過去の婚約
翌朝、五人は補給基地の会議室へ集まった。
前日の聞き取りで確認した内容は、夜のうちにそれぞれ整理してある。机の上には問い合わせ記録、輸送予定の更新履歴、担当者が声をかけられた場所を示した地図が並んでいた。
窓の外では朝の便に合わせて大型車両が出入りしている。荷台を閉じる音やエンジンの低い振動が断続的に届き、そのたびに机の端へ置かれた薄い資料がわずかに揺れた。
最初に確認したのは、勤務後の直接接触だった。
「声をかけられる前、その人を見てる?」
「いえ。気づいた時には近くにいました」
「名前は呼ばれた?」
「名前は。『輸送の担当の方ですよね』って」
「あなた個人を知っていたとは限らないわね」
相手が担当者の顔まで事前に把握していたのか、それとも基地から出てきた人物や服装から判断したのか。それを分けるには、まだ材料が足りない。
マティアスは接触時の流れを崩さないよう、次に聞かれたことへ話を戻した。
「最初に何を聞かれました?」
「翌日の便があるかどうかです。それから、普段どの道を使うのかって」
「順番はその通り?」
「はい。最初は仕事関係の人だと思いました」
「会社名は?」
「言ってません」
電話では実在する会社名を使っているのに、直接接触では相手側から具体的な情報をほとんど出していない。その違いをリヒターも拾った。
「電話の問い合わせより、ずいぶん曖昧ね。相手からは何も具体的なことを言ってない」
「そうですね」
担当者自身に喋らせるつもりだった可能性はある。ただ、それもまだ推測の域を出なかった。
ヨナスは前日受け取った通信記録を端末へ表示した。三件の履歴が時刻順に並び、それぞれの発信元と経路が表示される。
「発信元そのものは、今のところ人物につながってません。二件の電話は短期間だけ使われた番号で、一件は途中に転送が入ってます」
「三件に共通点は?」
「時間です。全部、輸送予定が更新された後に来てます。最初は台数だけ。次が出発時刻。最後が経路まで聞いてる」
「質問が具体的になってるな」
「はい。ただ、内部の予定を見てるとまでは言えません。更新される時間帯を外から把握してるだけでも同じ動きはできます」
情報の流出元まで決めるには早い。カイルは端末に並んだ時刻だけを確認した。
「更新後に集中してる事実だけ残す。情報源はまだ決めない」
「了解です」
エレジは輸送予定の履歴と問い合わせ時刻を並べて見た。直接接触と電話が同じ相手によるものかも、まだ分からない。ただ、輸送の動きが変わる時間を知っている者がいる可能性は、昨日より少し高くなっていた。
*
聞き取りを終えると、五人は担当者と一緒に基地を出た。
声をかけられた場所までは徒歩で数分だった。補給基地の周辺には倉庫や事務所が並んでいるが、少し離れると街の店が混じり始める。昼前の通りには配送車や買い物客が行き交い、港の方から吹く風には、乾いた潮の匂いがわずかに混ざっていた。
「この辺です」
担当者が示したのは、小さな食料品店と倉庫の間だった。
基地の門は、そこから振り返れば見える。正面ではないが、出てくる人間を確認するには十分な距離だった。
通りの反対側から基地を見ると、門を出た人間はしばらく視界から外れない。エレジは、相手が担当者個人を知らなかった場合でも待てる場所だと分かった。
「ここにいれば、誰が門から出てくるかは見えますね」
「制服なら、所属もある程度分かる」
「でも、担当者個人を知らなくても、待ってればそれらしい人を拾えそうですね」
マティアスの見方に、リヒターも同意した。
「そうね。相手が立ってたのはどこ?」
担当者が示したのは、店の軒先から少し外れた場所だった。人の流れを邪魔せずに立っていられ、通りを歩く者から見ても、誰かを待ち伏せしているようには見えにくい。
「帰る時、いつもここを通るの?」
「ほとんど毎日です」
「時間も大体同じ?」
「勤務が終わる時間はあまり変わりません」
経路と時間の両方に規則性がある。リヒターはその時点で、現地警護側へ変えるべきものを絞った。
「しばらく帰り方を固定しない方がいいわね。出口と時間を少し変えるくらいでいいと思う」
「護衛は増やしますか」
「今すぐ目立つ形で増やす必要はないわ。相手がまだ様子を見てる段階なら、こちらが警戒を強めたと知らせる意味もないもの」
「単独で同じ経路を繰り返さない。それだけ先に変える。警護は現状の範囲で調整してくれ」
「分かりました」
昨日までは、不審な問い合わせと一度の接触として聞いていた話だった。実際の場所に立ち、基地の門が見える距離を確かめたことで、担当者にも、自分の動きが外から見られていた可能性が現実味を持ったようだった。
通りの角には監視設備が設置されていた。ヨナスは接触場所との位置関係を確かめる。
「映像はどのくらい残ってます?」
現地担当者が保存期間を答えると、ヨナスは接触があった日付と照合した。
「じゃあ、その日の分はまだありますね。あとで時間を絞って見ます」
相手の姿が残っている可能性はある。ただ、それだけで身元まで特定できる保証はない。
五人は場所と周囲の経路を記録し、基地へ戻った。
*
午後は車両で輸送経路を確認した。
先に走った主経路は、大型車両がすれ違えるだけの幅があり、途中にも複数の待避場所があった。市街地を抜けると、道は再び山沿いへ入る。
午前中まで遠くに見えていた海は、場所によっては道路のすぐ先まで近づいた。片側には斜面が立ち上がり、反対側には低い防護壁を挟んで海が見える。昨日、山の切れ目から初めて見た時よりも、青い面がずっと近かった。
エレジは地図と実際の道幅を重ねながら、車両が止まった場合の余裕を確認した。
「この辺りなら、車両が止まっても後続は抜けられますね」
「少し先にも広い場所がある」
「確認します」
エレジが地図へ印を入れる横で、ヨナスは通信状態を記録していた。
「ここは安定してます。基地側よりむしろいいですね」
「海側へ開いてるからか?」
「それもあると思います。ただ、この先で斜面が重なります」
道路が谷へ入り込むにつれて海は見えなくなり、数分後には端末に出ていた数値も落ち始めた。
「来ましたね」
昨日の車内で話していた地形が、そのまま数値に出ている。
「昨日言ってたところですか」
「たぶん。斜面で一度遮られてます。完全には切れませんけど、条件が悪い時は不安定になるかもしれません」
「この区間、長いですか」
「今の速度なら数分です」
エレジは道路の距離を地図上で確認した。通信だけなら大きな問題にはならない。ただ、車両が何かの理由で止まれば、その数分はそのまま延びる。
主経路では、輸送そのものを妨げやすい場所は多くなかった。
西側の補助路へ入ると、条件が変わった。
道幅が狭くなり、斜面側には古い石積みが残っている。場所によっては大型車両同士がすれ違えず、対向車が来ればどちらかが広い場所まで戻る必要があった。
「こっちは思ってたより厳しいですね」
「大型車が使えないわけじゃない。ただ、時間はかかるな」
カイルは速度を落とし、対向車が来た場合に戻れる場所も確認しながら進んだ。
しばらくすると、道路の片側に旧道らしい細い分岐が現れた。現在は通常の輸送には使われていないが、作業車程度なら入れそうな幅がある。その少し先では、ヨナスの端末の数値も再び落ちた。
「ここも落ちます。主経路より悪いです」
前方はカーブで見通せず、後ろも斜面の張り出しに隠れる。大型車が一台止まれば、後続が抜ける余地はほとんどない。
「ここで止められると、前にも後ろにも動きにくいですね」
「後ろからもう一台来たら、かなり詰まります」
マティアスの言葉を聞きながら、エレジは脇へ分かれる旧道も確認した。
「脇へ入れる道もあります」
「ああ。候補には入れる。ただし、ここが使われると決めるな」
「了解です」
輸送を横取りする意図があるなら、使いやすい条件は揃っている。それでも、相手の目的自体がまだ確定していない。
*
補給基地へ戻る頃には、日がかなり傾いていた。
五人はそのまま会議室へ入り、現地側と記録を合わせた。窓の外では夕方の便が出る準備を始めていて、朝と同じ車両置き場も、低く差す光の中では長い影が伸びていた。
直接接触が行われた場所からは基地の出口が見える。担当者の退勤時刻と経路にはある程度の規則性があった。問い合わせは輸送予定の更新後に集中している。西側の補助路には、車両が動きにくくなる区間と通信の弱い場所がある。
どれも個別には説明できる事実だった。ただ、輸送の時刻と経路を知りたがっている相手がいる以上、組み合わせて残しておく必要はある。
「明日は、予定がどこまで共有されるかをもう少し追う。問い合わせで使われた会社側も確認する。誰が情報へ触れられるかを先に絞る」
「映像も見ます。今日確認した位置なら、通りの監視記録に入ってる可能性があります」
「頼む」
現地側もそれぞれの確認を引き取り、その日の勤務はそこで終わった。
*
夕食のあと、エレジは本を一冊持ってカイルの部屋へ行った。
窓の外には港の灯りが見えた。昨日と同じ景色だったが、一日道路を走ったあとでは、点々と続く明かりのどの辺りを通ったのか、おおよその位置が分かる。
ベッド脇の椅子へ座ったエレジは、すぐには本を開かなかった。
「西側の道、思ってたより狭かったです」
「ああ。主経路が使えなくなった時の代替にはなるが、同じようには動けないな」
「通信が落ちる場所もありましたし」
「明日、予定の流れまで見れば少し絞れる」
翌日の確認事項まで話すと、仕事の話はそこで途切れた。
カイルは机に残していた資料を読み、エレジも本を開いた。窓の外からは、港の作業音が遠く低く届いている。時折ページをめくる音が重なり、話さなくても二人でいられる時間が続いた。
エレジは一度読んだ行へ戻った。
内容が分からないわけではない。それでも、昨日から残っていることが、仕事の話もなくなったところでまた意識に上がってきた。
「少佐。前に、結婚を考えた人がいたって言ってましたよね」
「ああ」
カイルがこちらを向いたことで、昨日から頭の中にあった疑問を口にするところまで来てしまった。
「その人とは……本気だったんですか」
言ってから、少し直接的だったかと思った。けれど聞きたかったのは、結婚という言葉を使ったことではなく、その先を本当に選ぼうとしていたのかだった。
カイルはすぐには答えなかった。返事を迷っているというより、過去のどこまでを話せばエレジの質問に答えられるのかを選んでいるようだった。
「その時は、本気だった」
「そうなんですね」
「ああ。婚約してた」
そこまでは聞いていなかった。昨日、現地の管理担当者から結婚していてもおかしくないと言われた時に残ったものが、そこで急に具体的になった。
カイルには、本当に結婚するつもりでいた相手がいた。
それほどの相手と別れた時期には、エレジにも思い当たることがある。
「ベルクさんが亡くなった頃ですか」
「そうだ」
六年前、吹雪の中でノア・ベルク伍長を失った時期だった。
「そのあと、俺がほとんど他のことを見なくなった。任務と部下のことばかり考えて、会う予定も後回しにした」
「その人と、話さなくなったんですか」
「そうだな。必要な話はしてたが、それだけだった」
窓の外では港の灯りが規則なく点滅し、部屋の中には机の照明だけが残っている。カイルは過去を遠ざけるようには話さなかった。
「きっかけではあった。でも、そのあとどうしたかは俺の問題だ。向き合わなくなったのも、関係を続けるために何もしなくなったのも俺だからな」
ノアの死だけを理由にすれば、もっと簡単に話せたはずだった。それでもカイルはそうしなかった。
「最後に別れようと言ったのは向こうだ。ただ、そこまで持っていったのは俺だと思ってる」
相手を責める言葉はなかった。自分だけを必要以上に悪く言っているようにも聞こえない。起きたことの中で、自分がしたことだけをそのまま引き受けている。
少し時間が経ってから、カイルは続けた。
「気になるかと思って言っておくが、俺にも向こうにも未練はない」
「……はい」
前の婚約者が今もカイルの中にいるのかということは、それほど気になっていなかった。
それよりも、別のことが残った。
家族になることは、カイルにとって一度、現実に選ぼうとしたものだった。
「昨日の話が気になったのか」
「いえ」
「紹介されそうになったろ」
「聞いてました。でも、それは気にしてないです。少佐が断ってくれたのは、嬉しかったですけど」
「断るに決まってるだろ」
その返事には迷いがなく、エレジもそこを疑ってはいなかった。
けれど昨日から残っていたものは、それとは別だった。
カイルが誰かと家族になろうとし、その人と暮らす先を、本気で選ぼうとしていたこと。
窓の外には、昼間に走った海沿いの道へ続く灯りが見えている。昨日はただ遠くに並んでいた光も、今はどの辺りに港があり、どこから山側へ道が入っていくのか少し分かる。
エレジは本を閉じたまま、その灯りを見た。
「明日も、海見えますかね」
「経路によるな」
「見えたらいいです」
「ああ」
その返事を最後に、エレジはしばらく港の灯りを見たあと、今度はちゃんと続きを読むつもりで本を開いた。




