交際申告
修了から一週間ほど経ち、エレジは再び管理棟へ呼ばれた。
課程が終わってからの生活は、それまでとはまるで違っていた。起床時刻も食事の時間も大きく変わったわけではないのに、朝になっても訓練計画を確認する必要がなく、装備を整えて集合場所へ向かうこともない。
侵入事件のあとに移された部屋をそのまま使いながら、転属に備えた書類や装備返却の残りを処理し、警備側から指示された範囲で基地内を行き来するだけの日が続いていた。
特殊任務部隊の選考結果は、まだ来ていない。
だから管理棟への呼び出しを受けたとき、何の件かを尋ねる必要はない気がした。
案内されたのは、報酬について説明を受けたときと同じ区画にある小会議室だった。以前と違うのは、机の上に置かれている書類の量と、部屋にいる人間の様子だった。
緊急の脅威を知らせる場というより、人事上の決定を伝えるために整えられた席に見え、その違いだけで今回の呼び出しの性質が少し分かった。
「ヴァイス中尉。座ってください」
「はい」
正面には基地司令部の将校と、以前にも見た所属章の分からない将校が座っていた。エレジが席につくと、基地司令部の将校が手元の書類を確認し、そのまま本題へ入った。
「再編中の特殊任務部隊について、内示が出た」
予想していた言葉だったはずなのに、実際に聞くと身体の奥が少し強張った。
「はい」
「正式発令前なので、現段階では内示として扱う。ヴァイス中尉は第一編成要員として選定された」
「第一編成?」
「五名で運用する。あなたはその五名のうち一名だ」
そこまで聞いて、エレジはようやく意味を確かめた。
「つまり、選ばれたんですか」
「そう考えていい。正式発令前だから変更の可能性が完全にないとは言えないが、通常ならここから大きく覆ることはない」
言葉にされるまで、どこかでまだ候補のままなのだと思っていた。
最終評価に合格し、その結果が選考側へ送られたことも知っている。希望も出した。それでも、候補であることと、自分の席が一つ用意されたことは違った。
「……分かりました」
返事が少し遅れたのは、意味を飲み込むのに時間がかかったからだった。
将校はそのまま次の説明へ進んだ。
「集合は四月末から五月初旬を予定している。正式な日時と集合地点は発令時に通知する。それまでは、現在の警備体制を維持したまま、この基地で転属準備に入ってもらう」
「原隊には戻らないですか?」
「戻さない」
「分かりました」
「部隊に固定勤務地はない。拠点は複数あり、任務ごとに移動する。以前説明した内容から大きな変更はない」
「はい」
そこはもう聞いている。
今知りたかったのは、本当に自分がそこへ行けるのかという一点だった。その答えは、もう出ていた。
説明が配置そのものから編成上の確認へ移ったことは、将校が別の書類を開いたことで分かった。
「ここからは編成に関する確認になる。五名という少人数で運用する以上、構成員同士の関係が任務や指揮に与える影響は通常部隊より大きい。配置判断に関わる私的関係がある場合は、事前申告の対象になる」
その説明を聞いた瞬間、数日前のベルンハルトでカイルと話したことを思い出した。
必要な段階になったら申告する。今が、その段階だった。
「……あります」
「申告事項が?」
「……はい」
「相手は」
「グレイ少佐です」
言葉にしたあとも、想像していたほど大きな変化は起こらなかった。将校たちは必要な確認を続けるだけで、そのこと自体が特別な事件として扱われているようには見えなかった。
「関係は?」
「交際しています」
「双方が交際関係だと認識したのは、課程中か」
「はい」
「グレイ少佐があなたの評価に関与していた期間と重なる?」
「重なります」
そこまでの質問は想定していた。
それでも、自分の口から順番に答えていくと、ベルンハルトへ出た日に抱いていた不安が少しだけ戻ってきた。カイルとの関係で評価されたと思われるかもしれない。その可能性を、自分から組織へ渡している。
けれど、ここで隠す方が違うことも分かっていた。所属章の分からない将校が手元の記録を確認しながら答えた。
「課程評価は複数教官による記録が残っている。最終評価と追加評価についても同様だ。グレイ少佐単独の判断で合否や選考資料が決まったわけではない」
「はい」
「現段階で、この申告だけを理由に内示を撤回する話にはならない。ただし、編成上の検討事項にはなる」
その説明を聞いて、エレジが最初に考えたのは、五人の中から外される可能性だった。
「同じ部隊には置かれないということですか」
「そう単純ではない」
「でも、少佐も候補ですよね」
「候補者についてこちらから話せる範囲には限りがある。ただ、五名は能力構成を前提に選定している。私的関係だけを理由に一名を外せば、編成自体を再検討することになる」
完全な否定ではないが、交際しているから即座に別配置になるわけでもないらしい。
「もし同じ五人に入った場合、少佐が私の上官になることは?」
「あり得る。階級上の関係まで消すわけではない」
「評価は?」
「勤務評定、人事評価、処分などについては、直接の利害関係を避けるため別系統の監督を入れる可能性が高い。任務上必要な指揮と、人事上の評価は分けて扱う」
その説明なら納得できた。任務中にカイルの命令だけ受けないという方が、五人しかいない部隊では不自然だろう。一方で、自分の評価を恋人であるカイルだけが握る状態を避けることにも意味がある。
「分かりました」
「もう一つ。今申告した内容は秘匿扱いになる」
「秘匿?」
「人事、配置、編成責任者など、職務上知る必要がある者に限って共有する。他の隊員へ組織側から知らせる予定はない」
「同じ部隊の人にも?」
「任務上必要がなければ通知しない」
組織に隠すつもりはなかったが、だからといって五人全員に交際関係を告げられたいわけでもない。その範囲で扱われるなら、エレジにとっても違和感はなかった。
「私たちから言うのは?」
「私生活についてまで規制する話ではない。ただし、任務への影響が出ないように扱え」
「はい」
「グレイ少佐本人にも別途申告を求める」
「分かりました」
ベルンハルトでカイルが言っていた通りだった。
申告する。隠したまま同じ部隊へ入る方が問題になる。
実際にそうしてみると、怖がっていたほど特別なことではなかった。必要な確認を受け、必要な範囲で処理されていく。
「他の四人は、もう決まってるんですか」
「選定は進んでいる」
「名前は?」
「全員への内示が終わるまでは開示しない」
「分かりました」
そこまでで、エレジへの説明は終わった。
管理棟を出ると、外の空気はまだ冬の冷たさを残していた。四月に入ってしばらく経っても、基地の建物の脇には雪が積もり、日当たりの悪い場所では踏み固められた白さがそのまま残っている。
その中を歩きながら、エレジはさっき聞いた言葉を何度か頭の中で繰り返した。
五人のうち一人。
候補ではなく、第一編成要員。
まだ正式発令ではない。それでも、何も決まっていなかった昨日までとは違う。
「中尉」
背後から聞き慣れた声がした。振り返ると、マティアスが管理棟の方から歩いてきていて、その方向から来たことだけで、同じような呼び出しを受けた可能性が頭に浮かんだ。
「少尉」
普段ならそのまま何か用件を話すところなのに、マティアスは周囲を意識したように声を落とした。
「今日、管理棟呼ばれました?」
それだけで、エレジにも何の話か分かった。
「少尉も?」
「その返しでほぼ分かりました」
「何も言ってません」
「俺も何も言ってません」
互いに口外制限を思い出しているのに、もう十分だった。
「五人って言われました?」
「それ、言っていいんですか」
「中尉も今、否定しませんでしたよ」
エレジは返す言葉を探したが、その前に笑ってしまった。
「……同じなんですね」
「たぶん」
「たぶん?」
「正式発令前なんで」
「そこは私も同じです」
同じ五人の中にマティアスがいる。
それは予想していなかったが、嫌ではなかった。半年間何度も一緒に動いてきた相手が、新しい部隊にもいる。その事実は、まだ見えない先のことを考えるうえで小さくない安心になった。
「少尉、なんで選ばれたんですか」
「いきなり失礼だな」
「そういう意味じゃないです」
「分かってます」
マティアスは、自分が聞いた範囲を思い返すように少し間を置いてから答えた。
「課程側から推薦が入ってるって言われました」
「誰の?」
「グレイ少佐」
その名前が出たことで、エレジは予想外の方向から話がつながったのを感じた。
「少佐が?」
「らしいです」
「知ってたんですか」
「今日初めて知りました」
「何で推薦したんでしょう」
「中尉の世話係としてじゃないでしょうね」
「それはないと思います」
「即答ですね」
「少佐、そういう選び方しないので」
自分で言ってから、それはかなり確信を持って言えることだと思った。
カイルはエレジのことを守ろうとはするが、任務の評価まで感情で曲げる人ではない。だからマティアスを推薦したのなら、必要だと判断した理由があるはずだった。
「あとで聞いてみます」
「俺の採用理由を中尉が?」
「気になるので」
「本人より気にしてません?」
「少尉は気にならないんですか」
「少しは。でも入れるならいいです」
その答えは、結果を受け入れる速さも含めてマティアスらしかった。
「集合時期も同じですか」
「たぶん」
「じゃあ、本当に一緒ですね」
「また半年かな」
「今度は期限決まってませんよ」
「それもそうか」
課程中なら、その会話のあとには必ず次の訓練があった。今は、その先にあるのが新しい部隊だった。
マティアスと別れたあと、エレジはカイルの執務室へ向かった。教官としての課程業務はほとんど終わっているが、まだ基地内で引き継ぎや記録整理をしていることは知っている。
扉を叩くと、中から返事があった。
「どうぞ」
中へ入ると、カイルは机の上の書類からこちらへ意識を向けた。
「ヴァイス中尉」
「少佐」
その呼び方だけは、課程が終わってもすぐには変わらなかった。
「内示、出ました」
「ああ」
驚いた様子がないことから、カイルにも同じ話が届いている可能性が高いと分かった。
「少佐も?」
「ああ」
「五人の中ですか」
「ああ」
それだけで、二人が同じ部隊へ行く可能性ではなく、同じ五人として編成される予定なのだと分かった。
「本当に一緒なんですね」
「正式発令までは確定じゃない」
「分かってます。でも、かなり決まってるって言われました」
「俺も同じだ」
エレジは、もう一つ今日知ったことを続けた。
「マティアスも同じみたいです」
「知ってる」
「知ってるんですか」
「推薦したからな」
やはり本人の言葉で聞くと、エレジには改めて意外だった。
「少佐が選んだんですか」
「候補に推した。最終的に決めたのは選考側だ」
「なんでマティアスを?」
カイルは、半年間見てきた評価をそのまま言葉にするように答えた。
「安定してる。射撃、近接、雪上行動に大きな穴がない。状況が変わったときの切り替えも早い」
「それだけですか」
「人間関係の扱いがうまい」
その言い方が少し意外だった。
「人間関係?」
「誰かが崩れたときに、必要以上に主導権を奪わない。逆に、放っておくべきじゃないときは入る。指示がなければ何もできないタイプでもないし、自分の判断だけで班全体を動かそうともしない」
聞いているうちに、エレジにはいくつもの場面が思い浮かんだ。
自分が調子を崩していたとき。
近接課目のあと。
訓練中に誰かが遅れたとき。
班の空気が張り詰めたとき。
マティアスは、いつも一番目立つ動きをするわけではなかった。それでも、誰かが困れば必要な分だけ入ってくる。
自分が前へ出ることで状況を奪うのではなく、必要なところだけを支える。その積み重ねを、カイルは能力として見ていたのだと分かった。
「私と一緒に動いてたのも関係ありますか」
「ある。連携実績は評価材料になる」
カイルはそこで区切った。
「でも、それだけなら推さない」
「五人しかいないから?」
「ああ。技術が高いだけの人間を五人集めても、長くは回らない。少人数で動くなら、人間関係を壊しにくい奴は必要だ」
それなら、マティアスが選ばれた理由としてよく分かった。
「本人、自分が何で選ばれたのかあまり分かってませんでした」
「そのうち分かる」
「言わないんですか」
「聞かれたら言う」
それもカイルらしかった。
そこでエレジは、もう一つ今日済ませたことを思い出した。
「私、申告しました。交際のこと」
「俺もした」
「もうですか?」
「お前より先だ」
それを聞いて、エレジは少しだけ拍子抜けした。自分が管理棟で一つずつ答えていた頃には、カイルの側でも同じことがすでに処理されていたらしい。
「同じこと聞かれました?」
「だいたいな」
「課程中だったかとか、評価に関わってたかとか」
「ああ」
「秘匿扱いにするって言われました」
「俺も聞いた」
「他の隊員には言わないそうです」
「必要がないからな」
組織側から公表されないことが分かっても、五人のうち一人については別の問題がある。
「マティアスは気づくと思いますけど」
「たぶんな」
「もう気づいてる可能性もありますよね」
「あるだろうな」
エレジは、自分たちがどう扱うのかを確認しておきたくなった。
「私たちから言います?」
「必要になれば」
「隠すわけではない?」
「隠す理由はない。ただ、仕事中に説明して回ることでもない」
「私もそう思います」
それで十分だった。組織には申告したし、必要な人間は知っている。だから、あとは二人の私生活として扱えばいい。
「配置のことも言われました」
「評価権限の話か」
「はい。少佐が単独で私の勤務評定を持たないようにするかもしれないって」
「ああ」
「任務中は普通に指示することもあるんですよね」
「そうなる」
「それでいいんですか」
「その方がいい」
カイルの答えに迷いはなかった。
「俺がお前の上官になる可能性までなくす必要はない。でも、人事評価まで俺一人が握る必要もない」
「私も、その方がいいです」
恋人だから仕事上の関係を全部消すのでもなく、恋人であることを無視して何も変えないのでもない。必要なところだけ分ける。
ベルンハルトであれほど気にしていたことが、実際にはそうやって一つずつ整理されていくのだと分かった。
「あと二人、誰なんでしょう」
「まだ聞いてない」
「少佐も?」
「ああ」
「知ってる人ですかね」
「五人全員知ってる人間の方が不自然だろ」
「それもそうですね」
残り二人の存在を考えたことで、特殊任務部隊という言葉が初めて五人の具体的な形を持ち始めた。
今まで会ったことのない人間かもしれない。
違う地域から来るのかもしれない。
自分にはない技能を持っているのだろう。その人たちと五人で動く。
「楽しみか」
カイルに聞かれ、エレジは考えるまでもなかった。
「はい」
「怖くないか」
「少しは」
報酬のことが消えたわけではない。自分を狙う人間がまた現れる可能性もある。それでも、それだけではなかった。
「でも、行きたいです」
「ああ」
「今度は本当に、いろんなところに行けそうですね」
「そうなるだろうな」
執務室を出て部屋へ戻ると、机の上には昼のうちに届けられた転属関係の書類が置かれていた。
正式な勤務地の欄は空白、集合地点もまだ記されていない。書かれているのは、編成番号と、発令待ちであること、そして予定されている集合時期だけ。
行き先は決まったのに、行く場所はまだ決まっていない。その空白の先にまだ見たことのない場所があるのだと、エレジは思った。




