恋敵?
夕食後、リヒターは自室で本を開いていたが、同じ頁を読み直しても内容が頭に残らなかった。目を閉じても眠る気にもなれず、部屋にいるのをやめて共有スペースへ向かった。
廊下を進む途中、外へ通じる扉の向こうからエレジの声が聞こえた。少し開いた隙間から見ると、手すりの近くのベンチにヨナスと並んで座っている。上着を着て背もたれへ身体を預け、彼の説明を聞いていた。
訓練後の疲れがどのくらい残っているかは、リヒターも気になっていた。声をかければ、エレジは今日の訓練について何か聞かれると思うかもしれない。二人から見えない壁の陰に留まり、少しだけ会話を聞くことにした。
「……結構長く話してますね、俺」
「まだ聞いていたいです。ファルク大尉は、戻りたいですか」
「俺は構いません。ただ、寒くないですか」
「少し。でも、もう少しここにいたいです」
「じゃあ、寒くなったら言ってください。話し始めると、俺の方が気づかないことがあるので」
エレジは上着の前を閉じ直すと、氷に運ばれた石の傷について、続きを聞きたいと言った。
ヨナスの説明に頷き、自分が理解したことを確かめてから、また質問している。午後のように返答へ追いつこうとする声ではなく、知りたいことが次々に出てくるらしかった。
疲れがなくなったわけではないだろう。それでも、今は誰かと過ごし、自分からもう少しここにいたいと言えている。リヒターはその様子に少し安心し、二人に気づかれない場所で小さく笑った。会話を遮らずに廊下へ戻ると、そのまま共有スペースへ向かった。
*
マティアスはソファに深く座り、炭酸水の瓶を片手にくつろいでいた。カイルはその斜め向かいで資料を読んでいる。
入ってきたリヒターに、マティアスが先に気づいた。
「リヒター大尉、ファルク大尉見ませんでした?」
「見たわよ。外のベンチで、ヴァイス中尉と一緒にいた」
「中尉と?」
「ええ。二人で星を見てた」
カイルはヴァイスの名前が出たことで資料から注意を移したが、リヒターがそれ以上何も言わなかったため、所在を伝えただけだと受け取った。彼女が斜め前の椅子へ座ると、再び読んでいた箇所へ戻る。
リヒターは、外で聞いたエレジの返答を思い出していた。ヨナスが話を切り上げようとすると、まだ聞いていたいと言い、自分から彼を引き留めていた。二人が並んでいる様子は穏やかで、少なくとも、目の前で資料を読んでいるカイルからは想像しにくい時間だった。
「ねえ少佐、ちょっと聞きたかったんだけど」
「何だ」
「ファルク大尉のこと、恋敵が現れたとか思わないの?」
炭酸水を飲んでいたマティアスが噴き出した。
「ちょっと! 汚いわね」
瓶を口から離して咳き込む彼に、リヒターは近くにあったタオルを投げて渡した。
マティアスは咳を収めながら口元と机を拭いたが、カイルはその騒ぎより、今の問いをどういうつもりで出したのか気になった。
「……どういう意味だ」
「だって彼、ヴァイス中尉と相性いいじゃない」
マティアスは、その返答で何の話が始まるか分かったらしく、もう笑いを隠そうとしなかった。タオルを持ったままソファを離れ、リヒターの前の椅子へ移ってくる。カイルとは一席分離れた位置に座ったが、会話へ加わる気は十分にあるようだった。
「ヴァイス中尉、ファルク大尉の話を聞くの好きでしょう? ファルク大尉も話すの嫌いじゃないし。さっきも二人で星を見ながらずっと話してたわよ。さながら恋人みたいだった」
「恋人は俺だ」
「分かってるわよ。あなたより恋人っぽいってこと」
マティアスはタオルを口元に当てて肩を揺らしている。何を隠しているかは分かったが、カイルはそちらを相手にすると話がさらに広がると思い、リヒターだけを見て返した。
「二人が話してるだけだろ」
「そうよ。でも、話が合うでしょう」
「合うから何だ」
「別に。ただ、少佐はああいう話できないじゃない」
「できなくても話すことはある」
リヒターはカイルの返答を否定しなかったものの、そこで終えるつもりもなかった。少し考えるように彼を見てから、ヨナスについて知っていることを、一つずつ並べていく。
「博識で、いい大学も出てる。将来有望。格闘技も強い。物腰も柔らかいし、年齢も近い。最高じゃない」
マティアスは途中から笑いを堪えきれなくなった。カイルには、ヨナスの能力や人柄を否定する理由はない。それでも、最後に並べられた年齢のことまで含めて聞くと、リヒターが単に二人の話が合うと言っているだけではないのが分かった。
カイルの眉間に皺が寄ったのを見て、マティアスはふと思いついたように自分の方へ話を向けた。
「俺はどうなんですか?」
「あなたは元から一緒にいて選ばれてないんだから、対象外でしょ」
「対象外って何ですか、ひどすぎません?」
「だってそうでしょう」
「俺だってね――」
「ロート」
カイルが名前を呼ぶと、マティアスは続きを止めた。彼が基地での課程中エレジに抱いてほしいと言われた件を言いかけたのがわかるので、横目で睨むと大人しくなった。
リヒターは二人の反応を見比べ、自分の知らない事情があるらしいと気づいた。
「何?」
「何でもないです」
「怪しいわね」
「別に」
マティアスは、もう拭き終えている机へタオルを戻した。カイルも彼の話を追わず、読めなくなっていた資料を閉じてリヒターへ向き直った。
「リヒター、お前、俺に何か恨みでもあるのか」
「そうね、あるっちゃあるわ。これだけ疑われればね」
「俺から見れば命令系統が見えないことに変わりはない」
このことはすでにマティアスには話してあるので、話すのにためらいはなかった。リヒターもそれは承知のようだった。
「だから言うのは無理なの、分かるでしょう?」
「分かってる、だから疑ってる」
「ほら。腹立つじゃない」
リヒターは、カイルが事情を理解していても態度を変えないことを、改めて確かめたようだった。
自分から説明できない以上、疑いをなくす方法がないことは分かっている。それでも、そう言い切られると、今夜くらい少し困らせてもよい気がした。
「でも本当に、あの二人、人としての系統がちょっと似てると思うの」
「あー、それは分かります」
マティアスまで同意したため、カイルは今度は彼にも答えを求めた。マティアスはすぐに言葉を出さず、二人のどこを似ていると思ったのか考えてから説明した。
「鋭いところと、ちょっと冷たく見えるところが似てるんです。でも、ちゃんと話すと全然違うっていうか」
「そうそう。素朴なのよね。心を開いてくれれば、むしろそっちの方が出る感じ」
「あと、二人とも優しいです」
「そうね」
カイルは、言われていること自体には覚えがあった。ヴァイスが静かに周囲を見ている時と、興味のある話を聞いている時とでは、相手へ向ける表情も違う。ヨナスも、機材を扱っている時だけを見れば近寄りにくいところがあるが、質問すれば丁寧に答える。
だからといって、それを恋敵の話へつなげられることは納得できなかった。リヒターは彼の表情を見て、まだ引っかかっていると分かると、さらに比較を続けた。
「それに比べて少佐は怖いし、威圧感ばっかりだし、おまけに十も年上で」
「お前な」
「ヴァイス中尉、少佐の何がそんなに好きなのかしら」
カイルは、そこまで彼女に説明する必要はないと思ったが、聞き流せる言葉でもなかった。リヒターを見る目に苛立ちが出ても、彼女は引く様子がない。
横ではマティアスが声を出さずに笑っており、今この場で言い返しても、二人を楽しませるだけになりそうだった。
廊下から足音が近づき、エレジが入口へ来たのは、その時だった。
「あれ、みんなここにいたんですか」
「おかえり」
「おかえりなさい、中尉」
リヒターとマティアスは、直前までの会話などなかったように迎えた。
あまりにも普段どおりだったので、カイルは二人の切り替えに遅れて気づき、自分だけがまだ話を引きずっていることに腹が立った。
エレジには三人の間で何があったか分からず、マティアスがヨナスの所在を聞いても、単に用事があるのだと思った。
「あれ? ファルク大尉は?」
「通信室の前で分かれました」
「そっちか。じゃ、行ってこよ」
マティアスはタオルを持って廊下へ出た。
リヒターもそれに合わせて自室へ戻ると言いながら席を立った。エレジの横を通る時、肩へ軽く手を置いた。エレジにはその仕草の意味が分からなかった。
二人が出ていくと、共有スペースにはカイルとエレジだけが残った。カイルは資料を開き直したものの、文字を辿っても内容が頭に入らない。
エレジが向かいの椅子へ座ると、読むのを続けるより、外で何をしていたか聞く方が先になった。
「ファルクといたのか」
「あ、はい。星とか石とかの話を聞いてました」
その返事で、カイルにはリヒターが並べた言葉が戻ってきた。
相性がよく、年齢も近く、話が合う。どれも恋人になる理由とは限らないのに、今はヴァイス自身がその時間をどう思ったかが気になっている。
「面白いんですよ。最初は星の話だったのに、そこから星が動く話になって、石の話になって、最後は山とか地層の話になって――」
「ヴァイス」
カイルに呼ばれ、エレジは続きを止めた。まだ話し始めたばかりだったが、声が普段より硬かったため、資料を読む邪魔をしてしまったのかと思った。
「はい」
「すまない。今、その話は聞きたくない」
「………はい」
エレジの声が小さくなったことで、カイルはすぐに後悔した。ヨナスと話したことも、面白かったと自分へ伝えることも、彼女に遠慮させる理由にはならない。
「いや、違う。……すまない」
エレジはそこでカイルの様子がおかしいのに気づいたらしかった。
「どうしたんですか?」
カイルは息をつき、彼女を萎縮させた詫びに正直に言うことにした。
「……リヒターが」
「リヒター大尉が?」
言いたくはなかったが、ここで濁してもエレジが納得できないだろう。カイルは資料から手を離した。
「お前はファルクと相性がいいと」
「……はい。それで?」
「恋敵になるんじゃないか、と」
エレジは、聞いた言葉の意味を確かめるようにカイルを見た。ヨナスと話していた間には、一度もそんなことを考えていなかったので、彼が何に引っかかっているのかすぐには分からなかった。
「あの……それで、少佐もそう思ったんですか?」
「普段なら気にしない」
「普段なら?」
「少し刺さる言葉があった」
エレジは、さっきリヒターが肩へ触れていったことと、マティアスが妙に機嫌よく出ていったことを思い返した。
自分が戻る前に三人でその話をしていたのなら、カイルだけが資料を読んでいたように見えた理由も、少し分かる気がした。
「あの、もう仕事は終わりますか?」
「ああ。これはもう終わってる」
「じゃあ、部屋に行きましょう」
カイルは、ここで話を続けるより、その方がよいと思った。
二人で部屋へ戻り、エレジがベッドへ座ると、彼も隣に腰を下ろした。
「ちょっと、最初から説明してもらっていいですか」
「全部か」
「全部です」
カイルは気が進まなかったが、リヒターとマティアスとの会話を、できるだけそのまま説明した。
ヨナスと相性がよく、年齢も近いと言われたこと。物知りで物腰が柔らかく、将来も有望だと並べられたこと。その一方で、自分は怖く、威圧感があり、十歳上だと言われたことも省かなかった。
最後に、エレジが自分の何を好きなのか分からないと言われたところまで話すと、彼女はすぐに笑ったり、リヒターへ怒ったりはしなかった。聞いた内容よりも、カイルがそれをどう受け取ったかを確かめたいらしかった。
「それで、少佐には何が刺さったんですか?」
「おそらく、ファルクと相性がいいというのと、十も年上なことだな」
「はい」
「あとは、お前が俺の何を好きなのか、か」
「分かりました。じゃあ、一つずつ答えます」
「答えなくてもいい」
「私が答えたいです」
カイルは、説明を求めるために話したつもりではなかった。リヒターの言葉を全部打ち消してもらう必要もない。
それでも、自分から答えたいと言われると、それを止める方が彼女の話を聞かないことになると思った。
「まず、ファルク大尉とは相性はいいと思います。話は聞いてて面白いです。知らないことをいっぱい知ってるし、話がどこに行くか分からないのも好きです」
「……そうか」
ヨナスの話を聞くのが好きなことは、カイルも知っていた。そこを否定されたいわけではないはずなのに、相性がいいとエレジ自身から言われると、リヒターの言葉より強く残った。
「お前は、ファルクのことをどう思ってる」
「優しくて面白いと思ってます。でもそれだけです」
「……そうか」
「次が、十年上なことでしたか?」
「十も、だ」
エレジは、その言い方まで覚えていることに少し笑いそうになったが、カイルが本気で気にしているのは分かっていた。
「少佐。これは少佐の恋人になってから分かったことですけど、私、たぶん年上の男の人が好きです」
「ファルクも年上だろ」
「関係ないです。今は、私が好きな人が年上だって話をしてるんでしょう? ファルク大尉は恋人でもなければ、そういう意味で好きでもないです。年上でも年下でも関係ありません」
カイルは、自分が年齢の話を気にしていたくせに、彼女の返答をまたヨナスとの比較へ戻していると分かった。それでも、今そう思っていることと、この先も変わらないことを、すぐには同じように受け取れなかった。
「これから好きになるかもしれないだろ」
「なりません。絶対」
「何で言い切れる」
「少佐がいるからです」
迷いのない返事に、カイルはエレジを見た。彼女も真っ直ぐに返しており、どう言えば安心させられるかを探しているのではなく、自分にはそうとしか思えないという顔だった。
「少佐がこの世からいなくなったら、その先どうなるかは分かりません」
「縁起でもないな」
「少佐が言わせたんでしょう」
「そうだな」
「でも、いる限りは私は少佐が好きです。いなくなっても、たぶん好きでしょうけど……」
そこまで言ってから、エレジは膝の上で自分の手を握った。カイルがいなくなった後を考えて答えるつもりはなかったのに、口にしたことで、その可能性まで近くへ来た気がした。
カイルも彼女の声が変わったことには気づいた。
「……私は少佐が好きです。理由なんて、誰にも分かってもらいたくない。だって、それは私が少佐と過ごした時間だから」
エレジが話しているのは、誰かを納得させるための条件ではなかった。
「私を街に連れて行ってくれて、コーヒーを淹れてくれて、話をして、私が言ったことを覚えてて、ずっと見ていてくれたのは少佐です。
私が何をしたいかを聞いてくれたのも、自分で決めるまで待ってくれたのも」
エレジには、ひとつずつ過去を辿る必要がなかった。ベルンハルトで話したことも、執務室で過ごした時間も、今のカイルを見る時に、すでに一緒にある。
ヨナスと話して楽しいと思うことが、そこへ入り込んで何かを変えることはできない。
「少佐と過ごした時間を、条件に分けたくないです。優しいとか、強いとか、格好いいとか、そういうので好きになったんじゃないから」
エレジは膝の上で握っていた手を緩め、カイルの手へ重ねた。触れると、彼がここにいることを確かめられ、さっき自分で口にした先のことより、今伝えたいことへ戻れた。
「ファルク大尉がどれだけ物知りでも、優しくても、私と話が合っても、それで少佐の代わりにはならないです」
「……ああ」
「あの時間を、誰かが代わりにできたとは絶対思いません」
カイルはすぐには返せなかった。
きっかけがどうあれ、彼女がこう受け取っていたと知れたことは、重要なことだった。
「リヒターに聞かせたいな」
「嫌です。少佐だけ分かってればいいんです」
カイルは重ねられた手を握り返し、その指を包んだ。
「エレジ」
「はい」
「キスしていいか」
不意打ちだったので、エレジは頬が熱くなり目を伏せた。さっきまで自分の気持ちを伝えることに迷いはなかったのに、彼から触れたいと言われると戸惑ってしまった。それでも、握られている手へ少し力を返した。
「はい」
カイルはすぐには距離を詰めず、重ねた手を握ったまま、エレジが顔を上げるのを待った。
恥ずかしがっていることは分かったが、返事をした後もこちらを見ようとしないので、頬へ手を添えた。
唇を重ねると、エレジは握られていた手に力を返した。短く触れて離れるつもりだったが、離れた後にも彼女が近くに留まっていたため、カイルはもう一度、その顔を確かめた。
「もう一回、してほしいです」
自分からそう言った後で、エレジはさらに恥ずかしくなったようだった。それでも目を逸らさずに待っている。カイルは頬に置いていた手をそのままに、今度は先ほどよりゆっくりキスをした。
彼女が自分を好きだと説明してくれた言葉は、まだ胸に残っていた。誰かと比べて選んだのではなく、自分と過ごした時間を好きになったという言葉。
カイル自身にも、それは同じだった。彼女の能力や人柄を並べても、今、こうして隣にいてほしい理由の全部にはならない。
唇を離すと、エレジが彼の上着へ手をかけた。引き寄せるほどの力ではなかったが、まだ離れてほしくないのだと分かり、カイルはその手を外さず、身体を近づけた。
「まだ気にしてますか」
「何を」
「さっきの話です」
カイルは、彼女にここまで説明させた後で、まだ同じことを確かめたくなる自分を認めるのが少し気恥ずかしかった。それでも、安心したとだけ答えれば、エレジは今夜の自分を分からないままになる。
「お前が言ってくれたことは分かったが、リヒターへの腹立ちは残ってる」
「それは、私にはどうにもできないですね」
「ああ。お前が何とかすることじゃない」
エレジはその答えに少し笑い、上着をつかんでいた手を緩めた。カイルが背中へ腕を回して抱き寄せると、彼女も身体を寄せ、胸元へ頬を預けた。
「眠くないか」
「少し。でも、まだ少佐といたいです」
その言葉を、続けてよいという意味に広げたくなった。今夜は特に、彼女が自分を求めてくれることへ気持ちが向いている。だからこそ、そばにいたいと言われただけで、自分の望む先まで決めてはいけないと思った。
「俺も、お前といたい」
エレジはカイルの胸元から顔を上げ、彼を見た。先ほどまでの話を終わらせるためではなく、今の言葉へ答えようとしているのが分かった。
「今夜は、少佐と一緒にいたいです。キスだけじゃなくて」
カイルは彼女の表情を見たまま、すぐには答えなかった。自分を安心させるために言っているのかという疑いを、彼女へ押しつけたくはない。
それでも、今日の疲れを知っている以上、そのまま聞き流すこともできなかった。
「無理はするな」
「無理なら言います。でも、今は私がそうしたいんです」
「……分かった。途中で変わったら、その時に言え」
カイルが抱いていた腕を少し緩めると、エレジは離れず、自分から彼へキスをした。
さっきまで下を向いて返事をしていた彼女が、今は自分で距離を詰めてくる。その変化が嬉しく、カイルは彼女の手を取り直して、ベッドの奥へ移れるよう場所を空けた。
隣で横になってからも、しばらくは話していた。エレジは握っていた手を離さず、カイルの方へ顔を向けた。まだ何か伝えたいことがあるようだったので、彼も話を切り上げずに待った。
「さっきの話、ひとつ追加があるんですけど」
「何だ」
「格好いいから好きになったんじゃないですけど、格好いいとは、いつも思ってます」
カイルは、先ほど彼女が何を伝えようとしていたかは分かっていた。見た目や能力を並べて比較する話ではない。それでも、そこをわざわざ言い直してくれることが嬉しく、握っていた指を撫でた。
「いつもか」
「はい。少佐は、あまり分かってなさそうなので」
「お前にそう思われてるとは、知らなかった」
「言ってませんでした?」
「今ほどは」
エレジは少し考えた後、言ったつもりになっていたのかもしれないと答えた。カイルには、彼女がこちらを見る時の表情に覚えがあったが、そのたびに何を思っていたかまでは分からない。
「どこが格好いいんだ」
「全部です」
「それだと分からん」
「顔も、身体も、動いてるところも。仕事をしてる時も、私と話してる時もです。そういう理由だけで好きになったんじゃないって言いたかったので、格好いいと思ってないわけじゃないです」
そこまで説明してから、エレジは彼の顔を見直した。言葉にしたことで恥ずかしくなったらしく、少し目を伏せたが、今度はそのまま話をやめなかった。
「今から、キスしていってもいいですか」
「どこに」
「私が格好いいと思ってるところに」
カイルは思わず笑いそうになった。全部だと言ったばかりなのに、どこまでするつもりなのか。彼女は本気で返事を待っており、その顔を見ていると、からかう気にはなれなかった。
「いい。お前の好きにしろ」
エレジは少し近づき、まず彼の頬へ唇を寄せた。触れた後も離れきらず、目元を見てから、今度は眉のそばへキスをする。カイルは彼女の背中へ手を添え、自分から先を急がずに、その近さを受け止めていた。
「ここもか」
「はい。目も好きですけど、そこにはできないので」
そう答えたエレジの声が近くで聞こえ、カイルは目を閉じた。頬へもう一度触れた唇が離れると、彼女は握っていた手を持ち上げ、指にも短くキスをした。
何をすれば彼を安心させられるか、考えている様子はなかった。自分が触れたいところを選び、そのたびに少し恥ずかしがりながらも、次へ近づいてくる。カイルはその顔を見ているうちに、待っているだけではいられなくなった。
「エレジ」
呼ばれて顔を上げた彼女へ、カイルから唇を重ねた。エレジは一度だけ驚いたように目を開いたが、すぐに応じ、空いている手を彼の頬へ添えた。
キスをしたまま目を開けると、彼女もこちらを見ていた。唇は触れ合ったままで、何か言いかけた口元が小さく緩む。カイルが少し離れると、エレジはその距離を惜しむように、頬へ添えた手を残した。
「まだ途中だったんですけど」
「続きは後で聞く」
「聞くだけですか」
「それも、お前の好きにしていい」
エレジが笑ったので、カイルも今度は隠さずに彼女を抱き寄せた。目の前の彼女が自分へ向けてくれるものを、今はそのまま受け取りたかった。
彼女がもう一度キスをすると、カイルも応じた。しばらくして手の届く灯りを落とし、その夜の続きは二人だけのものになった。
*
夜が更け、部屋が静かになってから、カイルは枕元の水をエレジへ渡した。彼女が身体を起こして飲み終えると、受け取った瓶を枕元へ戻した。
「少し眠くなりました」
声にも眠気が出ていたので、カイルはそれ以上話させず、掛け物を直した。エレジが横になると、自分も隣へ戻ったが、彼女はすぐには目を閉じず、こちらの手を探した。
「帰らなくていいですよね」
「ああ」
「じゃあ、ここにいてください」
カイルが手を握ると、エレジは安心したように指を絡めた。さっきまで確かめるようにこちらを見ていた目も、今は閉じかけている。
それで納得したのか、エレジは目を閉じた。カイルは手を握ったまま、彼女が眠りに入るまで隣にいた。
今夜言ってくれたことへ、まだ返せていない言葉はあったが、起こしてまで伝える必要はないと思った。
呼吸が落ち着いた後も、手はそのままにしておいた。朝になって彼女が目を覚ました時にも、自分が隣にいられるよう、カイルも目を閉じた。




