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エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:訓練

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【特殊情報収集班:訓練編】 集合


 一時間ほど走った頃には、道路の両側から民家も店もすっかり消えていた。


 カイルが運転する軍用の四輪駆動車に、マティアスが助手席、エレジが後部座席へと座っている。

 所属先が決まったあとも警備措置は続いており、後部の窓は外から中を確認しにくい。移動経路も事前に指定されていた。


 五月に入っても、北部の山裾にはまだ雪が残っている。車は針葉樹林の間を抜けながら緩やかに標高を上げ、窓の向こうにはところどころ白い稜線が見えた。


「あと二人、もう着いてるんでしょうか」


 エレジが尋ねると、カイルは前を見たまま答えた。


「集合時刻は同じだ。多少前後する可能性はある」


「まだ何も情報来てませんよね」


「ああ」


「五人だけって、やっぱり少ないですね」


 助手席のマティアスが振り返った。


「生活すると思うと、案外多いですよ。相性悪いやつが一人いたら毎日会いますから」


「お前が相性を悪くしなければいい」


「俺、そこかなり得意な方でしょう」


「自分で言うな」


 エレジは少し笑った。

 まだ会ったことのない二人がどんな人間なのかは分からない。ただ、これからは任務だけでなく生活の大部分まで五人で共有することになる。


 やがて道路脇の木々が途切れ、低い金属柵と簡素な検問設備が現れた。その先へ細い舗装路が続いている。軍施設を示す大きな標識はなく、何も知らなければ通信設備か森林管理区域に見えた。


 カイルが車を停め、認証端末と車両番号の確認を受ける。エレジについても事前登録との照合だけで済み、後部座席の扉が開けられることはなかった。

 遮断機が上がる。

 そこからさらに数分、林の中を進むと、灰色の建物が見えてきた。


「……ここですか」


 エレジが思わず言う。

 想像していたより小さかった。二階建ての本棟と、その横に車両庫、少し離れて倉庫が一棟。外壁は周囲の雪と曇った空に馴染む鈍い灰色で、基地の宿舎棟のような大きさも、司令部施設のような威圧感もなかった。


 けれど近づくと、監視カメラや外周センサー、複数の通信設備が目についた。窓も必要以上には多くない。


「地下基地じゃなかったですね」


 マティアスが言った。


「まだ期待してたんですか」


「特殊って付いてますから」


「何をするつもりなんだ、地下で」


「特殊なことを」


「雑ですね」


 カイルが車両を本棟前の指定区画へ入れた。

 エレジは窓越しに建物を見上げた。


 事前に聞かされている範囲では、一階には作戦室、通信・解析室、装備保管区画、簡易訓練室、それから食堂を兼ねた共有スペースがある。二階が居住区で、五人にはそれぞれ個室が与えられる。


 任務の準備も、帰還後の整理も、食事も、睡眠も、この中で完結する。

 これまでの宿舎とは違う。

 仕事をする場所に住むというより、この五人のためだけに用意された小さな拠点そのものだった。

 エンジンが止まる。


「行くぞ」


 カイルが先に降り、マティアスも助手席を開けた。

 エレジも後部座席から外へ出る。


 冷たい空気が頬に触れた。建物の周囲は静かで、林の向こうから風が雪面を撫でる音だけが聞こえる。


 三人は荷物を持って入口へ向かった。

 正面扉には部隊名も標識もない。黒い認証パネルが一つ埋め込まれているだけだった。

 カイルが端末をかざすと、短い電子音がして施錠が外れる。

 扉の向こうには、外観から想像したより明るい玄関区画が広がっていた。


 灰色の床、白い壁、必要最低限の家具。右手には認証端末と連絡用の内線、左手には装備を一時的に置ける棚があり、その奥から廊下が二方向へ伸びている。

 人の気配はある。けれど、まだ誰の姿も見えない。

 エレジは建物の中へ一歩入った。


 その先に続く廊下へ足を踏み入れたところで、左手の部屋から物音がした。扉の方を見た直後、その内側から一人の男が出てくる。


 身長はカイルよりわずかに低く、マティアスより少し高い。黒に近い髪は長めの前髪を残したマッシュ寄りで、身体つきは細いというより骨格そのものがしっかりしていた。

 手には小型の端末と工具があり、服装も他の三人と同じ軍装だったが、腰回りには通常の装備に加えて細かなケースがいくつか付いている。

 男は三人を見てから、端末の表示を確認した。


「グレイ少佐、ロート少尉、ヴァイス中尉ですか?」


「ああ」


 カイルが答える。


「ヨナス・ファルクです。先に着きました」


 声も態度も落ち着いていた。挨拶そのものに硬さはなく、必要以上に距離を取る様子もない。


「通信設備を見てたんですか?」


 エレジが手元の工具を見て尋ねると、ヨナスは少しだけ表情を緩めた。


「ええ。正確には通信設備と、電源系統と、建物内の配線です。資料だけだと分からないところがあったので」


「何か問題ありました?」


「問題はないです。ただ、設計が少し古い。改修はされていますけど、元の系統をかなり残してますね。ここの通信室、思ったより面白いですよ」


 最後だけ声にわずかな熱が混じった。

 マティアスが横から言う。


「もうそこまで見たんですか」


「着いてから時間があったので」


「何分くらいです?」


「二十七分」


「二十七分でそこまで見るんですね」


「見るだけなら」


 返しは真面目だった。

 エレジは、そのやり取りを聞きながらヨナスの印象を少し修正した。もっと近寄りがたい技術者を想像していたが、実際には話しにくさはなく、むしろ興味のあることになると分かりやすく言葉が増えるらしい。


「もう一人は?」


 カイルが尋ねる。


「まだ会ってません。俺が着いた時にはいなかったです」


 その直後、玄関側で施錠の外れる音がした。

 四人がそちらを向く。入ってきたのは、淡い金髪の女だった。エレジから見ても、美しい人だと思った。

 髪は後ろでまとめられ、一本の細い簪のようなもので留められている。身長はエレジよりわずかに高い。荷物は大きくなく、片手に一つ持っているだけだった。

 女は入口を通過すると、四人の顔を順に確認した。


「すみません。少し遅れました」


 声は自然で、表情にも硬さはない。


「アンナ・リヒターです」


 それだけ名乗ってから、カイルへ視線を向ける。


「グレイ少佐ですね」


「ああ」


「よろしくお願いします」


 続けてマティアス、ヨナス、最後にエレジを見る。


「ヴァイス中尉」


「はい」


「よろしく」


「よろしくお願いします」


 リヒターは微笑んだ。軍人としてはむしろ柔らかい印象に見える。


「これで五人ですね」


 マティアスが言った。


「そうみたいです」


 リヒターが答える。初対面の空気は残っていたが、張りつめるほどではない。

 カイルは五人が揃ったのを確認すると、廊下の奥を示した。


「先に荷物を置く。説明は作戦室でやる」


 居住区へ上がる前に、玄関脇の一時保管スペースへ荷物をまとめて置き、五人は一階奥の作戦室へ向かった。


 部屋はそれほど広くなかった。

 中央に六人程度が囲める長机があり、壁面には大型の表示板と地図用のレール、通信端末が並んでいる。片側には収納棚があり、反対側の壁には複数の電源と接続口がまとめられていた。

 ヨナスは入った直後、その接続口の方へ目を向けた。


「あとで見ろ」


 カイルが言う。


「見てただけです」


「知ってる」


 マティアスが笑いをこらえた。

 五人がそれぞれ席につく。


 カイルだけは座らず、机の端に置かれていた端末を起動した。大型表示板に部隊名が映る。


 特殊情報収集班。


 下に、五人の氏名が並んだ。


 エレジは自分の名前を見た。


 カイル、エレジ、マティアス、ヨナス、リヒター。


 それまで資料の中で別々に見ていた名前が、初めて一つの班として同じ画面に並んでいる。


「今日から、この五人で動く」


 カイルが言った。

 声は課程中の説明とほとんど変わらない。それでもエレジには、聞こえ方が少し違った。


 教官が受講者へ説明しているのではない。

 同じ部隊の指揮を取る人間として話している。


「正式名称は特殊情報収集班。

 主目的は、偵察、継続監視、観測、通信・電波情報の収集、経路調査、対監視、それから作戦前の現地評価だ」


 表示板の内容が切り替わる。


「基本的には、情報を取って戻る。対象の制圧や破壊、敵地深部への潜入、長時間の直接戦闘は主任務じゃない」


 マティアスが確認する。


「接触した場合は?」


「任務による。避けられるなら避ける。目的が情報収集なら、戦闘して勝つことより、情報を持って帰る方が優先される」


 その説明は、エレジが事前に読んでいた内容と一致していた。


「任務期間は?」


 ヨナスが尋ねる。


「短ければ数時間。長ければ数日。継続監視の場合は交代を含めてそれ以上になることもある。ただし五人だけで長期間孤立させる運用は基本的にしない。補給、通信支援、輸送、必要な場合の後送や高度医療は別系統が付く」


「五人だけで全部完結させるわけではないんですね」


 エレジが言う。


「ああ。現場で独立して動くことはあるが、組織から切り離されるわけじゃない」


 カイルは次の画面へ進めた。

 そこには役割区分が表示されていた。


「俺が全体指揮と現場判断。ヴァイスは偵察、観測、射撃、地図・航法。ロートは状況対応と補助、必要に応じて各役割の穴を埋める」


「やっぱり便利屋ですね」


 マティアスが言う。


「そう言いたいなら好きにしろ」


「正式に認められました」


「認めてない」


 ヨナスが画面を見る。


「俺は通信と技術?」


「通信、電子、機材、センサー、解析。必要なら現地修理も含む」


「了解です」


 その返事だけ、少し満足そうだった。

 最後にリヒターの項目が表示される。


「リヒターは衛生・医療、戦傷救護、護衛、対人警戒、追跡と対追跡。それから必要に応じて近接対応」


「了解しました」


 リヒターは特に質問しなかった。

 エレジは、その役割を見て少しだけ意外に思った。

 担当範囲がかなり広い。特に医療や衛生と追跡が一人にまとめられているのは、単純な戦闘要員とは違う。


「ただし」


 カイルの声で、エレジは再び前を見る。


「この区分は固定じゃない。五人しかいない以上、一人が一つの仕事だけして終わることはない」


 全員を見渡して続ける。


「誰かが欠けた時に、その分野が完全に消える状態は避ける。最低限、互いの仕事を理解して、必要なら代替できるところまでは持っていく」


 エレジは頷いた。

 それなら、自分も通信やセンサーの扱いを今まで以上に覚える必要があるだろう。逆にヨナスやリヒターにも、偵察や地図の知識を渡していくことになる。


「今後しばらくは、任務に出る前に相互訓練をやる」


「五人の連携確認ですか」


 マティアスが聞く。


「ああ。それぞれの能力は選抜時点で確認されてる。今から個人能力を測り直すつもりはない」


 その言葉に、エレジは少しだけ安心した。

 また試験が始まるわけではない。


「見るのは、五人でどう動くかだ。誰がどこまでできるか、何を任せられるか、どこで補う必要があるか。それを互いに知る」


 カイルは表示板を消した。


「任務の選定も、基本的にはこの班の特性に合わせて行われる。危険度の高い正面戦闘や強襲を前提とした案件は回ってこない。必要な情報を取ることが目的なら、余計な接触は避ける」


「それでも危険がないわけではない」


 リヒターが静かに言った。


「もちろんだ」


 カイルはすぐに答えた。


「偵察も監視も、見つかれば状況は変わる。だから、戦えることは必要だ。ただし戦うために出るわけじゃない」


 ヨナスが腕を組む。


「つまり、原則は発見されないこと」


「そうだ。発見されず、必要な情報を持ち帰って、全員で戻る。それが基本だ」


「順番は固定ですか?」


 エレジが尋ねる。


「状況で変わる。ただ、情報を取るために誰かを切り捨てる運用はしない」


 その言葉だけは、カイルの声が少し重く聞こえた。

 エレジは理由を考えなかった。今は、言葉そのものを受け取る。


「今日のところは仕事内容の共有までだ。午後から施設と装備の確認、明日から相互訓練に入る」


 カイルは端末を閉じた。


「質問があるなら今聞け」


 少しの間、誰も口を開かなかった。

 やがてマティアスが言う。


「一個だけいいですか」


「何だ」


「食事、誰が作るんです?」


 ヨナスがそちらを見る。リヒターもわずかに笑った。カイルは数秒だけマティアスを見てから答えた。


「それは仕事説明の範囲外だ」


「でも生活にはかなり重要ですよ」


「あとで決める」


「了解です」


 それで最初の説明は終わった。

 作戦室を出ると、今度は二階の居住区から確認することになった。


 階段を上がった先には一本の廊下が伸び、その両側に個室が並んでいた。五人分の部屋のほかに、浴室、洗面所、洗濯室、小さな共用収納がある。訓練生宿舎より静かで、人数が少ないぶん生活の範囲がはっきりしていた。


 部屋割りはすでに指定されていた。

 廊下の手前側からマティアス、ヨナス、カイルと続き、その先がエレジ、最も奥がリヒターだった。


「決まってるんですね」


 エレジが自分の名前の付いた扉を見て言うと、カイルが答えた。


「警備と設備配置を含めて事前に決められてる。変更が必要なら申請する」


「私はここで大丈夫です」


 部屋を開けると、ベッド、机、椅子、収納棚、それから小さな窓があった。訓練生宿舎と比べて特別広いわけではないが、一人で暮らすには十分だった。窓の向こうには建物の裏手に続く林が見え、そのさらに先に雪を残した斜面がある。


 エレジは荷物を床に置いた。


 まだ自分のものは何もない。けれど、ここは訓練期間だけ借りる部屋ではなかった。任務へ出れば、またここへ戻ることになる。


 それを考えると、何も置かれていない室内にも、少し違う意味が生まれた。


「あとで片づける。今は一階を見るぞ」


 カイルの声が廊下から聞こえ、エレジは部屋を出た。


 全員が荷物を置いたところで、一階へ戻る。最初に向かったのは通信・解析室だった。


 作戦室よりやや狭いが、壁際には複数の端末と受信機、通信機器が並び、中央の作業台には交換部品や工具を広げられるだけの余裕があった。

 奥には機器用の独立電源と予備系統があり、外部アンテナや施設内のセンサー設備とも接続されている。


 カイルが備え付けの端末から設備一覧を開くより先に、ヨナスが室内を見渡した。


「予備電源、二系統ありますね。片方は建物全体、もう片方はこの部屋と作戦室だけ独立してる」


「もう確認したのか」


「最初に見ました。通信が落ちた時に建物全部を生かす必要はないので、こっちだけ残す設計です」


 壁際を指しながら説明する声は、先ほどより明らかに滑らかだった。


「外部回線も三つあります。有線が二つと衛星が一つ。たぶん任務中の班との通信だけじゃなく、ここ自体が情報の中継点になることも想定してる。あと、この端末は——」


 ヨナスが続きを説明しかけ、カイルが止めた。


「細部は明日以降にしろ」


「まだ細部じゃないです」


「お前の基準は信用してない」


 マティアスが笑った。


「ファルク大尉、そこから何分くらい話せます?」


「全部なら一時間くらいです」


「少佐、止めて正解です」


 ヨナスは不満そうというより、なぜ止められたのかを考えるような顔をしていた。

 エレジには、その方が少し面白かった。


「でも、あとで聞いてもいいですか」


 そう言うと、ヨナスがこちらを見た。


「何を?」


「今の続きです。三つある回線を、どう使い分けるのか」


「いいですよ。それなら先に通信方式から説明した方が分かりやすいです」


「お願いします」


「中尉、自分から一時間を取りに行きましたね」


 マティアスの言葉に、エレジは首を傾げた。


「聞きたいので」


「ならいいですけど」


 次に装備保管区画へ移った。

 壁際には個人装備用の収納が並び、その奥には観測機器、光学機器、携行センサー、寒冷地装備、予備の通信機器が種類ごとに整理されている。

 武器庫はさらに内部の施錠区画として分かれており、使用には個別の認証が必要だった。


 エレジにとって見慣れた装備も多かったが、これまで扱う機会の少なかった観測機器も混じっている。


「これは任務ごとに持ち出しを組む。個人装備は固定するが、全部持って歩く必要はない」


 カイルの説明を聞きながら、リヒターは一角にまとめられた医療装備を開いた。

 ケースの中身を順に確認していく手つきに迷いがない。


「一次処置には十分です。でも長時間搬送を想定するなら、保温資材を増やした方がいいですね。鎮痛薬ももう少し種類がほしいです」


「申請できるか?」


「一覧にして出します。固定具も一つ追加したいです」


 リヒターはそれだけ言ってケースを元通りに閉じた。

 先ほど作戦室で聞いた担当が、肩書きだけではないことはそれだけで分かった。中身を確認する速さも、必要なものを挙げる迷いのなさも、実際に使ってきた人間のものに見えた。


 その次は簡易訓練室だった。

 床の半分には衝撃を吸収するマットが敷かれ、壁際には基礎的なトレーニング器具と模擬武器が収められている。

 広さは訓練棟の格闘室には及ばないが、五人で動きを確認するには十分だった。


「明日からしばらくはここも使う」


 カイルが言った。


「専門を教え合うのも?」


 エレジが尋ねる。


「ああ。全員が同じ水準になる必要はない。ただ、知らないままにはしない」


 通信ならヨナス、医療ならリヒター。自分なら地図や観測。誰か一人だけが知っている状態を減らしていくということなのだろう。


 エレジはそれを考えながら室内を見回した。

 明日になれば、二人が資料に書かれている以上に何をできるのかも少しずつ分かってくる。


 最後に向かったのは、建物の奥にある共有スペースだった。

 作戦区画とは扉一枚隔てられているだけなのに、入った時の印象はかなり違った。大きな窓の前にソファがあり、六人掛けのテーブルと椅子、その奥に厨房が続いている。

 冷蔵庫、オーブン、調理台、食器棚まで一通り揃っており、壁際にはコーヒーメーカーと湯沸かし器も置かれていた。


「思ったよりちゃんとしてますね」


 マティアスが厨房を覗く。


「生活拠点だからな」


「で、さっきの話ですけど。食事どうします?」


 カイルが答える前に、リヒターが冷蔵庫を開けた。

 最初の数日分らしい食材がすでに入っている。野菜、肉、卵、乳製品のほか、保存の利くものも一通り揃っていた。


「私が作りますよ」


 あまりに自然に言ったので、エレジは最初、聞き間違えたのかと思った。

 マティアスも同じだったらしく、リヒターを見る。


「全部ですか?」


「ええ」


「五人分を毎日?」


「そんなに大変じゃないですよ」


「いや、でも当番にした方が——」


「料理、好きなんです」


 リヒターは冷蔵庫の中を確認しながら答えた。


「任務で不在の人がいる時はその人数分で作ればいいし、私がいない時は皆さんでどうにかしてください。それ以外は私がやります」


「本当にいいんですか」


 エレジが聞くと、リヒターは冷蔵庫を閉じてこちらを向いた。


「ええ。ただ」


 少し考えるようにエレジを見てから、柔らかく笑った。


「ヴァイス中尉は、手伝ってくれる?」


「私ですか?」


「ええ」


「わかりました、やります」


「じゃあお願い」


 それだけで話は決まった。

 なぜ自分だけなのだろう、とエレジは一瞬思ったが、深く考えるほどのことにも感じなかった。

 五人分を一人で作るなら、誰か一人くらい手伝いがいた方がいい。たまたま最初に自分へ声をかけただけなのかもしれない。

 マティアスは二人を見比べた。


「俺も手伝えますけど」


「本当に必要な時は頼みます」


「今は必要ない?」


「二人で十分です」


「分かりました」


 断られ方まで自然だったので、マティアスもそれ以上は言わなかった。


 カイルは共有スペースの設備を確認しながら、食材や生活用品は定期的に補給されること、必要なものは端末から申請できること、外出や来訪者には事前承認が必要なことを説明した。

 警備区画内とはいえ完全な隔離施設ではなく、必要に応じて他部署の人間が入ることもある。ただし、この建物の居住区と作戦区画に誰でも自由に入れるわけではない。


 そのほか、洗濯設備、浴室、倉庫、車両庫、屋外の装備点検スペースまで一通り確認して回った。


 施設そのものは広くない。

 だからこそ、一周してしまえば、自分たちがこれから使う場所のほとんどが分かった。


 作戦室で仕事を決め、通信室で外とつながり、装備を整えて任務へ出る。戻れば同じ建物で食事をして、それぞれの部屋で眠る。

 その生活を共有する相手も、もう全員ここにいる。


 カイルとマティアスについては知っていることが多い。

 けれど、通信機器について話し始めると急に言葉の増えるヨナスのことも、穏やかに笑いながら五人分の食事を自分が作ると言ったリヒターのことも、エレジはまだほとんど知らなかった。


 設備の説明を聞き終えた時、エレジには、この建物よりもむしろそのことの方が気になっていた。




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