一週間
フェルゼンへ来て一週間が経つ頃には、五人の生活は施設の時間に馴染み始めていた。
誰が何時に観測点へ出るかは日によって違い、朝に戻る者もいれば、昼から入る者もいる。食事も全員で揃う方が少なくなり、作戦室の机には、戻った者が残した記録が次の勤務者へ渡るように置かれていた。
エレジも、自分が寝ている間の記録を読むことに慣れていた。最初の頃は、自分で見ていないものを扱う時に一度立ち止まっていたが、今は誰が何を確認し、どこから先が確認できていないのかが書かれていれば、そのまま任務の情報として扱える。
その朝、夜間勤務から戻ったヨナスが、朝の引き継ぎで前日の記録を表示板へ出した。
「少しだけ今までと違うものがあります」
午前一時四十三分、道路側のセンサーが反応している。その五分後、補助観測点にいたマティアスが北へ進む車両を一台確認していた。さらに十分ほど後には、これまでにも記録されている帯域で短い通信が一度入っている。
「同じものですか」
「分かりません。時間は近いですけど、センサーに反応したものが車両だったかも確認できてません。通信もこの車両と関係してるとは言えないです」
マティアスも自分の記録を確認し、目視で分かった範囲だけを補足した。
「車両は普通の形でした。荷台なし。速度も特に変じゃなかったです。番号は取れませんでした」
エレジは三つの時刻を見比べた。以前なら、近い時間に起きたことだけで関係があるように感じたかもしれないが、今はそれぞれを同じ出来事として扱える根拠がないことの方が先に分かった。
「今までより遅い時間ですね」
「ああ。違う可能性があるものとして残す。ただし、今はそれだけだ。次に同じ時間帯と方向で重なるかを見る」
ヨナスは三つの記録を一つにはまとめず、関連未確認として並べた。五人も、それ以上の意味は付けなかった。
*
その日の午後、エレジは次の勤務まで一時間ほど空いた。
第二作戦室で午前の記録を整理していると、シュミットが紙の地図を持って入ってきた。
「前に言ってたやつ、持ってきました」
「古い道ですか」
「はい。今の地図だと途中で消えてるんですけど、昔は北側までつながってました」
机の空いているところへ地図を広げると、現在使われている道路とは別に、細い線が山の中を横切っていた。途中から印が薄くなり、現在の地図では道として扱われていない区間へ続いている。
「ここ、本当に通れるんですか」
「季節によります。雪解け直後は無理ですけど、夏に近くなると歩けます。巡回でもたまに使います」
「この斜面を越えるんですね」
「そうです。こっちから上がるより、反対側から入った方が楽です」
シュミットが示した経路を地形図と照らすと、等高線だけではかなり急に見える斜面の途中に、比較的緩いところがあることが分かった。
「地図だとここで終わってるように見えます」
「だから、初めて来た人は大体そっちへ行かないです」
「面白いですね」
「本当に好きなんですね、こういうの」
「はい。知らない場所の地図を見るの、好きです。実際に行って違うところがあると、もっと面白いです」
「休みの日も行くんですか」
「……場所によりますけど、行けるなら行きたいです」
シュミットはその答えを聞くと、地図の別の場所を示した。
「北側に展望路があるんです。任務で使うところじゃないですけど、天気がよければ結構遠くまで見えます」
「ここですか」
「はい。施設からそんなに遠くないです」
対象地域とは反対方向なので、今回の任務では行く理由がない。それでも、知らない場所としては十分に興味を引かれた。
「時間が空いたら案内できますよ」
「勤務が合えば見てみたいです」
「じゃあ、空いた時に声かけます」
エレジにとっては、知らない土地の話をしてくれる現地の人間が一人増えただけだった。シュミットが自分の担当範囲ではない場所まで話題にしている理由については、考えていなかった。
そのあと主観測点へ向かうため車両庫へ出ると、カイルが先に来ていた。
「何を見てた」
「シュミット中尉が古い道の地図を持ってきてくれました。今の地図だと途中でなくなってるんですけど、本当は北側まで続いてるそうです。季節によって通れるみたいで」
カイルは内容自体には普通に耳を傾けた。
「任務範囲に入るか」
「入りません。反対側です」
「なら今回使うことはないな」
「はい。でも面白かったです。それと、時間があったら展望路を案内してくれるそうです」
その言葉で、カイルにはシュミットが地図を見せるだけではなく、勤務外の時間までエレジと過ごそうとしていることが分かった。エレジ自身には、その意図がほとんど伝わっていないことも同時に分かる。
「行きたいのか」
「時間があれば。見たことない場所なので」
「そうか」
エレジが自分で誰とどこへ行くか決められることは、カイルも分かっている。
シュミットが彼女に関心を持っているとしても、それだけで止める理由にはならない。それでも、面白いとは思わなかった。
「少佐、何かありました?」
「いや、何もない。行くぞ」
理由を聞けるほどの変化ではなかったため、エレジもそれ以上は尋ねず、装備を持って車両へ乗った。
*
同じ日の夜、リヒターはマティアスとヨナスと一緒に遅い夕食を取っていた。三人とも勤務時間がずれていたため、同じ時間に食堂へ来られたのは数日ぶりだった。
「一週間なのに、もっといる気がします」
「毎日同じことしてるからじゃない?」
「同じではないです。時間帯も組み合わせも毎日違います」
「そこ真面目に訂正します?」
「事実なので」
リヒターが笑っているところへ、食事を持ったクルーガーが近くまで来た。
「ここ、いいですか」
「どうぞ」
空いている席へ座ると、最初は今日の外周について話した。北側の巡回線で倒木があり、翌朝までに処理する予定だという。
リヒターが観測地点への移動には影響しないことを確認すると、仕事として必要な話はそこで終わった。
「大尉たち、普段はどこにいるんですか」
「北部よ。ここからはかなり離れてるけど」
「任務終わったら、そのまま戻ります?」
「その予定」
「二週間ずっと仕事だけって、結構きついでしょう」
「あなたたちもここで勤務してるじゃない」
「俺たちは普段からいるんで」
そこまでの会話なら、ただの雑談として聞けた。けれど、次の質問でリヒターには意図が分かった。
「戻ったら、待ってる人とかいるんですか」
「恋人ってこと?」
「まあ、そうです」
「いないわ」
その答えを聞いたマティアスとヨナスにも、訂正するところはなかった。三人は関係を続けると決めているが、誰か一人と恋人になったわけではない。
それでも、自分たちの前で「いない」と言われると、二人とも思っていたよりその言葉が気になった。
「じゃあ、任務終わる前に一度、外で飲みません? 施設から少し行ったところに店があります。勤務合えばですけど」
「そうね。予定見てから」
「分かりました。また聞きます」
クルーガーはそこで食事へ戻り、しばらくして先に席を立った。
「大尉、行くんですか」
「何が?」
「今のです」
「まだ決めてないわよ」
ヨナスも単に予定の有無ではなく、リヒター自身がどう思っているのかを確かめた。
「行きたいんですか」
クルーガーと話すこと自体は嫌ではない。仕事もできるし、会話も楽だった。外へ飲みに行ったとしても、おそらく不快な時間にはならない。ただ、行きたいかと聞かれると違った。
「別に、行きたいわけじゃないわね」
「なら断るんですか」
「そうすると思う」
ヨナスはそこで終わらせず、もう一つ確かめた。
「俺たちがいるからですか」
「それも関係あるわ。今は、あなたたちと続けたいと思ってるから」
口にすると、ホテルで三人が決めたことより少し具体的になった。あの時は、続けたいかと聞かれて続けたいと答えた。
今は、自分とは無関係だった別の相手から誘われ、その上でどちらを選ぶか考えている。
「でも、あなたたちに言われたから断るわけじゃないわよ。私が今、そっちへ行きたいと思わないだけ」
「それならいいです」
「何が?」
「俺たちが止めてるみたいになるのは嫌なので」
「止められても、行きたければ行くわ」
「それは分かってます」
マティアスもリヒターが自分で決めることを前提にしていたからこそ聞いた。
「分かってるから、聞いただけです」
「気になったの?」
「そりゃ、多少は」
「あなたも?」
「気になります。ただ、行くなと言う理由はないと思ってます」
二人が自分を縛ろうとしていないことは、リヒターも最初から分かっていた。だからこそ、自分で選びたかった。
「じゃあ、断るわ」
そう言われたマティアスは、隠すほどでもないと思ったのか、そのまま嬉しさを認めた。
「嬉しいの?」
「それは、まあ」
「あなたも?」
「俺もです」
「素直ね」
「大尉が聞いたので」
リヒターも、二人が喜んでいることを嫌だとは思わず少し笑った。
*
一週間分の記録をまとめる作業は、その翌日の夜に行った。
ヨナスが通信記録を時刻ごとに並べ、エレジが車両と人員の目視記録を重ねた。
「夜間車両は、この時間帯に多いです」
ヨナスが示したのは二十三時から三時までの範囲だった。
「現地の過去記録よりは少し多く見えます。ただ、過去側の記録が毎日同じ条件じゃないので、増加とはまだ言えません」
エレジも自分の記録を確認した。
「人の移動は一週間で三回です。二回は現地の巡回と確認できてます。一回は確認できてません」
「動き方は?」
「観測点を探してるようには見えなかったわ。道を抜けただけだと思う。ただ、誰だったかまでは分からない」
「なら不明のまま残す」
マティアスは夜間車両の一覧を見て、ほかと比べても一件だけ条件が揃っていないことを確認した。
「この前の一時台のやつだけ、まだ浮いてますね」
「今のところ、同じ形はもう出てません」
「次に出たら比較できる」
カイルはその記録だけを別に残した。
「一週間で、通常の範囲はかなり見えた。ここからは、そこから外れるものを見る」
一週間前なら、夜中に車両が一台通っただけでも気になったかもしれない。
今は、どの時間帯なら普通に通るのか、どの道を現地兵が使うのか、通信がどの程度なら日常的なのかが少しずつ分かっている。
*
作業を終えて宿舎へ戻る途中、エレジは廊下でシュミットに会った。
「ヴァイス中尉、前の地図の続き見つかりました。明日持ってきます」
「本当ですか」
「昔の巡回記録も残ってました」
「見たいです」
「じゃあ、明日」
シュミットは嬉しそうに答えて、そのまま自室の方へ向かった。少し離れたところにいたカイルにも会話は聞こえており、エレジはそのまま彼のところへ近づいた。
「続きがあるそうです」
「聞こえた」
「昔の巡回記録もあるみたいです」
「ああ」
返事がいつもより短いことが続いたため、エレジは昼間から感じていた違和感をそのままにせず尋ねた。
「少佐、シュミット中尉のこと何か気になりますか」
カイルも、ここで誤魔化す必要はないと思った。
「お前に興味を持ってるようには見える」
「地図の話じゃなくてですか」
「たぶんな」
エレジにはその見方自体がなかったため少し驚いた。
「そうなんですか」
「気づいてなかったのか」
「はい」
カイルにとっては予想どおりの返答だった。
「だからどうしろとは言わない。話したいなら話せばいい」
「少佐は嫌ですか」
「好きではない」
「嫉妬ですか」
「ああ」
迷わず認められると、エレジは少し嬉しくなった。
「そうなんですね」
「嬉しそうだな」
「少し」
「そうか」
カイルが止めようとしないことも、嫌だと思っていることも、両方分かったため、エレジもそれ以上からかわなかった。
同じ夜、リヒターは食堂を出たところでクルーガーに声をかけられた。
「大尉、この前の話なんですけど」
「飲みに行く話?」
「はい。明後日なら俺、夜空いてます」
前に聞かれた時にはまだ決めていなかったが、今はもう答えが出ていた。
「ごめんなさい。行かないわ」
「予定入りました?」
「そういうわけじゃないけど、今はいいの」
クルーガーは少し残念そうにしたものの、それ以上理由を聞こうとはしなかった。
「分かりました。また気が変わったら言ってください」
「ええ」
近くを歩いていたマティアスとヨナスにも、その会話は聞こえていた。
リヒターが二人のところまで来ると、マティアスは先ほどの返答が自分たちの前で言ったものと変わっていないことを確認した。
「断ったんですね」
「そう言ったでしょう」
「いや、聞いただけです」
「嬉しそうね」
ヨナスも同じ気持ちらしく、隣で少し笑っていた。
一週間前には、三人とも自分たちの関係がこの先どうなるのか分からなかった。今も先のことまでは決まっていない。ただ、少なくとも今、リヒターは二人との関係を続ける方を自分で選んでいた。




