですか」


「ああ」


 迷いなく返されたので、エレジは隣を見上げた。カイルも意味を分かった上で、それ以上は聞かなかったらしい。


「……私が考えたので合ってるんでしょうか」


 何を考えたかまでは口にできずにいると、カイルは彼女の頭へ手を置き、軽く二度撫でた。子供扱いされたようで少し釈然とせず、エレジは彼の顔を見たが、何を思ったのか問い返されることはなかった。


「確かめなくていい」


 その言い方から、説明を知らなくても構わないということなのだと分かった。リヒターが話したのは人の作ったものを避ける理由までだった。それより先を自分たちが聞く必要はないのだろうと、エレジも思った。


 カイルと別れて自分の部屋へ戻るとき、エレジはリヒターが今夜自分の作った煮込みを食べていたことを思い返した。味を確かめるために渡した分も、そのまま食べていた。食卓についてからも、ほかの四人と同じように最後まで食事を続けていた。



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