家族のこと
翌日の午前、エレジは装備保管区画で、前日に補充を申請した共用品の一覧を確認していた。
数量と品目に間違いがないことを確かめ、端末を閉じる。次に使う棚を空けるため、マティアスと保管ケースの位置を入れ替えていると、カイルから作戦室へ集まるよう連絡が入った。
作戦室に入ると、表示板には海岸から山側へ道路が伸びる地域の地図が出ていた。港と市街地、その背後に重なる等高線から、現在の拠点より南東、北部山脈の東側にある地域だと分かる。
「次はアイヒフェルトだ。三日後に出発する」
五人が席につくと、カイルは港の北側にある施設を示した。
「港へ入った物資を、ここから内陸へ送っている。補給基地を拠点に、輸送経路と通信、それに輸送情報への不審な問い合わせを確認する」
「情報が漏れてるんですか」
ヨナスの質問に、カイルは資料を切り替えた。
「その可能性がある。民間の輸送調整担当者へ、予定されている車両や出発時刻について問い合わせが入った。正規の取引先を名乗っているが、確認すると、その会社からは連絡していない」
「一度だけですか」
「三度。別の名前を使っている。ほかにも、担当者が仕事を終えてから声をかけられたことがある。ただし、同じ相手かは分からない」
リヒターが、連絡と接触の記録を見比べた。
「本人には、何を聞いたの?」
「翌日の予定と、普段どの道を使うかだ。業務上の話としては不自然だったので、答えずに基地へ知らせている」
「直接脅したわけではないのね」
「ああ。接触の目的も、今のところ確定していない」
港から基地までの道は広く、そこから先は山沿いに分かれていた。エレジは車両が通る予定の経路を追い、町を抜けた先の狭い区間へ目を留めた。
「この二つは、どちらも大型車両が通れますか」
「主経路は通れる。西側の道は現地で確認する。途中に通行条件の違う区間がある」
「分かりました」
エレジは端末の地図へ印をつけた。主経路が使えない場合の迂回、車両を待たせられる場所、引き返せる地点。港と内陸の間に山がある以上、谷へ入った時の通信条件も確認が必要になる。
「俺たちが、その担当者について回るんですか」
マティアスが聞くと、カイルは首を横に振った。
「常時の警護は現地側が担う。俺たちは接触が起きた場所と、相手が情報を得られるところを確認する。必要な移動には同行するが、全部を五人で受け持つわけじゃない」
「現地の記録と、本人の動きを合わせて見るんですね」
「ああ。本人が何を知っていて、どこまで相手へ答えたかも確認する」
ヨナスは通信資料を受け取り、到着前に確認できる項目を挙げた。リヒターは現地の警護担当と医療支援、マティアスは車両と移動の分担を聞いた。
滞在はまず八日間。到着後に経路を確認し、輸送の動きと担当者への接触を分けて記録する。侵入や相手の確保は主任務に含まれず、必要な対応は現地側と調整することになった。
任務説明が一通り終わると、カイルは現地側から送られてきた補足資料を表示した。
最初に出たのは補給基地と港の写真だった。続いて市街地へ切り替わると、石造りと木組みの建物が並ぶ坂道、小さな広場、その周囲に続く店が映った。
「観光地でもあるんですね」
マティアスが資料を見ながら言うと、カイルがさらに地域資料を開いた。木工、織物、革製品、ガラス、金属細工の店がまとまっている区画が示された。観光客向けの店だけではなく、地元の職人が使う工房も残っている。
「結構店ありますね」
「港側には市場もあるわ。食事するなら、そっちも悪くなさそうね」
リヒターが言うと、マティアスも市街地の写真を見直した。
「中尉、こういうところ好きそうですよね」
普段なら、エレジの方から何があるのか聞いてきそうだった。知らない土地や、そこでしか見られない物にはよく興味を示す。工芸店が並ぶ古い街なら、なおさらだった。
だが、エレジは表示板を見ているだけだった。
「工芸店、結構あるみたいですよ」
「そうですね」
「木工とか、ガラスとか。金属細工もあります」
「はい」
返事はしたが、それ以上は続かなかった。
マティアスは一瞬だけリヒターの方を見た。彼女も同じことを感じたらしく、エレジではなく手元の資料へ視線を戻した。
次の写真には、市街地の向こうに海が映っていた。
建物の屋根越しに、青い広がりが横へ続いている。海岸の近くまで山が迫っているため、少し高い場所からなら港だけでなく、その先まで見渡せるらしい。
マティアスは今度こそエレジの反応を見るつもりで隣を見た。
「中尉、海見たいって言ってましたよね」
ヨナスも写真を見るとそのうちの1つを指差した。
「ここは山がかなり海岸の近くまで来てますね。場所によっては上から広く見えると思います」
「そうですね」
それだけ答えると、エレジは写真から地図へ戻った。
マティアスには、それが少し意外だった。
普段のエレジなら、どこから見えるのか、海岸まで行けるのか、風や地形がどう違うのかくらいは聞いていてもおかしくない。しかも工芸店の多い街なら、任務の合間に出られるかどうかまで気にしそうだった。
ヨナスも同じように感じていた。エレジは必要な情報を取りこぼしてはいないが、興味を持った時に増える言葉が今日は少ない。
リヒターはその様子を見ても何も言わなかった。任務説明の最中に聞くほどの変化ではない。だが、前日から家族について新しい話が続いていることを考えれば、何も影響していないとも思えなかった。
カイルも、三人がそれぞれ似たところを見ていることには気づいていた。
「時間が取れれば、海岸側も確認できる」
任務との関係で言える範囲に留めて付け加えると、エレジは小さく頷いた。
「はい」
説明が終わると、五人は資料を持ってそれぞれの作業へ戻った。
マティアスは作戦室を出ながら、もう一度エレジの方を見た。本人に聞くほどではないが、やはり普段のエレジからすると静かだった。
*
午後、エレジは作戦室の机で、現地の道路資料を地形図へ重ねていた。
現在使われている道と古い線が交わるところを確認し、地図だけでは通行条件を判断できない場所を残す。作業をしている間は、次に何を見るべきかが分かっていた。
海の近くまで山が迫っている地形は、少し面白かった。内陸側とは風の通り方も違うだろうし、山から海へ抜ける谷では通信状態も変わるかもしれない。写真に映っていた街並みも、今まで任務で行った場所とは少し違っていた。
工芸店が並ぶ通りにも興味はあった。海も、できれば近くで見てみたい。けれど、午前中にそのことを口に出す気にはならなかった。
端末を閉じて一人になると、前日に聞いた話が戻ってきた。
母方の姓と同じ名前の家が、北部の山を越える仕事をしていた。母がその家につながっているのかは分からない。兄は急病で亡くなり、母の居場所は今も確認されていない。
詳しく知りたいとは思っていなかった。それは昨日カイルに伝えた通りだった。
だが、知りたいと思わなくても、考えざるを得ない時間が出てくる。
子どもの頃、家の事情は自分が関わりたいかとは関係なく生活に入り込んできた。
兄はほとんど家にいなかった。それでも、若いうちから犯罪に関わっていたことは、エレジや母の生活に影響した。
自分たちに対する周囲の態度が変わり、働く時にも疑いを向けられることがあった。
当時は、家族とはそういうものなのだと思っていた。自分だけ関わらずにいることを、選べるとは考えていなかった。
それでも軍へ入ってからは、遠ざかることができた。仕事の範囲があった。何をするか、誰へ報告するか、どこまでが自分の担当かが決まっている。必要な仕事をして、食べて、眠る。その生活はエレジにとって分かりやすかった。
今度は、母の事情が自分の現在へつながるかもしれない。家族だからというだけで、本人が知らずにいたことまで、その人の人生に入ってくる。
同じ家に生まれたことと、相手の事情を引き受けたいことは、同じではないはずだった。家族であっても、それぞれに別の生活がある。それを家族という理由だけで動かされることには、今も抵抗があった。
エレジは窓の外を見た。林の向こうに、いつもの山が見えている。
北部へ来てからの時間には、自分で選んだものが増えていた。仕事も、一緒に過ごす相手も、見に行きたい場所もある。それを考えることは、以前よりずっと容易になった。
それでも家族のことが入り込んできた今、どこまで関わることになるのだろうという気持ちが出てきて、エレジは眉間を押さえた。
*
翌日の勤務でも、エレジの仕事ぶりに変わったところはなかった。
カイルが現地の資料について尋ねると、必要な確認箇所を挙げた。ヨナスとは通信図を重ね、マティアスとは携行品の分担を相談している。準備が遅れたり、報告が抜けたりすることもない。
ただ、作業の合間はやはり以前より静かだった。
共有スペースで三人が話していても、聞いているだけで自室へ戻ることがある。カイルの部屋にも、ここ二晩は来ていなかった。
会いに来る日が続いたからといって、毎晩来ると決まったわけではない。エレジが一人で過ごしたいなら、それでいい。
それでも、兄の死と母方の話を聞いた後の変化として、カイルは気にしていた。
その夜、共有スペースにはもう他の三人の姿はなかった。カイルが冷蔵庫を開けていると、洗濯室の扉が開き、エレジが畳んだタオルを抱えて戻ってきた。
「ヴァイス、終わったか」
「乾燥まで入れました。あとで取りに来ます」
「何か飲むか」
「ありがとうございます。お茶があれば」
カイルは冷蔵庫からボトルを取り出し、二つのグラスに注いだ。エレジはタオルを脇に置いてテーブルにつく。ここ二晩は自分の部屋へ来ていなかったが、こうして二人でいることを避けている様子はなかった。
「現地から、道路の追加資料が来た。明日確認してくれ」
「はい。西側の道ですか」
「ああ。車両が通れる区間が分かれている」
「分かりました」
カイルも向かいに座った。グラスを挟んで仕事の話をしている間は、いつものエレジと変わらない。けれど話が途切れると、共有スペースには換気設備の低い音だけが残り、その静けさの中では、ここ数日の彼女の変化がかえって目についた。
「エレジ。最近、少し静かだな」
「そうですか?」
「勤務に問題があるわけじゃないが、少し気になってる」
エレジはすぐには答えなかった。両手でグラスを持ったまま、ここ数日の自分を振り返るように視線を落とす。
「何か気になることがあるか」
「いえ……」
否定しかけたところで言葉が止まった。カイルは続けて聞かず、そのまま待った。
「家族のことを、少し考えてました」
グラスの表面についた水滴が、少しずつテーブルへ落ちていた。兄の死と母方の話を聞いてからの変化なら時期は合う。ただ、何を考えていたのかまでは分からない。
「話せそうか」
エレジはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「母があの話と関係あるのかも、それが今の私と関係するのかも、まだ全部憶測です。だから、考えなければいいのは分かってます。……それだけです。考えなければいいのに、考えてしまうだけで」
「そうか」
エレジはそれ以上説明を足そうとはしなかった。答えを求めている話ではないと分かり、カイルも結論を促さなかった。
「二日前から、部屋に来なくなっただろ」
エレジはそこで初めて、カイルの方から見た二日間に思い至ったようだった。
「考えてるうちに、時間が過ぎてて」
「俺といたくなかったわけじゃないか?」
「それは違います」
「なら、よかった」
「気にしてたんですか」
「ああ。会いたかったからな」
エレジはグラスの縁に添えていた指を少し緩めた。ここ数日は自分の中へ入り込んできたことばかり考えていて、来なくなったことをカイルがどう受け取っていたのかまでは考えていなかった。
「私も、会いたくなかったわけじゃないです」
カイルはそれ以上、家族について聞かなかった。エレジ自身、まだ何をどう考えたいのか決まっていないのだろう。今ここで言葉にさせても、何かが片づく話ではない。
「今日はどうする」
洗濯室の乾燥機が、壁の向こうで低く回り続けていた。飲み終えれば、それぞれの部屋へ戻れる時間だった。エレジはグラスの縁に指を添えたまま、しばらく考えてからカイルを見た。
「……一緒にいたいです。本、持って行ってもいいですか」
「ああ」
その夜、エレジは本を一冊抱えてカイルの部屋へ来た。机の上とベッド脇の灯りだけが点いていて、窓の外はもう黒く、ガラスには室内の光だけが映っていた。
何かを話し続けるでもなく、二人でそれぞれ本を読んだ。ページをめくる音の合間に、建物の奥で配管が時折鳴った。
しばらくすると、エレジは本を開いたまま、肩がカイルの腕に触れるところまで少し近くへ座り直した。カイルも彼女がそのままいられるように腕の位置を変える。
エレジは隣にある体温を感じながらページをめくり、そのまま本を読み続けた。




