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エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:任務

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調べた理由


 休養日が明けると、拠点はいつもの勤務に戻った。

 外へ出る予定はなく、五人は施設内でそれぞれの作業を進めていた。ヨナスは通信室で設備の稼働記録を確認し、リヒターは医療用品の在庫と使用期限を照合している。マティアスとエレジは装備保管区画で共用品を数え、補充が必要なものを一覧へまとめていた。


 カイルは作戦室で連絡事項を確認し、補給申請に目を通したあと、継続中の照会を開いた。


 報酬の依頼元も、ハシュヴァルトが告げた価値の変化の根拠も、まだ分かっていない。任務で拠点を離れている間も確認は続けていたが、回答を待つ項目と、自分の権限では資料を参照できない項目が残っていた。リヒターの非公開経歴と別系統の命令についても、正式な配置であること以上は開示されていない。


 エレジには、調べ続けると伝えている。回答が得られない項目をそのままにするつもりはなかったが、返答を待つ間に同じ資料を読み直しても、分からないことが埋まるわけではない。


 カイルは照会ごとの回答日を見直し、再度確認を求めるものを分けた。その作業を進めていたところで、端末に通信が入った。

 表示された相手を確認し、手元の資料から目を離した。


『リュウだ。今いいか』


「問題ありません」


『ヴァイスの兄の件、確認が取れた』


 ヴァルトベルクから戻る前、リュウはエレジの兄が収監中に死亡していたことについて、記録上は病死になっているものの、一度確認しておきたいとカイルへ話していた。


「結果は」


『急病で間違いない。収監中に症状が出て、施設内で処置した後に搬送されてる。搬送先で死亡。診療記録、搬送記録、その後の手続きまで一通り見た』


「不自然な点は?」


『今のところない。記録同士の食い違いもなかった。第三者が手を出したと考える根拠も出なかった』


 カイルは机の上に置いていた記録用紙へ、必要なところだけを書き留めた。


「では、兄についてはそこで区切れますか」


『そうする。俺が疑いすぎた』


 リュウの答えには、確認できたことへの安堵より、自分が抱いた疑問を一度終わらせる響きがあった。ただ、最初から単なる病死として受け取れなかった理由は残る。


「一つ聞いてもいいですか。なぜ、そこまで疑ったんです」


 リュウは一旦言葉を止めた。


『前に言わなかったことがある。ヴァイスという姓を見た時、少し気になったんだ』


「姓に覚えがあったんですか」


『俺の親族に、昔その家と仕事をした人間がいる。北部の山を越える交易や輸送をやっていた家だ。普通の荷物だけじゃなく、軍や情報関係者から頼まれて、表には出ない荷物や人を動かすこともあったらしい』


「非公然の輸送ですか」


『そうだ。依頼や受け渡しを巡って揉めることもあったと聞いてる。だからヴァイスという姓を見た時、気になった。本人に聞いたら、母方の姓だと言っていた』


「母方が、その家につながっていると?」


『そこは分からん。同じ姓というだけだ。俺が知ってるのは、その家が昔どんな仕事をしていたかで、あいつの母親についてじゃない』


 カイルはメモへ、ヴァイスの姓は母方から来たものだと書き足した。同じ姓が昔の話に出てきたことだけでは、血縁も、その仕事との関係も確かめられない。


「その話を、本人には?」


『してない。姓について聞いただけだ。確証がなかったし、当時のあいつにわざわざ言う理由もなかった。そもそも、ただの引っ掛かりだ。久しぶりに会って、母親とも兄とも連絡を取ってないと聞いたから、一応調べた。母親は所在が追えない。兄は収監中に死んでる。そこで、あの姓を思い出した』


「昔聞いた話が、家族に関係している可能性を考えた」


『そうだ。ただ、具体的に何か知っていたわけじゃない。兄については俺の疑いが外れた』


「母親について、新しい情報は」


『ない。今も追えてない』


「親族から聞いた話について、ほかに覚えていることはありますか」


『仕事の大枠は、さっき話した通りだ。誰が何を運んでいたか、その姓の家がどこにあったかまでは知らない』


 リュウはそこで言葉を切り、少し低い声で続けた。


『だから、今まで黙ってた。知らないことまでつなげて話せば、ただの憶測になる』


 カイルにも異論はなかった。現在エレジに向けられている脅威や、母親の所在不明と結びつくかどうかは、まだ分からない。


「本人には話して構いませんか」


『話していい。今なら話しておいた方がいいと思う。ただ、あいつが知りたがっても、今すぐ答えられるものはない』


「そこはそのまま伝えます」


 通話を終えたあと、カイルはメモをまとめた。兄の死については一つの疑いが消え、母方については確かめることが増えた。ただ、それだけで何かを決めることはできない。


 途中だった記録を保存してから、作戦室を出た。


 装備保管区画では、エレジとマティアスが携行品を棚へ戻していた。エレジは手元の一覧と数量を照合しながら、交換対象になったものへ印をつけている。


「ヴァイス」


「はい」


 呼ばれて顔を上げたエレジに、カイルは近くまで行ってから声を落とした。


「リュウ中佐から連絡があった。少し話せるか」


 エレジは手元のケースと一覧を見た。


「これを戻してからでもいいですか」


「ああ。急ぎじゃない」


「分かりました」


 それだけ伝え、カイルは作戦室へ戻った。

 しばらくしてエレジが入ってきた時には、さっきまで広げていた記録は端へまとめてあった。


「終わりました」


「ああ。座ってくれ」


 エレジが向かいへ座ると、カイルは最初に兄の話から伝えた。


「兄の死亡について、リュウ中佐が追加で確認した。急病だったそうだ。診療と搬送、その後の記録にも不自然な点はなかった。第三者が関わった形跡もない」


「……そうですか」


 エレジはそれ以上詳しい経過を聞かなかった。今その死の細部まで知りたいとは思っていないようだったので、カイルも説明を重ねなかった。


「もう一つある。中佐が、なぜ兄の死まで気にしたのかについてだ」


 エレジがカイルを見る。


「ヴァイスという姓に、中佐は以前から覚えがあったらしい」


「私の姓ですか」


「ああ。親族から、昔、北部山脈を越える交易や輸送の話を聞いたことがある。その中に同じ姓が出てきたそうだ。お前に聞いたら、母方の姓だと答えたと言っていた」


「……姓について聞かれたことはあります」


「その時は、家の話までは伝えなかったそうだ。軍や情報関係者の非公然輸送も扱っていて、依頼や受け渡しを巡る揉め事があったらしい」


「母が、その仕事をしていたんですか」


「そこまでは分からない。同じ姓が出てきたというだけで、お前の母親がその家につながっているかも確認されていない」


「そうですか」


 驚きはあっても、そこからさらに身を乗り出すような反応はなかった。


「母からは、聞いたことないです。親族についても、ほとんど聞いてません」


「中佐自身も詳しい内容は覚えていない。ただ、今回家族の状況を確認して、昔聞いた姓が気になった。それで兄の死についても調べたそうだ」


「母は、まだ分からないんですね」


「分からない」


 エレジは視線を落とした。カイルは質問を重ねず、彼女が考え終えるのを待った。しばらくして顔を上げた時、エレジが尋ねたのは母の過去ではなく、現在の脅威との関係だった。


「今、私が狙われてることと、その姓が関係あるんですか」


「まだ分からない。ただ、関係がある可能性を確認するなら、母方についても調べることになる」


「必要なら、お願いします。今は詳しく知りたいわけではないです。でも、今の件に関係するなら、確認しておきたいです」


「分かった。それと、この件は三人にも共有したい。話して構わないか」


「はい。お願いします」


 エレジ自身が母方の過去を知りたがっているわけではない。それでも、安全に関わるなら確認してほしいという意思は受け取った。カイルも、今以上に家族の話を求めるつもりはなかった。


 内線で三人へ声をかけ、作業が一区切りついたら作戦室へ来るよう伝えた。

 エレジはいったん装備保管区画へ戻り、しばらくしてマティアスと一緒に入ってきた。ヨナスとリヒターも席につくと、カイルはリュウから聞いた内容を共有した。


 兄の死亡経過について確認が済んだこと、母の所在には新しい情報がないこと。それから、母方の姓についてリュウが持っていた記憶と、本人も関係を確かめていないことを伝えた。


「姓だけだと、同じ家かどうかは絞れませんね」


 ヨナスは手元へ書き留めた内容を見直した。


「中佐の親族が、いつ頃、どの辺りでその姓を聞いたのか分かれば、資料を探す範囲は狭められます。まずは古い交易や輸送の資料が残っているか確認します」


「中佐が知っている以上のことは、今すぐ答えられないそうだ」


「はい。今ある情報で見られる範囲から始めます」


 リヒターも、ヨナスの書いたメモへ目を向けた。


「非公然の輸送も扱っていたなら、表の記録だけでは分からない仕事もあるでしょうね」


「個々の依頼や関係者については、中佐も知らないそうだ」


「まず母親とのつながりを確認することね。その家だと分かれば、仲介や受け渡し先も見る必要があるわ」


 カイルは頷き、確認する項目を書き足した。


「母親の所在が分からなくなった時期は、分かってるんですか」


 マティアスの問いに、カイルは顔を上げた。


「まだ分からない。記録が途切れていることと、本人がその場所からいなくなった時期は同じとは限らない」


「中尉への報酬が出始めた時期と、比べられるわけじゃないんですね」


「ああ。報酬についても、最初に確認された時期より前から流れていた可能性がある」


 マティアスはエレジへ目を向けた。


「中尉は、お母さんからその姓の話、聞いたことある?」


「ありません。親族についてもほとんど聞いてません」


「そっか」


 それ以上は尋ねず、マティアスは手元のメモへ視線を戻した。


「今のところ、母方と報酬をつなぐものはない」


 カイルは、確認する項目を並べたメモを机の中央へ置いた。


「母親の所在は引き続き照会する。ヨナスは母方の姓について、参照できる資料を見てくれ。リヒターには、何か接点が出た時に確認を頼む」


「分かりました」


「ええ」


「今すぐ外へ出る材料はない。通常勤務はそのままだ。確認が取れたものがあれば、また共有する」


 エレジが頷き、三人にも異論はなかった。


 席を立つ時、ヨナスはリュウの話の要点を書き取った紙を持っていった。リヒターは医療用品の確認へ戻り、マティアスとエレジも残りの数量を数えるため、装備保管区画へ向かった。


 カイルは通話のメモに、五人へ共有した範囲と次の照会事項を追記した。確認を求める連絡を作成してから、端へ寄せていた補給申請を開き直した。


 しばらくすると、エレジとマティアスがまとめた共用品の一覧が届いた。カイルは不足分を申請へ加え、ほかの項目と合わせて確認していった。



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