銀細工
翌朝、五人は前日までに集めた記録を補給基地の会議室に広げた。
輸送予定は、作成された時点では一つの表にまとまっている。そこから基地内の担当部署と各運送会社へ、必要な部分だけが分けて送られていた。
机の上には共有範囲を示した一覧と通知履歴が並び、窓の向こうでは朝の便に合わせて貨物車が順に車両置き場を出ていく。低いエンジン音が途切れるたび、室内では紙を繰る音の方がはっきり聞こえた。
「最初に作る予定表には、全部入ってるんですよね」
「台数、出発時刻、使う会社、基本経路までです」
「そこから会社へ送る時に分ける?」
「はい。各社には自分の担当分だけです」
エレジは共有先の欄を順に追った。同じ輸送についての情報でも、台数と時刻を見る者、経路変更まで受け取る者、積み荷だけを知る者では範囲が違う。
「出発時刻だけなら、基地側では誰まで見られますか」
担当者がいくつかの部署を挙げた。積み込み、車両管理、当日の出入りを扱う担当。経路はそれより共有先が狭く、変更が出た場合も別系統で通知される。
「じゃあ、台数と時刻と経路を全部同じ場所から取れる人は、かなり限られますね」
「そうなります」
それだけなら内部の閲覧者を絞ればいい。しかし、昨日までに確認した問い合わせの内容は、必ずしも一か所から取らなければ揃わないものではなかった。
「逆に、別々の場所から一つずつ拾えば、全部揃う」
カイルの言葉に、エレジも一覧へ戻った。
「はい」
会社名は外から調べられる。車両の出入りも道路から見える。勤務者へ声をかければ、予定の一部を聞き出せる可能性もある。情報が一度に漏れたと考えるより、断片をどこから取れるかを切り分けた方がよさそうだった。
その横で、ヨナスが前日に回収した監視映像を端末へ出した。
「接触した人物らしいのは映ってました」
画面には、基地の門を斜め向かいから捉えた通りが映っている。配送車と歩行者が何度も横切る中、帽子を被った人物が画面の端から入ってきた。
「これです。担当者が基地を出る七分前に来てます」
「ずっと待ってたわけじゃないのね」
「少なくとも、このカメラに入ってからは」
人物は一か所に立ち続けてはいなかった。店先を過ぎ、少し戻り、担当者が門から出てくると進路を合わせるように近づいている。
接触後は旧市街の方角へ歩いていたが、交差点で人の流れに混ざったところから追えなくなる。
「ここで一回見失ってます」
ヨナスが次の映像へ切り替えると、似た色の上着と帽子が数人重なり、どれが同じ人物なのか判別できなくなった。
「追われることを強く意識した動きには見えないわね」
リヒターは画面上の経路を何度か確認してから続けた。
「ただ、普通に歩いて消えられる場所を選んでるだけかもしれない。これだけでは決められないわ」
「顔は?」
「無理ですね。角度と帽子でかなり潰れてます」
「なら、出てきた時間と離れた方向だけ残す」
担当者の顔を知っていたのか、退勤時刻だけを知っていたのか、それとも偶然短時間で拾えたのか。映像だけではそこまでは分からない。
ただ、担当者が出てくる七分前に現れたという事実は、前日にはなかった材料だった。
*
午前の後半から、確認先を分けることになった。
ヨナスとリヒターは基地に残り、端末記録と監視映像をさらに追う。カイル、エレジ、マティアスは、問い合わせで名前を使われた運送会社へ向かった。
会社の事務所は港から少し内陸へ入った場所にあった。観光地区からは外れており、建物の外壁には潮風に晒された跡が残っている。脇の駐車区画には貨物車が並び、事務所の中にも港から戻ったばかりらしい運転手が何人か出入りしていた。
「うちが補給基地の便を扱ってること自体は、別に秘密じゃないですよ。港の関係者なら知ってる人も多いと思います」
「会社名を調べるだけなら難しくない?」
「そうですね。港の掲示にも出ますし、荷受け先から辿ることもできます」
実在する会社名を使ったこと自体には、内部情報を持っている証拠としての価値はほとんどなかった。
エレジは、基地から会社へ送られた通知履歴を見せてもらった。
「この日、予定変更が来たのは何時ですか」
「これですね。十五時十二分です」
問い合わせ記録の時刻は、すでに手元にある。
「問い合わせがあったのは十四時四十七分です」
マティアスも二つの記録を見比べた。
「二十五分前ですね」
運送会社の担当者は、そこで初めて問い合わせ記録をもう一度見た。
「そうなりますね」
「この時点では、そちらにはまだ新しい時刻が届いてなかった?」
「届いてません。前の予定なら分かってましたけど」
「変更されたこと自体は?」
「それも知らないです」
名乗った会社より先に、問い合わせをした側が変更後の予定を知っていたことになる。
エレジは二つの時刻を並べたまま考えた。
「基地内部から見たとは限らないですね」
「ああ。他から聞いた可能性もある」
「でも、この会社を名乗っただけでは説明できないです」
「そこは残す」
会社名は外から拾える。それだけなら偽装として簡単だった。しかし、その会社にまだ届いていない新しい時刻まで相手は知っていた。
マティアスが別の通知欄を指した。
「変更後の時刻を知ってた人間って、基地の外にもいます?」
「積み荷を出す側には一部連絡してます」
また別の共有先が増えた。誰か一人が全体を見ていると考える必要はない。予定を作る側、積み荷を出す側、運ぶ側。その境目を一つずつ見れば、相手がどの情報へ先に触れていたのかを絞れる。
*
確認は予定より早く終わった。
基地へ戻るにはまだ余裕があり、三人が車を置いた場所からは旧市街の外縁が近かった。坂の先には、前日の地図で教えられた工房の通りが続いている。
石造りの建物の一階に小さな店が並び、窓には木工品や革製品、ガラス細工が置かれていた。その中に、銀色の留め具やアクセサリーを並べた店が見える。
「昨日言ってたところ、この辺ですね」
「寄るか」
エレジは時計を確認した。基地へ戻る時刻までには十分間に合う。
「いいんですか」
「時間はある」
「じゃあ、見たいです」
マティアスは少し先にある店を見てくると言い、三十分後に車へ戻ることだけ決めて別れた。
銀細工の店は、通りから一段低くなった入口の奥にあった。
外から見たより店内は狭い。壁には細い鎖や留め具、指輪、耳飾りが並び、奥の作業台には加工途中の金属片と細い工具が残されていた。完成品だけを並べた店というより、ここで実際に作っている場所だと分かる。
エレジは最初に、窓際に置かれた銀の板へ興味を向けた。
「この模様って、あとから彫ってるんですか」
近くにいた店員に尋ねると、すぐに説明してくれた。
「これはそうです。こっちは型で大まかに出してから、最後に手で整えてます」
「全部同じにはならないんですか?」
「ならないですね。線の深さも少しずつ違います」
波を簡略化した模様、山の稜線を重ねたもの、細い鳥の羽根を刻んだもの。完成品と加工途中のものを見比べると、同じ意匠でも線の間隔や深さが少しずつ違っている。
「鳥の模様、多いですね」
「この辺では昔からありますよ。海鳥も山の鳥もいますから」
その中に、細身の指輪があった。
大きな石も飾りもなく、表面の一部にだけ羽根の軸と細い筋が刻まれている。他の品より目立つわけではないのに、エレジはそこだけ少し長く見ていた。
「よければ着けてみますか」
「指輪、着けたことないので」
「見るだけでも大丈夫ですよ」
買うか決めていなくても試していいらしい。エレジは指輪を受け取り右手の中指へ通すと、引っかかることなく根元まで入った。
「ちょうどいいですね。この大きさなら、その指だとほぼぴったりです」
銀の表面は正面から見るより、手の角度を変えた時の方が彫りがよく見えた。指を曲げても邪魔にはならず、エレジが想像していたより着けている感覚も軽い。
「思ったより軽いです」
「細いですからね。普段使いする人も多いですよ」
仕事中のエレジの手には、時計以外ほとんど何もない。カイルにとってもそれが見慣れた姿だった。その分、指にある細い銀色は小さいのによく目についた。
「似合いますよ」
店員の言葉に、エレジは羽根の線が光の角度で見えたり消えたりするのをもう一度確かめた。
「そうですか」
「ええ。サイズも合ってますし」
着け慣れないものへの違和感より、模様や軽さを確かめる方へ意識が向いている。少なくとも、嫌ではなさそうだった。
「ありがとうございます」
しばらく試したあと、エレジは指輪を外して店員へ返した。
「気に入ったなら、このままお持ちになります?」
「いえ、今日は大丈夫です」
他の棚も少し見てから店を出ると、通りには午後の人通りが増えていた。建物の影が坂に長く落ち、店先に吊られた金属飾りが風に触れるたび、小さな音を鳴らしている。
「気に入らなかったのか」
「気に入りました。でも、仕事の時は外しますし、普段もアクセサリーを着ける習慣がないので。今買っても、どれくらい使うか分からなくて」
買わなかった理由を聞かれたから答えただけで、エレジの声に惜しむような響きはなかった。
気に入ったことと、今買わないことは別だった。カイルもそれ以上勧めず、二人は通りを先へ進んだ。
少し歩くと、今度はガラス工房の窓にエレジの興味が移った。青や緑の小さな器が並び、傾いた午後の光を通して棚の奥へ色を落としている。
「これ、海みたいですね」
「昨日見たやつより小さいけどな」
「それはそうです」
昨日と同じような返しに、今度はエレジも笑った。
仕事の途中で立ち寄っただけの短い時間だったが、車窓と地図でしか知らなかった街の中に、どこへ行けば何があるのかが少しずつ増えていった。
*
基地へ戻ると、ヨナスとリヒターも確認を終えていた。
共有スペースの机には、午前中にはなかった記録が新しく並んだ。ヨナス側の映像経路と、カイルたちが持ち帰った運送会社の通知時刻を同じ地図の上で合わせる。
「映像は追加で三か所見ました。旧市街へ入るところまでは追えます。その先は無理でした」
「事前に誰かと接触してる様子は?」
「少なくとも映ってる範囲ではないです」
リヒターは、人物が通りへ入ってきた時間を地図の脇へ書き加えた。
「担当者が出る七分前に来てる。それより前に別の場所で待ってた可能性は残るけど、この通りで長時間待ってたわけではないわ」
カイルは、運送会社で確認した二つの時刻をその横へ置いた。
「こっちは、名乗られた会社に変更通知が届く二十五分前に問い合わせが来てた」
「じゃあ、その会社から情報を取ったわけじゃないですね」
「少なくとも、その変更については」
エレジは朝に作った共有範囲の図へ、積み荷側へ伸びる線を追加した。
「会社名そのものは外から拾えます。でも、変更後の時刻は別です。基地側か、積み荷を出す側か、それ以外の連絡先か。どこかでは先に知ってます」
「一か所とは限らない」
カイルの言葉で、その日の確認事項がまとまった。
「明日は、問い合わせと直接接触が同じ情報の取り方かどうかも分けて見る」
まだ一本にはつながらない。ただ、誰でも知れる情報と、限られた者しかまだ知らなかった情報の境目は、前日よりはっきりしていた。
*
夕食のあと、共有スペースでは翌日に必要な準備も終わり、五人がそれぞれ好きに過ごしていた。
窓は少し開けられていて、昼より弱くなった海側の風がカーテンを動かしている。机の一角ではヨナスが端末を見ており、リヒターは本を開いていた。
「中尉、結局何か買いました?」
昼間に別行動をしたマティアスには、エレジが店で何を見ていたのかまでは分からなかった。
「買ってないです」
「結構見てましたよね」
「見るのは好きです」
その話を聞いていたリヒターも本から意識を外した。
「何か気になったものはあった?」
「銀の指輪は、ちょっと気に入りました」
「買わなかったの?」
「普段着けないので。でも、思ったより着けても気にならなかったです」
指輪の話はそこで長く続かなかった。マティアスが見た革製品の話になり、ヨナスも旧式の船舶用計器を扱う店があったと加わった。エレジも、ガラス工房で見た青い器のことを話した。
カイルは同じ机の少し離れた位置で、翌日の資料を確認していた。
会話の内容は自然に別の店へ移っていったが、昼間エレジの指にあった細い銀の輪と、その表面に刻まれた羽根の模様だけは、まだはっきり思い出せた。




