私を見る目
夕食の片づけを終えると、リヒターはエレジとカイルに、今夜の個人訓練について説明しておきたいと伝えた。
三人でカイルの部屋へ入り、エレジはベッドの端へ座った。カイルが隣に腰を下ろし、リヒターは椅子を使った。
エレジは彼女が持ってきた紙を見た。カイルにも同じ内容のものが渡され、彼は先に目を通していた。
「今日から、衣服と羞恥に関する訓練を始めるわ。最初は着たまま、身体の向きと距離、どこから見られるかを確かめる。その後に、衣服を外すところへ進む」
エレジは、紙に書かれた順番を読んだ。上着、靴、ベルト、その先も、下着まですべての衣服が順に記されている。別の欄には、使ってよい位置と姿勢が書かれていた。ただ着替えるのとは違い、カイルの指示を受け、その前で行うことになっていた。
「衣服を外す順番は決めてあるけど、最後まで進む必要はないわ。今日はどこまで受け入れるか、中尉が決めて。位置と姿勢は、書いてあるものの中から少佐が選ぶ。次に何を指示するかまでは、先に決めてない」
エレジは二つの欄を見比べた。行う可能性のあることは分かるが、そのすべてを順番に試すわけではないらしかった。
「ただ、今までと違うところがあるの。これは少佐への注意事項なんだけど、何より大事だから、先に話しておくわ」
カイルは紙からリヒターへ目を向けた。エレジも読むのを止め、説明を待った。
「命令の声ではやらないで。何をしてほしいか、普通に指示する。それから、あなたはヴァイス中尉を魅力的だと思いながら見ていていい」
エレジは、その言葉を聞いた途端に顔が熱くなった。何をされるかを確かめるための訓練だと思っていたところへ、カイルが自分をどう見るかという話が入るとは思っていなかった。
隣にいる彼の顔を見ることもできず、紙へ目を戻したが、先ほどまで読めていた行が頭へ入らない。カイルの方は、リヒターの言い方に引っかかったらしく、眉間に皺を寄せていた。
「何だ。服を脱がせて、その姿に興奮しろと言ってるのか」
「ありていに言えば、そう」
エレジは額へ手を当てた。二人が訓練の条件を確認していることは分かる。それでも、自分を挟んでそんな言葉を交わされると、どこを見て聞いていればよいか分からなかった。
「感じろと命じられても、できることじゃないだろ」
「無理にそうなれと言ってるんじゃないわ。そう感じたものを、訓練だからって全部消す必要はないと言ってるの」
リヒターはカイルの返答を待ってから、紙の上へ置いていた手を離した。今から説明することは、そこに書かれた順番とは別の条件らしかった。
「これをあなたに頼んでるのは、あなたが安全な側の相手だからよ。ヴァイス中尉にとって、安心できる人でしょう。自分を受け入れてくれて、大切に扱ってくれて、魅力的だとも思ってくれる。あなたに見られることには、その関係も一緒にあるの」
エレジは額から手を下ろしたものの、まだ顔を上げられなかった。カイルに魅力的だと思われたい気持ちはある。昨夜、自分から彼へキスをした時にも、彼が応じてくれることは嬉しかった。
ただ、それをリヒターから説明されると、自分で言う時とは違う恥ずかしさがあった。カイルも黙って聞いており、その沈黙の間に彼が何を考えているかは、エレジには分からなかった。
「蔑んだり、嘲笑したり、屈辱を与える相手は、こちらがどう感じているかを大事にしない。嫌がることを分かっていて続けたり、嫌がっていること自体を使ったりする。見る目にも、それは出るわ」
「俺に、それをさせるつもりはないんだな」
「ない。あなたたちの関係を壊す気はないもの」
その返答を聞いて、エレジはようやくリヒターを見た。彼女はカイルへ向けて話していたが、エレジが顔を上げたことにも気づき、一度こちらへ目を向けてから説明を続けた。
「少佐、あなたは優秀だから、必要なら自分の感情を切り離して指示を出せるでしょう。相手をどう思ってるか、表に出さずに見ることもできる。でも、この課題でヴァイス中尉にそれをするのは、それだけで脅威になるの」
カイルは、今夜の課題を読む時にも、どのように進めれば訓練として扱えるかを考えていた。自分の感情を持ち込まず、一つずつ確かめればよいと思っていた部分もある。
リヒターの話は、その進め方を変えろというものだった。エレジからすれば、カイルに見られていることは変わらない。その相手が、普段なら返すはずの表情を返さず、何を思っているかも分からないまま衣服を外すよう求めれば、指示の内容以外にも負荷が加わる。
「つまり、普段の俺と切り離すなと」
「そう。あなたは中尉に魅力を感じていていいし、中尉もそれを感じ取っていい。何が行われるかを試す上では、それで十分なの。それこそ、最初にあなたへ頼む意味でもあるわ」
カイルは隣のエレジを見た。彼女はまだ頬を赤くしていたが、今度はこちらを見返した。こういう説明を聞くことまで含めて恥ずかしいのだろう。それでも、彼が何も感じていないように振る舞わなくてよいと聞いた後は、先ほどより顔を上げていられるようだった。
「お前は、それでいいのか」
「……はい。その方がいいです」
エレジは答えてから、紙の端へ指を置いた。訓練だからといって、カイルが自分を好きでいてくれることまで、いったん外さなければならないとは思いたくなかった。それを口にするにはまだ恥ずかしく、今は短い返事だけになった。
リヒターは二人の返答を聞くと、今度はエレジへ説明を向けた。
「ただし、中尉は本番のつもりでやってね。少佐だから気楽に済ませる、ということではないの。今話したのは、少佐側への注意事項よ」
「はい」
「指示を受けた時に、何をするよう求められているかを聞く。できるかどうかだけじゃなく、受け入れるか、変えてほしいか、今はやらないかも自分で決める。見られて恥ずかしくなった時にも、そこは残しておいて」
エレジはもう一度、書かれた課題へ目を通した。カイルがどんな目で見るかを試すためではない。自分が衣服を外すよう指示され、その姿を見られる時に、どこまで行うかを選ぶための時間だった。
「途中で、紙に書いてあるところまで進まなくてもいいんですか」
「ええ。今日は全部終えることを目標にはしないで。どこで止めたかも、何を変えたかも、記録に残してくれればいい」
リヒターは、カイルに渡した紙にも同じ内容があることを確かめた。衣服を外すところへ進む前に、着衣のままで立つ位置と身体の向きを変える。その後も、カイルは指定された範囲から位置と姿勢を選んで指示する。外したものは手の届くところへ置き、エレジが戻したいと求めれば戻せるようにする。
「衣服を外す順番はこのまま。位置と姿勢は、ここに書いてあるものから選んで使って。組み合わせ方は任せるけど、書いてないものは増やさないで。指示したことと、中尉が選んだことは分けて残しておいて」
「ああ」
「どうだったかは、明日聞くわ。中尉も、自分で記録しておいてね。少佐の記録を見てから書くんじゃなくて、自分がどう感じて、何を選んだかを」
「分かりました」
エレジは、自分の紙の下に置かれていた記録用紙を引き寄せた。今すぐ何かを書く必要はなかったが、訓練が終わった後、どこから思い出せばよいかは少し分かった。
リヒターは説明を終えると、二人の前に紙を残したまま自室へ戻ると伝えた。廊下へ出ていく彼女を見送ってからも、エレジはしばらく席を立てなかった。
カイルもすぐには訓練を始めようとせず、紙を読み直していた。彼がそこに書かれた内容をどう受け取っているかが気になり、エレジは隣へ目を向けた。
「……聞いてるだけで、恥ずかしかったです」
「俺も、あの言い方はどうかと思った」
カイルが答えたので、エレジは少し笑った。二人とも同じ説明を聞き、今夜どう進めるかを知っている。それでも、リヒターがいなくなってからの方が、彼の顔を見やすかった。
エレジは課題の紙を机へ置き、ベッドと椅子の間を見た。カイルが確かめていた場所には、立って向きを変えるだけの余裕がある。
これから何をするかは説明されていたが、実際にどの指示を受けるかまでは分からなかった。机に置いた紙と衣服を置く場所、部屋の入口を確かめてから、彼へ顔を向けた。
「始めていいか」
「はい」
エレジは返事をしてから立った。カイルの部屋で、彼と二人きりでいることには慣れている。それでも、今は普段どおりに隣へ座ったり、自分から触れたりする時間ではない。指示を聞き、その都度どうするかを選ぶために、彼の前へ移った。
「こっちを向いて立て。腕は横へ下ろして、俺の目を見ろ」
口調は普段と同じだったが、声に訓練中の鋭さはなかった。エレジは身体の前へ置きかけていた手を下ろし、カイルを見た。彼もこちらを見ている。目を合わせていても、周囲が全部見えなくなるわけではない。椅子は近くにあり、机の端も視界に残っていた。
「右を向け」
向きを変えると、彼の表情は見えなくなった。続いて背面を向ける指示を受け、エレジは足を置き直した。衣服を着たままでも、自分を見ている相手の顔が分からなくなると、次の声が気になった。
振り返れば彼の顔は見られる。それでも、指定された向きを変えてよいかが気になり、エレジはそのまま次の指示を待ちかけた。今の姿勢を続けるかどうかも自分で決めるのだと思い直し、顔を向けてよいかを聞いた。
カイルが了承すると、エレジは振り返って彼を見た。こちらを見返す表情を確かめられると、背中を向けていた時よりも、次の声を落ち着いて聞けた。
カイルは正面へ戻す前に、何を変えるかを伝えた。その後、椅子に座り、両足を床へ置いて手を膝へ載せるところまで確かめた。
「ここまではどうだ」
「背中を向けてる時は、少佐が何を見てるか分からないので、次の声が気になりました。振り返りたかったんですけど、指示が出るまで待とうとしてました」
エレジは次へ進むと伝えた。ここまでに迷ったことはあっても、何を求められているかは聞けている。指定された姿勢のまま待つだけでなく、自分が変えたいことも伝えられた。
「上着を脱げ」
上着を脱ぎ、示された場所へ置いた。靴は椅子に座って外してよいか確かめ、了承されてから足元へ揃えた。ベルトを外す指示を受けると、立って応じ、上着のそばへ置いた。
そこまでは普段にも行う動作だった。しかし、済ませるたびにカイルへ顔を向け、次の指示を待つことで、ただ着替える時とは違う緊張が続いていた。衣服を置くために彼から目を離した後は、戻る時に位置を確かめた。
「ズボンを脱げ」
エレジはすぐには返事ができなかった。
紙を読んだ時から、この順番は知っている。それでも、上着や靴を外した時とは違い、ここから先は、カイルの前で衣服を取るだけだとは思えなかった。まだ身につけているものへ手をかける前から、彼に見られることを強く意識していた。
普段、彼と過ごす時にも恥ずかしくなることはある。けれど、今は自分から近づいたり、彼に触れたりする時間ではない。指示を受けて衣服を外し、その後も彼の前にいることを、自分で受け入れるか決めなければならなかった。
カイルは待っていた。返事が遅れたからといって指示を繰り返されないため、エレジは彼の声へ追いつこうとせずに考えられた。ただ、待ってもらっていることにも落ち着かなさがあった。ここで迷っているだけでは、訓練が進まないように感じる。
それでも、進めるためだけに返事をするのは、説明されたことと違う。エレジは顔を上げ、カイルとの距離を確かめた。恥ずかしさはあるが、今はこの指示を受け入れようと思った。
足から抜いて外し、置いていた衣服のところへ重ねた。彼の前へ戻る時には、先ほどまで気にならなかったシャツの裾へ意識が向いた。動いた後も下の下着を隠せているか、自分からは確かめきれない。
手で押さえたくなったが、次の指示を受ける前に服を直してよいかが気になった。自分で脱ぐと決めたのに、その直後から隠そうとしていることも、課題に向き合えていないように思える。それでも、裾ばかり気にしたままでは、カイルの声を聞く方へ注意を戻せなかった。
「シャツを直してもいいですか」
「ああ」
エレジは服の位置を整えてから、カイルへ顔を向けた。彼の表情は変わらず、こちらを見返す目にも冷たさはなかった。直したことを咎められずに済んでも、恥ずかしさまでなくなるわけではない。エレジは手を離し、今の状態で次の指示を聞こうとした。
「シャツを脱げ」
その指示を聞き、ボタンに手をかけたとき、エレジは止まった。
これを外せば、今、裾を直して残したものもなくなる。ズボンを脱いだ時には、シャツがあることを頼りにしていたのだと、そこで分かった。次へ進むつもりで彼の前へ戻ったはずなのに、実際に求められると、まだ着ていたいという気持ちがはっきりした。
カイルの前で脱げないわけではない。彼が自分を傷つけるとは思っていないし、断れば止めてくれることも分かっている。だからこそ、安全な相手にさえここで止めてもらってよいのか、という考えが浮かんだ。訓練を受けるためにここにいるのに、恥ずかしいと思ったところで断っていて、その先を確かめられるのだろうか。
エレジはボタンへかけた手を動かさず、カイルを見た。彼は返事を待っている。ここで断ってもいい、けれどそれに甘えているだけなのか、自分が今は受け入れたくないのか、すぐには分けられなかった。
それでも、迷ったまま脱いでしまえば、今、残しておきたいと思っていることを伝えないまま次へ進むことになる。全部終えることが目標ではないと説明されたのを思い出し、エレジは手を下ろした。
「シャツは、今日は脱ぎません」
「分かった。脱衣はそこまでだ」
カイルは次の衣服へ進めなかった。エレジが何か説明しなければならないかと思って待っていても、理由を求められることはなかった。
シャツを残せたことに、エレジはほっとした。けれど、その安堵を感じた後にも、ここで止めてよかったのかという思いは残った。今から返事を変えたいわけではない。それでも、自分で断ると決めたことを、すぐによい選択だったとは思えなかった。
「今の状態で、姿勢の確認へ進むか」
エレジはカイルと、その後ろにある机へ目を向けた。衣服は自分で戻せる場所にあり、彼との間にも距離が残っている。シャツを脱ぐことは受け入れたくないが、そのまま指示を聞き、姿勢を変えることは続けられそうだった。
「はい。進めます」
「まず、正面を向いて立て。両足を揃えて、腕は横へ」
エレジは指定された場所へ立った。見られていることを意識すると、身体の前へ手を置きたくなる。それでも、今の指定を受け入れられないほどではなかった。腕を下ろし、足の位置を決めてから顔を上げた。
「俺の目を見ろ」
目を合わせると、彼が自分をどう見ているかへ注意が向きやすい。エレジは視線を逸らしたくなったが、今は顔を上げたままでいられた。恥ずかしさがあることを理由に、すぐに終える必要はない。指定された姿勢と、彼との距離を確かめながら、続けるかを考えた。
「右を向いて、手は身体の前で重ねろ」
エレジは向きを変え、手を重ねた。先ほどとは見える範囲が変わり、カイルは視界から外れる。自分から彼を確かめにくくなったことで緊張は強くなったが、今はどの条件が残っているか分かっていた。
正面を向いていた時より、顔を上げていることは難しくなかった。その一方で、彼の表情が分からないことは気になる。エレジは、その両方を感じながら、今の姿勢を続けられるか確かめた。
恥ずかしくて早く次へ進みたい気持ちはあった。それでも、その気持ちだけで次の指示を受け入れようとはしなかった。手を前で重ねたまま、何を変えるよう求められるかを聞くために待った。
「次は――」
カイルの言葉がそこで止まった。
エレジは続きを聞き落としたかと思ったが、身体も手も動かさなかった。今の指示は右を向き、手を前で重ねるところまでだ。それを変える言葉は、まだ聞いていない。
「少し待て。選び直してる」
「分かりました」
返答を受けてから、エレジはその姿勢を保った。何かが変わると思って先に動かずに済むと、待っている間にも、自分が今の姿勢を続けたいかを考えられた。
「背中を向けろ。手は前に置いたままでいい」
エレジは向きを変えた。着衣で同じことをした時よりも、振り返って確かめたい気持ちが強かった。カイルが何を見ているかを考え始めると、背後の気配ばかり探りたくなる。
それでも、彼の視線は今の自分からは分からない。エレジは足元に残る場所と、目の前の家具を確かめた。身体の向きは指定されているが、動かせないよう押さえられてはいなかった。
着衣の時には、顔を向けてよいかを聞いた。今も同じように伝えられるはずだったが、服を外した後では、そのために動くことまで恥ずかしく感じる。エレジはすぐには振り返らず、自分が何を変えたいのかを決めてから口を開いた。
「一度、少佐の方を向きたいです」
「ああ。正面へ戻っていい」
向き直ると、エレジは彼の顔も確かめられた。背後を見ようとする間、自分の姿がどう見えるかも気になったが、それを先に知ろうとして動きを止めることはなかった。
「続けられるか」
「はい。ただ、次の指示の前に、少し時間がほしいです」
「分かった」
エレジは、背中を向けていられなかったわけではないと考えた。ただ、彼の顔を見たいと思ったところで、そのまま待つことは選ばなかった。向きを変えてもらったことと、次の姿勢を受け入れるかどうかは別に考えてよい。待つ時間を取れば、そこを整理できた。
準備ができたと伝えると、次は椅子へ座るよう指示された。
「両足を床へ置け。両手は膝だ」
エレジは椅子の位置を見てから移動した。座る間は、足元と座面へ注意が向く。顔を上げると、カイルはベッドの近くにいた。
「俺の目を見ろ」
立っていた時より、彼の顔を見るには目を上げる必要があった。離れたところから見られていることも、座った姿勢で向き合うことも、先ほどまでとは違う。エレジは両足を床へ置いたまま、膝へ載せた手に力が入りすぎていないか確かめた。
身体を動かすこと自体は難しくない。それでも、求められたとおりに座れたからといって、次も受け入れなければならないわけではなかった。今の姿勢は続けられると考えてから、エレジは彼へ返事をした。
「このままで大丈夫です」
カイルはその返答を受けてから、ベッドへ座るよう伝えた。エレジは立ち上がり、今度は移動の前に彼の位置を見た。自分が進む間に、カイルも場所を空ける。今はその動きを見ながら、指定されたところへ座れた。
「両手を背中側で重ねろ」
エレジはすぐには動かなかった。座り直したばかりで、彼との距離も変わっている。新しい姿勢と手の位置を一度に決めるより、先に今の状態を確かめたかった。
「手は、いったん膝に置いたままにしたいです。座った位置を確かめてから変えます」
「分かった」
エレジは両足が床についていることと、カイルがどちら側にいるかを確かめた。見られているため、顔を上げる時にはまだ恥ずかしさがあった。それでも、彼の位置と自分の姿勢は分かる。
「もう大丈夫です。手を後ろへ移します」
了承してから両手を背中側で重ねると、先ほどまでと手を使える範囲が変わった。拘束されてはいないので、自分で戻すことはできる。ただ、指示を変えたい時には、そのことを伝える必要があった。
エレジはすぐに手を戻さず、自分の状態を確かめた。この姿勢を保つことより、次に新しい条件を受けるかどうかを決めたかった。
「手を膝へ戻して、今日はここで終わりにしたいです」
「ああ。わかった」
「服を戻していいですか」
「戻していい」
衣服を戻し、記録を書き終えると、エレジは用紙を畳んで机へ置いた。カイルも自分の記録を片づけ、彼女へ水を渡した。受け取って飲む間は何も聞かれず、エレジも、訓練中に確かめていたことから少し注意を離せた。
二人でベッドへ並んで座ると、カイルは空になった容器を受け取り、脇へ置いた。エレジは膝の上で手を重ね、さっきまで立っていた場所を見た。あそこから椅子へ移り、最後は今座っているベッドで終えた。記録には、自分が何を受け入れ、どこで変更を求めたかを書いてある。
「……どうでしたか?」
「どうでしたかって、何だ」
カイルに聞き返され、エレジは何を確かめたかったのか考えた。指示を聞き落としたかと思ったところや、姿勢を変えてほしいと伝えたところについては、すでに書き終えている。それとは別に、終わってから残っていたことがあった。
「いえ。ただ……これでいいのかなって」
「何が気になってる」
「こうして、私のいいところで止めてもらってるけど、これで訓練になるのかな、って」
シャツを脱ぐことは断った。その後も、自分が確かめる時間を求めれば待ってもらえたし、手の位置も一度は変えずに済んだ。最後に終わりたいと伝えた時には、カイルはそれ以上続けるよう求めなかった。
どれも、始める前に説明されたとおりだった。自分で選べることを確かめるために行っていると分かっている。それでも、実際に止めてもらった後には、もっと続ける必要があったのではないかという考えが残った。
「訓練にはなってる。服を全部脱ぐか、指示された姿勢を全部取れるかだけを見る課題じゃない」
カイルは、机へ置いた記録を開き直さずに答えた。
「お前は指示を聞いて、受け入れるか考えた。シャツは断った。その後の姿勢は続けただろ」
「はい」
「途中で向きを変えてほしいとも言った。手を後ろへ回す時には、一度待ってから自分で続けると決めた。最後は、お前が終わりを決めた。それが今日確かめることだ」
エレジは、背中を向けてから、カイルの方へ戻りたいと伝えたところを思い出した。恥ずかしさはあったが、次の指示を待つだけではなく、自分が変えたいことを言えた。その後に続けるかどうかも、彼に決めてもらったわけではなかった。
「シャツを脱がなかったから、その先を試せなかったところはありますよね」
「ああ。それは今日はやってない。だが、それは訓練の目的じゃない」
エレジは頷いた。全部終えていないことと、訓練になっていないことを同じに考えていたのかもしれない。カイルが挙げた場面には、どれも覚えがある。指示を聞き、その都度、自分で選んだことだった。
それでも、返事をした後すぐに、もうそれでよいと思えたわけではなかった。今夜と同じように、自分が求めたところで止めてもらうことを続けて、本当にその状況に置かれたとき、対応できるのだろうか。
カイルは彼女が黙ったことに気づき、隣から顔を見た。
「まだ何かあるか」
「……いえ、何でもないです。今日は戻ります」
「ああ」
けれど自分の部屋に戻ってからも、エレジは同じことを考えていた。




