生きる喜び
昼を少し過ぎてから、マティアスとヨナスはリヒターを連れて街へ出た。
リヒターには、二人がなぜ誘ったのか分かっていた。ヴェルナーが帰ったあと、昨日から身体の内側に残っていた硬さは少し薄れていたが、完全に元へ戻ったわけではない。
共有スペースへ出てからも自分から話題を広げることは少なく、二人もそれに気づいていたはずだった。それでも昨夜のことや傷については何も聞かず、ただ街へ行こうと誘った。
リヒターも理由を確かめなかった。一人にならない方がいいとヴェルナーに言われたこともあったが、それ以上に、今は二人についていくことを嫌だとは思わなかった。
街へ着くと、まず食事をすることになった。昼を少し過ぎていたため空いている店を探して入り、三人で席につく。何を食べたいかと聞かれることも、気分はどうかと確認されることもなく、マティアスは開いたメニューを前に本気で悩み始めた。
「決まらないの?」
「候補が三つあります」
「三つもあるなら、一番最初に食べたいと思ったのでいいんじゃない?」
「それが分かってたら迷ってないです」
ヨナスはすでに自分の注文を決めていたらしく、マティアスが候補を減らせずにいるのを見て言った。
「全部頼めばいいんじゃないですか」
「昼飯ですよ」
「残さなければ問題ないでしょう、量なら調整できます」
「どうやって」
二人とも冗談で話しているわけではなかった。ヨナスは本当に三つ頼めば解決すると考えていて、マティアスもそれを真面目に否定している。その噛み合わなさがおかしくて、リヒターの表情が少し緩んだ。
「ヨナスなら本当に頼みそうね」
「食べたいものが三つあるなら合理的ではあります」
「大尉までそっちにつかないでくださいよ」
結局、マティアスは一つに決め、ヨナスも普通の量の料理だけを注文した。
食事が始まってからも、二人はリヒターを元気づけようとはしなかった。街で見かけた店の話をしたり、帰る前に何を見るかを話したりしている。
ヨナスが壁際に置かれていた古い暖房設備に気づき、以前使われていた方式との違いを説明し始めると、マティアスが途中でリヒターに確認した。
「大尉、これ聞きたいですか」
「私はわりと聞きたいわよ」
「味方がいた」
「よかったですね」
そのままヨナスは説明を続けた。途中から専門的になり、リヒターにも分からないところはあったが、分からない話を聞かされていること自体は嫌ではなかった。
ヨナスは興味のあることを話す時だけ少し言葉が増える。それをマティアスが適当に止めたり聞き流したりするのも、施設で何度も見てきた。
自分だけを気遣うために作られた会話ではなく、二人のいつもの時間に自分が混ざっている。そのことの方が、今は楽だった。
食後もすぐには戻らず、三人で街を歩いた。買うものを決めているわけではないので、気になった店があれば入って、何もなければそのまま出る。リヒターも最初は二人について歩いていただけだったが、菓子を並べた店の窓に鳥の形をした焼き菓子を見つけると、足を止めた。
「これ、エレジ好きそうね」
木の実や果物を使った小さな焼き菓子の中に、羽を広げた鳥の形がいくつか混じっている。エレジなら気づくだろうと思って口にしたところで、マティアスがその隣を見ながら言った。
「今日は大尉のもの見ません?」
「私?」
「はい。エレジ中尉の買い物じゃないですし」
「私、特に欲しいものないのよね」
「じゃあ、あるかどうか見るところからでいいんじゃないですか」
ヨナスにそう言われ、リヒターは二人が本当に急いで帰るつもりがないのだと分かった。何かを買わせたいわけでも、気分転換の成果を求めているわけでもない。ただ、ここにいてもいいと思っているらしい。
「ずいぶん暇なのね、あなたたち」
「今日は休みですから」
「俺もです」
「そう」
それなら付き合ってもらおうと思い、店へ入った。
鳥の形をした焼き菓子はエレジの分として選び、自分用には果実を使った小さな菓子を一つ買った。必要なものではなかったが、見ているうちに食べてみたいと思った。
店を出て包みを鞄へ入れながら、リヒターはその選び方を少し意識した。必要だからでも、誰かのためでもない。自分が欲しいと思ったというだけで金を払った。それだけのことなのに、今の自分には妙に残った。
さらに通りを進むと、人の多い広場へ出た。数日前から移動型の遊園地が来ているらしく、小さな観覧車や回転遊具の周りに屋台が並んでいた。子供を連れた家族だけではなく、若い男女や年配の夫婦もいて、食べ物を手に歩いている人も多い。
三人は広場から少し離れたベンチに座った。
リヒターは中央に座り、しばらく人々を眺めていた。子供が親の手を引いて遊具へ向かい、紙に包まれた食べ物を二人で分けている男女がいる。離れた場所では、年配の夫婦が同じ屋台で買ったらしい飲み物を持って話していた。
誰も、何かのためにここにいるようには見えなかった。
必要だから食べているのではなく、食べたいものを選んでいる。移動する必要があるから歩いているのでもなく、誰かと一緒に過ごすために歩いている。仕事や役割がなくても、人はこうして時間を使うらしい。
「何を考えてるんです?」
隣からヨナスに聞かれ、リヒターは自分が長く同じ場所を見ていたことに気づいた。
「私、何か考えてるように見えた?」
「見えます」
「何を考えてると思う?」
「そこまでは分かりません」
分からないなら聞く。それもヨナスらしいと思いながら、リヒターはもう一度広場を見た。
「生きる喜びについて」
「……そういうこと考えてたんですね」
「ええ。何か食べたり、遊んだり、誰かと一緒にいるのを喜んだり。みんな上手よね」
自分にはできないと言いたかったわけではなかった。今日の食事はおいしかったし、二人と話しているうちに表情も緩んだ。必要のない菓子まで買った。それでも、広場にいる人たちは、自分よりずっと迷わずに欲しいものへ手を伸ばしているように見えた。
リヒターはヨナスに聞いた。
「あなたは楽しそうよね。趣味も多いし」
「そうですね」
「仕事以外でも、知りたいことがたくさんあるでしょう」
ヨナスは少し考えたが、自分について問われることに困っている様子はなかった。
「それで言えば、俺はこの星ごと割と好きかもしれません」
「この星ごと?」
「知らないことが多いので。調べるものがなくならないでしょう」
思っていたより大きな答えが返ってきて、リヒターは笑った。
「いいことだわ」
「大尉も、興味あることは多いでしょう」
「私?」
「人を見るの、好きですよね」
「仕事みたいな言い方ね」
「仕事じゃない時も見てますよ」
否定しようとしたが、考えてみればその通りだった。誰がどういう時に笑うのか、何を嫌がるのか、何を好きなのかを見るのは昔から苦にならない。今一緒にいる四人について覚えていることも、任務のために必要な情報ばかりではなかった。
今度はマティアスに聞いた。
「あなたも楽しそうよね、生きるの」
「そうですね。普通の人よりはうまくやれてる気がします」
「自信あるのね」
「そこはあります」
「何を根拠に?」
「飯うまいし、寝ればだいたい元気になるし、人といるのも嫌いじゃないので」
「ずいぶん単純ね」
「褒めてます?」
「半分くらい」
マティアスが笑い、リヒターも笑った。
二人は、そのまま同じ質問をリヒターには返さなかった。
リヒターも聞かれれば何か答えようとはしただろう。しかし、今の自分が生きることをどの程度楽しいと思っているのか、何を欲しがっているのかまで説明できる気はしなかった。
二人はそれを察したのか、あるいは単に今は聞く必要がないと思ったのか、答えを求めない。その距離が心地よかった。
しばらく広場を眺めたあと、マティアスが今朝のことに話を移した。
「ヴェルナー大佐とは、長いんですか」
リヒターはすぐには答えず、ヴェルナーとの関係をどう言えば一番近いのかを考えた。秘密にしなければならない相手ではない。ただ、役職や仕事内容だけでは、今朝自分の部屋まで来た理由までは説明できなかった。
「長いわね。十二の頃から知ってる」
「十二?」
「ええ」
「軍に入る前ですよね」
「そうね。今の仕事をするための訓練を始めた頃から」
隣にいたヨナスの表情が少し変わった。知らない話を聞いているというより、以前どこかで見た情報と結びついた時の反応に近かった。
「……そういう育成系統がある、という記述なら見たことがあります」
「どこでそんなもの見つけたの?」
「昔、特殊対象保全関係の情報を調べた時です。名前も組織も書かれてませんでした。存在するかもしれない、くらいの扱いで、ほとんど噂みたいなものでしたけど」
そこまでしか知らないのなら問題はないと判断し、リヒターはそれ以上の説明はしなかった。
「よくそんなもの覚えてるわね」
「気になったので」
「あなたらしいわ。でも、それ以上は聞かないで。詳しくは話せないから」
「はい」
ヨナスは理由を求めずに引き、マティアスも育成の内容については聞かなかった。そのことに安心してから、リヒターはヴェルナーについてならもう少し話してもいいと思った。
「ヴェルナー大佐は、その頃からいたんですか」
「ええ。最初の頃から関わってた」
「教官ですか?」
「それだけじゃないわね」
訓練をする人も、評価する人も、命令する人も他にいた。ヴェルナーがそのどれか一つだったなら、もっと簡単に説明できたはずだった。
「何かあると、昔から来てくれる人なの」
マティアスが、今朝施設へ来たヴェルナーを思い出したらしく聞いた。
「今日みたいに?」
「そうね。今日みたいに」
ハッシュヴァルドが来たと聞いたから来た、とヴェルナーは言った。昔から、リヒター自身が一人で処理できると思っている時にも、彼は必要だと判断すれば来た。何ができたかだけではなく、その時の彼女自身を見てくれる人でもあった。
「親代わりに近いんですか」
ヨナスにそう聞かれ、リヒターは少し考えた。
自分には比較できるほど親の記憶がない。それでも、十二歳の頃から知っていて、何かあるたびに来て、自分がどうなっているのかを確かめてくれた人を説明するなら、その言葉が一番近かった。
「……たぶん、それが一番近いわ」
二人は驚いていたが、それ以上そこを掘り下げなかった。
そのまま黙っておいてもよかった。それでも、ヴェルナーについてここまで話したことで、今朝自分が感じたことも隠す必要はないように思えた。
「今日、来てくれてよかったと思ってる」
誰かが来てくれたことを、自分が必要としていたと認めるのは少し不思議だった。ヴェルナーに会えて嬉しかったこと自体には、今なら迷いがなかった。
「そうですか」
ヨナスはそれ以上意味を足さなかった。マティアスも慰めるようなことは言わず、そのまま受け取った。
リヒターには、その方がよかった。
少しして、ヨナスが広場の屋台に興味を移した。
「あれ、何売ってるんでしょう」
「また食べるんですか」
「見るだけです」
「さっき食べたばっかりですよ」
「見るだけなら問題ないでしょう」
「昼にも似たようなこと言ってましたよね」
二人の会話を聞いているうちに、リヒターも屋台の方が気になった。このまま座って考え続けるより、何を売っているのか見に行く方が今はしたかった。
「見に行けばいいじゃない。私も行くわ」
三人で屋台へ行き、ヨナスは結局一つ買った。マティアスも少し分けてもらい、リヒターも勧められて一口食べた。予想していたより甘く、そのことを三人で話しながら再び通りへ戻った。
午前中までの自分と比べれば、ずいぶん普通に過ごしていると思った。ハッシュヴァルドの言葉を忘れたわけではなく、何かの拍子に思い出すこともある。それでも、今日はそれ以外のものも目に入っている。食べたいものや見たいものがあり、二人といることも嫌ではなかった。
次の店へ向かおうと肩を動かした時、首の付け根から肩にかけて痛みが走った。昨日傷ついた場所に服が擦れたらしい。大した痛みではなかったが、反射的にその側の肩を庇ったことで、隣を歩く二人にも気づかれた。
マティアスもヨナスも一度会話を止めたが、その場で傷について聞いてはこなかった。リヒターがまだ歩けることを見て、今は本人が続けようとしている方を優先したらしい。
少し先には、まだ入っていない店があった。
今日は二人について歩いているだけではなく、自分からもう少しここにいたいと思っている。そのことが分かったので、リヒターはそちらを示した。
「そこ、入ってみる?」
「行きましょう」
「俺も見たいです」
三人で次の店へ向かった。今日はまだ、帰らなくてもいいと思えた。




