三人の距離
夕食が終わっても、三人はそのまま共有スペースに残っていた。
休養日だったため、朝から誰も勤務用の服には着替えていない。リヒターは薄手の半袖に柔らかいパンツ、マティアスはTシャツに膝丈の短パン、ヨナスは無地のTシャツに薄手の長いパンツで過ごしていた。
カイルとエレジが先に二階へ戻ってからも、三人には急いで自室へ戻る理由がなかった。共有スペースの長いソファには、端からマティアス、リヒター、ヨナスの順で座っている。テーブルには食後に持ってきた飲み物が残り、その日何をしていたかという程度の話が、途切れてはまた別のところから続いている。
「今日、結局ほとんど何もしなかったですね」
「休養日なんだから、それでいいでしょう」
「大尉は昼、俺の部屋にいましたけど」
ヨナスは昼に聞こえた笑い声を思い出した。リヒターがマティアスの部屋にいたことは知っていたが、何をしていたのかまでは聞いていない。
「そういえば、何してたんです?」
「たまたま寄ったら、マティアスが片づけてたの」
「少し手伝ってもらいました」
「少し?」
「だいぶかも。俺一人だったら、たぶんまだ終わってませんよ」
「途中で別のことを始めるからよ」
「必要な物が出てきたら確認するでしょう」
実際、片づけている最中のマティアスは、物を一つ動かすたびに別のことを思い出していた。
リヒターも最初は横から少し手を出しただけだったが、そのうち彼が何をどこで使っているのか聞く方が面白くなっていた。
「そういえば、ペンもすごかったわね」
「何がです?」
「机に二本、棚に一本、ベッドの横に一本、鞄にも一本。片付けるたびに増えるのよ」
「全部使ってますよ」
「私も最初は適当に置いてるのかと思ったの。でも、聞いたら全部理由があるの」
「ベッドの横は寝る前、鞄のは外用、棚のは予備です」
「それなら合理的じゃないですか」
ヨナスがあっさり納得すると、マティアスはすぐそちらへ向いた。
「ほら。ヨナスなら分かると思ってました」
「でも、机に二本あるのは?」
「一本なくした時用です」
「それは予備じゃないですか」
「机用の予備です」
そこまで聞くとヨナスも返事を止めた。
自分なら用途別に置くこと自体は理解できる。けれど、一つの机にまで予備が必要なのかと考えると、さすがに擁護しきれなかった。
その顔を見たリヒターがまた笑った。
「そこまで場所ごとに予備がいるの?」
「探す時間がもったいないでしょう」
「じゃあもう、あなたの部屋から何本出てきても驚かないことにするわ」
「最初からそうしてください」
三人で笑ったあとも、話題は一つのところには留まらなかった。
ヨナスが最近見つけた映画の話をすると、マティアスは同じ監督の別の作品を見たことがあると言った。リヒターはどちらも知らず、内容を尋ねたが、二人の説明は見どころから先に進み、結局どういう話なのか分からなかった。
「それで、何の映画なの?」
「そこ言うと、見る時につまらなくなるんですよ」
「何も分からないと、見たいかどうかも決められないでしょう」
「最初の十分だけ見てみます?」
「今から?」
「別の日でもいいです。時間がある時に」
それならと答えながらも、リヒターは二人がそこまで気に入った理由を聞いた。ヨナスが映像の話を始めると、マティアスは音楽もよかったと付け足す。話を聞いているうちに少し興味が湧き、今度三人で見てもいいと思った。
長く同じ姿勢で話しているうちに、リヒターは腰の位置を少し変えた。
そのまま身体が隣のマティアスへ傾き、肩へわずかに重さを預ける形になったが、本人には楽な方へ重心を移した程度の感覚しかなかった。ヨナスが説明している映画の話を聞きながら、その姿勢のままでいる。
「大尉」
「何?」
「俺にもたれてますよ」
言われて初めて、自分がそうしていることに気づいた。
「……そうね」
「気づいてなかったんです?」
「少し楽だなとは思ってたわ」
「それで俺に来たんですか」
「一番近かったからじゃない?」
マティアスの方は、言葉にした途端、それまで気にしていなかった肩の重さを意識した。
これまでリヒターに触れられたことはある。身体を重ねた時なら、もっと近い距離にいたこともある。それでも、何もしていない時に、理由もなくこうして寄られたことはなかった。
意外ではあったが、離れてほしいとは思わない。身体をずらさずにいると、リヒターもそのまま話を続けた。
反対側にいたヨナスも、いつもとは違う距離に気づいていた。
「大尉がこうしてるの、初めて見ます」
「俺も初めてです。普段はしないでしょう」
言われて考えてみると、リヒターにも覚えがなかった。
身体に触れることそのものは、もう二人とも特別ではない。けれど、何もしていない時間に、ただ楽だからというだけで誰かへ身体を預けたことはなかった。
「言われてみれば、そうかもしれないわね」
「ずいぶん自然に始まりましたね」
「こういうのって、わざわざ始めるもの?」
その答えにヨナスが笑った。
「それはそうですね」
話はまた映画の話へ戻った。
マティアスも最初ほど肩の重さを意識しなくなり、リヒターも自分が寄りかかっていることを忘れていった。
触れているからといって会話が変わるわけでもなく、ヨナスがさっきの映画について補足している間に、マティアスは同じ監督の別の作品の話まで始めた。
途中でリヒターが飲み物を取るために身体を起こした。
カップを戻して座り直した時には、今度はヨナスの方へ少し寄る形になり、腕同士が触れた。
ヨナスは一度だけそこへ意識を向けたものの、身体を離さなかった。
マティアスの時と同じように、自分の側にも自然に寄ってきたことが、少し嬉しかった。どちらか一人に近づいているというより、今のリヒターは三人でいる場所そのものの中で楽な位置を選んでいるように見えた。
「今度はそっちなんですね」
マティアスに言われ、リヒターは自分の位置を見た。
「何となく」
「今日は近いですね」
「そうね」
さっきはマティアスに寄り、今はヨナスと腕が触れている。
どちらも、戻りたいと思うような距離ではなかった。
「……こうしてるの、案外好きかもしれないわ」
ヨナスがリヒターを見る。
「俺も好きですよ」
「こういうの?」
「はい。何かする時じゃなくても、近くにいるのは好きです」
マティアスも、その言葉にはすぐ頷けた。
「俺もいいと思います」
「じゃあ、これからはもう少しこうしてるわ」
改めて決まりを作ったわけではない。姿勢を変えれば肩や腕が離れ、また近くへ寄れば触れる。その程度のことを、三人ともいちいち意識しなくなっていった。
リヒターが笑ったとき、その声を聞いたヨナスは昼間のことを思い出した。
「そういえば、昼間部屋にいるとき大尉の声聞こえてきました」
「マティアスの部屋から?」
「はい。何を話してるかまでは分かりませんでしたけど」
マティアスにもすぐ心当たりがあった。
「たぶんペンの時ですね」
「普通に話すくらいなら分からないですけど、笑ったり声が大きくなったりすると結構聞こえます」
二階の部屋は、廊下の手前からマティアス、ヨナス、カイル、エレジ、リヒターの順に並んでいる。
「それなら、私の部屋で声が大きくなったらエレジにも聞こえるってこと?」
「たぶん」
「俺の隣は少佐ですしね」
ヨナスの言葉を聞いて、マティアスは改めて自分の部屋の位置を考えた。
「じゃあ、三人で夜にいるなら俺の部屋が一番ましじゃないですか」
「端だから?」
「はい。ヨナスの部屋は少佐の隣、大尉の部屋は中尉の隣ですから。俺のところなら、気にするのはヨナス側だけです」
「確かに、それが一番ですね」
ヨナスもその点には異論がなかった。
「じゃあ次は、マティアスの部屋にする?」
「本当に使うんです?」
「自分で言ったでしょう」
「言いましたけど、こんなすぐ決まるとは思ってませんでした」
「ヨナスは?」
「俺はいいですよ」
「じゃあ決まりね」
自分で提案したとはいえ、実際に次の行き先として自室が決まると、マティアスには少し違って聞こえた。
今まで三人で過ごした夜を思い返せば、ただ話して終わるとは限らない。
同じところまで考えたらしく、少し笑いながら確認した。
「……これ、普通に話す時の話ですよね」
その問いで、部屋の位置だけを考えていた話に別の意味が加わった。
リヒターがヨナスを見ると、彼も何を言われたのか分かっていた。
「最初はそのつもりだったんでしょう?」
「最初は、ですね」
「その言い方、もう違うじゃない」
「今の流れだと、そういう意味にも聞こえるでしょう」
「まあ、三人で夜に部屋へ行くなら、話すだけとは限らないですね」
「ヨナスまで普通に言うのね」
「今さらじゃないですか」
ヨナスにとっても、それは特別な予告をするような話ではなかった。三人で話して、そのまま何もなく戻る夜もあり得るし、そうならない夜もある。今までの三人なら、その場で互いがどうしたいかを確かめれば済む。
マティアスも、自分の部屋だから何かが決まるとは考えていなかった。それでも次に三人が夜まで一緒にいる時、そこへ二人が来ることを想像すると、悪くなかった。
「今なら一応片づいてますよ」
「ペンも少しまとまったものね」
「でも、まだどこに何があるか慣れないです」
「散らからないなら、使いやすいところに戻せばいいわ」
「そうします」
「結局また部屋中から出てきそうですね」
さっきまで少し含みのあった話も、また昼のペンへ戻ればいつもの調子になった。
リヒターはヨナス側へ少し身体を預けたまま、今度はマティアスが出した街の店の話を聞いた。途中で姿勢を変えれば腕は離れたが、少し経つとまたどちらかの肩や腕が触れる距離に収まる。
テーブルの飲み物がなくなる頃には、三人はようやく共有スペースを片づけ始めた。




