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エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:任務

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兄


 翌朝には、ヴァルトベルクでの仕事はほとんど片づいていた。


 捜索任務そのものは前日で終了し、現地側への報告も必要な部分まで引き継いでいる。五人が出発するのは昼前の予定で、朝食のあとに残っているのは、持ち込んだ装備と端末の返却確認、それぞれの荷物を車両へ運ぶ程度だった。


 共有スペースにはまだ五人とも残っていた。食事を終えたあと、すぐに動き始めるほど急ぐ必要もなく、ヨナスは二杯目の飲み物を入れ、マティアスは椅子に座ったまま出発時刻を確認している。

 リヒターもカイルと現地医療区画への返却物について話していた。数日前まで山へ出る前の確認に使っていた時間が、今朝はここを離れるための時間に変わっている。


 エレジも食器を片づけて戻ったところで、入口からリュウが入ってくるのが見えた。


「ヴァイス、少しいいか」


 食堂で再会した日以来、リュウと二人だけで話したことはなかった。リュウの方からくることもなかったため、エレジには呼ばれる理由が分からなかった。


「はい」


 立ち上がったエレジが近づくと、リュウはそのまま連れ出す前にカイルの脇へ寄った。声を落としたため、近くにいるエレジにも内容までは聞こえない。


「少佐、あとで少し時間をもらえるか。本人に話したあとで、共有しておきたいことがある」


「分かりました」


 エレジがリュウについて廊下へ出ると、使われていない小さな打合せ室へ入った。四人用の机と壁際の端末があるだけの部屋で、朝の作業が始まる前なのか、机の上には何も置かれていない。


 向かいに座ったリュウが最初に話したのは、エレジが予想していた昔の軍でのことではなかった。


「この前、母親と兄のことを聞いただろ。あの後、少し確認した」


「……家族のことですか」


「ああ。勝手に調べたことは悪かった。ただ、できる確認だけして、共有しておこうと思ったことがある」


 十六歳で軍へ入った頃から、リュウが自分の家庭についてある程度知っていたことはエレジにも分かっている。昔の事情を知るリュウが気にかけたこと自体は、不自然には思わなかった。


「母親の方は、今どこにいるのかまでは分からなかった。古い登録情報のあとで、居所を追える記録が途切れてる」


「そうですか」


 母の居場所が分からなかったことには意外さがなかった。軍に入ってから連絡をしたことはなく、母が今どこにいるのかは自分でも分からないままだった。


「兄の方は記録が残っていて、収監されてたことがわかった」


 エレジは兄が刑務所へ入っていたと聞いても、あり得ないとは思わなかった。

 兄が今どんな生活をしていたのか確かめようともしてこなかったが、以前の兄を考えれば収監されていたこと自体は理解できた。


「……今もですか」


 問い返すと、リュウはすぐには答えなかった。その短い間に、エレジは今の問いへの答えが単純なものではないことを感じた。


「いや。そこで亡くなってる」


 エレジは返事ができなかった。

 長い間、家族は自分の生活から遠ざけてきたものだった。それでも、もう生きていないと突然知らされると、胸の奥に何かが引っかかった。


「……いつごろかはわかりますか」


「六月二十二日だ」


「今年の?」


「ああ」


 あまりにも時期が近かったことにエレジは驚いた。


「刑務所内で、ですか」


「ああ」


 兄が死んだという事実を聞いても、自分が何を感じてるかはわからなかった。長く関わらずにいた相手の現在が、突然そこで途切れていたと知らされた事実だけが残っていた。


「家族と距離を置いてるのは知ってるが、今回は知らせた方がいいと思った」


「……はい、教えてくださってありがとうございます」


 リュウは、エレジが今どんな感情なのかを確かめようとはせず、そのまま話を終えた。

 共有スペースへ戻る途中も、エレジの中で急に昔の記憶が増えることはなかった。


     *


 出発準備が一段落した頃、五人はもう一度共有スペースへ集まっていた。


 大きな荷物は車両へ運び終えており、残っているのは各自が持って出るものだけだった。

 現地側から出発前の最終確認が来るまで少し時間があり、マティアスとヨナスは窓際の席で話し、リヒターは飲み物を入れ直している。カイルも急いで作業へ戻る必要がない状態だった。

 エレジが席につくと、カイルが呼び出しについて尋ねた。エレジは隠す必要があるとは考えなかった。


「兄についてでした。刑務所内で死んだと」


 四人の意識が一斉にエレジへ向いた。

 マティアスは驚いた様子で、ヨナスも手元に持っていたカップを置き、リヒターは向かいの席へ戻った。


「……エレジは知らなかったの?」


「はい」


「いつなのかは言ってたか」


「六月二十二日です、今年の」


 エレジはその後もリュウから聞いた内容をそのまま伝えた。


「母については、今どうしてるかは分からなかったと言っていました」


 リヒターはエレジの様子を見たうえで、以前の兄との関係ではなく、今の状態だけを確かめた。


「一人でいたいとか、今日は少し時間が欲しいとかはある?」


「いえ。大丈夫です」


「兄とは連絡を取っていませんでした。会いたいと思っていた人でもないので」


 それ以上を説明しなくても、四人は聞かなかった。兄を亡くしたという言葉だけから、エレジが悲しんでいるはずだと決めつける者もいなかった。


 話がそこで収まると、リヒターは入れたばかりの飲み物をエレジの分も用意し、ヨナスは出発時刻までに端末を一台返却しなければならないことを思い出して確認を始めた。

 マティアスも車両の鍵を誰が受け取るのかカイルへ聞き、共有スペースは少しずつ出発前の話へ戻っていった。


 エレジも渡されたカップを受け取り、そのまま四人と一緒に残った。


     *


 リュウから連絡を受けたカイルは、出発前の確認をマティアスへ任せて一人でリュウの部屋を訪ねた。


 部屋ではすでに荷造りが終わりかけていた。衣類や私物はまとめられ、机の上にはまだ返していない端末と数枚の書類だけが残っている。

 リュウはカイルを中へ通すと、朝から話すつもりだった内容を先に説明した。


「ヴァイスには、兄が死亡してたことまで話した」


「聞きました」


「そうか。ただ死因の方で少し気になることがあって、追加で確認してる」


「何か不自然だったんですか」


 リュウは端末を開き、前夜に確認した兄の記録を表示した。


「死亡直前まで、長期治療を受けてた記録がない。重い持病を継続して管理されてた形跡も、私が見られる範囲には出てこなかった。それで六月二十二日に死亡してる」


 カイルは表示された記録を読みながら、リュウが確認できる範囲を見た。収監期間と施設名、死亡日までは通常の照会で確認できる一方、死亡に至った経緯は別の記録へ分けられている。


「刑務所なら、医療記録や内部記録の権限が別になっていてもおかしくないでしょう」


「ああ。開けないこと自体はおかしくない。急病なら直前まで治療記録がなくてもあり得るし、事故ならそれ以前の医療記録は関係ない」


 カイルはリュウの様子からある考えに行きつき目を細めた。


「……誰かが関わった可能性を考えているんですか」


「確認するつもりではいる。収監中に何かがあって、誰かによって死亡させられた可能性も含めてな。ただ、今の記録だけでそうだったとは言えない」


「追加の照会で何か出たら、先に少佐には話しておこうと思った。今のあの子のそばにいるのは、あんたたちだからな」


「分かりました。確認が取れたら教えてください」


「ああ」


「一つ聞いていいですか」


「何だ」


「そもそも、なぜ家族を調べたんですか」


「久しぶりに会ったら、母親とも兄とも連絡を取ってないと言うからな。今どうしてるのか気になった」


「それだけで照会までしますか」


「昔から、あの家のことは気になってた。軍へ来てたとき、多少の事情は調べて把握してたからな。家族のことも自分から話さなかったし、私も必要以上には聞かなかったが」


 リュウはそれ以上、家族について昔何を知っていたのかまでは話さなかった。カイルも、この場でさらに聞いて答えが増えるとは思わず、そこで話を切った。


 話を終えると、リュウは兄の記録を閉じ、机の上に残していた書類を端末ケースへ入れた。廊下では出発準備を終えた隊員たちが荷物を運ぶ音がし始めており、カイルも自分たちの車両へ戻るため部屋を出た。



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