山道の痕跡
翌朝、雨は上がっていた。雲はまだ低く残っていたが、昨日ほど風は強くない。地面には雨の跡が残り、施設の外へ出ると、湿った土の匂いがはっきりした。
第二作戦室では、ヨナスが夜間の記録を確認していた。
「三番、今朝は正常です」
端末には、前日まで出ていた欠落が今のところ見当たらなかった。
「欠落なし?」
「今のところは」
「なら後回しだ。今日は五番を見る」
昨日までなら、故障の可能性がある三番を優先してもおかしくなかった。
だが、今は正常に動いている五番が、これまでほとんど反応のなかった山道側で二回動きを拾っている。原因が分からないものとしては、そちらの方が優先度が高かった。
現地へ向かうのは、カイル、エレジ、リヒター、マティアスの四人。ヨナスは施設へ残り、センサーと通信記録を見ながら連絡を取ることになった。
山道へ入ると、昨日の雨で土が柔らかくなっていた。五番センサーの近くまで来ると、リヒターは機材そのものだけでなく、周囲に残っている変化まで含めて確認した。
「ここね」
センサーそのものには異常がない。固定も緩んでおらず、外から触られた形跡も見えなかったため、見るべきなのはその周囲だった。
エレジには最初、何が違うのか分からなかった。雨で草は全体的に倒れ、土の表面も崩れているため、そこから人の通った跡だけを見つけるのは難しい。
リヒターはセンサーから少し離れた斜面側まで範囲を広げ、周囲と同じ崩れ方ではない場所を見つけた。
「ここ、何か通ってる」
一部の草が同じ方向へ倒れ、泥の表面が浅く崩れている。ただ、靴底の形までは残っていなかった。
「人ですか」
「まだ分からないわ。動物でもこうなる場所はある」
少し先を見ていたマティアスは、細い枝が一本折れている場所も見つけた。
「こっちは?」
高さはエレジの腰より少し上くらいだった。リヒターはそこからさらに数メートル先まで確認し、斜面の土が一度踏まれたように削れている箇所まで見つけた。
それにより、単独の変化として片づけるより人が通った可能性を考える材料の方が増えた。
「一つなら何とも言えないけど、人の可能性は高いと思う」
「人数は?」
「分からない。重なってるかもしれないし、一人が何度か動いた可能性もある」
エレジは地図を開き、五番の位置と痕跡の向きを合わせた。
「ここをそのまま抜けたなら、東側へ行くはずですよね」
「普通に通るだけならね。でも、一直線じゃない」
「迷ったんでしょうか」
「それもあるわ。周りを確認しながら動いた可能性もある。ただ、何を見てたかまでは分からない」
少し戻ったような跡もあり、道を失って周囲を見た可能性も、別の何かを探した可能性も残る。
今ある痕跡から判断できるのはそこまでだったため、カイルは目的まで推測する必要はないと判断した。
「記録だけ取る。主観測点へ移る」
*
午前中は特に大きな変化はなく、道路を通る車両も、山道を使う人間も、これまで一週間で見た範囲から外れていなかった。
エレジは主観測点からいつもの範囲を追い、時間と方向を記録した。
昼を過ぎた頃、遠くの斜面に動くものが見えた。最初は木の間に隠れていたため人数までは分からず、エレジは双眼鏡を固定してもう一度確認した。
「人影があります」
「何人だ」
「二……三。距離があるので確定できません」
「位置」
エレジは地図上で確認した位置を示した。
「西側斜面。道路じゃないです。東へ進んでます」
リヒターも同じ斜面を確認したが、三人に見える時もあれば、木の重なりで二人にしか見えなかった。
「移動速度、一定じゃないです」
一人が先に進み、残りが少し遅れて動く。全員が同じ速さで目的地へ向かっているようには見えず、エレジが追っている間にも、その間隔は何度か変わった。
「止まりました」
斜面の途中で人影が一度止まり、そのまま少し位置を変えてからまた進んだため、リヒターには単純な通過とは違って見えた。
「通過だけなら、あそこで止まる理由は少ないわね」
「何か探してるんでしょうか」
「可能性はある。でも、何を見てるかは分からない」
数分後、人影は木立の向こうへ消えたため、エレジは確認できた位置と時刻だけを記録した。その少し後、ヨナスから通信量が増えているという連絡が入った。
「どのくらいだ」
「短い送信が連続してます。内容までは取れません。ただ、この時間帯としては多いです」
「人影との関連は?」
「分かりません。時間が近いだけです」
エレジがこれまでの記録と比べると、一週間前なら判断できなかった違いが見えるようになっていた。
「この時間帯、普段はもっと少なかったですよね」
「はい。少なくとも過去六日では、ここまで続いてません」
通信量が普段より多いことと、斜面の人影が関係しているかは別の話だったため、カイルは二つを分けて残すよう指示した。
「別で持て。まだ結びつけるな」
「了解です」
その後も午後の観測を続けたが、この時点では二つの変化を結びつける材料は増えなかった。
*
一時間ほどして、エレジは別の方向にもう一つ人影を見つけた。
「一人、います」
「さっきの位置から?」
「違います。もっと南です」
距離は先ほどより近い。ただ、主観測点へ向かっているようには見えず、斜面を横切りながら途中で何度か周囲を確認するように止まっている。
「同じ人かは分からないわね」
「服装も遠くて見えません」
今の位置からでは、それ以上同一人物かどうかを判断できなかった。広い範囲を別方向から確認する必要があると判断したカイルは、一か所目の高所を短時間だけ使うことにした。
「ロート、高所へ上がれ。広い範囲を見ろ。長居はするな」
「了解」
一か所目の高所は常設には向かなかったが、短時間だけ広範囲を見るには使える。しばらくして、マティアスから見えている人数と位置が入った。
「こっちから二人見えます」
「位置」
「北東斜面。最初に見た集団と同じかは分かりません。距離あります」
「もう一人は?」
「見えません」
消えたのか、別の場所へ移ったのか、それとも最初から二人だったのかは確定できない。人数を確かめるためだけに高所へ残っても、そこで得られる情報には限界があった。
「追うな。位置だけ残して戻れ」
「了解」
今日必要な情報はすでに十分取れており、これ以上残っても得られるものが増えるとは限らないため、カイルはその日の観測を予定より少し早く切り上げた。
危険が迫ったから撤収するのではなく、残る理由がなくなったから戻るという判断だった。
*
施設へ戻ると、五人は第二作戦室へ集まった。
エレジは目視記録を地図へ重ね、ヨナスは通信とセンサー記録を並べた。前夜、山道側の五番が二回反応しており、その近くには人が通った可能性の高い痕跡があった。
今日の昼には、これまでほとんど人を見ていない斜面で二人か三人を確認し、その動きは一定方向へただ通過するものとは少し違っていた。
近い時間帯に通信量も増えている。その後、別の場所で一人を確認し、高所からは別方向に二人が見えている。数だけをつなげれば同じ人間だと考えることもできるが、その根拠はなかった。
「同じ人間かどうかは分からないです。最初の三人のうち二人が移動した可能性もありますし、別の人かもしれません」
ヨナスも通信記録について、目視情報とは分けたまま説明した。
「通信も同じです。人影と関係してるとは言えません。ただ、この時間帯の送信は過去六日より明らかに多いです」
「山道側で人を見たのも、今日が初めてです。少なくとも、あの斜面では」
リヒターも、単なる通過とは違って見えた理由を動き方から説明した。
「歩き方も違うわ。移動するだけなら、あんなに止まらない。何かを確認しながら進んでいた可能性は高いと思う」
「こちらを?」
「そこまでは言えない。別のものを見てたかもしれないもの」
全員の記録を合わせても目的までは判断できず、最初の一週間で見てきた時間帯、経路、人の動きから今日のものだけが少し外れていることまでしか言えなかった。
「何をしているかは分からない。ただ、これまでと同じではない」
異常だと断定する材料はないが、違いそのものは記録できる。エレジにも、カイルが事実として扱える範囲だけを切り分けていることが分かった。
「明日は観測を続ける。ただし条件を変える」
カイルは翌日も見る場所を維持する一方で、どこまで近づかれたら残らないかを先に決めていった。
「主観測点は維持。補助は必要な時間だけ。高所も短時間だけ使う」
「機材は?」
「回収順を決めておけ」
その指示から、ヨナスにも翌日は撤収できる状態で観測するのだと分かった。
「撤収を想定しますか」
「ああ」
カイルは地図上の山道側から、主観測点へ入る二つの経路とその手前の区間までを示した。
「今日より一段こちらへ寄る動きが出たら、主観測点を捨てる。確認のためには残らない」
「どこまでを一段と見ます?」
「この範囲だ。山道側からここへ入った場合、こちらの位置を知っているかどうかに関係なく撤収する」
「センサーは全部取りますか」
「取れるものだけだ。回収で接触の可能性が上がるなら置いていく」
「遠隔で止められるものは止めます」
エレジは地図に示された撤収線を見ながら、今の状況について一つだけ確認した。
「まだ、私たちを探してるとは分からないですよね」
「分からない。だから、探していると決める必要はない。ただ、こちらへ寄ってから初めて撤収を考えるのでは遅い」
「探してるかどうかを確かめるために、近くまで来させる必要はないわ」
以前なら、自分がここにいることで四人を巻き込んでいるのではないかという考えが、全く浮かばなかったわけではない。
ただ、今分かっていることはそこまでではなかった。今日見た人間が自分と関係している証拠はなく、カイルたちも誰かが自分たちを探しているとは決めていない。
なら、浮かんだ可能性だけを理由に、自分について何かを決める必要もなかった。
*
夜、翌日の装備を整えていると、エレジはいつもより荷物が少ないことに気づいた。
「予備、減らすんですか」
「ああ。長く残る前提では組まない」
「明日は、観測する準備より戻る準備の方が多いですね」
「戻る準備をした上で見る」
これまでの任務では、接触してから退路を作ったこともあったが、今回は何かが近づいている可能性があるからこそ、接触する前にいつでも離れられる状態を作っている。
まだ誰とも接触していないうちから帰る条件が決まっているため、エレジはその条件と自分の装備をもう一度照らし合わせ、翌日は確認のために残らないことまで含めて準備を整えた。




