↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:任務

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

140/187

旧道


 翌朝、五人は前日に到達した地点まで旧道を戻り、そこから谷側へ続く搬出路をさらに進んだ。


 雨は降っていなかったが、地面は昨日より乾き、土に残る痕跡は拾いにくくなっていた。それでも古い道筋はまだ辿れる。リヒターが先頭で新しい通過痕を探し、エレジは旧図と地形を照合しながら、前日に確認した作業区画を目指した。


「このままなら、作業区画まであと一キロちょっとです」


「分岐は?」


「旧図ではありません」


 谷が深くなるにつれて通信状況も悪化した。ヨナスが前日に受け取った失踪者の端末記録と照合すると、最後の位置更新はこの周辺で、そのあとに一度だけ送信を試した形跡が残っていた。


「完了はしてません。内容も残ってないので、何を送ろうとしたかまでは分からないです」


 エレジは時刻と位置だけを地図へ加えた。通信を試した理由については、今の段階で決められる材料がなかった。


 その先では、通過してきた人物が一度長く止まったらしい場所が見つかった。切り株の周囲に足跡が重なり、そこから先では歩幅が乱れ、斜面側の枝や木へ身体を預けたような跡も続いている。


「ここから歩き方が変わってる。片側を庇ってる可能性はあるわね」


「負傷ですか?」


「疲労でも似た形にはなる。今分かるのは、ここから安定して歩けなくなってることまでね」


 失踪者本人の痕跡とはまだ確定できなかったが、前日まで追ってきた人物の状態に変化があった可能性は高かった。


 さらに進むと、木々の間に錆びた支柱やコンクリートの基礎が現れ、旧作業区画へ入ったことが分かった。そこでリヒターは、それまで追ってきたものとは違う靴底痕を見つけた。


「別の人間だと思う。底の幅と踵の形が違う」


「どこから来た」


「斜面上からこの道へ入ってる。この辺りから先には両方あるわ」


 二人が一緒に進んだのか、片方がもう一人を追っていたのかまでは分からない。ただ、ここから先を一人分の移動として見ることはできなくなった。


「二人分の可能性を前提に見る。関係はまだ決めるな」


 旧作業区画を抜ける頃には、最初から追っていた側の歩行の乱れはさらに大きくなっていた。木へ身体を預けた跡や、片膝をついたような深い跡もあり、枝には新しい灰色の繊維が残っている。一方、もう一人分の痕跡は比較的安定したまま同じ方向へ続いていた。


 エレジは旧図を確認した。現在の地形図では作業区画の先に何もないが、古い図面には西へ延びる短い道と、その先に管理用の小屋が記されている。


「ここから三百メートルくらい先に、管理用の小屋があります。今の地図には載ってません」


「道は残ってるか?」


 西側を見ると、林の中に古い道床らしい緩い幅が続いていた。二種類の痕跡もその方向へ入っている。


 別の人間が現在も周囲にいる可能性があるため、カイルはそこで隊形を変えた。

 リヒターを先頭に、マティアスを少し前へ出し、ヨナスを中央へ置く。エレジも地図だけでなく周囲を確認できる位置へ移り、それまでの追跡から、未知の相手がいることを前提にした接近へ切り替えた。


 二百メートルほど進んだところで、木々の間に古い屋根が見えた。さらに近づくと、黒ずんだ外壁を持つ低い木造の建物が斜面の奥に残っている。屋根の端は一部崩れていたが、建物そのものはまだ使える形を保っていた。


「旧図の小屋だと思います」


 小屋の前には新しい足跡が残っていた。扉へ向かったものだけでなく、建物の脇へ回った痕跡もあり、少なくとも最近ここへ来た人間がいることは分かった。


 リヒターが周囲を確認した結果、誰かが中へ入った形跡があり、もう一人は建物の側面にも回った可能性が高かった。ただし、その人物が今も残っているかまでは外から判断できない。


「ファルク、通信」


「この位置だと通常回線はほぼ駄目です。短距離は問題ありません」


「ロート、右。リヒターは左を見る。ヴァイスは俺と入口」


 配置が整うまで誰も扉へ近づかなかった。窓のガラスは一部が割れていたが、内部は暗く、外から人影を確認できるほどではない。建物の裏へ回ったリヒターからも、すぐに異常を示す連絡はなかった。


 カイルは入口から距離を取ったまま、中にいる人間が軍の捜索を敵対行動と誤認しないよう、はっきり届く声量で呼びかけた。


「北方軍だ。中に人がいるなら返事をしろ」


 返答はなかったが、それだけで無人とは判断しなかった。もう一度、今度は捜索班であることまで伝える。


「捜索に来た。中にいるなら応答しろ」


 建物の奥から、何か重いものが床を擦るような短い音が返った。そのあとに小さな咳が続いたことで、エレジは風や建物の軋みではなく、人が中にいると判断した。


「扉を開ける。中にいる人間は動くな。武器があるなら手を触れるな」


 今度は、掠れた人の声が返ってきた。


「……軍?」


「そうだ。捜索班だ」


 少し時間を置いてから、同じ声が言った。


「一人……入ってくれ」


 誰が中にいるかも、もう一人分の痕跡がどこへ続いたかも分からない状態で、その要求に従う理由はなかった。


「こちらは五人いる。入口を開ける。動けるか」


「……無理だ」


 声は床に近い位置から聞こえていた。カイルはエレジと入口周辺の死角を確認し、外の三人との位置関係も崩れていないことを確かめてから扉へ手をかけた。


 古い蝶番が重く抵抗したが、鍵は掛かっていなかった。扉を少しずつ開くと、湿った木材と古い埃の匂いが外へ流れ出し、窓から入るわずかな光の中に、壁際へ座り込んでいる人影が見えた。


 三十代ほどの男が、古い棚にもたれるようにして右足を伸ばしている。衣服は泥で汚れ、片方のズボンの膝から下には乾いた汚れが広がっていた。手元には携帯端末が落ちていたが、すぐにそれへ手を伸ばす様子はない。


 カイルは事前に共有されていた写真と顔を照合した。


「名前を言えるか」


 男が答えた名前は、五日前から行方が分からなくなっていた人物のものだった。


 ここまで追ってきた移動痕の少なくとも一部が、失踪者本人のものだった可能性はかなり高くなった。ただし、小屋の外には別人と思われる痕跡が残っている。


「リヒター大尉、お願いします」


 入口の安全をカイルとエレジが維持したまま、リヒターが男の状態を確認した。意識は清明だったが、右足首から下腿にかけて腫れがあり、脱水も進んでいる。すぐに歩かせられる状態ではなく、まず処置と水分の確保が必要だった。


「いつ怪我したの?」


「……車を置いた日の、夕方」


「頭は打った?」


「たぶん、打ってない」


「他に痛むところは」


「肩。あと、足」


 質問には答えられているものの、男は何度も入口の方を気にしていた。救助が来たことで外を確認しているだけとも考えられたが、視線の向きと回数を見ていると、それだけではない可能性もあった。


 カイルも同じ様子を見ていたらしく、治療を妨げない範囲で確認した。


「ここへ一人で来たのか」


 男はすぐには答えなかった。リヒターが処置を続けている以上、痛みや疲労で返答が遅れている可能性もあるため、カイルも急かさなかった。


「最初は……一人だった」


 その答えによって、外で見つけたもう一つの痕跡が、単なる別の通行者ではない可能性を持ち始めた。


「途中で誰かと会ったか?」


「ああ」


「誰だ」


 男の呼吸が少し変わった。痛みだけで説明できる反応かは分からなかったが、エレジはその変化を見て、入口の外へも意識を向けた。


「知らない」


「今どこにいる」


「分からない」


 男はそこで言葉を止め、カイルではなく開いた扉の向こうを見た。外にいる何かを警戒しているように見える反応だったが、その対象まではまだ分からない。


「……まだ、いるかもしれない」


 その言葉が出たことで、五人が小屋へ到達した時点より警戒すべき範囲が広がった。失踪者を見つけたからといって、周囲の安全が確保されたわけではない。


 カイルはそれ以上の聞き取りを続けず、マティアスとヨナスへ周辺の再確認を指示した。リヒターは男の処置を続け、エレジも入口側で外と室内の両方を見られる位置を取った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。