記録されない変化
翌朝、五人は前日に決めた主観測点へ向かった。車両で入れるところまで進み、そこから先は機材を分けて運ぶ。
昨日は通信状態と視界を確かめるための最低限しか持たなかったが、今日は実際に設置する分があるため、荷物はかなり増えていた。
エレジはヨナスと並んで、道路側へ置く予定のセンサー位置をもう一度確認した。机上では位置を決めていたが、実際に機材を置くとなると、昨日とは違うところが気になった。
「ここ、枝が結構動きますね」
「風が強くなると拾いすぎるかもしれません」
昨日は足元と道路までの距離を優先していたため、周囲の枝葉までは細かく見ていなかった。エレジは予定していた位置から少し奥へ目を向けた。
「少し先なら、道路の両側を拾えます」
道路から直接は見えにくいうえ、南から来る車両も北側から戻る車両も、その前を通る。ヨナスもセンサーを持って移動し、反応範囲を確認した。
「こっちの方がいいですね」
設置そのものには加わらず周囲の経路を見ていたリヒターは、人からどう見えるかを確かめるために二人の位置まで来た。
「人からは?」
道路と山道の両方から見た場合、さっきの候補よりは隠れている。ただし、山道を外れてここまで入り込む人間がいれば発見される可能性は残った。
「さっきよりはいいわ。ただ、ここまで入ってくる人がいたら見つかる可能性はある」
「それなら、もう少し低くします」
ヨナスが固定位置を下げると、道路側からはさらに見えにくくなった。前日に決めた場所とは数メートルしか違わないが、長く使うならその差が大きいのだとエレジには分かった。
「昨日決めた通りにはならないですね」
「昨日は候補を決めただけです。実際に置いてみて変える方が普通だと思います」
そこへ機材を運んできたマティアスも、昨日の確認が無駄になったわけではないことを理解していた。
「変えすぎて、昨日何してたんだってならなければいいんじゃないですか」
「昨日見てなかったら、今日ここまで絞れてません」
「それなら大丈夫ですね」
カイルも最終位置を確認し、問題がないと判断した。
道路側の設置を終えると、次は谷側へ移った。こちらは音を拾う機材を使う。ヨナスが設定している間、エレジは観測位置から道路を見ていた。
一台の車両が南から入り、しばらくして木立の向こうへ消えた。
「車両一、北方向」
時刻と特徴を記録すると、少し遅れてヨナスの端末にも反応が出た。
「今の車両、こっちでも拾ってます」
「確認しました」
目で見たものと機材の記録が初めて一致した。それだけで何かが分かったわけではなく、予定どおり拾えることを確認しただけだったが、今日からはこうした記録が積み重なっていく。
主観測点の作業を終えたあと、補助観測点にも機材を設置した。昼を過ぎる頃には必要な通信確認まで終わり、五人は一度施設へ戻った。
*
午後から、実際の観測が始まった。
最初の組み合わせは、主観測点がカイルとエレジ、補助がマティアスとリヒター。ヨナスは施設に残り、センサーと通信の記録を受け取る。
エレジは午前中に設置した道路側を中心に見ていた。作業用と思われる車両が二台、小型車が一台通り、徒歩の人間もいたが、シュミットから聞いていた現地側の巡回時間と重なっていた。
「今の巡回、現地側と一致してます」
「こちらでも確認しました。二名、南から北です」
ヨナスから入った通信をエレジはそのまま記録へ加えた。しばらくして別の車両が来たが、これも事前記録にある種類だった。
しばらく車両も人も通らない時間が続いた。エレジは一定の間隔で道路と山道を確認しながら、記録だけを進めていた。
施設では周囲に現地兵がいるため、同じ建物にいてもカイルと二人だけで話す時間はほとんどない。今も任務中ではあるが、隣にいるのがカイルだけだということは少し違って感じられた。
「昨日、二週間は長いって言いましたけど、こういう時間があるなら少しは違いますね」
「施設にいるよりはましか」
「はい。少し話せますから」
「ここも勤務中だぞ」
「分かってます」
「ずっと人に囲まれてるよりはいいか」
「はい」
エレジはそう答えたが、それで十分だという意味ではなかった。二人きりになれたことは嬉しい。それでも、観測を終えればまた現地の施設へ戻り、恋人として自由に過ごせるわけではない。
「でも、これで二週間大丈夫とは思ってません」
「ああ。俺もだ」
カイルも同じように感じていると分かり、エレジは少し嬉しくなった。二人は再び道路へ意識を戻した。
何かを見つけに来ているつもりでいると、目の前を通るもの全部に意味があるように見えそうになる。エレジはそうならないよう、見えたものだけを書いた。
夕方までに、特別と呼べるものはなかった。
カイルは記録を見ながら、今のところ普段と違うと判断できるものがないことを確認した。
「何もないですね」
「今のところはな」
日が落ちるにつれて見える範囲が狭くなり、街灯のない区間は暗くなる。エレジは道路をもう一度確認してから尋ねた。
「何もないのも記録しますよね」
「今の状態を取っておかないと、後で増えたか減ったかも分からない」
「はい」
二週間後に何かが変わっていたとしても、最初がどうだったか分からなければ比較できない。今回の任務では、異常そのものを探すだけでなく、何も起きていない時間も同じように残す必要があった。
補助観測点でも、目立った動きはなかった。リヒターとマティアスは交代で道路と周囲を確認しながら、記録に残すものがない時間を過ごしていた。
「大尉、こういうの平気ですよね」
「何が?」
「何時間も何も起きないやつです」
「平気よ。あなたはもう飽きたの?」
「まだです。でも、あと三時間何もなかったら分かりません」
「二週間分の洗濯を心配してたくらいだから、もっと生活の方が気になるのかと思ってたわ」
「まだ言うんですか、それ」
「実際、最初に聞いたでしょう」
「重要ですよ。二週間ですよ」
「私は着替えがあれば困らないけど」
「それ、大尉の基準がおかしいんですって」
任務中の接し方そのものは以前と変わっていない。それでも、三人の関係を始めてからは、二人きりになった時に仕事以外の話をすることを互いに避けなくなっていた。
「そういえば、大尉」
「何?」
「こういう時は名前で呼ばないんですね」
「勤務中でしょう」
「誰も聞いてないですけど」
「だからって変える必要もないじゃない」
「じゃあ終わったら戻るんですか」
「戻ってからなら、マティアスって呼んであげるわよ」
マティアスは言い返せなくなったが、嫌ではなさそうだった。リヒターもそれ以上からかわず、次に道路を確認する時刻まで、また何も起きない時間を一緒に過ごした。
その日の夜、五人は施設へ戻り、主観測点と補助観測点、センサー、通信の記録を合わせた。いくつかは同じ車両や人員と見てよさそうだったが、対応関係が分からないものもある。
ヨナスは確認できるものだけを結び、残りは別の記録として残した。
「初日は正常に取れてます。今のところ、機材側の問題もないです」
「なら明日も続ける」
カイルの判断で、その日の作業は終わった。
*
三日目になる頃には、五人の勤務時間は少しずつずれ始めていた。
対象地域の活動が夜にもあるため、全員が同じ時間に起きて同じ時間に戻る必要はない。朝の観測を終えて戻る者がいれば、そのまま昼から入る者もいる。エレジが食堂へ行った時、四人の姿がないことも増えた。
その日は午前の観測を終えて戻ったところで、昼食の時間を少し過ぎていた。食堂は混雑の山を越えており、空いている席の方が多い。
食事を受け取って座っていると、少ししてシュミットも遅い昼食を取りに来た。エレジに気づくと近くの席へ座り、観測の様子を尋ねた。
「今日も北側でした?」
「はい。午前だけです」
「どうでした」
「車両は何台かありました。でも、今のところ昨日までと大きく違うものはないです」
「何もない時間、長いでしょう」
「そうですね」
「じっと見てるの、苦手じゃないですか」
エレジは自分が長時間の観測を苦痛に感じていないことを考えてから答えた。
「嫌いではないです」
「珍しいですね」
「そうですか」
「俺は巡回の方が好きです。動いてる方が時間が早いので」
そこから話は、昨日エレジが使っていた紙の地図へ移った。
「地図見るのも好きなんですよね」
「好きです。知らない場所なら特に」
「知らない場所の方が?」
「はい。地図で見てたものが、実際に行くと全然違うことがあるので」
昨日の観測地点でも、高低差や木の密度は図面だけでは分からなかった。
シュミットはそれを聞き、フェルゼンのさらに北側には、地図上では道に見えない古い経路がいくつかあると教えた。冬は使えないが、雪がなくなる時期だけ通れる場所もあるらしい。
「それ、今も使うんですか」
「巡回ではたまに。任務が終わるまでに時間あったら、地図だけでも見せますよ」
「見たいです」
「じゃあ、持ってきます」
エレジにとっては、それまでの地形の話が続いているだけだった。
「ありがとうございます」
「部屋、教えてもらってもいいですか。あとで持っていくので」
「二階の東側です。階段から四つ目です」
「分かりました」
シュミットはそれ以上理由を付け加えず、またフェルゼン周辺の道の話へ戻った。エレジも、古い経路の地図を見られることの方に興味が向いており、自室を教えたことに特別な意味は感じていなかった。
食事を終えて第二作戦室へ戻る途中、午後から観測へ出るカイルとすれ違った。
「戻ったか」
「はい。今から記録まとめます」
「俺は午後から出る」
「分かりました」
短いやり取りを終えたあと、カイルは食堂から出てきたシュミットにも気づいた。エレジと昼食の間に話していたことは分かったが、それ以上のことはわからないため今は何も言わなかった。
その日の夕方、エレジが自室で午前中の記録を見直していると、扉を叩く音がした。
「はい」
開けると、シュミットが薄い地図の束を持って立っていた。
「さっき言ってたやつです。今、大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「少し広げてもいいですか。場所だけ説明した方が分かりやすいので」
「どうぞ」
机の上を空けると、シュミットは持ってきた地図を広げた。現在の道路図より古いもので、山中には今の地図では消えている細い経路がいくつも残っている。
「この辺です。今は道として管理されてないですけど、昔は北へ抜ける時に使ってたらしいです」
「ここ、今の道路と全然違いますね」
「川沿いの道が変わったんです。崩れた場所もあるので、全部歩けるわけじゃないですけど」
エレジは地図上の線と、今使っている地図の地形を頭の中で重ねた。任務に直接必要な経路ではないが、同じ山の中で道がどう変わってきたのかを見るのは面白かった。
「これ、しばらく見てもいいですか」
「もちろんです。急いで返さなくて大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
シュミットは他にも二本ほど残っている経路を説明してから地図を置いて帰った。エレジにとっては、フェルゼンについて新しい資料が増えたという感覚の方が強く、二人きりで部屋にいたこと自体はほとんど意識に残らなかった。
*
リヒターも、施設にいる時間が増えるにつれてクルーガーと話す機会が増えていた。
四日目の夜、補助観測点から戻ると、クルーガーも外周確認を終えて宿舎へ戻るところだった。
「大尉、今日は遅かったですね」
「そっちもでしょう」
「俺はいつものことです」
「なら、私より慣れてるわね」
「フェルゼン、もう飽きました?」
「まだ四日目よ」
「二週間いるって聞いたので」
「そのうち飽きるかもしれないけど、今はまだ平気」
「よかった。最初の三日で嫌われたら、こっちとしても困るんで」
「施設ごと嫌うほどのこと、まだされてないわ」
クルーガーはその返答を面白がったあと、前日の食堂で話したことも覚えていた。
「そういえば、昨日言ってたスープ、今日ありますよ」
「覚えてたの?」
「言ったの俺ですから」
「夜勤明けじゃないけど、食べてもいいのかしら」
「余ってれば誰でも大丈夫です。まだあると思いますよ」
「じゃあ、あとで見てみるわ」
業務上必要な話はすでに終わっていたが、クルーガーはリヒターと会えばそのまま少し雑談するようになっていた。リヒターも、話を切り上げる必要を感じるほど嫌ではなかった。
そこへヨナスが戻ってきた。
「大尉、記録合わせる時間、少し遅らせますか」
「いいえ。今行くわ」
リヒターが今から仕事へ戻ると分かったクルーガーは、それ以上引き止めなかった。
「邪魔しました。また明日」
「ええ」
ヨナスはリヒターと一緒に第二作戦室へ向かいながら、クルーガーとの会話については何も聞かなかった。ただ、仕事が終わったあとも彼がリヒターと話す時間が少しずつ長くなっていることには気づいていた。
*
四日目の夜、五人はその日までの記録をまとめた。
エレジが休んでいた夜間には、マティアスが主観測点へ入っていた。
「二時十二分、北方向に一台。荷台あり。番号は途中まで」
「その前に南へ入った車両と同じですか」
「断定できません。形は似てましたけど、番号全部見えてないんで」
「分かりました」
同一車両とは書かず、別の記録として残した。自分で見ていないものでも、マティアスが何を確認し、何が確認できなかったかまで書いているため扱いやすい。
その横では、ヨナスが通信記録を合わせていた。
「この四日で通信量に大きな変化はないです。短い送信はありますけど、過去記録から外れるほどではないです」
「センサーは?」
「正常です。何度か反応してますが、目視と一致するものが多いです。説明できない反応も二回ありますけど、今の段階では何が通ったか分かりません」
「そのまま分けて残せ」
「はい」
エレジも自分の記録を確認した。
「車両も人も、今のところ特別な動きはないです」
カイルは四日分を合わせても増減を判断できる段階ではないと見て、観測を継続することにした。
「今は増えたとも減ったとも言えない。明日も同じように取る」
大きな発見はなかった。それでも、四日間で何が普通に起きているかは少しずつ分かってきた。
夜間にも車両は通る。短い通信もある。巡回以外の人間が山道を使うこともある。どれも、それだけでは異常とは言えない。
作業を終えたエレジが作戦室を出ると、廊下の向こうからカイルが来た。別の資料を届けていたらしく、手には端末がある。
「まだ起きてたか」
「今終わりました」
「明日は午後からだろ」
「はい。少し遅く寝ても大丈夫です」
数日前までなら、そのままどちらかの部屋へ行って話していたかもしれない。ここでは廊下を現地兵が通り、少し離れた部屋からも人の声が聞こえている。
「少佐は?」
「朝からだ」
「じゃあ、もう寝ますか」
「ああ」
フェルゼンへ来てから、同じ施設にいても、任務を離れて二人きりで過ごす時間はほとんどない。
任務中なのだから当然ではあるが、エレジはそのことを少し残念に感じ、二週間という期間が別の意味でも長く思えてきた。
「おやすみなさい」
「ああ。明日は昼まで寝ていい」
「そんなに寝ません」
「寝られる時に寝ろ」
明日は午後からの勤務だから、カイルの言う通り急いで起きる必要はない。エレジは自室へ戻り、机に置いた古い地図をもう一度見てから眠ることにした。




