好きなこと、したいこと
夕食のあと、エレジはカイルの部屋へ行った。
ベッドの端に並んで座り、しばらく他愛のない話をしているうちに、エレジは机の脇に置かれていたハンカチへ目を留めた。
以前、隣室へ声が聞こえないよう試した時に使ったものだった。
口に入れて声を抑えようとすると、思った以上に意識がそこへ向いた。カイルの反応も普段とは少し違っていた。
そこまで思い出したところで、エレジは隣を見た。
「前に、あの……ハンカチを口に入れた時、結構好きそうでしたよね」
カイルは机の方へ一度目を向けた。何のことを言われているのか分かると、否定する様子もなくエレジへ視線を戻した。
「ああ。そうだな」
あまり簡単に認められたので、聞いたエレジの方が少し照れた。
ハンカチそのものというより、声を抑えることが好きと言っていた。そこまで考えているうちに、別の疑問が浮かんだ。
「……他にもありますか?」
「何がだ」
「こういうのです。したいことというか、好きなこと」
カイルはすぐには答えなかった。
エレジは待ちながら、その沈黙が断りではないことだけは分かった。急に聞かれて、自分の中にあるものをどこから話すか考えているらしい。
「お前が恥ずかしがってるのを見るのは好きだな」
「……そうなんですか」
「前にも言っただろ。かわいいと思ってたとか、もっと見たいと思ったとか」
そう言われると、エレジはあの夜のことを思い出した。カイルの前で指示を受けながら衣服を外し、見られていることを意識していた時間。訓練ではない形でもう一度やってみたいと、自分から頼んだこともある。
「ほかには?」
自分から聞いた以上、もう少し知りたくなった。
カイルは少し考えてから続けた。
「俺が言ったことを、お前が自分でやるのは好きだ」
「指示するのですか?」
「ああ。言われたから仕方なくじゃなくて、お前が応じると決めてやるのがな」
エレジは頬が熱くなるのを感じた。
あの時、立つ位置を言われたり、向きを変えるよう求められたりすることに、訓練とは別の感覚が混ざっていたのを覚えている。
「あと、任されるのも好きだ」
「任される?」
「お前が、俺に任せると決めてる時」
それはカイルらしい答えだと思った。
何をしてもいいという意味ではない。ただ、自分が彼へ預けると決めたものを受け取ることが好きなのだろう。
エレジは少し笑った。
「結構ありますね」
「お前が聞いたんだろ」
「そうですけど」
カイルもわずかに笑ってから、今度はエレジを見る。
「お前はあるか」
「私ですか?」
同じ問いを返され、エレジは言葉に詰まった。
自分が何を好きなのか。
これまでカイルとしてきたことの中に、好きだと思ったものはいくつもある。その中でも、カイルにされて自分が好きだったこと。
順に思い出しながら考えていたところで、自分が思いついたことに、急に恥ずかしくなった。
「どうした」
「……いえ、あるかもしれないとは、思って」
「何だ」
「まだ、ちゃんとは分からないです」
それ以上急かされなかったことで、余計に逃げられなくなった。エレジはしばらく考えてから、ようやく顔を上げた。
「動けなくされるの、好きかもしれません」
カイルの表情が少し変わった。
「動けなく?」
「はい」
口にしてしまうと、その先も言わなければ伝わらない。
「腕とか押さえられて、自分では動けないようにされるの。……そういうの、好きかもしれません」
言葉が進むほど顔が熱くなる。
「誰にでもっていう意味じゃなくて」
そこまで言ってから、エレジは自分でも何を補足しようとしているのか分かり、さらに恥ずかしくなった。
「少佐にされるのが、です」
カイルは何も言わなかった。
その沈黙が長く感じられて、エレジは視線を落としかけた。
「……変ですか?」
「いや」
声が少し低かった。
「ただ、思ってなかった」
「私も、今聞かれるまで、ちゃんと考えてませんでした」
けれど、思い出して考えてみたとき、その行為を意識した。最近、課程のころのことを思い出したせいかもしれない。
自分ではどうにもできない位置へ動かされること。腕を押さえられ、動こうとしても止められること。その相手がカイルであること。
想像すると、恥ずかしいのに、それだけではなかった。
「やってみたいか」
エレジはしばらく迷ってから頷いた。
「……はい。やってみたいです」
「俺に?」
「少佐にです。他の人は……嫌です」
今度は逃げずに答えると、カイルは一度息を吐き、エレジの顔を見た。
「そういうこと言われると、俺も困るな」
「嫌でしたか?」
「逆だ」
短い返事だったが、それだけで十分分かった。
エレジは少し安心して、同時にまた恥ずかしくなった。カイルが手を伸ばし、エレジの手首に触れる。
「今、試すか」
エレジはその手を見た。
さっきまで話していただけだったものが、急に現実になる。胸の鼓動が少し速くなった。
「……はい」
カイルはエレジをベッドの上へ押し倒し、両手首を取った。
強く叩きつけられたわけではない。それでも、自分から横になるのとはまるで違った。
腕が頭の上へ持っていかれ、片手でまとめて押さえられる。
エレジは反射的に少し動いた。すぐに止められた。
その瞬間、身体の奥がざわついた。
「こういうのか」
近くで聞かれ、エレジはすぐには返事ができなかった。
想像していたより、ずっと強く意識する。手首を動かしてみても、やはり動かせない。
その事実を確認すると、胸の鼓動がさらに速くなった。
「……たぶん、これです」
「たぶん?」
「思ってたより……好きかもしれません」
自分で言って、また顔が熱くなる。カイルの目にも、その反応が見えている。
カイルの顔が近づき、唇が触れた。両手を使えないまま受けるキスは、普段とは違った。
自分から抱きつくことも、カイルの肩へ手を回すこともできない。
その代わり、相手がどこへ触れるのかを待つしかない。
それが嫌ではなかった。むしろ、次に何をされるのか分からないことまで含めて、意識がカイルへ集まっていく。
唇が離れると、エレジは息を整えながら彼を見た。
「……少佐。もう少し、このままがいいです」
カイルの目が少し細くなった。
「ああ」
それからの時間は、最初に試していた時よりずっと静かだった。
腕を押さえられたまま、何度かキスをされる。途中で身体を動かそうとすると、カイルの手に止められた。
そのたびに、自分から動けないことがはっきりする。
エレジはそれを嫌がらなかった。むしろ、動けなくなるのが分かるほど、身体の力を抜いていった。
しばらくしてカイルが手を離すと、エレジはすぐには腕を下ろさなかった。
「離したぞ」
「分かってます」
「動かないのか」
「……まだ、このままでいたいです」
今度は押さえられていない。
それでも、自分から同じ姿勢を残している。
カイルはその違いを見てから、再び手首へ触れた。
「じゃあ、もう一度押さえる」
エレジは小さく頷いた。押さえられているところにはカイルの手の熱がはっきり分かる。冷房の風が時折肌を撫でるせいで、その温度だけが余計に近く感じられた。
キスをしながら、しばらくして手首を解かれた時、エレジは少し考えてから身体を起こした。
「……もう一つ、やってみたいです」
「何だ」
ここまででも十分恥ずかしかったのに、思いついたものを具体的に言う方がさらに難しかった。エレジは少し迷ってから、ベッドへ視線を落とした。
「うつ伏せになって……片方の腕を、後ろで押さえられるの」
カイルの表情が変わった。
「それを俺にやってほしいのか」
「……はい」
言ってしまうと、顔が熱くなった。それでも今度は言い直さなかった。
エレジがそっとうつ伏せになると、薄い部屋着が背中や腰に沿った。カイルが隣へ位置を変え、片腕を背中側へ回すよう促す。手首を取られたところで、それだけでも胸の奥がざわついた。
そのままカイルが脚をまたぐように位置を取る。背中側へ回された腕も、カイルの手に押さえられている。
それまでとは違って、身体の向きそのものを自分では変えられなかった。
「痛くないか」
「大丈夫です」
エレジは一度だけ身体を動かしてみた。
すぐに止められる。
片腕を背中側で押さえられている。もう片方の手は使えても、身体全体を起こすことはできなかった。
その状態が分かると、息が少し深くなった。
「……これ、好きです」
顔を横へ向けたまま言うと、カイルの手にわずかに力が加わった。
「そうか」
自分から頼んだのに、本当に動けなくなると恥ずかしい。それでも、カイルに押さえられていることを意識するほど、離してほしいとは思わなかった。
カイルが背中側の手首を押さえたまま身体を寄せると、エレジはベッドへ頬をつけた。冷房の低い音が一定に続く部屋で、自分の呼吸だけが少し速く聞こえる。
「少佐」
顔を横へ向けると、カイルもこちらを見た。エレジが自分の方を見ようとしていると分かり、彼は手首を固定したまま、さらに上体を倒した。
背中へ近づいた体温と重みで、さっきより息が浅くなる。
「……上」
「上?」
聞き返されると、言おうとしていたことが急に恥ずかしくなった。
それでも、ここまで自分から頼んだのだから、やめたくはなかった。
「座ってください。……ここに」
エレジが示したのは、自分の太腿の付け根に近いところだった。
そこへカイルが腰を下ろせば、どれくらい重さがかかるのかも、薄い部屋着越しにどれくらい互いの身体を感じるのかも、想像できないわけではない。
「お前な……」
カイルは深く息を吐いた。
呆れたような言葉だったが、その手は離れない。
エレジも撤回しなかった。ただ頬をベッドにつけたまま、恥ずかしそうに黙っている。その沈黙だけで、本当にしてほしいのだと分かる。
カイルは拘束している手に余計な力が入りそうになるのを抑えながら、位置を変えた。
エレジが示したところへゆっくり腰を下ろす。それまでよりはっきりと重さが加わり、エレジは深く息を吐いた。
二人とも薄い部屋着しか着ていないせいで、重さだけではなく、カイルの体温まで近く感じる。
脚を動かそうとしても、さっきよりずっと難しい。背中側へ回された腕もそのまま押さえられていて、自分の身体なのに自由に向きを変えられない。
その状態が、想像していた以上に好きだった。エレジは一度だけ身体を動かそうとしてみた。
すぐにカイルに止められる。
その瞬間、胸の奥が強くざわついた。
「……もう少し、重くしても大丈夫です」
言った途端、また恥ずかしくなった。
けれど、今度も言い直さなかった。カイルはすぐには動かなかった。下にいるエレジの呼吸と、身体の力の入り方を確かめてから、少しだけ体重を預ける。
エレジの息がゆっくり抜けた。動けないと、さっきよりはっきり感じる。それなのに、離してほしいとは思わなかった。
むしろ、自分からそうしてほしいと頼んだことまで含めて、ぞくぞくするような嬉しさがあった。
「……これ、すごく好きです」
顔を伏せたまま言うと、上から小さく息を吐く音がした。
「そういうこと、今言うな」
「どうしてですか」
「分かってるだろ」
カイルの座った場所から感じる熱に、エレジは一瞬呼吸を止めた。
カイルはそれ以上言わず、手首を押さえたまま彼女の背中へ身体を寄せた。
二人の呼吸の音だけがしていた。エレジが少しだけ苦しそうに息を吐くたび、カイルも息を呑んだり呼吸の変わる音がした。
その呼吸がだんだん不規則に、何かをこらえるようなものになるのも感じた。
脚の付け根の上に下ろされているカイルの腰がわずかに動いた。
ほんの少しだったのに、エレジにははっきり分かった。薄い布越しに重さの位置が変わり、押さえられている身体の感覚も少し変わる。
背中側へ回された腕は、まだカイルの手の中にあった。そこを動かそうとすれば止められる。脚も自由にはならない。
その状態のまま、カイルの呼吸だけが近くで乱れていく。
「……少佐」
「何だ」
返事はしたが、声がさっきより低かった。
エレジは横を向いたまま、少しだけ顔を上げようとした。けれど背中へ寄せられた体重のせいで、思ったほど動かせない。
「今、動きましたよね」
しばらく返事がなかった。
代わりに、背中側の手首を押さえる指に一度だけ力が入る。
「……俺がどれだけ耐えてると思ってる」
今度はエレジの方が黙った。
自分の下にいる相手を動けないようにして、その状態が好きだと言われている。しかも、もっと重くしてもいいとまで言われた。
カイルがどうなるのかくらい、想像できないわけではなかった。
むしろ、自分の言葉や反応でカイルまで余裕をなくしていることが、胸の奥をさらに熱くした。
「……もっと、動いてもいいです」
言った瞬間、自分でもひどく恥ずかしくなった。
ベッドへ伏せたままでは顔を隠すこともできず、ただ頬を押しつけるようにして目を伏せるしかない。
上から、深く息を吐く音がした。
「本当に言ってるのか」
「はい」
「後で恥ずかしくなるぞ」
「もうなってます」
そのあと腰にかかる重さがまた少し変わった。ゆっくりと、やわらかさを確かめるように静かに動く。押されたり少し離れたり、カイルの息が乱れるのを聞くと、エレジは息を止めかけて、すぐに吐いた。
身体を動かせないまま、その変化だけを受け取る。
自分から近づくことも、腕を回すこともできない。今はカイルがどう触れるかを待つしかない。
それが、思っていた以上に強く意識を奪った。
「苦しいか」
「少しだけ」
カイルの動きが止まった。
「止めるか」
「嫌です」
すぐに答えると、背中へ寄せられていた身体の力が少しだけ緩んだ。
呼吸がしやすくなった分、今度はカイルの近さが余計によく分かる。
エレジは目を閉じた。
「……このままがいいです」
「ああ」
短い返事のあと、しばらく何も変わらなかった。二人とも動かないまま、呼吸だけが少しずつ落ち着いていく。
けれど完全には戻らない。
エレジが少し脚に力を入れると、すぐ上から抑えられる。その反応が早いことにも、胸が跳ねた。
「今、わざと動いただろ」
「少しだけです」
「試してるのか」
エレジが答えないまま、また急に動く。それを押さえつけ、カイルは息を吐いた。
「お前、思ってたよりこういうの好きだな」
「私も、今日分かりました」
こうしてカイルに動きを止められて、好きなように動けなくなって、その状態を自分も彼も楽しんでいる。
その全部が重なっていることが好きだった。エレジは少しだけ顔を横へ向けた。
「……少佐も、好きですか」
今度は返事まで少し間があった。声は低かった。
「ああ、かなり」
その一言に、エレジはまた胸の奥が熱くなる。
「嬉しいです」
「だから今言うなって言ってる」
「でも、聞きたかったので」
カイルの手が一度だけ緩み、すぐにまた手首を押さえ直す。低い声が続いた。
「エレジ。もう、試すだけじゃなくていいか」
声の響きを聞いて、エレジは深く息を吸った。
「少佐の、好きにしてください」
動けない状態にされることも、その形を自分から頼んだことも、思っていた以上に好きだった。
そして、それをカイルにしてもらっていることが、一番強く意識に残った。
カイルはエレジの身体を強く仰向けに返し、そのまま両手首を押さえて深く口づけた。
それからエレジは何度かカイルの名前を呼んだ。そのたびに返事が近くにあり、自分が今どこにいるのかが分かる。望んだ通り、カイルは何度も彼女の動きを止めた。
*
しばらくして、エレジはカイルの胸元へ頬を寄せていた。
部屋は静かで、冷房の低い音だけが続いている。
さっきまで腕を押さえられていたところに痛みはなく、ただ触れられていた感覚だけが薄く残っていた。
「……本当に好きだったな」
カイルがそう言うので、エレジは顔を上げた。
「でも、少佐も好きそうでした」
「ああ。好きだった」
あっさり認められ、エレジはまたカイルの胸元へ顔を戻した。
次に同じことを聞かれた時には、今夜よりもう少し早く答えられる気がした。




