第16話 悪霊の救いとは
「あー!!ありました!」
事務所に戻った僕は、ソファの横に落ちているスマホを拾いあげた。スマホの裏には妻の好きな犬のキャラクターのシールが貼ってある。
これは、間違いなく僕のスマホだ。どこかで落としてしまってもう見つからないかも、と思っていたけれども、事務所に落ちていたようで安心した。
しかし、充電が切れているようで電源がつかない。
「よかったな、スマホが見つかって」
蓮さんは椅子に勢いよく座り、肘掛けに手を置きながら背もたれに体を預け、ふぅーと長い息を吐いている。
今日の蓮さんは、珍しく疲れているようだ。普段から強い悪霊と戦っている蓮さんでさえ、今日の仕事は骨が折れたのだろう。
「はい!見つかって良かったです!でも、充電が切れちゃって...妻に帰りが遅くなるって連絡するのをすっかり忘れていたので、今から連絡しようと思ったんですけど、これは無理そうですねぇ...」
電源ボタンを長押ししても反応がなく、真っ暗になった画面を虚しい気持ちで見つめた。
「春野、まだ希望はあるぞ。榎本がいつも会社に持ってきている充電コードがデスクの上にあれば...」
蓮さんは座ったまま体だけを動かし、榎本君のデスクを確認した。
「...ああ、残念。榎本のデスクにもなさそうだな。榎本は毎日きちんと持ち帰ってるからなぁ...。会社に1つくらいスマホの充電器置いておくべきだったかな」
「いえいえ、いいんですよ!妻ももう寝てると思いますし。わざわざ連絡して起こしてしまうのも悪いですからね!ところで、蓮さんはどうしてこの時間に事務所に戻ったんですか?」
事務所の壁に貼り付けられている時計は夜11時30分を指している。
「私は少し仕事を片付けてから帰ろうと思ってな」
「え!?こんな時間からですか!?今から仕事したら、下手したら終電逃しちゃうんじゃ...」
仕事大好き人間の連さんなら日々の残業も厭わない!とは思っていたけれども、まさかこんな時間まで仕事をするとは。
大方、今日の事件をまとめておきたいんだろう。あれだけ強い悪霊を退治した後なのだから、いくら蓮さんといえども、今日くらいは帰ってしっかり休んで欲しいよ...と思うけれども、蓮さんからしたら仕事を残して帰ったところで心も体も休めないのだろう。
「終電がなくなったらタクシーで帰るだけだ。
ほら、春野は怪我もしてるし、奥さんもいるだろう。スマホも見つかったし、今日はさっさと帰れ」
蓮さんは僕に向かってしっしっと手で追い払うようにして帰れと伝える。
探していたスマホは見つかった。僕はもうここにいる必要はない。
そう、なんだけど...
「あの、蓮さん。少し...気になることがあるんですけど、子供たちは、警察に直接連絡せずにクリスチーヌさんに預けて、大丈夫なんですか?」
「ああ、そのことか。春野、お前も気がついただろ?誘拐された子供たちには共通点が2つあったこと。
1つは、みな霊力が多いということだ。これは単純に、霊力を奪うなら、たくさん霊力を持ってる子供を誘拐した方が効率的だからな。
そしてもう1つ。なぜか全員『家に帰ること』を極端に嫌がっていた。原因はわからない。ただ家族と喧嘩しただけなら、家に帰りたくないのは一時的なものかもしれないが、子供たちのあの様子...。
私たちが考えているより、家庭環境にもっと深い問題がある可能性が高い。
私たちの小さな事務所よりもクリスチーヌさんがいる大きな事務所の方が、戦闘や調査以外の『こういうこと』の対応は慣れているからな。安心しろ、クリスチーヌさんはああ見えてしっかりしている。あの子たちのことは彼女に任せて大丈夫だ」
蓮さんの口からはっきりと「安心しろ」と聞いて、僕はようやく子供たちへの心配で重くなっていた心が軽くなった気がした。
僕は、小さい頃から両親にたくさんの愛情をもらって育ててもらった。もちろん、両親と喧嘩した時は家に帰りたくないと思ったことはあったけれども...。
あの子たちのように、誘拐されて地下に閉じ込められてなお『家に帰りたくない』なんて思わないだろう。
...一体あの子たちはどんな家庭環境で育ってきたのだろうか。
「あの子は...?奥の部屋に、ベッドで寝ている子供がいましたよね?声をかけても目を覚さない...そして、見るからに霊力が減っていて弱っていたあの子は...大丈夫でしょうか」
子供たちとサッカーをしている間、僕は少し休憩するね、と言って他の部屋を探索していた。
あのアジトは驚くことに、サッカーをするほど広い部屋、みんなで食事をする部屋、たくさんの本が並べてある部屋など、子供たちのための様々な部屋が用意されていた。
その中には、小さな部屋にベッドが1つと、たくさんのぬいぐるみが並べられている部屋があった。
ベッドの上には、目を閉じ寝ている女の子が1人。
話しかけても起きる気配がない。
体を纏う霊力も明らかに普通の子より少ない。
子供たちに聞いたところ、この女の子はずっと前からここにいて、ずっとここで寝ていると教えてくれた。病気のせいでずっとお休みしているんだよ、と子供たちは言っていたが、これだけ霊力が少なければ弱って当然。
あくまで僕の推測だけど、病気ではなく、だいぶ前に誘拐されて少しずつ霊力を取られて、ここまで弱ってしまったのではないだろうか。
「ああ、あの子か。安心しろ、春野。
クリスチーヌさんから子供の霊力が少しずつ回復しつつあるという連絡はもらってる。悪霊が成仏したおかげで、悪霊の霊力だけ消えて、子供たちの霊力は元の持ち主に戻っていくのかもな。あの女の子は今はまだ病院で寝ているようだが、そのうち、きっと目を覚ますよ」
「よかった、本当によかった...」
安堵と同時に、疑問が湧いてくる。
あの悪霊は、なぜあそこまで弱った子供を、ずっと生かしておいたのだろう。霊力が欲しいだけなら、霊力を全て吸い尽くして、殺して、また新しい子供を誘拐すれば良かったのに。
分からないことはこれだけじゃない。
子供たちが使う部屋は、どれも綺麗に整頓されていた。
遊び道具だけではなく、勉強のための道具も1人ずつ一式揃えられていた。
なんのために?
あの悪霊は子供をただの霊力を増やすための道具としてしか見ていないはずでは?
なぜ、どうして、悪霊は、最後にあんな...言葉を、僕に向けて吐いた?
「れ、蓮さん」
「ん?」
「蓮さんは、あの悪霊が成仏する時、悪霊のそばにいましたよね?僕は子供たちの対応をしていて...見れなかったのですが、成仏する時に、悪霊の記憶を見ましたか?」
「...ああ、見た」
「!!そ、それはどんな記憶でしたか?」
「それを聞いて、どうするんだ?」
「え、あっ、どうするって...」
『どうする』と聞かれても、どうすることも出来ない。
あの悪霊はすでにもう成仏しているのだから。
ただ僕は、今回の事件であの悪霊の行動がよくわからなくて、僕が見ていたあの『悪霊』と違った一面があったんじゃないかと、思ってしまった。
人のことを弱者だと言って嘲笑したり、地面に叩きつけたり、首を絞めてきたり...全て許せる行為ではない。僕はあの悪霊が大嫌いだ。
もう二度と顔も見たくない。こんなに憎い。憎いはず、なのに、あの悪霊のことが、生前どんな人だったか、どんな人生を歩んできたのか、気になってしまう。
「なぜ気になる?知ってどうするんだ?」
『どうする?』という問いに答えられなかった僕に、蓮さんは畳み掛けるように続けて問いかけた。
「そ、それは...ただ、なんとなく。気になっただけで...」
「...知りたいのなら教えてやろう。
あの悪霊は今よりも昔の時代に生まれた女性だった。その頃は今よりも『女性』が苦労する時代だったようだな。
結婚もできず子供もいない彼女にとっては、生きづらい世の中だったようだ。彼女の生きる道は彼女自身で自由に決めることはできなかっただろう
...これ以上の詳しい記憶も知りたいか?」
「い、いえ...大丈夫です...」
「春野、お前はこれを聞いてどう思った?」
「...僕は、あの悪霊を残酷で恐ろしい人だと思っていました。どうせ生前もろくなやつじゃなかったんだろうな!なんて決めつけていました...
けれども、実際に彼女は子供たちを殺してなかったし、子供たちのことを大切にしていた。もしかしたら、わざと家庭環境に問題のある子を集めて、あそこで匿っていたんじゃないかとさえ...思ってしまったんです」
「もしそうだとしたら、お前はどうしたかったんだ?」
蓮さんにそう聞かれて、僕はすぐには答えられなかった。悪霊が子供のことを大切にしていたのは全て妄想で、本当は霊力を全て引っ張り出し殺すつもりだったかもしれない。
悪霊がいなくなった今、真相は分からない。
分からないからこそ、僕は...
「...もっと話し合って、色々聞いてみたかった、かもしれない...です。もしかしたら、悪霊って、悪い人ばかりじゃなくて、話せば分かることも...あるんじゃないかなって」
ふと、もこ太の顔が頭に浮かんだ。初めて会った時、もこ太は僕が悪霊に殺されそうになっているところを助けてくれた。逃げ足の速い悪霊を見つけるために、協力もしてくれた。
口は悪いしよくお説教してくるし、見た目とは裏腹に中身の可愛さはゼロだけど...。でも、もこ太みたいな無害な悪霊も、もしかしたらまだ、この世界にはいるんじゃないか、そう、思ったから。
「...ベッドに寝ていた女の子。あの子は私たちが助けに来なかったら、あのまま一生夢の中で過ごしていただろう。あの悪霊が悪いやつではないと言うなら、なぜ年端も行かない女の子にこんな酷いことをするんだ?」
「そ、それは...分かりません。随分前に誘拐した子だと思いますので、加減がわからなくて霊力を取りすぎてしまったのかも...しれません」
「あいつは私とお前を殺そうとした。子供たちもこのままだったら遅かれ早かれみんな弱っていただろう。
あの悪霊にどんなに悲しい過去があろうとも、どんな人生を送っていようとも、あいつがしたことは間違いなく我々社会にとって『悪』そのものだよ」
「それは、そうかもしれません。でも!!!でも...じゃあ、なんで。なんであの悪霊は、消える前に、僕に『子供たちに死に様を見せるな』なんて言ったんですか!!
あの悪霊がやったことは...許されることじゃないです。
...でも僕は、もしかしたら、悪霊にもまだ心が残っていて、話せば分かることもあるかもって...もっと話し合ってから成仏させたら、あの悪霊のことを本当の意味で救えることができたんじゃないかって...」
突如、蓮さんは音を立てて勢いよく椅子から立ち上がった。
ただならぬ形相で僕に近づき、両手で僕の肩が痛くなるほど強く掴んだ。
「春野...よく覚えておくんだ。
悪霊は、みな全て総じて『悪』そのものだ。やつらに決して同情するな。やつらを助けてあげたいと思うな。
君のその優しさは...いつか君の命を危うくしてしまう。だから...気をつけなさい」
そういうと、蓮さんは項垂れて下を向く。僕の肩を掴む手がさらに強くなる。
「...君は優しい。誰かを救いたいと願うこと自体は自由だ。...どうしても悪霊を救いたいと思うのなら、話し合いなんていらない。ただ成仏させることだけが救いだと思って、仕事をしろ。いいな?」
「...はい」
成仏が救い、ただそれだけを思って仕事をする...。
あの悪霊は成仏する時、いったい、なんという言葉をかければ、心から救われたのだろうか。
僕はまた、そんなことを考えてしまった。




