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エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:任務

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拠点変更


 作戦室の表示板には、前日から確認している支援先と移動経路が残っていた。離れた地点を結ぶ線の横には、ヨナスが分類した照会記録と、マティアスが聞き取った担当者の証言が追加されている。

 エレジが過去の経路を重ねると、いくつかは同じ補給系統へ集まったが、それだけで相手の意図まで決められる段階ではなかった。


 十四時を少し回ると、廊下から二人分の足音が近づいてきた。


 カイルが扉を開け、ヴェルナーを作戦室へ案内する。四人はすでに机についており、ヴェルナーは短く挨拶を済ませると、そのまま表示板の地図を見た。


「昨日から進んだところを聞かせてくれ」


 カイルは表示板の前に残り、前日に分からなかったことと、新しく確認できたことを分けて説明した。


「接触が確認できてるのは二人のままです。一人については名前が入りました。今、リヒターの情報源とこちらの記録の両方から確認しています。二人の関係、依頼元、現在の拠点まで知られてるかはまだ取れてません」


「回答した内容は?」


「直接場所を渡した者はいません。今後の予定を聞かれた例は一件。車両と補給については、担当者個人への聞き方がいくつかありました」


「正規の照会は?」


 そちらはヨナスが前日から分けていた。


「記録に残っている分は整理しました。正式な照会に見せているものと、担当者個人への問い合わせは今のところ別です。ただ、使われている名称や支援先の選び方を見ると、まったく何も知らない状態から探しているわけではないと思います」


「どこまで知っているかは、まだ分からないということだね?」


「はい」


 ヴェルナーは表示板に並ぶ線を追い、エレジが重ねた経路も確認した。複数の支援先が同じ経由地へ集まる箇所は見つかっている。しかし、相手が実際にその経路を辿っていると判断できる材料までは揃っていない。


「分かった。初動はそのまま続けてくれ」


 前日の件について必要な確認を終えると、ヴェルナーは机の端に置いていた薄いファイルを開いた。


「今日は、その件も含めて話がある」


 昨日の通信では聞いていない話だった。四人の注意も、表示板からヴェルナーへ移る。


「君たちの勤務拠点を、リントハーフへ移す」


 カイルの眉が寄り、隣にいたリヒターも一瞬だけ表情を止めた。すぐに普段どおりへ戻ったものの、エレジには二人が同じ名前に反応したことが分かった。

 向かいのマティアスも気づいたらしく、リヒターを一度見たあと、何も言わずヴェルナーへ向き直る。


「リントハーフですか」


「ああ」


「そこを選んだ理由を聞いても?」


 さきほどまでの報告より、カイルの確認は慎重だった。


「今の拠点が知られたと判断したわけじゃない。ただ、相手が所在地を直接探すだけなら、今までの運用でも対処できる。今回はそうじゃない可能性が出てきた」


 表示板には、五人の現在地ではなく、その周囲にある支援先が並んでいる。


「君たちがどこにいるかではなく、どこを使い、どこを経由し、どこから支援を受けるかを調べ始めている。当初は、小規模な拠点を秘匿したまま必要な地域へ動くことに利点があった。今もその考え自体が間違っていたとは思っていない」


 今の施設が五人だけで使える規模に抑えられ、必要な支援を外から受ける形になっているのも、その運用のためだった。

 任務ごとに動く場所を変えながら、生活拠点自体は目立たせない。それが成立する間は、大きな基地に置かれるよりエレジの生活にも余地が残る。


「ただ、その周囲まで辿られ始めたなら、支援側の保全まで含めて考え直した方がいい。リントハーフなら司令部、情報、通信、補給、それぞれの担当と近い場所で動ける。照会が入った時点で拾える範囲も広がるし、警護を増やす時に外から人を入れる必要もない」


「大佐もあそこでしたね」


「そうだよ」


 上位部門との距離が近くなれば、支援も早くなる。その一方で、これまで五人だけで判断してきた範囲へ、別の人間が入る機会も増える。

 カイルが先に確認したいのは、そちらなのだとエレジにも分かった。


「編成は?」


「変えない。五人のままだ。班長も君のまま」


「作業場所は」


「専用室を一つ確保する。今やっている調査もそこで続けられる」


 班そのものを崩さないことが確認できても、カイルはそこで終わらなかった。


「各部署から個別に仕事を振られる形にはしないでください。設備を借りるために出向くのは構いませんが、班員ごとに別の指揮系統へ入ると、情報が戻らなくなる」


「そこは整理する。他部署からの協力依頼は、原則として君を通す」


「現場指揮も俺で?」


「そこは変わらない。上で調整するのは配置と支援だ。任務に出たあとまで、こちらから指揮を重ねるつもりはないよ」


「分かりました」


 必要性を認めても、移転先で班の形まで変えられるつもりはない。そのままカイルは、例外になる連絡系統も確認した。


「リヒターの元所属との連絡も俺を通しますか」


「そこは今の系統を残す。彼女が直接持っている連絡先まで切る必要はない。ただし、班に関係する内容は共有する」


「それなら構いません」


 班としての運用が一通り決まると、ヴェルナーは残る四人にも尋ねた。


「仕事のことで気になることがあるなら、今聞いてくれ」


 ヨナスが知りたいのは、移ったあとに使える設備だった。


「通信と解析設備は、どこまで使えますか。継続照会を今の権限のまま見られるなら、持っていく機材をかなり減らせます」


「専用室から共用設備へ接続できるようにする。権限は今と同等以上になる予定だよ。機材については、固定して使いたいものだけ持っていけばいい」


「移設前に設備一覧をもらえますか」


「用意する」


 それなら、今あるものを全部運ぶ必要はない。ヨナスは手元の端末へ何かを書き加えた。

 マティアスが考えていたのは、現地に着いてから実際に班が動き始めるまでの段取りだった。


「車両は今のを持っていけます?」


「二台とも移す予定だ」


「装備の保管場所と、現地の支援担当は?」


「保管区画は班用に取る。補給と車両整備の担当は向こうで紹介するよ。今使っている外部の支援先を全部切るわけじゃない」


「了解です」


 リヒターはヴェルナーから渡された資料を確認していた。リントハーフという名前を聞いた直後に見せたわずかな変化は、もう残っていない。


「現地の保全担当とは、どこまで分担する予定ですか」


「基地内の保全は向こうに任せる。班が外へ出る時の警護条件と移動経路については、君にも入ってもらうつもりだ」


「エレジの外出時も?」


「そうなる」


「分かりました。担当者が決まったら、一度直接話させてください」


「そのつもりだよ」


 確認したのは仕事の範囲だけだった。リヒターはリントハーフそのものについて、それ以上何も尋ねなかった。

 エレジも、自分の仕事がどこまで変わるのかを先に知りたかった。


「現地での観測や経路確認にも、これまでどおり出られますか」


「出てもらう。君を施設の中へ置いておくための移転じゃない」


「任務だけじゃなくて、事前の経路確認とか、現地を見る必要がある時もですか」


「ああ。ただし今までより警護条件は増える。必要な人員や移動方法を決めた上で行ってもらうことになる」


「分かりました」


 仕事から外されるわけではない。その点はこれまでと変わらなかったが、同じことをするために必要な条件は増えるらしい。

 ヴェルナーは次の資料を机へ出した。そこには仕事ではなく、宿舎の簡単な館内図が載っていた。


「生活面も先に話しておこう。宿舎は基地内だ。将校や専門職の人間が使ってる四階建てで、四階が女性用区画になってる」


「私とリヒター大尉は四階ですか」


「そうなる。グレイ、ファルク、ロートは下の階だ。全員個室は取れるが、五人の部屋が並ぶわけじゃない」


 今の施設では、二階の同じ廊下に五人の部屋がある。エレジの隣はカイルで、扉を一つ越えれば会える距離だった。

 館内図を見ただけでも、それがなくなることは分かった。


「男性は四階には入れないですか?」


「原則は禁止だ。面会なら一階と二階の共用部を使える。女性側から男性用区画へ行くのは問題ない」


 マティアスは館内図をもう一度見たが、そこについて何かを言うことはなかった。


「食事は?」


「基本は食堂だ。簡単なものなら共用スペースでも用意できるが、今みたいに五人だけで厨房を使う形にはならない」


 朝に買った食材が入った冷蔵庫が、エレジの中に浮かんだ。

 料理をするリヒターの横に自分が立ち、マティアスが途中で覗きに来る。カイルは仕事を終えると共有スペースへ入り、ヨナスはテーブルへ機材を持ち込んでは何度か注意されている。

 そういう時間は予定を合わせて作ったものではなく、同じ場所で暮らしているうちに自然に生まれていた。


「ヴァイス中尉については、勤務以外の外出も事前に確認を取ってもらう」


「誰かと一緒でも、その都度ですか」


「ああ。行き先と時間、移動方法は確認させてほしい」


「分かりました」


 エレジが受けると、カイルは条件そのものより、運用が曖昧になることを先に潰した。


「申請は誰に?」


「現地の保全担当を一人、窓口に固定する」


「判断基準も決めてください。担当者によって許可が変わる形にはしたくない」


「それは私も避けたい。同行者、行き先、時間帯、移動手段で基準を作る。現場で勝手に条件を増やさないようにするよ」


「却下する場合は理由も本人と俺に返してください」


「分かった」


 必要な基準が決まったところで、カイルはそれ以上条件を重ねなかった。

 外へ出られなくなるわけではない。ただ、今なら休養日に誰かと話して、そのまま街へ行くこともできる。リントハーフでは、同じことをする前に許可を取る必要がある。


「いつまで、という予定はありますか」


 短い滞在なら、変化の受け取り方も違う。けれどヴェルナーは、そこを曖昧にはしなかった。


「今のところ、帰る日は決めていない。短期任務じゃなくて、勤務拠点そのものの変更だ」


 エレジは机の館内図を見た。


「ここに戻る前提ではないんですね」


「現時点ではね」


「脅威の状況と調査の進み方によって、配置自体は見直しますか」


「ああ。リントハーフへ移したら二度と動かさない、という話じゃない。ただ、いつ戻るかを先に決めておくこともできない」


「分かりました」


 出発日はまだ決まっていない。受け入れ側の部屋と作業区画、通信設備の準備を合わせ、移送する機材の量を確認してから日程を決めることになる。

 ヴェルナーはそのための連絡先と必要書類をカイルへ渡した。


「今日から調整を始める。早ければ数日で日程を出せると思う」


「こっちも移送量を出します」


「頼む。分からないことが出たら直接連絡してくれ」


 必要な話は一通り終わった。それでもヴェルナーは立ち上がる前に、五人を見渡した。


「急な話になって悪いね。ただ、五人を分けるための変更じゃない。それだけは先に言っておくよ」


 同じ班でいることは変わらない。その一方で、ここでしてきた暮らしまで同じ形で続くわけではないことも、すでに説明の中で分かっていた。

 カイルがヴェルナーを玄関まで送り、作戦室には四人が残った。


     *


 机の上には、リントハーフの館内図と今の拠点の支援経路が並んだままだった。

 片方はこれまで使ってきた場所を示し、もう片方はこれから暮らす場所を示している。同じ五人で仕事を続けるのに、並べて見ると、単なる任務先の変更ではないことがはっきりした。


 カイルが戻ると、その二つを残したままヴェルナーの資料だけをまとめた。


「説明で分からなかったところがあるなら今出せ。あとで気づいた分でもいい」


 ヨナスはもう、移転そのものより設備の組み替えを考えていた。


「持っていく機材、今日中に候補だけ出します。向こうの設備一覧が来たら減らせます」


「頼む」


「固定端末はどうします?」


「必要なものだけにしろ。全部外すな。ここを完全に閉じると決まったわけじゃない」


「分かりました」


 マティアスは車両と倉庫の方から準備を始めることにした。


「車両は二台そのままなら、共用品と個人装備を先に分けた方がいいですね。倉庫、俺見ます」


「ああ、任せる」


 リヒターが受け持つのは、医療品と衛生用品だった。移転先を聞いた時の表情はもうなく、必要な量と現地で補充できるものを普通に分けている。


「薬品類は向こうで補充できるものも多いでしょうけど、班用に組んであるものはそのまま持っていった方が早いわね」


「一覧だけ作ってくれ。現地調達できる分はあとで分ける」


「ええ」


 マティアスはリヒターの言葉を聞いていたが、リントハーフの名前を聞いた時に彼女が見せた反応には触れなかった。


「ヴァイスは地図と観測資料を頼む」


「はい。現地でも使うものと、ここに残せるものを分けます」


 任務の準備なら、必要な装備と数日分の私物を鞄へ入れれば済む。今回は違った。


 共有スペースで使っている食器や調理器具、各自の部屋にある服や本、小物まで、必要なものは運ぶことになる。戻る日が決まっていない以上、数日後に同じ場所へ帰ってくる前提では分けられない。


 話しているうちに、エレジにも移転という言葉の中身が少しずつ見えてきた。

 ここへ来た時は、持ってきた荷物を自分の部屋へ入れれば生活が始まった。今度は、ここで暮らすうちに増えたものを一つずつ選び、別の場所へ持っていかなければならない。


     *


 自室へ戻ると、窓辺の青いガラスの海鳥が夕方の光を透かしていた。


 収納を開けると、この部屋へ来た時より物が増えていた。服そのものは多くないが、引き出しには街で買った小さなものが入り、任務先から持ち帰った紙類も残っている。


 半年や一年をここで暮らすと決めて集めたわけではない。それでも、気づけばこの部屋で使うものが増えていた。

 リントハーフでは、今の距離はもうない。



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