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黒き水の華、白椿の誓い  作者: 朧月 華


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第43話 彼の力への恐怖と渇望

綾辻澪は、自分がどれほどの間、泣いていたのか、分からなかった。



彼女が、ようやく、龍園蓮の、あの広くて温かい胸から、顔を上げた時、外の空は、既に、完全に、黒くなっていたことだけは、分かっていた。



病院の廊下の照明は、青白く、冷たかった。



彼女の目は、赤く腫れ、顔には、まだ、乾いていない涙の跡が、残り、その姿は、狼狽し、哀れだった。



蓮は彼女をからかうことなく、ただ、一枚の清潔なハンカチを取り出し、優しく、彼女の顔の涙の跡を、拭ってやった。彼の動作は、とても、丁寧で、まるで、壊れやすい宝物を、扱っているかのようだった。



澪は、どこか、居心地悪そうに顔を背け、その声は、まだ、鼻声だった。「……ありがとう。」



「黒崎に、夕食を、買いに行かせました。」蓮は手を収め、ごく自然に話題を変え、彼女の気まずさを、避けた。「あなたは、昼から、何も、食べていないでしょう。」



「食欲がないの。」



「それでも、食べなさい。」蓮の口調は、反論の余地がなく、どこか、横柄な優しさがあった。「お父上は、まだ、あなたを必要としている。もし、あなたが先に倒れたら、誰が、彼を、守るのです?」



「守る」という二文字が、澪の心を、わずかに、震わせた。



彼女は、目を上げ、彼を、見た。



目の前の男は、相変わらず、あの、知的な、優雅な様子だった。しかし、彼女は、この完璧な皮囊の下に、いかに……全てを覆すほどの、恐ろしい、闇の力が、隠されているかを、知っていた。



まさに、この力こそが、彼女の、全ての障害を取り除き、彼女を、今日まで、導いてきたのだ。



しかし、この力もまた、彼女に、依存と同時に、ある種の……心からの、恐怖を、感じさせた。



彼女は、それを、渇望していた。なぜなら、それが、彼女を、無敵にするからだ。



彼女は、また、それを、恐れていた。なぜなら、彼女は、自分が、いつの日か、この力の……次の、標的と、なるのではないかと、分からなかったからだ。



この、矛盾した、恐怖と渇望が入り混じった感情が、彼女の、目の前のこの男への感情を、ますます、複雑に、ますます……抜け出せなく、させていた。



「何を、考えているのです?」蓮は、彼女の眼差しの変化を、鋭敏に、察知した。



「何でもないわ。」澪は首を振り、彼の視線を、避けた。



ちょうどその時、黒崎が、いくつかの、精巧な食箱を手に、足早に、やってきた。



「若、お嬢様。」



蓮は食箱を受け取り、黒崎に、命じた。「ここは、私がいる。行って、会長を、最上階のVIP特別看護病室に、移せ。警備レベルを、最高に上げろ。私は、もはや、いかなる『不慮の事故』も、起こってほしくない。」



「はっ。」黒崎は頷き、去っていった。



蓮は食箱を開けた。中には、いくつかの、あっさりとした、しかし栄養のある料理と、まだ湯気の立つ、烏骨鶏のスープが、入っていた。



彼は、料理を一つ一つ、廊下の長椅子の上に、並べ、そして、箸を、澪に、渡した。



「食べなさい。」



澪は、彼の、あの、当たり前のような様子を見て、心に、突然、奇妙な感覚が、湧き上がった。



一時間前、この男は、自分と、いかにして二人を「人間蒸発」させるかを、議論していたのだ。



そして、今、彼は、まるで、最も、思いやりのある恋人のように、ここで、辛抱強く、自分に、食事を、勧めている。



この、極致の、対比が、彼女に、一瞬の、眩暈を、感じさせた。



彼女は、黙って、箸を受け取り、小さな口で、食べ始めた。



泣き疲れたせいか、あるいは、本当に、お腹が空いていたのか。彼女は、竟に、この食事が、自分が、生まれ変わって以来、食べた中で、最も、安らかな一食だと、感じた。



蓮は、食べなかった。ただ、静かに、彼女のそばに座り、彼女が、食べるのを、見ていた。



彼の視線は、とても、静かで、彼女には、読み取れない、深遠な、何かが、あった。



「龍園さん」と、澪は、食べ終え、箸を置き、不意に、口を開いた。「あなた……なぜ、私に、そんなに、優しくしてくださるの?」



この質問は、彼女が、唐突に、そして、直接的に、尋ねた。



蓮の動きが、一瞬、止まった。



彼は、彼女の、あの、戸惑いで、ことのほか、澄み切って見える瞳を見て、しばらく、沈黙した。



そして、彼は、笑った。



それは、どこか、自嘲と、無念が、混じった、笑みだった。



彼は手を伸ばし、彼女には触れず、ただ、その指先で、そっと、彼女の唇の端に、うっかり、ついていた一粒の米を、取り除いた。



その動作は、自然で、親密だった。



どこか、言葉にできない、寵愛が、あった。



「おそらくは……」



彼の声は、極めて低く、まるで、彼ら二人にしか聞こえない、秘密を、語っているかのようだった。



「……私が、二十八年間、生きてきて、ようやく、一人……私が、甘んじて、彼女のために、『刀を渡せる』人間に、出会えたから、でしょうな。」

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