行かない
翌朝、フェルゼンの天気は予報どおり崩れていた。施設の周囲では雨に近かったが、山側へ入るほど気温が下がり、みぞれになる可能性があるという。風も朝から強く、午後にはさらに悪化する予報が出ていた。
第二作戦室では、ヨナスが夜間の記録を確認していた。
「三番、また抜けてます」
表示された時間を確認すると、前日より短いものの、同じセンサーで二度目の欠落が起きていた。
「どのくらいだ」
「今回は六分です。昨日の十二分より短いですけど、二回目なので、偶発的な一回とは考えにくくなりました」
「その後は?」
「正常です。電源自体が落ちた感じではないです」
欠落の前後には通常どおりデータが残っていて、他のセンサーには同じ時間の異常がない。エレジにも、三番だけに起きている問題だというところまでは分かった。
「本体ですか」
「まだ分かりません。通信部分だけ一時的に落ちてる可能性もありますし、接続の問題かもしれないです」
「現地で見れば分かるか」
「かなり絞れます」
現地へ行けば原因を確認できることは分かったが、カイルが判断しようとしているのは修理できるかどうかではなかった。
「今日、見る必要はあるか」
ヨナスは、直せるかではなく、今日確認する必要性そのものを問われていることに気づいた。
「直せるかどうかじゃなくてですか」
「ああ」
エレジは地図を開いた。三番のセンサーは主観測点の外側、道路へ入る動きを拾うために置いてある。そこが完全に使えなくなったとしても、主観測点から見える範囲と、別のセンサーで一部は補える。
「今日だけなら、なくてもかなり補えます」
「どこが抜ける」
エレジは三番がなくなった場合に直接拾えなくなる区間を示した。
「この区間です。ただ、ここを通ったものが北へ進めば主観測点から見える可能性があります。南へ戻れば、別のセンサーにもかかります」
「完全に穴が空くわけではないです」
リヒターが確認していたのは、機材そのものより観測点までの経路だった。
「三番まで行くなら、途中の斜面が一番面倒ね。今でも行けないことはないけど、午後から風が強くなるなら、戻る頃には条件が変わるかもしれない」
「周囲は見られるんですか?」
「普段より落ちるわ。風で音が取りにくいし、雨が入れば足元も悪くなる。誰かが近づいても気づけないとは言わないけど、条件は確実に悪い」
マティアスも車両からの距離と、現地で必要になる荷物を合わせて考えた。
「交換部品まで持ってくなら、いつもより荷物増えます。往復も時間かかりますね」
全員が動けないほど疲れているわけではなかった。ただ、マティアスは夜間観測を終えたばかりで、ヨナスもセンサーの記録を追って睡眠が短い。
エレジも前日の勤務が遅く、カイルは朝から現地側との調整を続けていた。リヒターだけが比較的まとまって休めている。
「行けば確認できます」
「それは分かった。今日確認する必要は?」
同じ問いを向けられ、ヨナスも今度はすぐには答えられなかった。故障している可能性がある機材を、そのままにしておきたいとは思わない。原因が分かるなら確かめたいし、直せるなら直したい。
しかし、それは自分がそうしたいという話だった。今日の観測を成立させるために必要かどうかで考えれば、答えは別になる。
「……ないです」
「理由は」
「他で補えます。完全停止でもないですし、今日の観測に必要な情報が全部失われるわけじゃないです。天候が悪い中で行くほどではないと思います」
「なら行かない。三番は監視だけ続けろ。完全に落ちても、今日はそのままでいい」
「了解です」
自分でも今日確認する必要はないと判断してしまえば、ヨナスにも直しに行けないことへの不満は残らなかった。
*
その日は観測の組み方も変えた。主観測点へ人を置く時間を短くし、天候が最も悪くなる午後は早めに引き上げる。補助観測点は最低限だけ使い、施設側のセンサー記録で補う。
監視するために来ているからといって、悪条件の中で同じ量を見続ける必要はない。
午前の引き継ぎを終えた頃、マティアスは第二作戦室の端にある椅子へ座った。
「飯まで十五分だけ寝ます」
腕を組んだまま目を閉じたが、十五分を過ぎても起きなかった。夜間勤務中の判断が鈍っていたわけではなく、戻ってから必要な記録も渡しているため、今は急いで起こす理由がなかった。
「起こした方がいい?」
「急ぎじゃない。寝かせろ。食事は後で取れる」
リヒターにも異論はなく、必要な仕事を終えたあとなら今は休ませる方がいいと考え、毛布を一枚肩へ掛けた。
ヨナスも午前中は作戦室に残っていたが、センサー三番についてエレジへ説明している途中で、同じことを二度言った。
「三番は、本体側か通信側かまだ分からなくて――」
「それ、さっき聞きました」
「言いました?」
「はい。同じところまで」
自分でも記憶を辿ってみると、同じ説明をした感覚が戻ってきた。
「……言った気がしてきました」
「寝た方がいいんじゃないですか」
「まだ記録が」
「私がやります」
「中尉も昨日遅かったですよね」
「でも大尉より寝てます」
リヒターも、今日は残っている人間だけで記録を処理できると見ていた。
「今日は人が足りてるんだから休みなさい」
ヨナスは反論しようとしたが、カイルまで同じ判断だったため、今ここに残る理由はないと認めるしかなかった。
「一時間だけ寝ます」
「二時間でもいいわよ」
「そこまでは寝ません」
そう言って部屋を出ていったが、戻ってきたのは二時間近く経ってからだった。
その間、エレジとリヒターが並んで記録を整理した。
「リヒター大尉は寝てますか」
「あなたに言われるほどじゃないわ」
「私は昨日、少佐の部屋で少し寝ました」
その答えは予想していなかったらしく、リヒターは単に休んだという意味なのかを確かめた。
「そうなの?」
「はい。話したかったんですけど、途中で眠くなって」
「それで寝たのね」
「少佐が起こさなかったので」
「少佐らしいわね」
エレジはその言い方に少し笑った。
「リヒター大尉は?」
「私は今のところ寝てるわよ。昨日もちゃんと」
「よかったです」
「まだ心配してた?」
「少し」
その心配を嫌だとは思わなかったため、リヒターも今の状態を曖昧にせず答えた。
「もう大丈夫。少なくとも、今ここでやってることに集中できないほどじゃないわ」
フェルゼンへ来てからのリヒターは、ハシュヴァルトの話を繰り返すこともなく、任務や現地の人間との会話へ普通に戻っている。忘れたわけではないだろうが、あの時の考えに引き戻され続けてもいないことは、エレジにも分かっていた。
「ならよかったです」
「あなたもね」
「何がですか」
「考えすぎてないでしょう」
エレジは、ハシュヴァルトに言われたことを思い出しても、以前のようにその先まで結論を追わなくなっている自分を確かめた。
「前よりは」
「それでいいわ」
今の状態を互いに確認できれば十分だったため、それ以上二人ともハシュヴァルトの話はしなかった。
*
午後、主観測点へ入ったのはエレジとリヒターだった。
出発した時点で風はかなり強くなっていたが、観測点までの経路そのものに危険はなかった。ただ、いつもなら遠くまで見える道路は雨と低い雲に遮られ、一部が白く霞んでいる。
「今日は見える範囲、かなり狭いですね」
「音も駄目ね」
風が枝を大きく揺らし、葉や雨の音が絶えず続いている。リヒターが周囲を確認しても、普段なら気づける小さな物音を、この状態で意味のある音として分けるのは難しかった。
エレジは双眼鏡を使いながら、見える範囲だけを記録した。
しばらくして、ヨナスから道路側のセンサーが一度反応したと通信が入り、エレジはすぐに該当範囲を探した。
「こちらからは確認できません」
「時間、残します」
「お願いします」
リヒターも道路側を確認したが、風の中から車両音や足音を分けることはできなかった。
「こっちも音は取れないわ」
何かが通ったのかもしれない。車両だった可能性もあるし、人や動物かもしれない。今ある情報ではそれ以上分けられないため、エレジは記録へ「反応あり、目視確認なし」とだけ書いた。
「何だったと思う?」
「分かりません」
「そうね」
悪天候だから見えなかった可能性が高いとしても、見えなかったものを車両だったことにはできないため、それ以上、二人とも意味は付けなかった。
一時間ほどすると、さらに視界が落ち、カイルから撤収指示が入った。
「今日はそこまでだ。戻れ」
「まだ観測はできます。ただし視界はかなり落ちてます」
「なら戻れ。これ以上は取れる情報より条件の悪化が早い」
「了解です」
リヒターも、現状では残る意味が薄いと判断し、必要な装備だけをまとめて撤収に移った。
帰り道は、来た時より地面が滑りやすくなっていた。施設側ではマティアスが車両を少し手前まで動かし、二人が余計な区間を歩かなくていいようにしていた。
「お疲れさまです」
「早かったわね」
「風もっと強くなるらしいですよ」
「戻って正解だったわ」
濡れた上着を脱ぎながらそう言ったリヒターと同じことを、エレジも考えていた。
*
夜、五人はその日の記録を合わせた。
センサー三番は午後にも短い欠落を一度出していた。完全には止まっていないが、状態が良くなったとも言えない。
「今日行かなくて正解でした。実際あの天気で三番まで行ってたら、確認して戻るだけでかなり時間取られてます」
「明日の朝まで待つ。天候は?」
ヨナスが表示した予報では、午前中はまだ風が残るものの、午後にはかなり落ちる見込みだった。
「回復傾向です。午前中はまだ風が残りますけど、午後にはかなり落ちます」
「なら、必要なら明日見る」
そこで記録整理は終わるはずだったが、別のセンサー一覧を確認していたヨナスが、三番とは異なる反応を見つけた。
「……こっちは三番じゃないです」
「どこですか」
「山道側の五番です。正常に動いてる方です」
反応は二回あり、一度目と二度目の間には十数分の差がある。
「同じ場所ですか」
「近いです。でも、一回目と二回目が同じ対象かは分かりません」
エレジが地図で確認すると、五番はこれまで一週間でほとんど反応していなかった山道側に置かれている。
「この道、人はあまり通ってませんでしたよね」
「巡回も少ないです」
リヒターにも、この天候と普段の通行量を合わせれば、普段とは違う可能性があることは分かった。
「この天気の中で、わざわざこっちを通った人がいる可能性はあるのね」
「動物の可能性もあります。二回とも反応の大きさは似てますけど、それだけじゃ判断できないです」
今の段階では対象を決められないため、カイルは翌日に現地を確認することにした。
「明日はここを見る」
故障している三番ではなく、正常に動いている五番で、天候が悪かった日にそれまでほとんど動きのなかった場所から二回反応が出た。
それが何だったのかはまだ分からないため、翌日はその反応を判断するために実際に見に行くことになった。




