リュウ
食堂の入口に立っていた男を見たまま、エレジはすぐには言葉を出せなかった。
最後に会ってから何年も経っている。黒髪には白いものが増え、顔にも以前より年齢が出ていたが、十六歳で軍へ入った頃から何度も見てきた顔を間違えることはなかった。
「ヴァイス、久しぶりだな」
その呼び方も、声も変わっていなかった。
「……ご無沙汰しています、シュナイダー中佐」
返した自分の声が、さっきまでマティアスたちと話していた時より硬いことはエレジにも分かった。久しぶりだから緊張したというだけではなく、リュウの前にいると、今の部隊に来るよりずっと前の自分まで一緒に思い出す。
「中尉になったんだな」
「はい」
「聞いてはいたが、なってから直接会うのは初めてだ」
リュウが卓にいる四人へ意識を向けたことで、エレジもまだ紹介していなかったことに気づいた。
「今、一緒に任務をしている方たちです。こちらがグレイ少佐、リヒター大尉、ファルク大尉、ロート少尉です」
「リュウ・シュナイダー中佐だ。ヴァイスが入隊した頃から四年ほど、同じ部隊にいた」
「グレイです」
「名前は聞いています」
「そうですか」
「北部で特殊任務班をまとめている少佐がいると聞けば、多少は入ってくる」
それ以上の意味を持たせる様子もなく、リュウはカイルとの挨拶を終え、リヒターたちとも順に言葉を交わした。エレジに対してだけ昔と同じ調子なのが、かえって時間が戻ったように感じられた。
「今日ここへ入った。お前がいるとは知らなかった」
「私も、中佐が来るとは聞いてませんでした」
「今回はこの辺りの部隊との調整だ。あと三日ほどはいる」
「そうなんですね」
話している内容は普通だった。偶然同じ基地に滞在し、久しぶりに会った。それだけなのに、エレジの中にはさっきまでなかった緊張が残っていた。
リュウは昔から、必要以上に人の事情へ踏み込む人ではなかった。それでも、自分の過去を知っている人間が今の四人の前にいると、何をどこまで知られているのかではなく、どこまで昔の話が出るのかを先に考えてしまう。
「母親は元気か」
予想していなかった質問ではなかったが、エレジはすぐには答えられなかった。
「……分かりません。今は連絡を取っていません」
「そうか……兄の方は?」
「そちらも、連絡は取っていません」
リュウはそこで家族の話を切った。
そのことが分かっただけで、エレジの身体に残っていた緊張が少し下がった。
「中佐はお元気でしたか」
「ああ。見ての通りだ」
リュウの目元が少し柔らかくなった。
「元気そうでよかった」
その言い方には再会するまでの時間まで含まれているのがわかる。
「……はい」
「まだ用が残ってる。明日もいるから、また会うだろ」
「はい」
「じゃあな、ヴァイス」
「お疲れさまです」
リュウが食堂を出ていったあとになって、エレジは自分がずっと姿勢を固くしていたことに気づいた。嫌だったわけではない。会いたくなかったとも思わない。
ただ、昔の自分を知る人間と今の四人が同じ場所にいたことで、自分の中では離れていた時期が急に繋がったような感覚が残っていた。
「中尉、あの人とは長かったんですか」
「四年くらいです。私が入隊した頃からいました」
「十六の頃から?」
「はい」
「ずっと直属?」
「ずっとではないです。でも、同じところにはいました」
マティアスがそこで家族の話へ戻らなかったことで、エレジは少しだけ安心した。
「当時から将校だったんですか」
「はい。私が入った頃には、もう大尉だったと思います。そのあと少佐になりました」
ヨナスの質問を受けて、カイルも当時の立場を整理した。
「十六歳の新兵と、すでに大尉だった将校か。かなり立場が違うな」
「そうですね。でも、訓練だけを見る人ではなかったです。任務にも出てましたし、部隊全体を見る側でした」
「中尉のこともよく知ってる感じでしたね」
リヒターに言われ、エレジは何を基準に答えるべきか少し考えた。
「たぶん、知ってる方だと思います。四年いましたから」
「十六の頃からずっと見てたなら、そうなるか」
「はい」
家族のことを知られているのも、エレジには特別不思議ではなかった。当時の部隊では、自分の家庭事情もある程度は把握されていたし、リュウはその頃から自分を知っている。
「……昔のことなので、今はあまり話したくはないです」
「分かった」
カイルがそこで話を止めたことで、他の三人も質問を重ねなかった。その反応に安心した一方で、さっきまでの食堂の空気へそのまま戻る気にはなれず、エレジはカップに残っていた飲み物を飲み切った。
「私、先に部屋に戻ります」
「ああ。休め」
「おやすみなさい」
「おやすみ、中尉」
マティアスたちにも声をかけて食堂を出る。十六歳から二十歳までの四年間を忘れていたわけではない。ただ、北へ来てからは自分から思い返すことが減っていた。
部屋へ戻るまでの間、エレジは何も考えないようにしていた。今まで連絡を取らずにいた相手について、この夜だけ急に考え始める理由を作りたくなかった。
*
エレジが食堂を出たあと、残った四人の間では、さっきまで本人がいた時には触れなかった部分が自然に話題になった。
「中尉、あの人の前だと全然違いましたね」
「そうね。嫌ってるという感じではなかったけど、普段よりずっと言葉が短かったわ」
「昔の上官なら、多少はそうなるんじゃないですか」
「それはあると思います」
ヨナスの言葉に、リヒターも異論はなかった。エレジはリュウを怖がってはいなかったし、警戒していたとも少し違う。
ただ、普段なら続けるようなところで会話を閉じ、自分から余計な話をしなくなっていた。
気になったのは、その態度だけではなかった。
「シュナイダー中佐、中尉が入隊した頃にはもう大尉だったのよね」
「はい」
「十六歳の新兵に対して、すでに将校だった。訓練だけを見る人でもなく、部隊全体を見る側だったなら、かなり立場は違うわね」
「気になります?」
「少しだけ。中尉が十六の頃から見てた人みたいだから」
「調べますか」
「今はいいわ。昔の上官だったってだけなら、調べる理由がないもの」
「本人が話したくなれば聞けばいい。それまではいい」
「兄のことも?」
「分かってるなら聞くな」
「聞きませんよ」
マティアスが最初からそのつもりだったことは、エレジがいた時に一度も家族の話へ戻らなかったことで十分分かっていた。
リヒターが気になっているのは、家族の話そのものではなく、十六歳の頃からエレジをよく見ていたらしいことだった。
特別な意味があるとは決められない。四年間同じ部隊にいて、若い頃から知っている相手なら、それ自体はおかしくなかった。
「でも、あの人、中尉のことよく見てたのね」
「四年一緒なら、そういうこともある」
「そうね」
リヒターもそれ以上の意味をつけるつもりはなかった。ただ、エレジの昔をここまで知っている人物と再会したことは、明日以降もしばらく覚えておいた方がいいとは思っていた。




