渡り鳥と籠の鳥
侵入者が確保されてから一週間後、カイルは夕方になって管理棟へ呼ばれた。
呼び出し自体は珍しくなかったが、指定されたのはいつもの会議室ではなく、管理棟のさらに奥にある、教育部門の教官が普段使うことのない小部屋だった。
中には基地司令部の人間が二人と、見慣れない将校が一人いた。
「グレイ少佐。座ってくれ」
「はい」
促された席につくと、正面の机には薄いファイルが一冊だけ置かれていた。その少なさが、かえって通常の訓練報告とは違う話なのだと感じさせた。
「ヴァイス中尉の件だ」
その名前が出た時点で、カイルの意識は机上のファイルから将校へ移った。
「侵入者二名の聴取と、外部情報の照合が進んだ。結論から言う」
見慣れない将校は、必要な資料を示すためにファイルを開いた。
「ヴァイス中尉には、相当額の報酬が設定されている可能性が高い」
カイルは一瞬、その言葉を軍務上のものとして受け取ろうとして、意味がつながらなかった。
「報酬?」
「俗に言えば懸賞金だ。ただし公的なものではない。複数の犯罪組織、仲介業者、武装勢力の間で流れている情報だ」
「何のために」
「生きたまま確保して引き渡す」
それまで調査報告として聞いていた話が、その一言でエレジ本人に向けられた具体的な脅威へ変わった。
「誰に」
「不明」
「理由は」
「それも不明だ」
答えのない部分を埋める材料がない以上、カイルもすぐには次を聞かなかった。
「今回の侵入者は、それを目的に?」
「少なくとも一人はそう供述している。もう一人は、仲介者から金だけ提示された可能性が高い」
「基地まで入って?」
「それだけの金額だということだ」
将校がファイルの一部をカイル側へ向けた。具体的な金額は黒く伏せられていたが、その下には異なる地域と仲介経路を通じて同じ条件が繰り返し確認された記録が並んでいる。
生存状態で確保し、本人確認を経て引き渡すという条件まで一致しており、偶発的に生まれた噂として片づけられるものではなかった。
「依頼元は追えてないんですか」
「まだだ」
「ヴァイス本人に何か心当たりは」
「確認していない」
「まだ伝えてない?」
「ああ」
本人に知らされていないと分かり、カイルは初めて説明の順序そのものを問題として意識した。
「なぜ」
「本人へ伝える前に、軍として今後の扱いを整理する必要があった」
「扱い?」
基地司令部の将校は、ここからが配置の話だと示すように別の書類を出した。
「通常なら、保護対象として考える」
「通常?」
「ヴァイス中尉をそのまま原隊へ戻すのは難しい。所属も勤務地も固定される。生活動線も追いやすい。今回、軍基地まで入り込まれた以上、原隊復帰で終わらせるわけにはいかない」
「ならどこへ」
将校は、選択肢の重さを承知しているのか、一度言葉を選んでから答えた。
「最も安全なのは、厳重警備下の軍施設内勤務だ。対外行動を制限し、勤務地は非公開。外出も最小限にする。必要なら身分情報も一部変更する」
「どれくらい」
「期限は決められない」
「つまり、いつ終わるか分からない」
「そうなる」
安全という言葉の代わりに何を失うのかを確かめるため、カイルは続けて聞いた。
「任務は?」
「事務、情報整理、教育補助。施設内で完結するものが中心になる」
「現場には出さない」
「安全を優先すればそうなる」
そこまで聞けば、エレジがどう受け取るかは想像するまでもなかった。
カイルの思考によぎったのは、ベルンハルトへ出た日に鳥や旅の話をしたときのことだった。
『鳥そのものも好きなのかもしれませんが、どこにでも行けるのがいいなと思うのかもしれません』
『季節が変わったら別の場所へ行って、山も越えて。ずっと同じところにいなくていいのが』
『いろんなところに行くのは、好きかもしれません。知らない町とか、見たことのない景色とか』
『まだ、ここっていう場所はないです。でも、知らないところなら見てみたいです』
そんな人間を、安全だからという理由だけで、いつ終わるとも分からない施設勤務に置く。
「本人は嫌がる」
三人の注意が一斉にカイルへ向いた。
「断言するな」
「半年見てます」
「だから呼んだ」
見慣れない将校がそう言った。
「もう一案ある」
今の案だけで終わらないなら、まず内容を聞くべきだった。カイルは口を挟まず続きを待った。
「所在を固定しない」
「どういう意味です」
「通常部隊の人事系統から切り離す。小規模で秘匿性の高い部隊へ転属させ、任務ごとに拠点を変える。常設の勤務地を持たせない」
その条件を聞いたことで、カイルの中で想定する部隊の性質が変わった。
「特殊任務部隊?」
「まだ正式名称は出せない。再編計画の一部だ」
「任務は」
「山岳、偵察、監視、情報収集、小規模行動。必要なら国外も含む」
「安全にはならない」
「当然だ」
「むしろ任務そのものは危険になる」
「そうだ。ただ、追跡は難しくなる。所在が固定されず、通常の人事情報からも外れる」
二つの案は、同じ「保護」でも方向が正反対だった。カイルは机上に並んだ書類を見ながら、その違いを整理した。
「保護目的だけで入れる部隊じゃない」
「その通りだ。適性がなければ候補にも入れない」
「だから俺を呼んだ?」
「そういうことだ」
将校は、今度はヴァイス中尉本人の評価をまとめた資料を開いた。
「ヴァイス中尉の課程評価を確認した。射撃、地図判読、状況判断。総合では上位。後半の小規模行動と偵察評価が特に高い」
「はい」
「本人も希望調査で、北部継続、偵察、小規模部隊勤務を出している」
「出してます」
「適性はどう見る」
すぐに答えなかったのは、判断に迷ったからではない。恋人として感じるものと、教官として半年間見てきた評価を混ぜないためだった。
恋人としてなら危険な場所へ行かせたいはずがないが、今求められているのは、あくまで教官としての判断だった。
「適性はあります」
「具体的に」
「観測した情報と推測を分けられる。状況が変われば判断を修正できる。単独能力は高いですが、最近は自分だけで抱え込まなくなった。小さい班の方が強みが出ます」
「指揮は」
「できます」
「精神面は」
そこだけは能力評価とは別に、慎重に言葉を選ぶ必要があった。
「以前より安定してる。少なくとも、課程後半の評価に影響する状態ではない」
教官としての評価を答え終えた上で、カイルはもう一つ別のことを付け加えた。
「ただし、本人に選ばせるべきです」
将校は、質問していない領域まで踏み込まれたことに気づいた。
「まだそこまでは聞いていない」
「聞かれる前に言っておきます」
「なぜ」
「固定施設に置くか、特殊任務へ入れるか。どっちも本人の人生を大きく変える」
「安全保障上、本人の希望だけで決められない」
「分かってます」
そこを否定するつもりはなかったからこそ、カイルも声音を変えずに続けた。
「でも、本人を外して決める話でもない」
それ以上すぐに返す者はいなかった。やがて将校が言う。
「固定施設の方が安全だ」
「そうでしょうね」
「なら、お前個人としてはそちらを選ばせたいんじゃないのか」
その問いだけは、教官としての評価では答えられなかった。
もし自分だけの感情で選んでいいなら、答えは簡単だった。見える場所にいてほしい、自分が守れる場所にいてほしい。できるだけ危険の少ないところに置きたい。
「安全なところにいてほしいとは思います」
「なら」
「でも、それで本人の仕事を全部奪うのは違う」
将校は続きを遮らなかった。
「ヴァイス中尉は、守られるためだけに軍にいる人間じゃない。本人が特殊任務を希望するなら、その選択肢は残すべきです」
「危険でも?」
「危険だからこそ、説明した上で本人に判断させるべきです」
そこまでで、ヴァイス中尉の配置について今カイルが出せる答えは尽きた。
基地司令部の将校は次の議題へ移った。
「もう一つ」
「はい」
「その部隊の要員選定に、お前も入る」
予想していなかった話に、カイルは質問の意味を確認した。
「俺が?」
「候補者の評価を出せ。ヴァイス中尉だけじゃなく、複数名だ」
「最終決定は」
「司令部」
自分一人の判断でエレジの進路が決まるわけではないと分かり、その点についてだけは安心できた。
「分かりました」
「お前自身も候補だ」
今度は話の対象が自分へ移ったことを理解するまで、一拍かかった。
「何の」
「同じ部隊だ」
すぐに返事が出なかったのは、その可能性を考えていなかったからだった。
「教官側からも数名出す。現場経験、山岳、偵察、訓練指導。お前は条件に入っている」
「……いつから」
「候補自体は以前からだ」
「ヴァイスの件とは別?」
「別だ」
それなら、まず確認しておかなければならないことがあった。
「俺が行くかどうかで、ヴァイス中尉の選考が変わることは」
「ない」
「ならいいです」
その確認を真っ先にした理由を不審に思ったのか、将校がカイルを見た。
「個人的な事情があるのか」
「ありません」
少なくとも、ここで話すべき事情はなかった。
「本人への説明はいつです」
「明日だ。課程修了までは基地内の警備を増強する。外出許可は停止。訓練区域も警備側と調整した範囲に限定する。最終評価は、現時点では予定通り実施する」
「分かりました」
「説明への同席は必要なら認める」
自分がいることでエレジの判断に影響を与える可能性まで考えれば、こちらから望むことではなかった。
「本人が望むなら」
「了解した」
会議が終わった頃には、外は暗くなっていた。
管理棟を出ると細かい雪が降っていたが、カイルは訓練生宿舎の方向には目を向けなかった。見たところで何も変わらず、今すぐエレジに伝えることもできない。
頭に残ったのは、性質の違う二つの選択肢だった。
一つの場所に留めて守るのか、
居場所を定めずに守るのか。
どちらも、簡単に安全とは言えない。
ただ一つ、カイルの中ではもう決まっていた。エレジの人生を、本人の知らないところで決めるべきではない。
翌日の訓練で、エレジはいつも通りだった。
地図を見て班員へ指示を出し、途中で条件が変われば迷わず判断を修正する。昨日までと何も変わらないその姿を見ながら、カイルは昨夜のことを思い出していた。
「グレイ少佐」
隣にいた教官から声をかけられ、カイルは意識を訓練区域から戻した。
「はい」
「ヴァイス中尉、かなり仕上がってきましたね」
その評価の先に昨夜の話が重なって見えたが、カイルは今ここでは教官として答えた。
「そうですね」
「最終評価も問題なさそうだ」
「まだ終わってません」
「相変わらず厳しいな」
教官はその返答をいつもの厳しさだと受け取って笑ったが、カイルが気にしていたのはそこではなかった。最後までエレジを一人の受講者として見なければならず、その評価はこの先の選考にも使われる。
だからこそ、余計なものを混ぜたくなかった。
*
訓練が終わったあと、エレジが装備を返却しているところへ司令部の伝令が来た。
「ヴァイス中尉」
「はい」
「このあと管理棟へ来てください」
用件を知らされない呼び出しに、エレジは理由を確かめた。
「何の件ですか」
「詳細はそこで」
「分かりました」
伝令が離れたあと、エレジは少し離れた場所にいるカイルへ意識を向けた。一瞬だけ目が合い、それだけで、カイルがすでに何かを知っていることは分かった。
けれど、以前のように理由のない不安にはならなかった。今ここで言えないなら、そういう種類の話なのだろう。
エレジは返却を終えた装備を置き、管理棟へ向かった。
中に入ると、いつも使う教官室とは違う方向へ案内され、廊下の奥にある小会議室まで来たところで伝令が足を止めた。
「どうぞ」
「失礼します」
中には基地司令部の将校が二人と、もう一人、見覚えのない男がいた。制服を着ているものの、所属章はエレジの知らないものだった。
カイルはいなかった。
昨日から彼が何かを知っていると思っていただけに、てっきり同席しているものだと考えていた。その予想が外れたことだけが少し意外だった。
「ヴァイス中尉。座ってください」
「はい」
勧められた席につくと、正面の将校がすぐに本題へ入った。
「先日の基地侵入について、調査が進んだ。あなたに関係する内容が確認されたため、直接説明する」
「私に?」
「ああ。侵入者二名のうち、一名はあなたを確保する目的で基地へ入ったと供述している」
聞こえた言葉と、自分が知っていた事件の形がすぐには結びつかなかった。
「……私を?」
「そうだ」
「なぜですか」
「そこはまだ分かっていない」
「私の名前を知っていたんですか」
「知っていた。所属もある程度把握していた。あなたがこの基地にいることも、事前に知っていた可能性が高い」
そこでエレジは、事件翌日に受けた説明との違いを意識した。
「じゃあ、私の部屋まで来たのも?」
「その可能性が高い。事件直後は、追跡されて偶然三階へ逃げ込んだ可能性も残っていた。ただ、その後の聴取と押収した情報を照合した結果、あなたが三階のその区画にいることまでは把握していたと見ている」
「部屋も?」
「部屋番号まで知っていた可能性が高い」
「確保して、どうするつもりだったんですか」
「引き渡す」
「誰に」
「不明だ」
その答えから考えられる理由は多くなかった。
「報酬があった?」
質問の内容を予想していなかったのか、将校の表情がわずかに変わった。
「察しがいいな」
隣にいた男が、具体的な裏付けを示す資料を開いた。
「正確には、公的な意味での懸賞金ではない。複数の非合法な仲介経路で、あなたを生きたまま確保し、指定先へ引き渡した者に高額の報酬を支払うという情報が流れている」
エレジは示された資料を読んだ。細部の多くは伏せられているが、同じ条件が複数の地域で確認されていることだけは分かる。
「いつからですか」
「報酬そのものが確認できるのは、数週間前からだ」
「そんな最近なんですか」
「ああ。ただし、その時点では対象を特定できる情報はまだ限定的だった。氏名や所属が具体的に出始めたのは、そのあとだ」
「私がこの基地にいることまで分かってたのは?」
「さらに後だ。現在地に関する情報が仲介経路に加わったのは比較的最近だと見ている。今回の侵入者が、この基地にいると知ったのもその段階だ」
「報酬額も、最初から今と同じだったんですか」
「それは確認できていない。ただ、短期間のうちに条件が具体化し、実際に動く人間が出るだけの額になった可能性は高い」
「誰が出したんですか」
「不明」
「理由は」
「それも不明だ」
「私に何か情報があると思われてる?」
「可能性はある」
「誰かと間違えられてる?」
「それも排除できない」
「家族関係ですか」
「現段階では、それを示す証拠はない」
質問を重ねるほど、分からないことの範囲だけが広がっていった。答えを持っていない相手にこれ以上理由を求めても、新しい情報は出ない。
「ほかにも来る可能性がありますか」
「ある」
「高いですか」
「判断できない。ただし、軍として無視できる段階ではない」
「だから呼ばれたんですね」
脅威そのものの説明が終わると、将校は今後に関する資料をエレジの前へ置いた。
「ここから先は、課程修了後の配置について話す。現状では、そのまま原隊へ戻すことは難しい」
「勤務地が固定されるからですか」
「そうだ」
説明されたのは二つの方向だった。一つは、安全を最優先して警備の強い軍施設へ配置し、対外行動を大幅に制限する案。
もう一つは、通常の人事系統から外し、所在を固定しない秘匿性の高い小規模部隊へ移す案だった。
エレジが最初に確かめたのは、より安全だという前者で何ができるのかだった。
「偵察はありますか」
「ない。事務、情報整理、教育補助など、施設内で完結する任務が中心になる」
「前線には出ない」
「基本的には」
「嫌です」
自分でも考えるより先に出た答えだった。将校も、その速さを予想していなかったらしい。
「安全性は最も高い」
「分かってます」
「期限も現時点では決められない」
「それも分かりました。でも、希望しません」
「理由は」
「今までやってきた仕事と、やりたい仕事の両方から離れるからです」
そこまで意思が明確なら、この案についてさらに説得する必要はないと判断したのか、将校もそれ以上押さなかった。
「では、もう一案を説明する」
次に説明された秘匿部隊には、山岳、偵察、監視、情報収集、小規模行動と、エレジがこれまで希望してきた任務が並んでいた。任務ごとに拠点を変え、通常の所属情報からも切り離されるという。
資料を読み進めるほど、聞き覚えのある言葉が増えていった。
「これ、私のために作る部隊ですか」
「違う」
返答は即座だった。
「既存計画の再編だ。あなたの件とは別に進んでいた」
「じゃあ、私が候補に入ったのは?」
「課程評価と希望調査、それに現在の事情を合わせた結果だ。事情だけで入れることはない。適性がなければ候補にもしない」
事件が起きたから用意された行き先ではなく、自分がここまで受けてきた評価も候補に入った理由なのだと分かり、その点については安心できた。
「誰が評価したんですか」
「課程教官全体の記録を使っている」
「グレイ少佐も?」
「当然入っている」
そこで、昨日カイルが何を知らされたのかもおおよそつながった。
「この二つから、私が選ぶんですか」
「完全に自由な二択ではない。軍として安全上認められる範囲で判断する。ただ、本人の希望は重要な要素として扱う」
「特殊部隊に行きたいと言っても、選ばれない可能性はある?」
「ある」
「固定施設を拒否したら、原隊へ戻れる?」
「それは難しい」
「特殊部隊に選ばれなかった場合は?」
「別の保護配置を検討する」
自分に与えられている選択の範囲を確かめると、エレジが次に気になったのは、その前に残されている課程だった。
「最終評価は受けられますか」
三人のうち一人がわずかに表情を変えた。状況を聞いた直後にまずそこを確認するとは予想していなかったのかもしれない。
「現時点では予定通りだ。課程修了までは基地内の警備を増強する。外出は禁止。訓練区域も警備側が管理できる範囲に限定する」
「事件のせいで外されることは?」
「安全上の新しい問題が出なければない」
「なら受けたいです」
「選考にも使う」
「分かりました」
必要な条件を一通り説明した上で、将校は本人の希望を確認した。
「現時点での希望は?」
ここまで聞いても、エレジには答えを変える理由がなかった。
「特殊任務部隊です」
「理由は」
「私がやりたいことに近いからです」
「安全性が低くても?」
「危険な方を選びたいわけじゃありません」
危険を無視していると受け取られないよう、エレジは自分の理由を正確に言葉にした。
「私は偵察をやりたいです。小さい部隊で働きたい。北にも残りたい。それは今回の事件より前から希望していました」
三人は口を挟まず聞いていた。
「適性がないなら、それは別です。でも、候補として見てもらえるなら、私はそちらを希望します」
「分かった」
将校はその希望を正式な回答として記録した。
「正式決定ではない。最終評価も含めて判断する」
「はい」
「もう一つある」
すでに自分の進路についての話は終わったと思っていたエレジは、続きがあることに意識を戻した。
「特殊任務部隊の候補には、教官側からも人員が入る」
「誰ですか」
「現段階では候補名をすべて開示しない」
教官側という言葉から真っ先に浮かんだ名前を、エレジはそのまま尋ねた。
「……グレイ少佐も?」
将校は短く答えた。
「候補に入っている」
その情報だけは、ここまで聞いたどの話よりも直接表情に出た。
「本人は知ってますか」
「昨日伝えている」
「行くって?」
「まだ決定していない」
「希望は?」
「それは本人に聞け」
カイルと同じ部隊になる可能性がある。それを嬉しいと思った直後に、エレジは自分が希望を伝えた順番を思い出した。カイルの名前を聞く前に、自分は特殊任務部隊を選んでいる。
そこは、自分の中で混ぜたくなかった。
「分かりました」
「この件については、必要な相手以外へ話さないように。特に報酬に関する情報は外へ出すな」
「了解です」
会議室を出ると廊下には人の姿がなかったが、少し歩いた先にカイルがいるのを見つけ、エレジは自分への説明が終わるのを待っていたのだと分かった。
「終わったか?」
「はい」
「どこまで聞いた」
「たぶん全部です」
「報酬のことも?」
「はい」
カイルは、説明された内容そのものより、まずエレジ自身がそれをどう受け取ったのかを知ろうとした。
「どうだった」
「変な感じです」
「何が」
「私を捕まえるとお金になるって」
「ああ」
「自分に値段がついてるみたいで、気持ち悪いです」
「そうだな」
「理由も分からないし」
カイルは、それ以上簡単な言葉で片づけようとはしなかったし、エレジも今すぐ気持ちを整理したいとは思わなかった。
「少佐。昨日、どっちがいいと思いました?」
何を聞かれているのかは、説明を受けた直後のエレジを見れば分かった。
「固定施設か、特殊部隊か」
「はい」
「俺が決めることじゃないと思った」
「それは聞きました」
「誰に」
「さっき。でも、少佐個人は?」
そこまで聞かれれば、教官としての答えだけでは足りない。
「一番安全なのは、固定施設だ」
「はい」
「だから、俺個人の感情だけなら、そっちに置きたいと思った」
自分が予想していた答えと違い、エレジは少し意外に感じた。
「そうなんですか」
「ああ」
「特殊部隊じゃなくて?」
「危険だからな」
「少佐も候補なのに」
「俺がいるから安全になるわけじゃない」
それは言われれば当然だった。
「でも、お前が固定施設を選ぶとは思わなかった」
「はい」
「だから、俺が安全な方を選んで押しつけるのは違うと思った」
エレジはその言葉を、自分が会議室で出した答えと重ねて聞いた。
「私、特殊部隊を希望しました」
「そうか」
「驚かないんですね」
「驚かない」
「即答でした」
「だろうな」
「私のこと分かってますね」
「半年見てる」
それが教官としてだけの意味なのか気になって、エレジは少し笑いながら聞いた。
「それ、教官としてですか」
「今のは両方だ」
その答えなら、素直に嬉しかった。
「少佐は?」
「何が」
「行くんですか」
「お前が行くなら、行く」
エレジは少し目を見開いた。
「私がいるからですか」
「ああ」
「それだけですか」
「守りたい。部隊の内容にも興味がある。それに、一緒にいたい」
「……ずいぶんはっきり言いますね」
「聞いたのはお前だろ」
「そうですけど」
「お前が俺に合わせて選ぶのは違う。でも、俺が自分でお前のいる方を選ぶのは別だ」
「私、少佐が候補だって聞く前に特殊部隊を希望しました」
「分かってる」
「じゃあ、問題ないですね」
「ああ」
「でも、もし同じ部隊になったら、今度は教官と受講者じゃないんですよね」
「配置次第だな」
「上官と部下になる可能性は?」
「ある」
「またですか」
不満がそのまま出た言い方に、カイルも少しだけ笑った。
「軍にいる限り、階級差は消えない」
「そうですけど」
「ただ、今みたいに俺が課程評価を握る関係ではなくなる可能性は高い」
「それなら、少し違いますね」
管理棟の窓の外では、夕方の雪が細かく降っていた。
ほんの数日前まで、エレジは課程が終われば原隊へ戻るものだと思っていた。その先では北に残れるかもしれず、偵察へ行けるかもしれない。カイルとは、自分たちで会う時間を作るつもりだった。
想像していた未来の中身ではなく、その前提そのものが急に変わっていた。
「怖いか?」
その変化をどう受け止めているのか確かめるように、カイルが聞いた。
エレジは、自分の中にあるものを分けて考えた。
「報酬のことは怖いです。また誰か来るかもしれないのも」
「ああ」
「でも、特殊部隊の方は少し楽しみです」
恐怖の話の中に期待もあると分かり、カイルはまだ先を決めきらないよう念を押した。
「まだ決まってないぞ」
「分かってます」
「最終評価もある」
「それも分かってます」
「ならいい」
「だから、ちゃんと受けます。この件があるから選ばれた、とは思われたくないです」
そこで初めて、カイルはエレジが何を気にしているのか理解した。
「そこは気にするな」
「でも」
「候補に入る事情の一つではある。それは事実だ」
「はい」
「だが、実際に使えるかどうかは別だ。そこは評価で決まる」
エレジは、その区別をそのまま受け取った。
「お前はもう、その評価を積んでる」
「……はい」
「だから今やることは変わらない」
「最終評価」
話がそこまで戻ると、カイルの声音にも自然に教官としてのものが混じった。
「特別なことをするな。前に言った通りだ」
「今日も言います?」
「必要なら何回でも言う」
「じゃあ、普通にやります」
互いがどこへ行きたいのかは分かった。それでも、まだ最終評価も選考も残っている。二人はそれ以上先の形を決めようとはせず、その場で別れた。
エレジは訓練生宿舎へ向かいながら、自分の中に不安と期待の両方があることを感じていた。
誰かに狙われているという事実は消えないが、今日希望した仕事も、その事件が起きる前から自分が望んでいたものだった。
なら、今やることは決まっている。
最終評価を受ける。
その先で、本当に自分がその部隊に必要とされるのかを確かめればいい。




