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エーデルベルグの雪 ──北部山岳任務録──  作者: 有凪いちほ
特殊情報収集班:任務

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123/186

二週間の任務


 五人が作戦室へ集まると、カイルは大型表示板へフェルゼン周辺の地図を出した。

 エレジは席へ着く前に、昨日聞いた二週間という期間を思い出していた。これまでにも数日間続く任務はあったが、同じ地域へ長く入り、現地の施設を拠点にしながら観測を続けるのは初めてだった。


「今回の任務は、フェルゼン北東部の継続監視だ」


 地図には、山間を通る道路と、その先へ枝分かれする複数の経路が表示されている。さらに外側には小規模な軍施設と物流拠点があり、その間を山道がつないでいた。


「最近、この地域で活動が増えている可能性がある。夜間の車両、山中を通る人員、それから短時間の通信だ。ただし、今のところ三つが同じ活動に由来するとは確認されていない」


 エレジは地図の横へ表示された記録へ目を通した。車両については通過時刻と方向が残っているが、日によって数が違う。通信も増えたと言われている時間帯はあるものの、継続した傾向なのかは読み取れなかった。


「増えたっていうのは、何と比べてですか」


「現地側の過去記録だ。ただ、記録の取り方に差がある。だから今回は、異常を探しに行くというより、通常が何なのかを取り直す」


 その説明を聞き、エレジは改めて表示を見た。夜中に三台通ったという記録だけなら、それが多いのか少ないのかは決められない。

 二週間という期間は、異常を長く追うためだけではなく、その地域で普段何が起きているのかを、自分たちの基準で把握するためでもあるらしい。


「主任務は、複数地点からの継続監視、センサーの設置と回収、通信・電波状況の確認、既存記録との照合。それから必要に応じて経路を見直す。対象への接近はしない。見つけたものを確認するために、無理に距離を詰める必要もない」


 ヨナスは現地施設で使える設備を確認しながら尋ねた。


「現地施設の通信設備は使えますか」


「基本設備は使える。今回持ち込む機材とは分ける。詳細はこれだ」


 カイルが別の資料を送ると、ヨナスは受け取ってすぐに内容を読み始めた。現地にある受信設備、利用可能な中継器、電源系統を確認したあと、地図上の高所を指す。


「ここ、通信は通りますか」


「資料上は通る。ただし天候次第で落ちることがある」


「なら、予備の中継器を一つ増やした方がいいですね」


 エレジは別に示されている観測地点候補を見た。全部で四か所あり、道路を見下ろせる場所、谷を挟んで施設側を確認できる場所、山道の分岐を見られる場所がそれぞれ離れている。


「この四か所、全部使うんですか」


「現地を見てから決める」


「資料では見えていても、使えないことがあるからですか」


「ああ。視界だけで決めない。通信、接近経路、退避、現地側の出入り、それから向こうから見つかる可能性も見る」


 リヒターは地図に載っている巡回経路を確認しながら、観測地点として使う場合に現地兵の動きと重ならないかを考えていた。


「現地兵が普段使う道は?」


「一覧がある。全部固定じゃない」


「なら、着いてから聞くわ。観測にはいい場所でも、人が普通に通るなら使いにくいもの」


 エレジもその話を聞いて、一番遠くまで見える地点だけを選べばいいわけではないと理解した。

 自分たちが長くそこへいるなら、観測対象から見えるかどうかだけでなく、周囲の人間から不自然に見えないことも必要になる。


「勤務はどうします?」


「固定しない。最初の数日は、全員で対象地域と観測地点を把握する。その後は、活動時間に合わせて組み替える」


「二週間ずっと同じ組み合わせではないんですね」


「その必要はない。自分が寝ている間の記録も、起きた後に扱える状態にする。誰か一人しか分からないものは残すな」


 エレジは自分の記録用紙を思い浮かべた。これまでも引き継ぎはしてきたが、二週間なら、自分が見ていない時間の方が圧倒的に長くなる。

自分の観測だけを積み上げても、任務全体は分からない。


 カイルは続けて、今回の滞在そのものについても説明した。


「五人だけで二週間、山に残るわけではない。フェルゼンの軍施設を後方拠点にする。宿舎、食堂、補給、充電と整備は使える。状況によっては観測地点に一晩残るが、基本は施設へ戻る」


 それを聞いたマティアスは、二週間分の生活をどこまで自分たちで持ち込む必要があるのかが分かったらしく、少し安心したように息を吐いた。


「洗濯できます?」


「できる」


「それ先に聞いといてよかったです。二週間分持っていくところでした」


「持っていけばいいじゃない」


 リヒターが言うと、マティアスは荷物が増えると返した。


「大尉は少なそうですよね」


「着替えがあれば足りるでしょう」


「その基準が少ないんですよ」


 二人のやり取りを聞きながら、エレジも持っていくものを考えた。現地で洗えるなら衣類は必要最低限でいい。代わりに、空いた時間に読む本を一冊くらい持っていけるかもしれない。


 カイルは会話が落ち着いたところで、撤収条件へ話を移した。


「対象と接触することは任務に含まない。こちらを探る動きが出た場合も、確認のために残り続けない。観測点を捨てる可能性は最初から入れておけ」


「設置した機材もですか」


「回収で接触するなら置いていく」


「了解です」


 ヨナスはそれ以上惜しむ様子を見せなかった。機材を扱う本人が迷わずそう答えたことで、エレジにも今回の優先順位がはっきりした。


 資料確認を終えると、五人はそれぞれ準備へ移った。

 エレジは装備保管区画で双眼鏡と観測用機材を確認し、作戦室へ戻って地図を紙でも出した。電子地図だけでも足りるが、複数地点を比較しながら書き込むなら紙の方が使いやすい。


 過去記録にも目を通した。夜間車両が増えたとされる日には、確かに複数の通過がある。ただ、その前後の記録が粗く、そこだけを取り出して増加とは言い切れない。

 人員の目撃も、人数や移動方向が曖昧なものが混じっていたため、エレジは確認できているものと、現地側の印象として残っているものを分けて記した。


 隣の通信・解析室では、ヨナスが持ち出す機材を用途ごとに分けていた。予備電源、センサー、中継器、接続部品が床に並び、その中には朝の説明で追加することになった予備の中継器も入っている。


「増えましたね」


 エレジが覗くと、ヨナスはその中継器を指した。


「資料だけだと通信状態が読めないので、一つ余分に持っていきます。使わなければ持って帰ればいいだけです」


「重くないですか」


「俺一人で全部持つわけじゃないです」


 その言葉どおり、少し後にはマティアスが来て、誰が何を持つかを確認していた。専門が違っても、移動時の重量までヨナス一人へ集中させるつもりはないらしい。


 リヒターは現地施設周辺の出入りと医務設備を確認し、現地の巡回担当とも連絡を取っていた。

 エレジが地図を取りに戻った時には、普段使われる山道について聞きながら、観測地点候補と重なる場所へ印をつけている。


 カイルは作戦室からほとんど動かず、現地側との連絡と許可範囲を詰めていた。


 それぞれが違うことをしていても、準備している内容は一つの任務へ集まっていく。

 昼を過ぎる頃には持ち出すものの大半が揃い、エレジも自室へ戻って私物を小さな鞄へまとめた。


 衣類を入れたあと、本棚の前で少し迷った。二週間なら、何もすることがない時間もあるかもしれないが、勤務の合間は疲れて読めない可能性もある。結局、厚くない本を一冊だけ選んで鞄へ入れた。


 廊下へ出ると、隣の部屋からカイルも荷物を持って出てきた。


「準備できたか」


「はい。本も一冊入れました」


「読む時間があるといいな」


「はい」


 いつもの拠点でなら、そのまま二人で話していても誰も気にしない。今はまだ出発前だったが、明日からは現地の施設で他の兵と生活することになる。

 エレジは二週間という期間だけでなく、その間は普段と同じように二人で過ごせるわけではないことを思った。


     *


 翌朝、五人は車両でフェルゼンへ向かった。

 市街地を離れると道路は徐々に細くなり、山間へ入るにつれて建物も減った。エレジは助手席の後ろから地図を見ながら、分岐と実際の地形を合わせていた。


 途中から谷が深くなり、道路の片側には岩壁が続いた。遠くに見える山の斜面には白い残雪が見えたが、道路沿いにはもう雪は残っていない。


「この辺りから対象地域に近いですか」


「まだ南側だ、施設はもう少し先にある。観測地点はそこからさらに北へ入る」


 エレジは地図上の距離を確かめた。現地施設を拠点にしても、観測地点によっては車両を降りてからかなり歩くことになる。


 フェルゼンの施設が見えたのは、昼前だった。

 五人の拠点より明らかに大きく、複数の建物が柵の内側に並んでいた。宿舎棟、車両庫、低い通信設備、作業区画が分かれており、門の内側では何人もの兵が行き来している。

 普段の施設では、建物の中にいる人間をほとんど全員知っているが、ここでは門を通った時点から知らない人間の方が多かった。


 車両を所定の場所へ止めると、現地側の責任者が待っていた。


「グレイ少佐ですね」


「そうです」


「ハルトマン中佐です。二週間、こちらで対応します」


 四十代後半ほどに見える男で、挨拶を終えるとすぐに施設の利用範囲と午後の打ち合わせ時刻を伝えた。五人を特別に扱うというより、必要なものを不足なく渡して任務へ入れる状態を作ることを優先しているようだった。


「宿舎は全員個室です。同じ棟にこちらの人員もいます。食堂、浴室、洗濯室は共用。作戦資料は第二作戦室を使ってください」


 マティアスは、朝から気にしていたことが本当に問題ないと確認できたらしく、小さく息を吐いた。


「本当に洗濯できる」


「そこ、そんなに重要だったの?」


 リヒターが聞くと、彼は二週間なら重要だと答えた。

 ハルトマンは二人の会話には特に反応せず、案内役として二人の兵を呼んだ。一人はエレジと年齢が近そうな男性中尉だった。


「ルーカス・シュミット中尉です。北側の巡回と地形確認を担当しています。観測地点へ入る道については彼に聞いてください」


「よろしくお願いします」


 シュミットは五人へ順に挨拶したあと、エレジが持っていた紙の地図へ興味を示した。


「もう紙でも持ってるんですね」


「書き込みたいので」


「北側、資料より道が悪いところがあります。午後に説明します」


「お願いします」


 短いやり取りだったが、地図や道の話になると必要な情報をすぐ返してくれるので、エレジには話しやすい相手に思えた。

 もう一人は三十代前半ほどの大尉だった。


「ダニエル・クルーガー大尉です。施設警備と周辺連絡を担当しています。外周と巡回経路の資料は俺が持ってます」


「リヒター大尉よ。あとで見せてもらえる?」


「もちろんです。実際の道も必要なら案内します」


「助かるわ」


 リヒターが答えると、クルーガーはそのまま警戒区域について話し始めた。二人とも扱う情報が近いため、初対面でも確認したいところがすぐに噛み合っている。


 マティアスとヨナスは自分たちの荷物を下ろしながらその会話を聞いていたが、この時点では現地担当との打ち合わせが始まった程度に受け取っていた。


 カイルもシュミットとエレジのやり取りを一度確認したが、今は任務上必要な話しかしていないため、そのままハルトマンとの確認へ戻った。


     *


 宿舎の部屋は同じ階に割り当てられていたが、五人だけが使う区画ではなかった。


 廊下の途中には現地兵の部屋があり、行き来する人間もいる。エレジの部屋は必要な家具だけが置かれた簡素な個室で、ベッド、机、収納、小さな洗面台があった。


 荷物を置いて廊下へ出ると、ヨナスも自室の位置を確認していた。


「大尉、どこですか」


「二つ向こうです」


「近いですね」


「全員この辺りですね」


 カイルの部屋も同じ廊下にある。ただ、普段の拠点のように、誰がどの部屋へ出入りしても五人しか見ていない環境ではない。エレジは、同じ建物にいても普段とは距離の取り方が変わることを覚えておいた。

 施設案内のあと、五人は第二作戦室へ集まった。


 午後はハルトマン、シュミット、クルーガーから現地情報を受け取った。観測地点候補へ続く道のうち、一つは最近の雨で車両が入りにくくなっている。別の経路は巡回兵が定期的に使うため、長時間同じ場所へ留まれば目立つ可能性がある。


「この地点、資料では一番視界が広いですよね」


 エレジが地図上の高所を示すと、シュミットが答える。


「広いです。でも、向こうの斜面からも見えます。それと、風が強い日はかなりきつい。長時間いるなら、もう少し下の方が使いやすいと思います」


 エレジは候補地点の横へ書き込みながら、その場所を使わない場合に何が見えなくなるのかを確認した。


「下だと道路の途中が隠れますね」


「はい。ただ、北へ抜ける車両なら、その先でもう一度出ます」


「なら、通過方向は追えそうです」


 話しているうちに、シュミットもエレジの地図を一緒に見るため近くへ寄っていたが、エレジは地形の説明を受けることに集中していた。

 事前資料だけでは分からなかった道の状態や、現地でしか分からない見え方を聞ける方が重要だったので、たまにシュミットがエレジの顔を見ているのに気づかなかった。


 反対側では、リヒターがクルーガーから巡回経路を聞いていた。


「夜間も同じ?」


「半分は変わります。時間も固定じゃないです」


「その方がいいわね。こちらの観測と重なった時だけ、分かるようにしておいて」


「分かりました。連絡先は直接渡しておきます」


「お願い」


 カイルは全体の会話を聞きながら、必要なところだけ確認を入れた。ヨナスは通信状態について現地の担当者と別に話し、マティアスは観測地点への移動時間と車両を置ける位置をまとめていた。


 夕方までに、一日目に確認する候補地点の順番が決まった。


「明日は設置せず、全部見てから決める。資料上の条件だけで置くな」


 カイルの指示を受け、ヨナスは準備していたセンサー一覧を閉じた。


「了解です」


 エレジも地図を畳んだ。今日までに分かったことだけでも、事前資料とは違う部分がいくつもある。明日実際の場所へ入れば、観測地点としての評価もさらに変わる可能性があった。


     *


 夕食は現地兵と同じ食堂だった。

 五人だけの拠点では、一つの机を囲んで食べるのが普通だったが、ここでは周囲に何十人もいる。階級も所属も違う人間が出入りし、食事を受け取って好きな席へ向かっていた。五人は端の机を使った。


「人、多いですね」


「中尉、普段が五人しかいないから余計そう思うんじゃない?」


「そうかもしれません」


「俺も少しうるさく感じます」


 通信室の静かな環境に慣れているヨナスには、食器の音や複数の会話が重なる食堂は落ち着かないらしい。一方、仕事でさまざまな場所に滞在してきたリヒターは、この程度の騒がしさを特に気にしていなかった。


「二週間いたら慣れるわよ」


「大尉、どこでも平気そうですよね」


「仕事でいろんなところにいたもの」


 その会話の途中で、シュミットが近くを通った。エレジに気づくと、翌朝の集合場所を確認するために立ち止まった。


「ヴァイス中尉、明日は七時に車両庫前で大丈夫ですか」


「はい。地図も持っていきます」


「北側は朝冷えるので、一枚多い方がいいですよ」


「ありがとうございます」


 シュミットは必要なことだけ伝えて自分の席へ戻った。


 エレジが食事へ戻ると、正面のカイルが一度だけシュミットの方を確認していた。任務上のやり取り以外に何か気になることがあるのかと思ったが、今のところエレジには理由が分からない。


「少佐、どうかしましたか?」


「いや」


 そのまま何も言わず食事に戻ったので、エレジもそれ以上は聞かなかった。

 少しして、クルーガーが外周資料の追加分を持ってきた。


「大尉、これ、さっきの続きです」


「ありがとう。あとで見るわ」


「明日、戻ってから時間あれば北側の巡回線も説明します」


「ええ、お願いするわ」


 仕事の話が終わったあともクルーガーはすぐには離れず、そのままリヒターへ尋ねた。


「フェルゼンの食堂は初めてですか」


「初めてよ」


「夜勤明けに出るスープだけは評判いいです」


「そうなの?」


「それだけは期待していいです」


「覚えておくわ」


 リヒターが笑うと、クルーガーも笑ってから離れた。

 マティアスとヨナスはそのやり取りを見ていたが、今はリヒターが現地の人間と打ち解けるのが早いくらいにしか受け取っていなかった。


 食後、五人は一度作戦室で翌朝の装備を確認してから、それぞれ宿舎へ戻った。


 エレジは部屋へ入ると机に地図を広げ、明日回る四か所へ番号を振って、シュミットから聞いた道路状況を書き足した。


 普段なら、少し休みたくなれば共有スペースへ行けば誰かがいる。カイルの部屋も隣にあり、会いたければすぐ行ける。

 ここでは廊下に知らない兵の声が聞こえ、何人かが部屋の前を通っていくため、同じ建物に五人がいても、普段の拠点とは違う場所にいることを感じた。


 二週間いる場所なのだと思うと、まだ借り物のように感じるこの部屋も、そのうち見慣れるのかもしれない。


 地図を閉じて廊下へ出ると、ちょうどカイルも部屋から出てきた。手には水を入れるための容器を持っており、給湯室へ向かうところらしかった。


「まだ起きてたか」


「地図を見てました」


「明日見れば変わるところもある。今決めすぎるな」


「はい」


 二人は廊下の端まで一緒に歩いた。現地兵が近くを通れば、いつものように距離を縮めることはできない。それでも、同じ任務で同じ場所にいること自体は変わらなかった。


「二週間って、長いですね」


「ああ。だから最初の数日だけで全部決めるな」


「任務の話ですか」


「今はな」


 カイルの返事に、任務以外にも何か含まれているような気がしたが、エレジが意味を聞く前に廊下の向こうから現地兵が近づいてきた。

 二人は自然に普段の勤務中の距離へ戻り、カイルはそのまま給湯室へ向かった。


 エレジも自室へ戻り、明日から始まる二週間をまだ具体的には想像できないまま、朝使う地図を机の端へ置いた。



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